2016年08月21日

受動意識仮説

YouTubeをいろいろ観ていたら、慶応大学の前野隆司という先生が、意識とは何かみたいな話で「受動意識仮説」について講演しているのがあって、ちょっと理解がむずかしかったがなんだか面白かった。

その先生の話によると、人間が何か行動するときは基本的には「無意識」がそれを決めているという。
「腹が減ったのでマクドナルドへ行こう」というのも、まったく無意識的に決定して、0.3秒後くらいに「意識」が追認する。
「意識」は追認するのだけれど、追認したという自覚はない。
むしろ「意識」自身が主体的に決定したのだ、と錯覚している。

人間の行動はすべてそのようになっている、と言うのである。
この説の裏付けとして、世界各地におけるいくつかの実験例も紹介されていて、その中には意識が無意識による決定を追認するまでの0.3秒間の出来事については認知ができず、0.3秒間の認知と記憶の空白が生じる、みたいなこともあって面白かった。

この説はまだ仮説の域を出ていないらしいけれど、おそらくはかなり真理に近いように感じる。
すべての行動を無意識が決定していればこそ、ダイエットは失敗し、ギャンブルは泥沼にはまり、いけないクスリは止められない。


受動意識仮説では「意識」というものの正体は、無意識的に行動した結果を記憶して認識する「後付け」の機能だった、ということになるようである。
おそらく、犬や猫なんかは人間同様に無意識的に行動して、その行動結果をいくらか記憶し認知する。
食べるとお腹を壊す食べ物や危険な外敵などに出くわした時には、そのことを「エピソード記憶」として認知し、次回の行動時に活用する。
このように、意識による認知は生き物が無意識に決定する日々の行動決定を修正し、生存確率を高めるための後付けの機能だったのだろうと思われる。

その後付けの「意識」がかなり発達したのが人間である、ということらしい。
そして人間の場合、後から登場したはずの「意識」がまるで最初からすべてを決定していたかのような錯覚にいつの間にか陥り、しかし依然としてすべてを決定する「無意識」のコントロールが出来なくて思い悩む、というややこしい事態に立ち至っている。

たぶん人間が動物である限り、無意識の決定を意識が追認する行動様式は今後も変わらない。
人間に与えられたテーマは、意識から無意識へのフィードバック回路を活用して、いかに無意識を意識が望む方向にコントロールするか、ということになるのだろう。

意識によるコントロールの第一歩は、常におのれの行動を注意深くモニタリングして、おのれの中の「無意識」がどのような決定をしているのかをメタ認知すること、になる。
そして「無意識」が喜びそうな餌を見つけて事前にばら撒く、というような方法で無意識を導いていく他ないのかもしれない。

おのれの中に住んでいる「無意識」という決定主体の存在は、ややこしい話だけれどそれはそれで人生の醍醐味のような気がする、今日この頃であった。
posted by ヤス at 11:44| Comment(0) | 徒然なるままに