2016年08月12日

抑制的であることについて

昨日は尖閣諸島について考えたわけであるが、わたしは基本的には、中国はそれほど切実に尖閣が欲しいとは思っていない、と考えている。
それよりは外に敵を作ることによる国内の引き締めが目的だろうと思う。

ところで、外に敵を作って内部をまとめるやり方は、国家の場合以外でも例えば先の都知事選で小池さんが都議会や自民都連を仮想敵にして「劇場」をしつらえたように、わりかし普遍的でポピュラーな方法であるようだ。
もっと卑近な例で言えば、会社の中で部下の信任が薄い中間管理職の課長さんが、「悪いのはぜんぶ社長だ」などと言って何か自分以外のものを弾除けにするのも同じ構造だと思われる。

この場合、ことの真偽はいざ知らず、諸悪の原因を「外敵」たる社長になすりつけることによって部下とともに共通の敵を認識し、行動のベクトルをひとまず揃えることが出来る。
(もっとも部下が課長を信じればだが)
また、社長が諸悪の根源になることで課長のマイナス面がいくらか払拭されて、少しばかり出来る上司に近づくことになる。

これは昔絵本で読んだお話の「泣いた赤鬼」と同じ構図だ。
ただしあのお話では、青鬼(赤鬼だったけ?)が自ら悪者になって赤鬼が社会の信任を得るということだった。
いずれにせよ、外に仮想敵を設定する方法においては、悪者にされた外敵が本来こちら側の人が負うべき責任を代わりに背負ってくれて、なおかつこちら側の人々の行動のベクトルを外敵退治の方向に揃えることが出来るという、一石二鳥の効果を発揮することが分かる。

こんなに便利で効果的な方法ならば、これは有効活用しない方が損というものであろう。


少し話は変わるが、最近の芸能人の不倫や政治家の不祥事のバッシングについて。

脳科学の研究によると、人間の脳内では「悪者」をがんがん批判し糾弾した時にある種の脳内物質が出て気分が良くなるらしい。
人類にはそういう基本的性向があるので、人間はいつでも批判すべき対象を探してバッシングしたいと潜在的に望んでいる。

このような基本的性向は、おそらく学校などのイジメの一因にもなっている。
さらに言うと、人間は社会における自己承認欲求を満たすために自分より劣った人々を周辺に見つけ出し、特定することがある。
これに先ほどの人類の持つイジメの基本的性向がかけ合わさるとかなり凄惨な事態が発生するだろう。
ヘイトスピーチや種々の差別問題がそれである。

さらにさらに、ここに政治的リーダーによる仮想敵を作る構図が重なると、70数年前のドイツにおける悲劇のようなことが起こるのだと思う。

少し考えてみると中世の魔女狩りとか、歴史上同様の構図の大量虐待・虐殺事件は枚挙にいとまがないようにも思う。

そろそろ人類は、より文化的で賢い次のステージに進むべきであると思うが、そのためのよいアイデアは個人的にはまだ浮かんでいない。

少なくとも、誰かの悪口を声高に叫ぶ時は、そのことに対して本人が自覚的であること、つまりメタ認知の心がけが重要だと思う。
メタ認知の心がけが、人類の野放図な本能的行動を抑制する。

行動に際して抑制的であることが、人類を文化的で賢明な方向へ軌道修正するのではないか。
などと思う今日この頃であった。
posted by ヤス at 15:20| Comment(0) | 徒然なるままに