2016年08月11日

尖閣諸島問題について

尖閣諸島周辺に中国の巡視艇と「漁船」の大群が押し寄せて問題になっている。
一部は領海内に侵入を繰り返しており、日本政府からは再三にわたり厳重抗議がなされている。

なぜこのタイミングで中国船団が大挙したのか、その意図についてはニュースなどを見ても明確には分からない。

近く中国で開催されるG20サミットで、フィリピンと争っている南シナ海問題から話題を逸らすため、という説をたびたび見かける。
そうなのかもしれない。
その場合、現状では南シナ海が中国にとっての主要目標ということになるのだろう。

尖閣諸島周辺海域に海底資源が眠っていてそれが狙い、という話もある。
が、現在推定されている資源量は案外少ないようで、中国が資源狙いというのは考えにくい。

それよりは、一党独裁体制の中国においては国内政治体制の維持のためには恒常的な国際緊張が必要なのではないかということを想像する。
外に敵を作って、その外敵との緊張状態をタネに政治的求心力を形成する、という構造があるのではないか。
そしてその外敵は、国境を接して過去に紛争もあったロシアやインドだと、敵として大き過ぎるということがある。
ロシアもインドも核保有国で、特にロシアは国連常任理事国である。
ささいなきっかけが発端で軍事衝突が発生すると大事になりそうだ。

その点、日本やフィリピンやベトナムは敵としては先の2国より与し易いのだろう。
いちおう日本は世界で上から5〜6番目に位置する軍事強国であり、日米安保もあってことを構えるにはあまり小さな敵とは言えないかもしれない。
しかし日本は専守防衛を国是としており他のどの国よりも実力行使に打って出る可能性が低い。

経済面などをダシにしてアメリカを中国側に引き付けつつ尖閣諸島周辺に侵入することで、十分に「安全」に緊張状態を作り出せると考えているのではないか。


それと海上における領有権の主張は陸上におけるそれより難しいのかなと思う。
陸続きで国境を接している2国間、例えば過去のドイツ・フランスなどでは、実際に国境線の画定をめぐり紛争が繰り返された。
しかしひとしきり戦争が終わったら2国間で条約が締結されて国境線が決まる。
そうなるともうそれ以上文句が言えなくなる。

その点海上の領土は早い者勝ちの論理(「先占の法理」と言うらしい)で一方的に領有を宣言するので、いろいろと理屈をつけて後から早い者勝ちを宣言する国が現れて問題化することになる。
昔なら戦争をして白黒つけることになったのだろうが今はそうもいかない。
日中は、ユニクロの例は言うに及ばず、すでに経済的にがんじがらめに結合しているので中国だってホンネでは戦争状態の生起など望まないに決まっている。

結局のところこの問題を根本的に解決する最大の方法は、中国政治体制の民主化だと思われる。
ただし、民主化して独裁強権体制が崩れると何か隠れていた他の問題が次々に吹き出すのかもしれない、そういう不安がある。

日本としてはフィリピンやベトナムなどとも連携しつつ、日米安保のメンテに精を出すしか今のところ対処方法がないようである。
同時に、中国の政治体制の動向も注視していかないといけないと思う。
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2016年08月10日

オリンピック(水泳)の結果について

ネットニュースを見ていたら、リオオリンピック水泳の200mバタフライの坂井聖人が銀メダル、そして男子800m自由形リレーで銅メダルを獲ったのが流れていた。

200mバタフライは400m個人メドレーで銅メダルの瀬戸大也に期待が集まっていたが、今回は瀬戸の大学の後輩の坂井ががんばった。
金メダルのフェルプスとは100分の4秒差。
手のひら一つ分くらいの差、ちょっと惜しい感じもする。
でも大幅自己ベストで王者フェルプスを追い詰めたのでよしとしよう。
というか、フェスプスの勝負強さにあらためて脱帽する。

そして800m(200m×4)自由形リレーで銅メダル。
1位のアメリカが7分00秒66、2位のイギリスが7分03秒13、日本が7分03秒50の銅メダル。
ラストでイギリスのエース、ジェームズ・ガイに抜かれたようだ。
それにしてもジェームズ・ガイって名前がカッコいい。
名前だけでなく身長187cmでアイドル顔、20歳のイケメンである。

日本のアンカー松田丈志はそのイケメンのガイに抜かれたということで、そこは諦める他あるまい。
それにしても今回の日本チームはレベルの高いメンバーが4人揃った。
これは日本水泳界の選手層がアメリカ並に厚いことの証拠だと思う。
次の東京オリンピックでは松田丈志は引退しているだろうから、彼に代わる新星が出て来れば金メダルも狙えるのではないか。
というか、イギリスのガイが彗星のように出てこなければ日本は銀メダルだった。
オリンピックにはそういう新しいヒーローを生み出す力がある。
日本の4年後に期待しよう。

そしてそして、200m平泳ぎの準決勝の結果も出ていた。
平泳ぎエースの小関也朱篤(コセキ・ヤスヒロと読む)が2分07秒91で決勝へ。
また渡辺一平が2分07秒22のオリンピックレコードの1位残りで決勝へ行った。
2位残りのイギリス人に0.5秒の差を付けての1位。

日本人の山口観弘が持つ2分07秒01を更新に期待がかかる。
一気に6秒台に突入してヒーローになって欲しい。
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2016年08月09日

お気持ちの表明について

昨日の大きなニュースとして、天皇陛下が生前退位を示唆する「お気持ち」の表明があった。

正直に言ってわたしは、天皇や皇室に対する自然で無条件な尊崇の念、というのをあまり感じたことがない。
だからといって天皇位を廃止すべきと主張するほどの反対論者というわけでもない。

理屈として、国の統合の象徴としての天皇という地位は理解できなくはない、その程度の気持ちはある。

そういう程度の立場にある人間として昨日動画を見たわけであるが、なんというか、今までになく新鮮な気がした、これまであまり見たことのない天皇の姿であったように感じた。

それは冒頭に「個人としてこれまでに考えてきたこと」を述べる、と言われた部分で感じたのだと思う。

天皇陛下というのは基本的に政治的意思を持たない存在であって、だから、今から自分の考えてきたことを言います、という状況はほとんどない。
それがご自分の気持ちを述べられたということで、しかも内容が皇室典範やあるいは憲法の改正に及ぶ可能性のあるきわめて政治的な発言だったという点でかなり衝撃的だった。

わたしなりに発言の論点を整理すると以下のようである。

・国事行為を100%こなせないのは象徴天皇として十分と言えない
・自分自身加齢による衰えを感じ高齢な天皇は国事行為が十分出来ない心配を感じる
・また天皇崩御の際の負担があまりに大きい
・このような問題意識の下「天皇の努め」が安定的に維持される方法を考えた方がいいと思っている




お気持ちのなかでは生前退位を検討してください、というような具体的な「お願い」はもちろん入っていないわけであるが、事前のリークもあり、お気持ちの表明からは「天皇の努め」を安定維持するための生前退位の制度化について連想せざるを得ない内容であった。

ひとつ思うのは、やはり天皇や皇族の存在は、そもそも彼らの人権の制限を伴うということがある。
職業選択の自由をはじめ、住む場所やプライバシーに関する自由などもかなり制限を受けつつ生きていかないといけない。
最初から分かっていたことだが、そのような根本的な問題が今回はじめて大きく問題化されたということなのだろう。

タイミングについてはいろいろと政治的な思惑が噂されているが、よく分からないし、万が一天皇ご自身に何か思惑があったとしても絶対に表に出て来ないであろうから、まあ詮索してもしょうがない。

生前退位については国民の大半が賛成のようで、そのような民意を探りながら今回の表明はなされたのだろう。
ただいちばんの難問は生前退位するとして、それを誰が決めるのかということだ。

「天皇陛下の人権」の観点からは退位の自由をご自身が獲得するのが自然な姿だろうが、現憲法下では政治的権能のない天皇ご自身には決められない。

ということで、これは憲法改正論議に発展すること必至の大問題になりそうである。
posted by ヤス at 07:11| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月08日

萩野金瀬戸銅のレース感想

おとといリオオリンピックの水泳競技400m個人メドレーで、萩野公介が4分6秒05で金メダル、瀬戸大也が4分9秒71で銅メダルを獲った。
銀メダルはアメリカのチェース・カリッシュで4分6秒75。

このニュースをネットで知って、すぐにレースの動画を検索したが決勝のスタートからゴールまでの完全動画は、まだ見つかっていなくて背泳ぎの途中からのを観た感想。

予選の動画はあって、萩野と瀬戸のそれぞれの決勝に向けた泳ぎっぷりは全部観ることが出来た。

予選最終組のひとつ前の組に出てきた萩野公介。
萩野はいつも最初のバタフライはかなり飛ばして泳ぎ、だいたい54秒台で入るようになっているのだが予選ということもあってだろうか55秒中盤のラップでいつもよりだいぶ楽に入っているように見えた。
インタビューで本人が言っていたが、平泳ぎ以降はかなりゆったり泳いだようで、最後の自由形も60秒ちょっとかけてフィニッシュ。
にもかかわらずこの予選組の2位に約2秒の差をつける圧倒的な力の差を見せつけた。

続いて最終組の瀬戸大也と、瀬戸・萩野のライバルのカリッシュのレース。
瀬戸はバタフライを54秒台でいつも以上に積極的に入り、苦手の背泳ぎもかなり飛ばしているように見えた。
しかし続く得意のはずの平泳ぎでカリッシュがラップで1分8秒台のかなり速いタイムで追い上げてみるみるうちに差を詰め、最後の自由形は決勝さながらの競り合いになった。
特にラスト50mはカリッシュが28秒41、瀬戸が28秒86という激速のタイムだった。
ちなみに萩野の予選のラストは29秒46なので瀬戸とカリッシュがいかに速かったか分かる。

そして結果的にこの予選のラスト50mが決勝レースの伏線になったのではないか、と決勝レースの後思った。

その決勝。
最初の100m、瀬戸は予選より抑えめの55秒台前半、萩野はほぼ予選と同じ55秒中盤。
カリッシュは予選より0.1秒遅いだけのタイム。
続く背泳ぎ、瀬戸の泳ぎのテンポが明らかに早い。
テンポは早いがあまり前に進んでいないようだ。
対照的に萩野の背泳ぎはよく進んでいる。

200m終わった時点で萩野は瀬戸に1秒半、カリッシュに3秒近い大差をつけている。
ここまでのレース展開で萩野の勝利が決まったように見えた。

しかしカリッシュが得意の平泳ぎで予選以上に激しく泳いで追い上げ、この100mのラップを萩野より2秒速く泳いで、0.7秒差くらいまで詰めて見せ場をつくる。

そして最後の自由形。
カリッシュがさらに萩野に追いすがってわずかに差を詰め、瀬戸は力尽きたか大きく遅れた。

ラスト25mを過ぎた当たりで萩野はキックを強く打ってラストスパートをかけると、ふたたびカリッシュとの差を開きつつ最後は少し余裕を見せるように大きく手を伸ばしてゴールタッチし金メダルを決めた。

カリッシュのタイム4分6秒75は自己記録を大幅に更新したもので、決勝レース前の萩野のベストより速く、「本来」であれば萩野は残念ながら伏兵に負けて銀メダル、の流れだったようにも思う。

しかし、ライバルが想定外のタイムを出してもさらにそれを上回る爆発力を見せることが出来るのが萩野のすごいところだ。

ちなみにラスト50mのラップは萩野28秒39、カリッシュ28秒56、瀬戸30秒34。
ほんとうのところは分からないが、たぶんこのラストは予選の疲労度がかなり影響したのではないか。

いちばん余裕を持って予選を泳いだ萩野は最後にまだ力が残っていて、予選がんばった瀬戸は最後力尽きた。
そういう意味では瀬戸も力を出し切った。

萩野の予選と決勝の泳ぎは王者の風格があった。
瀬戸やカリッシュもいつも以上の力を出した中でのすごい400m個人メドレーだったと思った。
posted by ヤス at 11:00| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月07日

Amazonの読み放題について

アマゾンで電子書籍の読み放題サービス「Kindle Unlimited」が始まった。
月額980円で和書12万冊が読めるとの触れ込みである。

早速30日お試し無料体験のボタンを押してみた。

考えてみると当たり前のことであるが、12万冊が網羅している範囲は案外狭い。
つまり読みたい本がなかなか無い。

AmazonでKindleとして電子書籍化されているのが40万冊だという。
すると今回読み放題の12万冊はKindle全体の3割に該当する。

ちなみに日本における年間の新刊本出版数はおよそ7万点であるらしい。
そしてリアルの書店で蔵書数最大は大阪梅田のMARUZEN&ジュンク堂書店で200万冊あるらしい。
この数字を念頭に置いてみると、Kindleのラインナップ40万冊とUnlimitedの12万冊はそれほど悪い数字ではないように思える。

ただしKindleもUnlimitedもコミックと雑誌が多いようだ。
単純にコミックと雑誌の出版に占める割合が多いということなのかもしれない。
だが経験的に感じるところでも一般の新刊本におけるKindleのカバー率はまだ低く、したがってUnlimitedはさらに低いと推測される。
だからUnlimitedでコミック・雑誌以外で読みたい本を見つけるのは今のところ難しい。
ウェブ上における評価も賛否両論だが、わたしが見た範囲ではやや「否」の方が多いと感じた。

ただしKindleは年を追うごとに点数がどんどん増えているようなので、Unlimitedもそのうち充実するだろうと期待する。

このようにまだまだ読みたい本が少ないUnlimitedであるが、もちろん現状でもメリットはいろいろあると思う。

Unlimitedの商法の基本パターンとして、複数巻ある書籍は最初の巻だけ無料であとは有料というのがあるらしい。
お試しサンプルの延長的な考え方だろうが、今まであまり興味のなかった著者の作品でも無料なら試してみるか、ということはあるかもしれない。
同様に、Unlimitedでたまたま無料で読んだ本が面白くて、それでファンになった著者の他の著作を有料で買う、ということもあるかもしれない。

だから読み放題サービスは、読者視点に立つと読書の範囲を広げる効果があるように思うし、出版側からは読者層を広げる手段として使える。
「読み放題」というサービスが可能になったのは電子書籍化によることは言うまでもない。
書籍の電子化は当初は単に本の収納が便利とかスマホでいつでも読めるとかの利便性にスポットが当たっていたが、出版マーケティングや読者の読書範囲に与える影響の方がより本質的であるのではないか。

あとどうでもいいことだが週刊ポストとか日頃わたし的に立ち読みしている雑誌が、紙版に少し遅れて無料で読めるようだ。
そうなるとコンビニで立ち読みする機会が減少し、コンビニの経営に少し影響があるのではと余計な心配もしたくなったりする。


ネットを見ていたら国会図書館の蔵書数は4千万冊らしい。
電子書籍のほんとうの潜在的機能は、物理空間の制約を受けずに出版点数を拡大可能なことであろう。
書店に並んでいる本がせいぜい数十万冊とか1〜200万冊であることを考えると、まだまだ電子書籍の未来の可能性は大きいように思う。

ただし電子書籍の利用率は全読書ユーザーのおよそ2割弱でしばらく頭打ちしているようだ。
人間の行動習慣が変わるのに時間がかかるという壁は意外に大きい。

ただあと10年も経てば生まれた時から電子書籍があって、スマホで本を読むのが当たり前の世代が増えてくる。
そうなると近未来のどこかで爆発的に電子書籍市場が拡大する時期が来るような気がする。
Amazonの株は買いかもしれない。
posted by ヤス at 13:26| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月06日

ロックな精神の必要性について

だいぶ前にも書いたことがあったと思うが、わたしが中学生の頃、次郎物語で有名な下村湖人が書いた「論語物語」という本がたまたま家に転がっていて、これを読んだわたしはいたく感動して学校の読書感想文もこれで書いて先生に褒めらた、というようなことがあった。

論語物語は、今から2500年ほど前の中国春秋時代の偉人、孔子の言行録であるところの論語を今風に(といっても書かれた当時の「今」だが)ものがたり仕立てにして読みやすくした本である。
以降わたしは古代中国の歴史に若干の興味をもつようになり、老子とか孫子の兵法とかの解説本を読んだり、さらに後には古代中国小説で有名な宮城谷昌光の小説も読むようになった。

しかし、思想の土台はあくまでも下村湖人の論語物語の世界であって、「仁」とか「忠恕」とか「徳」のある生き方について、それなりに深刻に思索を巡らせたものである。

しかしその後時を経るにつれて、どうも論語的世界に疑念を抱くようになり、今ではどちらかと言えば老荘の徒に宗旨替えをするに至っている。

孔子はいちおう世界の三大聖人にも数えられていて、世間的には依然としてかなり偉い人という評価であると思われる。
しかし最近のわたしの独断では、孔子はそれなりのカリスマはあったのかもしれないが、しかしその本質は思想家や哲学者というよりは実務家としての性格が濃厚で、野心を秘めた政治家として士官活動をするが夢破れて、しかたなく野に下った人なのではないかと思っている。

孔子の私塾には千人を超える門下生が所属していたという伝説だが、これも単に大臣の職を追われて空に困ったので、かつての職歴を看板に塾生を集め塾費を課して生活費を稼ぐようになったことの誇大宣伝だろうと考えている。

つまり孔子は、そこそこビジネスセンスのある起業家ではあったのかもしれない。

そしてついでのことに、諸国の君主や大臣に向けて国内統治のノウハウを書籍化して売り込み、その事業を弟子の筋が引き継いでやがて「論語」という本が出来上がったのではないかと思うのである。

論語というのはひとことで言うと秩序維持のための大衆誘導のノウハウであろう。
それは血縁や年功序列を重んじ、アナーキズムすなわち革命的思想がまだ芽吹く前に摘み取るノウハウといえる。


これは事実かどうか知らないが、生きた魚をいけすに入れて長距離輸送する場合、通常は何割かが死んでしまうが、その中に一匹肉食魚を入れておくと数%は食べられるが、肉食魚なしの時より死亡率は低くなる、という逸話がある。

それと近い話だと思うけれど、社会というのもアナーキズムの要素が少し潜んでいることで、かえってその寿命が伸びる、ということがあると思う。

アナーキズムは革命思想であり、既存秩序の破壊であろう。
現代風の言い方だと、アナーキズムは「ロックンロール」だ。

それでもあまりしょっちゅう革命が起きるのは困るが、既存秩序が十年一日のごとく破壊されない社会というのもまた弊害が大きい。

理想を言えばマイルドな革命が恒常的に存在して常に社会の鮮度が保たれる、というのがいいのだろう。
たぶん世に言う保守主義とはそういうことなのかなと思う。

いずれにせよ聖人孔子が案外な俗物なのではないかと疑ってみる、といいうようなたぐいのことは、世の中の鮮度を保つ上で重要だと思う。

世の中の常識や先人の知恵や世間で共有されている当たり前の前提はすべて一回疑ってみること、このことはけっこうむずかしいがたぶん必要なのである。

逆に言うと、疑念や反論を規制する政治権力やロックな精神を排除する社会的風潮は、その社会が衰退に向かいつつあることの証拠だと思って間違いないのではないかと思う。
posted by ヤス at 16:40| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月05日

後づけの理屈

サラリーマンをやっていると、営業マンが目標未達であったりする場合に上司から怒られることは日常の風景だろう。
そこで上司からは目標未達の理由について詰問される。
未達君は「ちょっと先月はいまいちやる気が起こらなかったんで」というのが本音であるが、もちろんそれを言うと炎上した状況に対しさらに油を注ぐことになるのは明らかなので何か適当な理由を考えて返答する。
例えば、「最近は東京の会社が地方に進出して来ていて、それと我が社がバッティングすることが多い」などと言う。

そこには、10分の1くらいの事実を混ぜ込んでおくことがポイントになる。
上司は返答の事実部分にやや引け目を感じながらも、しかし部下の返答がその事実部分によっていかにももっともらしくなっているのにかえって逆上し、「つべこべ理屈を言うな、まじめにやれ」と激しくハッパをかける。

しかし営業の世界では、精緻な理屈よりおおまかな行動力の方が成果に結びつくことが圧倒的に多いものである。
だからこの場合のやや理不尽に怒鳴る上司は、あながち間違いとも言えない気がするのである。


しかし思うのは、人間が何か失敗してその失敗理由について述べている時、それは当然ながら後づけの理屈に過ぎないわけであるが、さらに言うと、運良く成功した場合の成功理由だって後づけの理屈に過ぎないと思われる、ということ。
何か計画を立ててそれを遂行している時、状況は刻々変化し、しかも計画の前提となる情報や考え方にはガセネタや間違いが大量に含まれている。
だから計画なんてたいていほとんど当てにならない。

だから計画の結果についての説明は、それが失敗であれ成功であれ後づけの理屈にならざるを得ない。

人類の経験則として、熟慮を重ねてあまり行動しないのと、何も考えないがとりあえず行動するのとでは、後者の方が目的地に早くたどり着く場合が多い、ということがあると思う。
ただし人類の歴史においては、熟慮のやり方を薄皮を重ねるように少しずつ改良して、熟慮の方が無思慮な行動に時々勝る、ということがだんだん増えていっている途上にあるのではないだろうか。

そのうち人工知能が完成していろんな未来が先読み出来るようになるのかもしれないが、たぶん当分の間は人生の基本はトライアンドエラーであって、何か失敗するごとに後づけの理屈をくどくどと述べて上司に怒られる、という風景も当分繰り返されるのだろう、というようなことをどうでもいいけれど思った。
posted by ヤス at 08:57| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月04日

ライカのプレミアム

さて、世の中にある高級品のお値段というのは、時にその値付けの根拠が理解不能のことがある。
例えばフェラーリやポルシェなどの高級スポーツカー、この手の車には2千万円とか3千万円とかの単位の値段が付いている。
この手のウン千万円の高級車を買おうと思ったことは一度もないわけであるが、しかしこう言うとなんだけれど、フェラーリのウン千万円の値段はわりかしリーズナブルなような気がする。

しかしもう一方にその値付け根拠について理解がむずかしい趣味の逸品があって、それはライカのカメラである。
中でも「ライカMモノクローム」というライカがある。
これはAmazonを見るとお値段が1,077,300円。
デジカメの世界では百万円オーバーは特に珍しくもないと思うが、こちらのライカは36×24mmのフルサイズ2400万画素センサーを搭載したレンズ交換式レンジファインダーカメラ。
同じようなスペックのカメラは、日本メーカーの一眼レフであれば15万円くらいから買えると思う。

しかも「ライカMモノクローム」はその名の通り白黒写真専用機。
カラー写真は撮影できない。
15万円のニコンやキャノンに比べると明らかな機能的欠落があるにも関わらず6〜7倍のお値段は一体どういうことだろうか。
ただし、カラー撮影用のカメラで撮った画像と比べるとライカMモノクロームの白黒写真は、鮮鋭度が革命的に素晴らしいらしいが、とりあえずわたしには値段ほどの違いは解読不能である。


フェラーリの値段がなんとなく理解できて、ライカのそれが受け入れがたいのは、ひとつには物理的な大きさの問題がある。
フェラーリの場合、重量がたぶん1.5トンとかで2〜3千万円だからキロあたり単価がせいぜい2万円。
対するライカは重量0.7キログラム程度で百万円なのでキロ単価がおよそ140万円になる。
世の中にはさらに2億円とか3億円の超スーパーカーもあるらしいが、それだってキロ単価では20万か30万円程度である。

そのように計算するとライカのプレミアム度は並み居るスーパーカーをも凌駕していると言えそうである。
しかもライカは冗談やはったりで値付けしているわけではもちろんなく、百万円オーバーの白黒専用機は商業的にもちゃんと成立しているのである。

ライカの場合OEM供給を受けていた中身はパナソニック製のデジカメを、ライカのバッジを付けることで数倍の値段に変身させていたという「実績」からも、ライカの各製品の粗利率は相当に高いことが推察される。




ところで話は全然飛ぶが、このところ日本では最低賃金を上げるとかブラック企業対策とか働き方改革とかいうことがよく話題にのぼる。
それらの日本人の賃金水準や労働環境の改善に関する問題は、突き詰めると日本企業の「プレミアム」創造能力の問題であると思えてならない。

日本の普通の企業がライカのようなプレミアム商品を作り出すことは簡単ではないが、そういう指向の企業が1社でも増えることが日本人の賃金水準を上昇させる唯一の方法だと考える。

ということで、もし手元に1億円くらいの余り金があったら、わたしもライカMモノクロームを2〜3台買ってもいいかなと思う今日この頃である。
posted by ヤス at 07:30| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月03日

ポケモンGOの今後

早いものでポケモンGOの日本配信が始まってから2週間になろうとしている。
わたしのiPhoneのポケモンGOは2〜3日前にめでたくレベル10を超えたのだが、明らかに経験値の増加ペースが日を追うごとに低下している。

ポケモンGOは基本的には、地図情報(おそらくはグーグルのデータだろう)上に設定されたポケストップ付近に出現するモンスターをひたすら集める、というだけの単純なゲームである。
あまりに単純過ぎて拍子抜けするくらいなわけであるが、あとジムへいってモンスター同士のバトルも出来るらしいが、わたしはいちどだけCP値が1000くらいの敵に戦いを挑んで、あっさり敗戦するという苦い経験もした。

もともポケモンのオリジナルのゲームをやったことがないのでよく分からないのだが、このままポケモンGOをやり続けた場合、どのような展開が待ち受けているのであろうか。
このままひたすらモンスターを収集し続ける日々が続くのか。
だとすると、これはちょっとさすがに続けるのがかったるいかもしれない。


ポケモンGOの配信をきっかけとしたと思われる、深夜のマクドナルドに若者がぞろぞろ集まっている現象、駅前広場にいつもより多目であるように見えるスマホを凝視している人々の群れからは、これはそのうちこのゲームを使った集客商売が本格化するのではないかと期待していた。

で実際、広告料を払ってポケストップやジムに登録するサービスが準備されているらしいが、とりあえず今のところリリースされている気配はないようだ。
一足先にマクドナルドは正式に契約して全国2900店舗をポケストップに登録しているわけであるが、おそらくそれなりの集客効果があったのではないか、と傍目には見える。
だから遅からず一般向けのサービスも始まるだろう。

ただし気がかりはこのポケモンGOのゲームの単純さである。
ゲームが単純であまり難しくないことは、日頃あまりゲームをしない「ライトなゲーマー」まで幅広くターゲットにすることを見越してのことだろう。

ただゲームがあまりに単純で、次々に脱落者が出るようだとこの先のビジネスに大きな悪影響が考えられる。
そのあたり、ゲームのアップデートとか広告サービスの告知とか、もう少しテンポよく勢いを保ったままポンポンと進むのかと思ったので、今のところ案外もたついているように見えるのである。

しかしまあこのような地図情報を活用した「拡張現実な」ゲームは初めてのケースであり、この先同様のゲームがさらに改善されたビジネスモデルで次々にリリースされることが当然予想される。
ポケモンGOによる集客を考えていた商売人の方々は、この先に出てくるだろう新しいゲームに期待するのも一手ではないか。
ただ新しいゲームについても正確・膨大な地図情報に依拠することは避けられず、そうなると今のところグーグルに頼らざるをえないわけで、そういう意味で食いっぱぐれの心配が一番少ないのは結局グーグル、という結論のような気がするのである。
posted by ヤス at 11:30| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月02日

テロのマッチポンプについて

さて、日本国内は参院選だ都知事選だと騒いでいる間、つい注目がおろそかになっていたが世界ではISがらみのテロ事件が頻発している。
そしてニュースによると、今度は米軍が北アフリカはリビアのIS拠点を空爆したらしい。
リビアはカダフィ大佐がいなくなった後、おそらく統治的な真空状態になったところにIS勢力が入りこんだのだろう。

中東では、イラクをはじめとする人権抑圧的な独裁政権が倒れた後にIS勢力が入り込む、というお約束になっているようで、シリアのアサド政権なんかはロシアの後ろ盾により首の皮一枚で政権の命脈がつながっている状態だ。

先日クーデター騒動があったトルコも、もし強権的なエルドアン政権が倒れて下手に穏健派が国政を握ると、たちまちISの浸透を許してしまいかねない、そういう心配もあると思われる。


シリア地域のIS勢力は、ロシアの無差別的な空爆攻撃の効果によってかなり勢力が削がれているらしい。
しかしISがシリアやイラクの拠点を失うごとに、世界中のISシンパに「ジハード=自主的テロ」を呼びかける動きが拡大して、テロのリスクがより広範に拡散する事態を招いていて、この点なんとも難しい状況なのである。
特に、次なるテロリストの策源地となりそうなのが、中国のウイグル地区だと言われている。
中国も経済発展にともなって貧富の格差も急拡大し、その種の社会不安も大きいと思われる。
あるいは一党独裁政治に対する不満もたまっているかもしれない。
そこで不満分子を炊きつけるISの運動が浸透すると、アジア地域にもテロのリスクが拡大しかねない。

ただし中国政府は選挙もない非民主的な強権体制であり、かの国ではやや人権概念も軽視されがちで、おそらく多少の人的損失には頓着せずにテロ対策が行われることが想像される。
そういう意味では中国が非民主的な強権国家であることがアジア地域の平和に貢献するという構図が成立しうるわけであり、かなり皮肉な話である。

さらにニュースによるとロシアでもISのジハードの呼びかけが行われているらしい。
ロシアにおいても出血を厭わないIS対策のためにはプーチンの健在が欠かせない。

そうやって見ていると、強権体制が健在だからこそテロリストを抑制出来るのか、あるいは強権体制への不満が新たなテロリストを生産し、新たなテロリストの発生が強権発動のいい口実になるマッチポンプ構造になっているのか、これはこれでニワトリとタマゴみたいな話だ。

おそらくこの問題を解決する一番いい方法は、映画「インディペンデンス・デイ」のように宇宙人の襲来で地球人類が滅亡の危機に瀕することなのかもしれないと思う。
外敵の脅威を利用して内部の一体感を高めるのは人類の伝統芸能であるのかもしれないが、殺戮兵器の性能も向上している今日、なんとかもういい加減その方式は卒業出来ないものかと思うのである。
posted by ヤス at 08:55| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月01日

犯罪防止と境目問題

さて、都知事選も終わって初の女性東京都知事が誕生した。
今回の都知事選は国政政党における与野党が、はからずも両方とも候補者擁立に失敗するというところからスタートした。
与党は公式候補と「非公式」の小池候補が立って分裂し、野党側は統一候補を立てるには立てたが、見当はずれの人物を推した時点で選挙戦はすでに終わっていた。
ということで、少なくとも国政政党による東京都政支配の構図がやや崩れたとかいう点において、今回の選挙はまずまず意味があったようである。



都知事選についての感想はとりあえず置いておく。
それより先日の障害者殺害の事件に関連して少し考えた。

首相からもこの事件を教訓とした対策立案の指示が、関係部署にくだされたようである。
具体的には、何か犯行予告があった場合のより実効性のある犯罪防止策を考える必要がある、ということであろう。
今回の事件でも記名付きで犯罪予告があったわけだが、しかし何時どこの施設を襲撃するのかという具体的な記述が無かったことで犯罪現場に警察が出動するとなどの対応は出来なかった。
現場出動が無理ならば、予告をした人物を拘束することが考えられる。
ただしこの場合の容疑は何になるのだろう。

犯罪予告における罪状は威力業務妨害などが時々適用されるけれど、攻撃対象が特定されていない場合でも警察の警備負担を増やしたということで警察に対する偽計業務妨害などが適用されることもあるらしい。

いずれにしても犯人は殺人未遂やテロ未遂などで拘束されるわけではない。
事件を実際に起こしていない以上、いつまでも拘束し続けるわけにもいかず、どのタイミングで釈放になるのかは分からないがいずれ放免せざるを得ない。
放免された人物は、遠からずまた犯罪予告を行うかもしれない。
あるいは予告無しで今度はいきなり犯罪を実行する可能性もあるだろう。

このようなリスクに対し、そういう危険人物にはなんらかの基準でGPS発信機などの追跡装置を付けることが効果的ではないか、という議論が当然起こる。

殺人やテロに限らず、性犯罪や薬物常習者など再犯率の高い犯罪常習者のに追跡装置を義務付けるアイデアは、その有用性や必要性は検討の価値はあると思う。
ただし、この場合困難が想像されるのは、ギリギリこのくらいの危険人物には追跡装置を付けた方がよいというのと、ギリギリこのくらいの人物には追跡装置は要らないだろうという範囲の境目、境界線をどのように引くかである。

この境界線の引き方は、技術的にも法律的にもかなり難しいように思える。
線の引き方を広めに取ると、たとえばまったく無実の人に間違って追跡装置を付ける誤りも増えるだろう。
線の引き方を狭くすれば、装着すべき人間に付けそびれる、という誤りが起こる。

ひとつには精神鑑定や犯罪鑑定の技術向上も必要であろうし、犯罪でっち上げなどの冤罪発生の可能性を極小化する努力が必要だと思う。

このように考えると、冤罪防止のための捜査の透明性確保において日本の制度と実情は国際的にもかなり後進的であり、したがって追跡装置の件の前に捜査の真の透明化・可視化を行うことがまず必要ではないか、と思うのである。
posted by ヤス at 16:03| Comment(0) | 徒然なるままに