2016年08月31日

財政問題について愚痴ってみる


日本の財政問題は、よく夫婦間の貸し借りに例えられる。
日本政府の借金、すなわちダンナの借金はヨメさんが貸しており他人からの借入に頼っていない。
したがって夫婦間の内輪の問題だから深刻になる必要はない、という。
また政府債務は1千兆円を超えるが、一方で政府には資産が600兆円ある。
したがって純債務は400兆円。
さらに銀行の購入した国債を緩和策に基づきせっせと日銀が再購入しており、国債の日銀保有残高は300兆円を超している。

日銀は政府が株式の55%を保有している、資本金1億円の株式会社だ。
つまり日銀は政府の子会社なので、日本政府と日銀それぞれの貸借対照表を「連結」すると、日銀が持っている国債300兆円は消滅する。
この状態での純債務はたったの100兆円、日本の財政問題は解決間近、というのが金融緩和派の主張であるようだ。

理屈は確かにそうなのだが、何かがおかしい。

まずこの純債務という考え方がくせ者だ。
政府資産600兆円には、道路とか国有林とか買い手の付かないだろう固定資産があり、金融資産にもアメリカ国債など政治的に売却処分の難しいものが含まれる。
そもそも政府資産は、普通の会社の保有資産のように気軽に売り買いが出来ないのだ。
ひとつには、財政問題を改善するほどの資産売却は100兆円単位の巨額になるので買い手がいないこと。
また金融資産の売却は市場価格に大きく影響するので一気に売れない。

そもそも政府というものは、会社のような自由な設立・消滅が想定されていない経済主体である。
だから下手な政府組織は倒産させて新しいのを作ればいい、という風にはならない。
会社組織と同列に貸借対照表の中身を評価するのは無理があるように思われるのである。

逆に言うと、政府の債務は100年200年かけて返済する方式でもいいということになる。

つまり実質的に売却不能な資産を勘定に入れて純債務を計算したりするのはあまり意味がない。
一方でよく言われるところの「プライマリーバランス(PB)の黒字化」こそが重要である。

PB黒字化で少しづつ政府債務が減少する状況を作るのが現実のゴール目標だ。

しかし日本では政治家も官僚組織も本気でPB黒字化を実現しようとしているようには、どうしても見えない。
金融緩和の麻薬が、問題の根本治癒を遅らせていると言わざるをえない。

日銀が輪転機を刷ってせっせと国債を抱え込むのは、潜在的なインフレリスクをどんどん貯めていることに他ならない。
それは需要増加による望ましいインフレではなくて、貨幣価値低下が主導する悪いインフレだ。

日本国民の金融資産は1500兆円あるらしいので、単純計算でも国債発行にはまだ余裕があるように見える。
が、この状況は永遠には続かないのは自明だ。

国内消化が限界に達した時に国債価格が暴落して悪性のインフレになり、その時点で政府債務価値も大幅に縮小して、めでたく財政問題は解決する。
それが現実的なシナリオのように思われる。

国債暴落と悪性インフレで国民の日本円資産は限りなく価値がなくなり、そのいわゆる「インフレ税」が財政問題解決に大きく貢献するのである。
考えてみると現在の発行済み国債は将来の税金徴収を約束する人質のようである。

そういう意味では、実は消費税を上げても下げても、いつか苛烈な実質的徴税が待っているのであんまり関係ないように思えて来る。

ということで、日本における借り手のダンナと貸し手のヨメは、実は離婚の出来ない不自由な夫婦で、その点がいいのか悪いのかはまあそのうち分かるのかなあ、と思った。
posted by ヤス at 14:40| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月30日

日本の財政問題・雑論

最近あまり日本の財政問題についてのニュースが流れてこないなあとなんとなく思った。
これは国の財政関連の発表が春先にあるので、夏を過ぎると旬の話題でなくなるからなのだろう。
しかし今日たまたま某所で与太話をしていて、日本の財政は破綻するのかどうか話題にのぼったのだが、そのことが気にかかったのでちょっと関連情報を検索してみた。


と、その前に、どうも最近は日銀のバズーカ砲の旗色がわるい。
世間には追加緩和期待論も渦巻いているようだが、そもそも日銀の緩和策はもう手詰まりなのではないかという疑念の声も一方でだんだん大きくなっていて、黒田総裁は懸命にいろいろアナウンスしているが、傍目には手詰まりの方に一票入れたい感じだ。

緩和策賛成派のいわゆるリフレ派の筋書きだと、緩和策を含む「3本の矢」で景気が浮揚して税収が増えてそれで財政問題が解決に向かうことになっている。
ところが緩和策とならぶ財政政策が、やっぱりあまり効いていないようである。
ちなみに残る一本の「成長戦略」についてはどうも不発弾のようなのでここでは触れない。

少し前までの日本では、景気対策と言えば財政政策で公共工事等に予算を投入する、というのが通り相場だった。
で、当時公共工事はそれなりに景気浮揚に効いていた。

しかし今は、人口減少局面に入り「潜在成長率」が低下して、追加の投資に対する景気浮揚効果が以前ほどには効かない。
成長の止まった社会では追加的な道路の建設による効果はあまりないのである。
さらに現下の状況では新設より維持補修の方にウエイトが偏っているのでなおさらである。


おそらくそういう財政政策の効果低下状況に出現したのが金融緩和による景気浮揚論なのであろう。

しかし今のところ緩和策による景気効果は、株高による資産インフレ効果とか円安での輸出企業の利益増や外国人観光客の増加などで、かなり限定的。
しかもその効果も最近は徐々に剥落してきている。

つまり客観的に見ると政府の描いた3本の矢による、景気浮揚からの財政再建シナリオはかなり予定が狂ってきているのは明らかだろう。

しかし当然ながら日銀も政府も、この局面を「道なかば論」で強気に乗り切ろうとしている。
また我々国民も、たぶん多くの人がシナリオが狂っているのを認識しているだろうに、まあ今まで大丈夫だったからまだしばらくは大丈夫だろう、と思っているように見えるのである。

しかもこの問題には、政府をワンワン批判したところで、じゃあ3本の矢に変わる他のいい方法はあるのか、と問い詰められると決定的な妙案はないという困ったポイントがある。

ということで、わたしは個人的に日本の財政の未来にはかなり悲観的だが、日本政府が財政破綻したからといって命まで取られるわけではないからまあいいか、とやや悟りを開きつつある状況である。

で、ほんとうは日本国政府の資産と負債のバランスについてちょっと調べて、それについて書こうと思ったのだが字数が尽きたので次回にまわす。
posted by ヤス at 15:12| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月29日

最近ニュースがどぎつい気がする

どうも最近は芸能界界隈が騒がしい気がする。
SMAP解散騒動とか、誰と誰が不倫したとか、有吉が夏目ちゃんを孕ませたいや事実無根だとか、ベテラン女優のドラ息子が犯罪を起こしたり、矢継ぎ早にいろいろある。
そういえばここしばらく薬物騒動は「沈静化」しているようだが、週刊誌情報によると過去に捕まった筋から芋づるでこれから「新ネタ」が出てくるのだという。

昔に比べて今の騒動は、ひとつひとつがディープでドぎつい感じだ。
その感じが単に気のせいか、ほんとうにそうなのかは定かでないが、思い当たる節としてはやはりネット社会の影響が頭に浮かぶ。
インターネットというものがすっかり普及して、無名の個人が世の中に向けて声を出すことが出来るようになって、確かに世界は騒がしくなった。

そもそも雑誌やテレビなどのマスメディアの取材ソースがツイッターやブログのつぶやきであることも普通になった。

またこれまでは所属事務所の厚いガードの下に隠れていた生身のタレントが、事務所をスルーしてSNSで直接つぶやくのも普通になった。
10年くらい前の芸能人ブログの発信では、だいたい事務所チェックがあるような雰囲気だったけれど、おそらく今はジャニーズなど一部を除いてみな「自己責任」でつぶやいているように見える。
情報っていうのは、その鮮度によって内容もだいぶん変わるようで、一次情報が二次三次と伝聞されるにつれて、時に全然違う話になったりするのかもしれない。
昔の雑誌記者なんかだと、某関係者からの噂話を元に周辺各所に適当に裏取りをして、あとは雑誌の販売部数を計算しながら文章内容をいい塩梅に調節すればよかった。
でも今はそこに本人からの電撃ツイートとか、適当にネット内を一回りして尾ひれがついた有象無象のもっともらしい話とかあって、昔とは記事の成立の仕方ががらっと変わっているのだろう。

たぶん昔なら事務所が封印して闇に葬れたような事件でも、目撃した素人の投稿などから思いがけず表面化したりもするだろう。

そこへ持ってきて、ネット社会は人々の本能的快感を増幅する作用があるようで、それがニュースを過激にする。
人間は「悪人たたき」をすると脳の中で快感物質が出て気持ちよくなるようで、ネット社会の中で発言手段を得た人々は思い思いに悪人を見つけてたたく。

するとメディアも悪乗りして、その流れに乗りやすいニュースを仕立てることになる。

そんなこんなでネットのおかげで昔なら表に出なかったような事件も明るみに出、あるいは人々が叩きやすい形でニュースが流され世の中のニュースが過激化し、それを聞き流しているだけでなんだか疲れる。

と、愚痴をタレるのも少し年寄りくさいと思うが。
まあ情報は少ないより多いに越したことはないわけで、きっと今は情報化社会のほんの入り口でわれわれはみんな情報化社会初心者なのである。きっと。

たぶんそのうち初心者を脱したら、次々流れてくる情報の真偽がわりかししっかり読み取れるようになって、世の中の平穏が再び取り戻される、そういう日がいつか来るのかもしれない、と思った。
posted by ヤス at 15:45| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月28日

食品廃棄、3割以上捨てている?

時々近所のスーパーマーケットに行く。
スーパーにおけるわたしの小さなこだわりは、買い物かごを持たないで自分の両方の手で持てるだけ持ってレジに向かうことだ。
スーパーの買い物かごは誰が発明したのかは知らないが、あれによって一人当たりの買い上げ個数がかなり増加していることは間違いない。

たまに動画などで見るアメリカの馬鹿でかいスーパーマーケットでは、軽トラの荷台くらいあるのでは、と思うような大きな買い物カートにみんな商品を山積みしている。

アメリカほどではないにせよ、日本のスーパーにおいて買い物かごに山盛りにしているお客の姿を見るにつけ、かごの中の食料のうちどれくらいが冷蔵庫の奥に死蔵されてやがてゴミ袋に沈んでいくのだろうかと、大きなお世話ながら心配になる。

買い物かごに山盛りしてレジに向かう人の中には、近所で飲食店をしている雰囲気の人もいる。
そういう人は営利目的の商売で買い物しているので、食品の廃棄にも敏感であろう。
それなりにちゃんとしたお店ならば、食料品のストック棚や冷蔵庫・冷凍庫の中もきちんと整理して、それぞれの賞味・消費期限も頭に入っていて廃棄をなるべく減らす工夫がなされていることだろう。

しかし一般の家庭ではそういう意識がどれくらい浸透しているだろうか。

10年ほど前に農水省が実施した調査では、調査実施対象家庭の食品廃棄率は4.1%だったという。
ただしこれは公募で選ばれた家庭とのことで、かなり意識の高い人たちであったことが推測される。
別の情報で、これも農水省調べの平成25年の日本の家庭から出る食品廃棄は年間870万トンというのがある。

分母になる日本国内の年間の食品仕向量が年間8339万トン。
各種の食料品は、国内の生産品や海外からの輸入品が卸業者や加工業者・小売業者などを通じて外食とか一般家庭で消費される。
その各段階で食品廃棄があるが、そのうちの870万トン=食品仕向量の約1割強を家庭において廃棄しているという。

ちなみに事業系からの廃棄は1927万トン。
ただしこの廃棄には食品の皮や骨などの不可食部分が多く含まれる。

この量が、日本は世界で飛び抜けて多いという意見と、いや日本以外の国はろくにデータを取っておらず日本の廃棄はかなり少ない、というのと両方の意見があるようで話がややこしい。
個人的な推測としては、アメリカのスーパーでの山盛りの買い物カートの印象から、日本は少なくともアメリカよりはかなり少ないような気がする。

まあ国際比較はともかくも、食べられるはずの食品がかなりの量廃棄されているのは事実である。
資本主義の論理により、ある程度廃棄があって消費量が高止まりしていた方が食品産業全体の売上高が維持されるという側面がおそらくあって、廃棄発生原因として大きいのだろう。

しかし、食べられるものは極力捨てないというのが成熟した資本主義社会の正しいあり方のような気がする。

RFIDとかの無線タグが今よりさらに安くなって普及し、家庭の冷蔵庫もRFIDで貯蔵品の期限管理が出来るようになったりすれば、たぶん将来の食品ロスはかなり減るかもしれない。

「食べ物」というのは、我々の体内に入って消化吸収され再合成されてやがて肉体の一部になるものである。
だから食品を捨てるのは我々の肉体の一部を捨てている、と言ったらちょっとおおげさだけれども、とにかく食べ物を捨てて「もったいない」のは精神衛生に良くないよなあ、と思うのである。
posted by ヤス at 11:20| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月27日

新型NSXが日本では割高な件について

8月25日に、ホンダの2代目NSXが日本国内で発売開始された。
お値段は2370万円。

わたしは今のところこのNSXを買う予定はない。
というか、はっきり言って高過ぎて買うことが出来ないわけであるが、カーマニアでないのでそこは問題ない。
しかしこのNSXの動向はやや気になる。

アメリカでの値段は15.6万ドルらしい。
今の為替だと1590万円相当なので日米で1.5倍の価格格差。
新型NSXはホンダのアメリカ拠点で開発されアメリカで製造されているアメ車なので、輸送コストなどで多少高くなるのはしょうがあるまい。

しかし1.5倍は少し高過ぎはしまいか。

ちなみにNSXのお値段は、ドイツが約18万ユーロ、英国が約13万ポンドだという。(今年3月時点)
今のレートだと18万ユーロは2050万円、13万ポンドは1740万円くらい。

NSXの各国における値段は、当然ながら為替によってかなり左右される。
たぶんホンダの思惑では、主要マーケットのアメリカでは1800万円くらいで売って、日本やヨーロッパでは2000万円くらいの相対価格で売るつもりだったように見える。
当初の価格設定時はそれくらいの計算になる為替レートだったのが、イギリスEU離脱とかいろいろあってあっという間に設定価格のバランスが崩れたのではないか。

それにしてもやっぱり日本の価格設定がかなり割高で、そこは依然として謎である。
ひょっとしたらホンダは今後のドル円レートが近いうちに120円以上の円安になると踏んでいて、そういう予測を先取りした設定をしているのか。

たぶん、単純にホンダは日本ではNSXはあまり売れないと予想しているのだろう。
NSXの販売にあたっては、特別な整備技術者のトレーニングや部品の流通などNSX専用のアフターメンテナンス体制を作らないといけないだろう。
あまり売れないクルマのためにそういうのを作ると当然コストがかさむので、最初からこれを見込んだ値段設定になっている、というのがまあ妥当な推測かもしれない。

アメリカ以外でのNSXの販売は、日本よりむしろ中国での販売が本命になるだろう。
今年の4月には中国で秋の販売開始がアナウンスされていたわけであるがどうなったのだろう。

中国での輸入車販売は、関税問題があるので台数の見込めるクルマは現地生産になることが多い。
新型NSXは、デザインの押しもそこそこ強いのでなんとなく中国で売れそうな気がする。
そうなったらメイドインチャイナのNSXとか出来るのだろうか。

高級スポーツカーの場合、生産地もそのクルマのブランドアイコンとして重要なので、中国製になったら当の中国人が買わなくなるのかもしれない。

ということで、2代目NSXは当分の間アメリカ生産のまま世界中に供給され、日本ではかなり割高でしか買えない状況は続くものと予想される。
まあ、もともと買わない(買えない)から関係ないけれど。
posted by ヤス at 16:27| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月26日

USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?(角川文庫)

「USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?(角川文庫)」の読書感想文を書く。

2011年頃、不信を極めていた大阪の「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」いわゆるUSJがいかにしてV字回復を遂げたかについて、マーケティング全般を取り仕切った同社の森岡毅氏が書いた本である。

わたしはこの本の内容に少なからず感動し、思わず森岡氏が最近になって書いた他の本2冊もKindleで買ってしまった。
森岡氏によるとUSJも中小企業の域を出ないとは言うのだけれど、日本のテーマパーク業界で東京のディズニーランドに次ぐ2番目のポジションのUSJは、やっぱり普通の中小企業よりはかなり大きい。
だからUSJのマーケティングの具体例が世の中の中小企業にそのまま役に立つかどうかというのは微妙な問題だ。

ただそういう即物的な読み方でなく、マーケティングの基本についての解説本として読めるところにこの本の価値があると思った。

世の中にマーケティングの本はたくさんある。
しかし個人的な観測に基づいて述べるならば、世の中の多くのマーケティング本は、ちょっと学術的理論に寄り過ぎのように感じる。

4つのPがどうしたとか、4Cがどうとかの理論について語る本は多いのだが、本来のマーケティングの役割は「現実世界を動かす」ことにあるのであって、そういうことで従来のマーケティング本には「理論の解説」と「現実を動かす」の間になんとなく空隙がある感じがぬぐえなかったのである。
「USJのジェットコースター・・・」は、そこのところの空隙を埋める本だと思った。

著者の森岡氏はUSJのV字回復に向けた企画の数々を、その発想段階から実現プロセスに至るまでかなり理詰めで考え抜く人であるらしい。

企業経営の世界において、理詰めで考えるタイプの人間は、例えば経営コンサルタントなどはその典型であろうが、そういう人間は往々にして現実世界に作用出来ないタイプが多いような気がする。

しかし稀に、理詰めでかつ現実世界に作用出来るタイプの傑物がいるようである。
たぶんそういう種類の人間のことを「マーケッター」と呼ぶ。

理詰めで考える人は行動が伴わないことが多く、行動力の旺盛な人は理屈が追い付かない、ということが多いと思われる中で、この2要素がバランスしているところにおそらく「マーケッター」の存在価値はある。

また、商売で上手に売上を創造する能力というのは一種の天賦の才のようなイメージがあったのだが、本来のマーケティングというものは、天才ではない凡人が地道な積み上げで天才以上の成果を上げうる、世間の大多数の凡人のためにマーケティングというのはある、ということをこの本を読んであらためて思ったのでした。
posted by ヤス at 15:19| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月25日

今年の猛暑について

今年の夏は暑かった。
というか、いまだに暑さが衰えず、いいかげんげんなりしている。
こう暑くてはポケモンGOのレベルもなかなか上がらない。
どうにかならんもんかと思う。

今年の暑さは記録的だった、というような報道もちらほら見かけた気がするが、どれくらい暑かったのか、少し気になったので気象庁のデータベースを覗いて確認してみた。

グラフは、岡山市の7、8月の平年と今年の毎日の最高気温を拾ってグラフにしたもの。
赤線のギザギザが今年2016年、青線が平年値。
ちなみに平年値は1981〜2010年の30年分の平均らしい。

kishou78gatsu.jpg

平年値グラフは30年分のギザギザが平均され均されているのでなだらかな山型になっている。
これを見ると、平年は8月の第1週が最高気温のピークで、その後はだんだん暑さが弱くなっていく傾向。
今年の赤線を見ると、7月初旬に35度程度のド暑い日がしばらくあって、その後梅雨の残り雨の日があって最高気温がややゆるむ。
しかし7月の28日あたりから再び上昇に転じて8月以降は連日猛暑が続いている。
8月1日から昨日の24日まで、連日最高気温33度以上で1日も33度を下回らず、ピークは8日の37.4度、ボトムで16、17日の33.2度、平均で35.2度。

平年の8月の最高気温の「平均」が32.6度なので、今年の8月の最高気温は平年より2.6度も高かったことになる。
ちなみに8月の平均気温のデータを見てみると、平年8月の平均気温の「平均」(ややこしいな)が28.5度。
対して今年が29.5度。
その差は1度しかない。
また最低気温の「平均」は、平年が24.9度だが今年も24.9度で同じ。

つまり今年の暑さをやや分析的に表現すると、夜の暑さは平年並みだが昼間の暑さが激しくて、全体としては1日の気温差がかなり拡大したと言える。


気になるのは今後の天気で、まだまだ残暑が続くのかどうか。
気象庁の長期予報によると、残念ながらこの激しい暑さは10月頃まで尾を引くらしい。
10月中旬までは25度以上の夏日が続くようだ。

商売をやっている人は残暑を念頭に置いて今年下半期の戦略を練らねばなるまい。
「うわさ」ではビールがそれほど売れていないとも聞くのだが実際はどうなのだろう。
少しググってみたが直近のビール消費量のデータが見当たらない。
ただ今夏に臨んでビールメーカー各社は、暑い夏を予想して強気の計画を立てていたらしい。
その結果にも注視したいと思う。

また、10月頃まで暑さが長引くと11月に入ってから急に冬の天気に変化するので、この辺も戦略が後手に回らないように注意が必要だ。

個人的にはこう暑いとランニングにも身が入らず、ポケモンGOのレベルも上がらず、あまり良いことがない。
9月下旬にハーフマラソンで今期のマラソンシーズンをスタートさせる予定なので、それまでに頑張ってダイエットしなきゃあ、と考えているところである。
posted by ヤス at 10:29| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月24日

自動飲食店は出現するだろうか

最近はあちこちの会社やお店で人手不足の話をよく聞く。
それもそのはずで15〜64歳のいわゆる生産年齢人口がどんどん減少している。
統計によると生産年齢人口がいちばん多かったのは1995年で8726万人だったらしい。
それが昨年の2015年時点で7701万人まで減っている。
20年で1千万人以上の減少。
率で言うと1995年は全人口の70%だったのが、2015年は60%程度。

生産年齢人口は今後10年でさらに1千万人近く減ると予測されている。
これはなかなかゆゆしき事態だ。
折しも、最低賃金が過去最大のアップだったことも合わせると、地域の中小企業、中でも労働集約型の事業体では対策を考えておかねばなるまい。

マクドナルドの厨房の中をたまに覗くと、けっこうな人数が忙しく立ち働いている。
ファミレスなんかはわりかし合理化が進んで客数の割にスタッフの人数は少ないように見える。
ただ最近の業態は24時間とか365日営業とか長時間営業が基本なので、すべての営業日のすべての時間帯を滞りなく人を揃えるのはたいへんだろう。
コンビニなんかでも、今や売上の確保より人手の確保が喫緊の課題じゃなかろうか。

ひとつの対策としては、外国人労働者の活用があるだろう。
ただし、現在の労働力供給源になっているアジア諸国も、遠くない未来には所得水準が日本と差がなくなり、だからいつまでも頼れないということがある。

そんな人手不足が心配される日本の小売・飲食店などにとって、だがしかし、すぐ身近に参考になるものがあると思ったのである。
それは回転寿司である。

思えば回転寿司というのは不思議な商売だ。
飲食業というのはピープルビジネスというくらいに人の手をたくさん使う商売とされ、たぶん業界の人たちはほとんどそれが常識と思ってやっているように見える。
いくらかセントラルキッチン化が進んで厨房作業が省力化されたりもしているが、店舗段階では人間がオーダーを取り、料理を運ぶ。

しかし最先端の回転寿司店ではお客がタッチパネルでオーダーし、回転ベルトに載って寿司が運ばれ、皿に装着されたICチップでお会計の計算も自動で出来る。
電子マネーも普及しているし、お店に入ってからレジを済ませるまでまったく店員とやりとり無しの業務フローも十分可能だ。
また厨房作業においても、しゃりロボットや寿司ロボットが忙しく動いていて、寿司職人がいなくてもよくなっている。

この先技術が進めば、さらに複雑な料理が出来るロボットが開発されて、ロボット中華や自動フレンチの店が登場して、手持ちのスマホでオーダー、お会計は電子マネーで知らない間に支払い完了の「無人店」も十分に可能な予感がするのだがどうだろう。

可愛いスタッフのお姉さんとおしゃべりできないお店はつまらない、という意見も当然あるだろう。
そういう店の需要も残ると思う。(ただし当然ながら可愛いお姉さんが雇えないと成立しない)

個人的にはそのような完全自動化のお店でも構わない気がする。
はたしてそんなお店が近いうちに出現するだろうか、とちょっと思った。
posted by ヤス at 16:29| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月23日

核兵器の先制不使用問題

オバマ大統領の核兵器先制不使用宣言の動きについて、大きなニュースになっている。
日本政府は公式には否定しているが、先生不使用宣言に反対なのはまず間違いないようだ。
日本と同じような理由により、韓国も反対のようである。

核兵器の先制不使用とは、敵国から核兵器で攻撃された時だけ「我が国」は核兵器を使用するよという意味であるらしい。
このあたりのニュアンスはちょっと分かりにくい。
逆に核兵器の「先制使用」主義は、通常兵器で攻撃された時に核兵器を使うことがあり得るということだ。
これはどういうことかというと、大昔の核兵器は大陸間弾道弾などが主力で、これらの核兵器をいったん使うと両国とも破滅的な結果になる。
だからこの時代のデフォルトは先制不使用にならざるを得ない。

しかし技術が進歩して、大砲から発射できる超小型核弾頭などが開発されて通常兵器並に使える低威力のものが出てきて、がぜん核兵器の使用が現実味を帯びてきたということがある。
そして、各国とも財政が厳しく大きな通常戦力を維持するのがかなりしんどい。
だから核保有国は通常戦力の軍事費を節約するために小型核兵器の抑止力を頼りたい。
結果、軍縮は進むが核使用のリスクは高まるという妙なことになっている。

だから今回のオバマ大統領の先制不使用方針に反対するというのは、より「使いやすい」現実的な小型核兵器の使用を容認する、ということである。

さらに、これもよく報道されているように、中国も北朝鮮もインドも先制不使用宣言している。
これは米露東西対立に一定の距離を置き、第三国グループを味方に付けたい政治的意向の結果であるらしい。
今回のアメリカ・オバマの不使用意向も、見ようによっては中国接近の動きに見えなくもなく、日本が反対するのは、米中接近に対する警戒のようでもある。

核兵器の先制使用を認めるか認めないかは、小型とは言え核兵器を「通常兵器感覚」で実際に使うつもりがあるのかどうか、あるいはそのつもりがあるように見せかけたいかどうか、ということのように思われる。

先制使用賛成派の国々は、軍事大国の狭間に位置する通常兵力的にに中小規模の国家が断然多く、ロシアも含めて軍事大国は先制不使用で構わないと考えているようである。
だから世界最大の通常戦力大国アメリカが不使用派になるのはある意味当然だろう。

核兵器の先制使用方針を堅持するとか、または曖昧にするとかいうのでも、事実上核兵器の使用にOKを出していることに変わりない。

唯一の被爆国日本は、これまでことあるごとに「平和国家のような」態度を示し続けてきたわけだが、今回オバマの核兵器先制不使用に反対するなら、今までがエセ平和国家だったということになりはしないかと、かなり心配する。
posted by ヤス at 14:01| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月22日

脳みその働きを良くしたい

時々、仕事をしていて脳内作業が袋小路のどん詰まりに行き当たって、そういう場合は脳機能がフリーズして押しても引いても動かない、みたいなことになる。
そういう困った事態がたびたび発生するので、この問題に対する対策については長年考えてきた。
考えてはきたのだが、あまり良い対策が浮かんでいるわけでもない。

しかし少しだけ長く生きてきて、行き当たりばったりではあるがいろいろな知識を覚えたり人のやり方を見ていて、なんだかその対策の糸口がチラリと見え隠れする領域に達した、と思うこともあったような気がしなくもない。
そこであらためてその問題について考えてみることにする。

脳みそというのは、快調に動くためにはいくつかの条件が要るように思われる。
まず必要条件として、安定した平穏な状態にあること。
悪い奴らに追いかけられて切羽詰まった状態では、いつもならすんなり掛かる自動車のエンジンが、気が動転してなかなか上手くいかなかったりする。
なるべく安全で静かな環境を確保し、空腹でも満腹でもなく、健康で身体のどこもかしこも具合がよろしい、ということが必要である。

そして、十分条件としてははっきりした動機があること。
この仕事を終えるととてつもない報酬が得られるとか、そうでなくとも達成感が得られる「予感」がして、無意識的に動作が始まるということがあるとなおよい。
これに関連して述べると、脳みそは自分の能力で出来そうなことにしかやる気が出ないという特性があるように思われる。
だから重要なのは、目の前の問題は解決可能だと思えること。
この点も重要なの脳の動機付けになり得る。

重要なのは脳みその動作の好不調は、どうも無意識領域の働きが決めている、ということである。
だから我々は、無意識領域に働きかけて上記の必要十分条件を整えないといけない。


また違う角度から脳の働きの促進方法を論じることもできる。
それは「ゴールから逆算で考えろ」という方法論だ。

積み上げ方式で作業を進める場合、全体の俯瞰がしづらく、ゴールまでの道程が見えず、したがって脳内が混乱し疲弊してフリーズする、ということが起こりうる。
だから迷路を出口から逆に辿るごとく、ゴールをまず明確にして、そこから逆に辿って必要な行程をあぶり出す、という方法が有効になる。
わたしはある時そのことを知って、脳みそがフリーズするたびに「逆から辿れ」を心がけてきたつもりである。

このように机上の方法論はいろいろ学んできたわけであるが、今ひとつ何かが足りない。

それはたぶん脳の働きにおける、瞬発力やスタミナに相当する能力だと思う。
目の前に高い壁がそびえていても絶望しない、複雑難解な思考を続けていて途中で折れない、そういう能力こそ重要であると思われる。

そしてこういう能力はオリンピック選手のごとく、毎日少しづつトレーニングを重ねて地道に積み上げていくしかないのではないか。

ということで、どうも今日明日のうちに脳の働きが目覚ましくパワーアップするということはなさそうだと分かって、静かに、言葉もなく、遠い曇り空を眺めるのであった。
posted by ヤス at 16:12| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月21日

受動意識仮説

YouTubeをいろいろ観ていたら、慶応大学の前野隆司という先生が、意識とは何かみたいな話で「受動意識仮説」について講演しているのがあって、ちょっと理解がむずかしかったがなんだか面白かった。

その先生の話によると、人間が何か行動するときは基本的には「無意識」がそれを決めているという。
「腹が減ったのでマクドナルドへ行こう」というのも、まったく無意識的に決定して、0.3秒後くらいに「意識」が追認する。
「意識」は追認するのだけれど、追認したという自覚はない。
むしろ「意識」自身が主体的に決定したのだ、と錯覚している。

人間の行動はすべてそのようになっている、と言うのである。
この説の裏付けとして、世界各地におけるいくつかの実験例も紹介されていて、その中には意識が無意識による決定を追認するまでの0.3秒間の出来事については認知ができず、0.3秒間の認知と記憶の空白が生じる、みたいなこともあって面白かった。

この説はまだ仮説の域を出ていないらしいけれど、おそらくはかなり真理に近いように感じる。
すべての行動を無意識が決定していればこそ、ダイエットは失敗し、ギャンブルは泥沼にはまり、いけないクスリは止められない。


受動意識仮説では「意識」というものの正体は、無意識的に行動した結果を記憶して認識する「後付け」の機能だった、ということになるようである。
おそらく、犬や猫なんかは人間同様に無意識的に行動して、その行動結果をいくらか記憶し認知する。
食べるとお腹を壊す食べ物や危険な外敵などに出くわした時には、そのことを「エピソード記憶」として認知し、次回の行動時に活用する。
このように、意識による認知は生き物が無意識に決定する日々の行動決定を修正し、生存確率を高めるための後付けの機能だったのだろうと思われる。

その後付けの「意識」がかなり発達したのが人間である、ということらしい。
そして人間の場合、後から登場したはずの「意識」がまるで最初からすべてを決定していたかのような錯覚にいつの間にか陥り、しかし依然としてすべてを決定する「無意識」のコントロールが出来なくて思い悩む、というややこしい事態に立ち至っている。

たぶん人間が動物である限り、無意識の決定を意識が追認する行動様式は今後も変わらない。
人間に与えられたテーマは、意識から無意識へのフィードバック回路を活用して、いかに無意識を意識が望む方向にコントロールするか、ということになるのだろう。

意識によるコントロールの第一歩は、常におのれの行動を注意深くモニタリングして、おのれの中の「無意識」がどのような決定をしているのかをメタ認知すること、になる。
そして「無意識」が喜びそうな餌を見つけて事前にばら撒く、というような方法で無意識を導いていく他ないのかもしれない。

おのれの中に住んでいる「無意識」という決定主体の存在は、ややこしい話だけれどそれはそれで人生の醍醐味のような気がする、今日この頃であった。
posted by ヤス at 11:44| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月20日

スポーツとオリンピックと個人と国家

オリンピックもそろそろ終わりだ。
と思っていたら甲子園の高校野球もやっていて明日決勝戦だという。
おかげでプロ野球における広島カープのめざましい進撃や強かったソフトバンクの急減速ぶりがすっかり目立たない。

わたし的には水泳が終わったら最終日のマラソンまでオリンピックに用事はないのだが、このところオリンピックなどスポーツがらみでいくつか小ネタがニュースに上がっていたので、ちょっと考えてみる。

少し前のニュースであるが、保守系論客の竹田恒泰氏が「税金を投入したのにメダルがとれなかった」発言が流れていた。
正確な発言内容を調べようと思ったが、すぐには出てこないので、とりあえず為末大氏の反論などを参考にする。

竹田氏は以前のオリンピック時にも同様の発言を繰り返していてそのたびに炎上している。
竹田氏の発言はまちがっている。
少なくともわたしの考えとはまったく違う。
まず、オリンピックにおける国家と個人の位置関係が違うのだと思う。

竹田氏は、オリンピックは国家同士が国としての競技力を競い、メダル数を争う場であると思っているのだろう。
だから出場選手に対して国家の責任において強化費を支出し、選手は国家に雇われてオリンピックに出場するのだ。
そう考えているのだろう。

しかしオリンピック憲章には「国家」というのはまったく出て来ない。
オリンピック憲章が必ずしも理想的な憲章である、とは断言できないが、この憲章を基本とするならば、オリンピックは個人参加がベースになっているように見える。

だから本来のオリンピックの意義から考えて、国家が出場選手に対して行う各種の援助は、個人として参加する選手に対する国の好意であって、そこに責任・義務の関係は存在しないはずなのである。

そもそも国家というものは本来国民に奉仕し、各種のサービスを提供すべき存在のはずだ。
選手への援助もそのようなサービスのひとつと考えれば済む話だ。

あと、竹田市の発言は女子マラソンの福士選手のレース後の「ヘラヘラ」した態度に向けられたものではないかという話もあった。
だが、わたしはオリンピックで選手がヘラヘラしたりするのは個人の自由であると考える。
確かに、そのヘラヘラぶりによっては、なんだか感じが悪いなあ、と思わないでもない。
だがたとえ感じが悪くても、やっぱり選手の自由裁量の中にある行為だと言わざるを得ないのだ。

スポーツが上達する動機には、貧乏からの脱出とか兵役免除とかお世話になった両親やコーチへの恩返しとかいろいろあるだろう。
だがその基本は、競技に没入し純粋に技を極めた結果ライバルとの間で優劣がつく、そういうものであると考える。

現代のスポーツ界の頂点は、個人的な努力だけでは到底太刀打ち出来ないほどに高くなってしまったのかもしれないが、スポーツの基本は個人が技を極めるところにあるという基本線は譲れない、と思うのである。
posted by ヤス at 15:23| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月19日

パソコンの終焉について

パソコンの販売が減少を続けている。

MM総研という調査会社のデータによると、2015年(1〜12月)の国内PC出荷台数は前年比31.9%減の1,016万台だったらしい。
ちなみに平均単価は85,962円で前年の79,761円よりは上がったそうだ。

したがって出荷金額は26.6%減の8,738億円と、台数よりは減少幅が小さい。
また月別の推移を見ると2016年に入って減少幅はだいぶ縮小して回復しているようにも見える。

減った要因は、ウィンドウズXPの代替特需の終了とか円安による部品単価の上昇とかいろいろあるらしいが、やはり根底にはタブレットやスマホの台頭がある。
特にローエンドのノートパソコンはだんだんタブレットに置き換わっていて、パソコンの役割がハイエンド側に寄って行っていることが単価上昇の一因でもあるようだ。

だから長期的にはパソコンの出荷減少は止まらないだろうと思う。

ローエンドパソコンやタブレットに搭載されているCPUのパワーは、値段が10万円以上のパソコンと比べると処理能力が劣る。
だからいくつもシートを重ねたエクセルの計算とか動画の処理など重い作業はやはりそれなりの性能のパソコンが欠かせない。

しかし、思いつくパソコンの必要性はそれくらいのような気がする。
あと数年もすればローエンドのCPUでもそこそこ重い処理が大丈夫になり、いよいよパソコンの住む場所が無くなるのではないか。

そう言えばパソコンがもう少し生き残りそうな理由がもうひとつある。
それはキーボードとマウスの入力方式。

今でもタブレットにわざわざキーボードとマウスをセットしてノートパソコン的に使うやり方がわりかしポピュラーであるようだが、あれは本来のタブレットの使い方ではない気がする。
本来のタブレットは、タブレット本体だけを使い画面タッチを基本にするのが王道なのではないか。

少なくともかつてiPadを作った時のスティーブ・ジョブズはそう考えていたはずだ。
だから今売れているタブレットはタブレットとしてというよりは、パソコンのパーツのひとつとして買われているのだろう。

そういう意味では本体だけで操作が完結しているスマホこそが真のパソコン代替物の姿を表しているように思われる。
わたしも過去に、少しイチビッてiPhoneにBluetoothキーボードを組み合わせてみたことがあるが、せっかく軽量コンパクトなiPhoneなのに、わざわざでかいキーボードを組み合わせるのはかなり滑稽な気がした。
それにだ、慣れればフリック入力でもそこそこ早くタイピング出来る。
今は音声入力もものすごく性能が向上しているので長文の入力はそれでやるという手もある。

そんなこんなで、ローエンドのCPUの性能が上がって世の中の人々がキーボード以外の入力に習熟した時、パソコンの役割はあらかた終わるのではないか。
そして人々がキーボードを使わなくなった時、タブレットは真のタブレットになると予想するのであるがどうだろう。

かつてはキーボードアレルギーが理由でパソコンの普及のネックになっていたのになあ、と思うとやや感慨深い、などと思った。

posted by ヤス at 09:06| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月18日

我々の肉体はスカスカだという話

物質の基本構成素粒子であるクォークに続いて、ニュートリノにおける「CP対称性の破れ」が実験で検出されたという。
これは日本の研究チームが茨城県東海村にある巨大な加速装置から、295キロメートル離れた岐阜県神岡鉱山のスーパーカミオカンデに向けてニュートリノのビームを飛ばす実験を通じて得られた成果であり、ノーベル賞級の業績らしい。

という報道内容を読んだわけだがいったい何がそんなにすごいのか、よく分からない。
ビッグバンで宇宙が誕生した時、そこにはまったく同じ量の「物質」と「反物質」が存在していて、「物質」と「反物質」はぶつかって反応すると消滅してエネルギーに変わる。
そういう話を聞いたことがある。
しかし「物質」と「反物質」はまったく同量あるので全部反応すると両方とも消滅して宇宙には何も残らない。
しかし実際にはこの宇宙には「物質」の方がたくさん残っている。
それはなぜか?という疑問に対する答えが、CP対称性の破れで説明できる、というお話であるらしい。
まあどっちみちよく分からない。

CP対称性の「CP」とは。
「C」は「Charge」で電気のプラスマイナス。
「P」はちょっと説明がむずかしい。
「パリティ」のPで日本語では「位相」。
人間の左手と右手は左右逆像の関係になっており、これが「位相が逆」の正体である。
素粒子の場合の位相は、進行方向に対するスピンが右回転か左回転か、という話になるらしい。
ちなみに「物質」の世界のニュートリノは左巻きで、反ニュートリノは右巻きであるという。

従来の考え方では「物質」と「反物質」はまったく同じ量があるので、なぜこの宇宙に「物質」だけがたくさんあるのか説明できなかったわけだが、今回めでたくCP対称性の破れが証明されて宇宙の存在が無事に説明できそうだ、ということだ。


まあそういう超越的な話はともかく、わたしがいつも興味深く思うのは、ニュートリノなどの基本素粒子のサイズを考えるとき、この宇宙が恐ろしくスカスカである、という話の方だ。

物質をどんどん分割すると原子の域に達する。
原子はさらに原子核とその周りを回る電子で出来ている。
原子の大きさを野球場くらいの大きさに拡大した場合、原子核の大きさは野球場の真ん中に置かれたパチンコ玉か一円玉くらいのスケール感。
電子はさらに原子核の10万分の1くらいの質量しかない小さなつぶ。
で、その原子核と電子の間の空間はまったくの真空であり「虚空」である。

我々が何か物を持ち上げる時とか、あれは実は物に「直に」接触して持ち上げているというよりは、電気的な反発で空中浮揚的に力が作用しているのである。

スカスカの原子で出来た我々の肉体の分子は突き詰めるとやはりスカスカで、持ち上げる物の方もスカスカ。
我々は、自分の肉体はぎゅっと身が詰まっているつもりになっているが、本当はほとんど「虚空」の塊なのだ。
そういう意味で、我々の肉体はコンピューターの中のデジタルデータと大差ない。

だからどうした、という話だが、クォークやニュートリノの話を聞くとスカスカで手応えのない透明な自分の身体をイメージする、今日この頃である。
posted by ヤス at 14:44| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月17日

SMAP解散で思ったこと

数日前にSMAPが年内に解散するニュースが飛び込んできた。

まあ週刊誌やらネットやらで真偽不明の醜聞情報なども飛び交っていて、どうやらグループを巡る状況は平穏ではないらしいということは伝わっていた。
だからいざ解散、ということになってもそれほどの驚きがあるわけではない。

事務所の誰それが元凶であるとか、メンバーの誰が悪いとかいう話もあちこちでされているが、部外者には本当のことは分からない。

このニュースで問題だと思うのは、タレントと事務所の支配構造についてである。

日本のタレント業界にはアメリカのハリウッドにあるような労働組合的な組織が無いという。
だからタレントと所属事務所の交渉場面では、事務所の方が圧倒的に強い。
おそらく事務所とまともに話が出来るのはごく一部の人気タレントのみである。
特にSMAPの属するジャニーズ事務所はタレントのマネジメントのやり方がいろんな意味でシビアだということが知られている。

まず肖像権の管理が徹底していて、電子書籍化された雑誌なんかでもジャニーズタレントの写真はそこだけ人のカタチに切り取られて出版されていたりする。
なんでも、雑誌でも新聞でも、紙面に許可を得て使用した写真は、例えばそれを自社のウェブサイトに転載するとかいう場合でもNGということで、タレント写真の二次使用については厳格に管理されている。

またジャニーズタレントが出演しているラジオ番組でも、ポッドキャストとかradikoなどの配信サービスはやはりNGなので、radikoではその時間帯はBGMだけが流れている。


芸能事務所の業界は、所属タレントが人気を得て稼いでくれるかどうかはかなりバクチの要素が強い。
だから事務所所属のタレントが人気が出たら、できるだけ人気を長続きさせて安定的に儲けたい、と思うのは分からない話ではない。
またタレントも人間であるから、恋愛スキャンダルや暴力沙汰などの失敗も時々発生する。
特にアイドルタレントの場合、そういうスキャンダルは致命傷になるから、事務所としては業界を牛耳るだけの力を得てスキャンダルが表面化しないようにコントロールしたいのだろう。

ジャニーズ以外でもアイドル的な好感度勝負のタレント事務所ではそのような情報統制の方針は似たり寄ったりだと思われる。

しかしタレントの身になるならば、厳しい統制下で素の自分を隠して活動しなければならない窮屈さは想像するに余りある。
そういう意味では、SMAPの場合は十分な実績もあって自己表現という点でまだ恵まれていたのかもしれない。

いずれにしても芸能事務所が所属タレントやメディア業界を厳しく統制するやり方は、今のネット社会では今後かなり難しくなるような気がする。
ネットでは、SMAPの件でも有象無象の噂が飛び交って事務所もSMAPもイメージ上のダメージがすでに大きい。

それにすべてを事務所が統制するのは、事務所的に予定調和の世界が保てて好都合だろうが、せっかくの才能を小さくまとめたまま冒険をしない、という風になりがちだと思う。

おそらく今後は武井壮とか、事務所に頼らないセルフプロデュース型のタレントが増加するのではないか。
メディアもそっちの方が使い勝手がよかろう、などと思ったりした。
posted by ヤス at 13:31| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月16日

最低賃金引き上げで所得は増えない

最低賃金が24円引き上げられることが決まったらしい。
岡山県の最低賃金をみると現在735円になっているので、たぶん10月から759円になるのだろう。周辺にパートの最低時給を750円スタートにしている会社がちらほらあると思うが、それらの企業は760円スタートとかにしないといけない。

さて、問題はこれによって時給労働者の所得が増えるかどうか、である。
現在の最低時給がすでに新しい最低賃金を上回っている会社は時給を上げる必要はないわけだ。
しかし若者が減って労働者の供給が逼迫しており、今まで高い時給を払っていた企業は、今回時給引き上げを見送るとそのアドバンテージが少し減ることになり採用条件がやや弱体化する。
というように、最低賃金の上昇はドミノ倒し式に全体に波及することが考えられる。

また、最低時給を引き上げるとその上の水準で働いている人の時給もそのまま、というわけにはなかなかいかないだろう。

だから法定の最低賃金が上がることによって、けっこうまんべんなく各社・各労働者の時給単価の上昇が期待される。
しかも今回の上げ幅は24円と過去にない大幅アップなので、これまでにない影響があるのかもしれない。

しかし、である。
問題は企業の方の支払い原資の方だ。
この数年、日本国内の企業経済はたいへん好調で記録的な利益水準に達しており、税収も大幅に増えたとされる。
今年に入ってからは円高傾向に振れてややその勢いが削がれたようでもあるが、全体としてはまずまずの水準にとどまっているはずだ。
だから理屈の上では時給上昇分の支払い原資はちゃんとあるはずで、政府の方もそのように期待しているのだろう。
だが企業が人件費の時間単価が上がった分を単純に費用として上積みするかというと、おそらくそうはしない。

生産性の改善や外注先の変更などあらゆる方法を考えて増加コストの吸収を考えるだろう。
上場企業ならなおさらそうだ。
その結果、全体の時給労働者の所得が既存の水準に維持されて、その分労働時間が減ることになる。

さらに主婦労働者の場合、103万円の厚い壁というのもある。
だから最低賃金の引き上げにより労働者の時給単価は上がるかもしれないが、最終的な所得は従来並に抑えられる方向で強いバイアスがかかるだろう。

それよりも悪いシナリオとして、このところの円高も手伝って製造業の国内空洞化が進行する可能性がある。
政府は近い将来に時給を1000円まで上げたいとのことだが、空洞化の心配はしていないのだろうか。
もし今の産業構造のまま最低賃金1000円を実現するなら1ドル140円以上の円安水準とセットでないと難しいだろう。

ということで、結論は最低賃金の引き上げで国内労働者の所得は増えない。
所得を増やす唯一の方法は、企業が付加価値の高い事業を展開して今まで以上の利益を上げること、そこに尽きる。

posted by ヤス at 14:05| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月15日

マクドナルド回復を分析

マクドナルドが好調らしい。
最近の話題はポケモンGOと提携して売上増加に多大な貢献があったことだ。

実際、夜中の10時頃にマクドナルドにたまたま行ったら、大学生風の若者で席があふれていて驚いた、ということもあった。
ブームが落ち着いた現在、まだその後の状況が確認できていないが、オリンピックに合わせた必勝バーガーや45周年記念の炙り醤油ジャパンなどはどうも好調らしい。



マクドナルドの既存店売上高の対前年データが公開されていて、それによると2015年12月にそれまでの対前年マイナスが反転して108%を記録し、以降120%前後でずっと推移している。
ただこれは2014年の前半に消費期限切れチキン問題などで客数・売上が激しく落ち込み、最大で前年の6割にまで下がった反動増ということができる。

そのあたり、実際の売上の回復具合はどうなのか、そして2014年2015年の売上落ち込みがどうだったのか、感覚的に分かりにくい。
で、対前年(売上・客数・客単価)データは2008年分から分かるので、少し長期の売上推移をグラフにしてみたのが下の図である。
赤線が100の水準で2008年の売上を示している。

mcd.gif

グラフは2008年の1〜12月の各売上を100としてその後の推移をやや便宜的ではあるが表現している。
これを見ると2012年初頭まではおおむね好調な月の方が多いように見える。
しかし2012年の後半から赤線を下回ることが増えてきている。
これを見ると鶏肉問題が出た2014年の以前に業績にブレーキがかかっていることが分かる。

そして2014年の春に鶏肉問題が出て、6〜7月にかけて売上が急降下する。
売上の低下は、2015年の1月頃まで続き、その後は回復傾向に転じているように見えるが、これは何か対策が功を奏したというのではなくて、急激に下がりすぎた分の自律的な回復だろう。

あの時分は異物混入騒動なんかも各地で発生して、とても前向きなキャンペーンなど出来る状態ではなかったと記憶している。

その後の経過は周知の通りで、単品200円・セット500円のお得マックの投入などでやや客単価を下げつつも客数の回復に努め、今年になって名前募集バーガーとかやっと前向きなキャンペーンが本格化したように思う。

新商品以外にも、ツイッターなどを活用した企画などでとりあえずお客さんとの心理的距離を縮める作戦に腐心している。
その極めつけがポケモンGOとの提携だったのだろう。

逆に言うと、心理的距離を縮める方針の基にいろいろ考えていたからこそポケモンGOが出てきたのだろう。

ただグラフを見ると現在においてもまだ2008年水準の8割程度である。
これから半年程度対前年120%を継続してやっと「普通の水準」になる計算だ。

もうひとつ、2008年以降の数字を見るとマクドはリーマン・ショックの影響を受けた形跡がない。
おそらく低価格ファーストフード業態のマクドは景気動向の影響を受けない、実はそういう強みを持っているのだと思われる。

ということで、今回の回復傾向といい人々の「マクド習慣」の根強さにあらためて気付いたような気がするのであった。(あるいは気のせいかもしれないが)
posted by ヤス at 14:59| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月14日

かさばる財布問題と電子マネー

毎日持って歩くものではあるが、財布というのは意外にかさばる。
それは中身に万円札がしこたま入っている・いないに関わらずかさばる。
特に夏のシーズンは上着を着ていないことが多いので、財布のしまい場所に非常に困るのだ。

たいていの男子は、お尻のポケットにねじ込んでいたりするのだが、小心者のわたしには真似ができそうもない。
まず、座った時にお尻の圧力で財布が強く圧迫されて変形するようすを思い浮かべると、とてもお尻のポケットに入れる気にならない。
第一お尻だと視界の外になって万が一ポケットからこぼれ落ちた時に気付かないのではないか、そういう心配で心がギュッと締め付けられる。

だから最悪ズボンの前ポケットに入れることになる。
が、これはこれで前から見た時のズボンのシルエットが、財布の分だけ妙に膨らんでオシャレ感の減殺されることハンパない。

上着を羽織る冬の季節であっても、胸の内ポケットに入れた財布の重みで上着の左右の重量バランスが偏っているようで、微妙に落ち着かないということもある。

ということで財布の格納場所には毎度頭を悩ませるわけであるが、そもそも財布は中身が入っていないときでもなぜあんなにかさばるのか。
その答えがクレジットカードや銀行のカードや各種小売店等のポイントカードなどであることは明らかだ。
千円札が2枚しか入っていない寒い状況にあっても、財布の中にはプラスティック製のゴツいカードが何枚もでかい顔して居座っている。

試しにプラスティックのカードを財布から全部抜いてみると、まるで憑き物が落ちたように財布はスッキリした薄さに生まれ変わる。
しかしクレジットカードや銀行のカードなどをすべて置いたまま出かけることも非現実的だ。
外出先では場合によっては、財布の中のなけなしの2千円よりクレジットカードの方が威力を発揮することも多い。

このような財布肥大化問題を一気に解決する方法としては、世の中のお店がすべて電子マネー等の電子決済になり、その決済デバイスにはスマホ1台あればよい、ということになればよい。

その場合はもちろん銀行カードやポイントカードなどの機能もスマホに統合されることが必須である。
そうすると荷物はとりあえずスマホ1台だけになり、かさばる財布が不要になる。
これは財布の製造販売で利益を得ている皮革製品メーカー等には打撃になろうが、そういう会社は代わりにワニ皮のスマホケースを売って儲ければよい。

少し前のデータだが、国内有力電子決済のnanacoの昨年7月の累計発行枚数は4000万枚超、Suicaが5400万枚、楽天Edyが2014年末で8500万枚だという。

紛失による重複発行や個人の複数所有もあるらしいが予想以上の枚数だ。
しかも年率20〜30%の割合で増加し続けている。
これらの電子決済の国内決済額は2014年で年間4兆140億円らしい。
これが年率3割程度で伸びているので今はおそらく年間6兆円規模にはなっているだろう。

電子マネーは現金と違って使った感覚が薄く浪費を招くという意見もあるが、これは電子的システムの強みで毎日の消費金額を分かりやすく表示するアプリでもあれば逆に節約の手段になりうるのではないか。

この電子マネー、鉄道系で導入が進んでいる都会に比べると田舎の岡山ではまだ使用頻度は少ないようだ。
少し前からマクドナルドとセブンイレブンではだいぶ見かけるようになったので、そのうち一気に普及するのでは、と期待する。

お店の側ももし100%電子決済に置き換わったら、現金管理が不要になってそのメリットは計り知れないと思う。
ということで田舎のお店も電子決済が進めばいいのに、と強く思う今日この頃です。
posted by ヤス at 16:05| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月13日

プレミアムフライデー

ニュースによると、政府や財界で金曜日の午後3時に退社する「プレミアムフライデー」構想が検討されているらしい。
なんでも政府が目指しているGDP600兆円を実現するには、現在の個人消費300兆円を360兆円に引き上げることが欠かせないという。
金曜日の仕事を早く終えることによって、ある人は外食に出かけある人は土日も利用してこれまでより遠出をするかもしれない、ということのようである。

ネットニュースのコメント欄を見たところ、こんなことをしても効果はない、という意見がたくさん寄せられていた。
コメントでは、省庁でも企業でも長時間労働で苦労しているのに、週の一日だけ労働時間を短くしても他の日にしわ寄せが来るだけ、というようなコメントが多かったようである。

これまでの「ゆうかつ」などの事例などを見ていると、おそらくこの「プレミアムフライデー」は、よほどの反対意見が出ない限りは実行に移されるのではないかと思う。
さて、実際に消費押し上げの効果はあるのか。
また導入した省庁や企業で混乱や弊害は起きないか。

わたしもこのニュースを最初は懐疑的に受け止めた。
しかし一方で、最低賃金の引き上げや同一労働同一賃金の法制化などと比べた時に、実はこちらの「プレミアムフライデー」の方が有効に機能するのではないか、という気が少しだけしてきた。


現在の日本の労働施策において、もっとも根本的な問題は賃金の支払原資の確保であると考える。
少し前までの円安局面では、輸出の多い大規模製造業を中心に利益が大幅に増加した反面で、政府が期待するほどそれらの企業の給料は増えなかった。
これは増益要因が円安による一時的なものと各企業が認識していたからで、その判断は企業経営としてまっとうである。

ではどうすれば給料が増えるかというと、労働生産性が増えた時、つまり従業員のパフォーマンス向上で利益が増えれば企業が給料を増やす正当な理由になる。
世の中では日進月歩でコンピューターの性能が上がり、仕事に使う設備やメソッドは日々新しくなっているはずなのに、日本ではなぜかあまり生産性が上がらず給料も増えない。


そして他の労働施策である最低賃金を上げることや同一労働同一賃金によって労働生産性が向上するのかというと、そこに論理的なつながりはあまり無いように思われる。

それに比べると、「プレミアムフライデー」は、労働時間の強制短縮ということだと思うのだが、労働時間の強制短縮は、生産性向上につながる要素がいくぶんかはある。
つまり労働時間の強制短縮は、今まで3人でやっていた仕事を強制的に2人でやらせる、と言うようなことだ。

これはかなりの荒治療であるが、生産性を確実・劇的に改善するためのある種の民間療法として実はずっと使われてきた方法である。

日本の多くの職場のダメなところは、仕事が無い時に従業員自らの創造性を発揮して何か自分にできる仕事を見つけ出してしまうことなのではないかと思う。
その見つけた仕事が企業の利益創造に貢献するものであれば問題ないが、多くはやはりただの「暇つぶし」なのではないかという気がしてならない。
従業員が自主的に仕事を見つけて自律的に動き出すこのカルチャーは、上司が楽ができてありがたいものであるが、一歩間違うと膨大な労働の無駄を創出するリスクが高い。

その無駄を職場から除くには、ギリギリのレベルをやや超えるほどに人を減らして(労働時間を減らして)真に取り組むべき仕事を厳選するように働く人の意識を変えていく必要がある。

「プレミアムフライデー」のニュースでそんなことを思った。
posted by ヤス at 15:55| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年08月12日

抑制的であることについて

昨日は尖閣諸島について考えたわけであるが、わたしは基本的には、中国はそれほど切実に尖閣が欲しいとは思っていない、と考えている。
それよりは外に敵を作ることによる国内の引き締めが目的だろうと思う。

ところで、外に敵を作って内部をまとめるやり方は、国家の場合以外でも例えば先の都知事選で小池さんが都議会や自民都連を仮想敵にして「劇場」をしつらえたように、わりかし普遍的でポピュラーな方法であるようだ。
もっと卑近な例で言えば、会社の中で部下の信任が薄い中間管理職の課長さんが、「悪いのはぜんぶ社長だ」などと言って何か自分以外のものを弾除けにするのも同じ構造だと思われる。

この場合、ことの真偽はいざ知らず、諸悪の原因を「外敵」たる社長になすりつけることによって部下とともに共通の敵を認識し、行動のベクトルをひとまず揃えることが出来る。
(もっとも部下が課長を信じればだが)
また、社長が諸悪の根源になることで課長のマイナス面がいくらか払拭されて、少しばかり出来る上司に近づくことになる。

これは昔絵本で読んだお話の「泣いた赤鬼」と同じ構図だ。
ただしあのお話では、青鬼(赤鬼だったけ?)が自ら悪者になって赤鬼が社会の信任を得るということだった。
いずれにせよ、外に仮想敵を設定する方法においては、悪者にされた外敵が本来こちら側の人が負うべき責任を代わりに背負ってくれて、なおかつこちら側の人々の行動のベクトルを外敵退治の方向に揃えることが出来るという、一石二鳥の効果を発揮することが分かる。

こんなに便利で効果的な方法ならば、これは有効活用しない方が損というものであろう。


少し話は変わるが、最近の芸能人の不倫や政治家の不祥事のバッシングについて。

脳科学の研究によると、人間の脳内では「悪者」をがんがん批判し糾弾した時にある種の脳内物質が出て気分が良くなるらしい。
人類にはそういう基本的性向があるので、人間はいつでも批判すべき対象を探してバッシングしたいと潜在的に望んでいる。

このような基本的性向は、おそらく学校などのイジメの一因にもなっている。
さらに言うと、人間は社会における自己承認欲求を満たすために自分より劣った人々を周辺に見つけ出し、特定することがある。
これに先ほどの人類の持つイジメの基本的性向がかけ合わさるとかなり凄惨な事態が発生するだろう。
ヘイトスピーチや種々の差別問題がそれである。

さらにさらに、ここに政治的リーダーによる仮想敵を作る構図が重なると、70数年前のドイツにおける悲劇のようなことが起こるのだと思う。

少し考えてみると中世の魔女狩りとか、歴史上同様の構図の大量虐待・虐殺事件は枚挙にいとまがないようにも思う。

そろそろ人類は、より文化的で賢い次のステージに進むべきであると思うが、そのためのよいアイデアは個人的にはまだ浮かんでいない。

少なくとも、誰かの悪口を声高に叫ぶ時は、そのことに対して本人が自覚的であること、つまりメタ認知の心がけが重要だと思う。
メタ認知の心がけが、人類の野放図な本能的行動を抑制する。

行動に際して抑制的であることが、人類を文化的で賢明な方向へ軌道修正するのではないか。
などと思う今日この頃であった。
posted by ヤス at 15:20| Comment(0) | 徒然なるままに