2016年07月03日

政治のプラシーボ効果

プラシーボ効果というのがある。
フランス語風だとプラセボになるらしい。
日本語で言うと偽薬効果。

薬の開発で、臨床試験の時に開発中の薬を投与すると同時に、比較試験として治療成分の無いただのビタミン剤とかを別の患者に投与する。
もし両者の治療効果にあまり差が無い場合、それはプラシーボ効果によるものということになる。
つまり薬の治療成分が効いたのでなく、患者の「薬の効果を信じる気持ち」によるもの、つまりプラシーボ効果が効いたことになる。
プラシーボ効果にはまだ面白い「続き」があって、それはノーシーボ効果というやつである。
治療成分がちゃんと入った薬でも、患者がその効能を疑っていたり副作用の心配が強いと効能が弱まるらしい。

プラシーボ効果というのは経験的にその存在が知られているわけであるが、医者の中にはこれを積極的に使う人もいるらしく、それで実際に病状がよくなる患者もけっこうな割合でいるという。

話は飛ぶが平安時代の頃くらい、日本では戦闘実務家集団である武家が勃興し始めるわけであるが、京の都の辺にはお公家さん、つまり貴族階級がいた。
これらお公家さんの仕事は「まつりごと」、と言っても現代の政治家のような切った張ったの政治ではなくて、神主さんが手に白い紙がついた棒みたいなのを持ってむにゅむにゅ呪文を唱えて一心不乱にお祈りするやつ。
しばらく雨が降らないで困ったら雨乞いする、病気が流行ったら悪魔払い、戦争が始まったら敵方を呪詛する、みたいなことをやっていたのだと思う。

現代的な感覚ではそのような祈祷は意味の無いことのように感じられるが、大昔では世間の安寧のために祈祷をするお公家さんは尊敬の対象であり、また実際に祈祷の実施によって大衆心理は安定し、社会の平和が保たれる実利的効果もあったような気がする。

社会の問題に対し、直接効果のある実際の対策を実施するのではなくただ天の神様に向かって祈祷することで実利的効果が得られたとすれば、これは社会的プラシーボ効果であるな、と思った。
そしてこれは昔のお公家さんだけの専売特許ではなく、現代においても似たようなものかもしれない。
特に最近の世の中はグローバル化も進み、物質文明も高度化複雑化して社会的課題の解決が容易ではない。
どうすれば貧困問題や格差問題が解消するのか、どうすれば悲劇的なテロ事件が抑えられるのか、その抜本的な解決の道筋が見えない。

このような課題がなかなか解決しない状況では、祈祷的な政治によって社会の平穏を保つしかないのかもしれない。
そして「祈祷アピール上手」な政治家が世論の支持をとりつけるのかもしれない。
たぶん医療の世界におけるプラシーボ効果と同様、政治的プラシーボ効果にも一定の意味はあるだろう。
けれど根本治療を諦めて祈祷一本槍でも困る。
効かない祈祷を続けていると、そのうちノーシーボ効果が強まるのではないか、などと思った。
posted by ヤス at 11:23| Comment(0) | 徒然なるままに