2016年07月31日

シマウマの達観と人類らしさ

時々思うことであるが、アフリカのサバンナにはライオンがいて、シマウマや水牛、あと諸々の生き物がいる。
シマウマはその一部がライオンの食料として襲われて食べられる。
一体全てのシマウマのうちの何パーセントがライオンに食べられるのだろうか。
そういう疑問もあるけれど、アフリカのサバンナを映した動画なんかを見ると、シマウマたちは案外のんびり水を飲んだり草を食べたりしている。
次の瞬間ライオンが襲ってくるかも分からないのにも関わらず、である。

ライオンとシマウマの例以外でも、捕食動物とその餌になる動物とは、同じ環境に仲良く暮らしている。
シマウマを人間に置き換えてみるとしたら、果たしてライオン襲来の恐怖に対し、シマウマのように達観してのんびり出来るだろうか。

いやほんとうに、達観というのはサバンナのシマウマのような生き方を言うのだと思う。
生命の危機と隣り合わせにありながら、のんびり草を食べる、この状態こそが達観、悟りの境地の真髄であるに違いない。

シマウマの場合長い進化の過程において、群の何パーセントかがライオンの餌となるそういうライフスタイルに完全に馴染んでいるのであろう。
運の悪い個体の犠牲と引き換えに、残りの大多数はのんびり生きることが出来る。

ひるがえって人類のライフスタイル。
人類は、いつの頃からか知恵がついて、ライオン対策には達観ではなく知恵を持って犠牲の割合を低減しようとするに至った。
人生におけるリスクを自然の成り行き任せにするのでなく、知恵によってなんとか減らそう、というのが人類らしさと言えるのかもしれない。

逆に我々人類は、なかなか達観出来なくなった。
簡単に諦めなくなったのは、粘り強くなったということで良いことのようでもあり、粘り強く頑張ることのストレスにさいなまれ、なかなかのんびり出来なくなったという意味で必ずしも良いことだけでないような気もする。

さらに言うと、科学技術の発達とともに人類の視野は驚異的に広がり、オゾンホールや地球温暖化の傾向、病原体ウイルスの脅威や放射能汚染のリスクなどなど、ライオンやシマウマではとても思いつかないであろうあらゆるリスクについて認識可能になっている。
そして何か新しいリスクが見つかるたびに人類のストレスはいくらか増加する。

ひょっとしていつかそのうち、リスクに対していちいち心配してストレスに感じることこそが最大のリスク、ということになって一切の心配事を解消してくれる薬物が開発されたりして、そうしたらどうなるのだろう。

そんなこんなで、いろいろ心配して常にそわそわしている状態、達観や悟りから程遠い生き方こそが人類らしさなのではないか、とふと思ったのである。
posted by ヤス at 11:27| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月30日

大型経済対策など

経済の話はほんとうに分かりにくい。
日銀が新たな追加緩和策を決定したという。
なんでも、ETF(上場投資信託)の年間の買入額を倍増して6兆円にするらしいのだが、この金額のインパクトが小さ過ぎて失望売りを招いたとする見方と、日銀が株式市場に6兆円もの規模で介入するのは影響が大き過ぎるというのとまったく逆の意見がニュースに流れている。

はたしてこの追加緩和策は是であるのか非であるのか。
いろいろな解説記事を見ていると、日銀の金融緩和はもうどうしようもなく手詰まりで、国債の追加買入はもう買うべき国債が枯渇してきているので難しく、マイナス金利の拡大は銀行経営に悪影響があってやはり難しい。
結局消去法的に「その他の金融資産」買入で落ち着いた可能性が大きいという。

ただETF買入というのはかなり問題のようである。
日銀がETF=上場投資信託を買うことによって、1%か2%か日経平均株価の押し上げ効果があるだろう。
GPIFの株式投資においても同様であるが、本来は企業業績の良い悪いで価格が上下すべきであるところの株価が、今回の緩和策でさらにいくらか不自然に釣り上がることになる。

ここでいう「不自然」とは株式が購入される企業の業績予測に関係なく釣り上がる、という意味である。

日銀もGPIFも、おそらく上場企業の業績予測に関心がない。
いや、ほんとうは株価が下がると日銀もGPIFも損が出て困るので関心がないはずはないのだが、現状では「株を買う」ことが自己目的化しているようであり、やれ株でスッたとか儲けたとか一喜一憂している市井の投資家とはかなり様子が異なるようである。


さて、分かりにくいと言えば大型経済対策28兆円の中身もよく分からない。
これもニュースによると、28兆円のうち「真水」部分は最終的には7兆円程度という報道である。
「真水」というのもよく分からない概念だが、通常は生産拡大に直接寄与する部分を言うらしい。
ただし、評価の方法によって真水の分け方が微妙に異なる、かなり曖昧な概念である。
低所得者への1万5千円=総予算3500億円はおそらく真水予算に分類されるのだろうが、これも貯蓄に回ると厳密には真水でなくなる。
財政投融資でやるリニア新幹線の整備前倒しも、どの程度真水にカウントされるのかよく分からない。

この大型経済対策も、各種の報道を俯瞰した限り、総額28兆円という見かけの大きさの割には「真水」部分が意外に少なくてインパクト不足という評価のように思われる。

考えてみると経済対策の前提条件として、今般の経済情勢がいいのか悪いのか、その点政府や日銀がどう考えているのかが、そもそもよく分からない。

今の経済がいいのか悪いのか、政府も日銀もその点をもっと率直に表明すれば、もう少し経済の話が分かりやすくなるような気がする今日この頃なのである。
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2016年07月29日

ホメオスタシス

ホメオスタシス、について思いつくことを書こうと思う。
ホメオスタシスはホメオシスタスでもなくホメオスシスタでもなく、無論のことホオジロザメでもホメゴロシでもない。

ホメオスタシスである。

ホメオスタシスという言葉は生物学者の福岡伸一博士の本なんかに時々出てくる。(と思う)
日本語では「恒常性」というらしい。
哺乳類などの恒温動物が体温をある一定に保とうとし、身体が熱くなると汗をかいたり逆に冷えるとブルブル震えて熱を発生させようとしたりする働きのことを言う。

考えてみると、生物、特に人類をはじめとする哺乳動物などは身体の構造がものすごく複雑である。
そして、生命以前の世界、無生物の世界にはそういう複雑な構造は無い。(と思う)
地球のような天体は図体は生物に比べて圧倒的に大きいが、その構造は極めて単純だ。
宇宙のチリがお互いの引力で次々くっついて出来上がった地球は、その中心から組成物質の重さの順番に層構造を成しているくらいで、その内側に神経細胞や血管が走ったりしているわけではない。

それに比べると生き物の身体は、血管や内臓などの精巧なメカニズムは言うに及ばず、細胞レベルにズームインするとさらに細胞核やらミトコンドリアやらの細かい構造がある。
さらに分子レベルではDNAによる自己複製機能もあって、その多重的な複雑さは無生物世界の比ではない。

生物の最大の特徴はそのかなり「不自然」な複雑さにあると思われる。
そしてホメオスタシス=恒常性は、複雑さを維持しようとする働きということが出来る。
エントロピー法則の支配下にある無生物の世界では、複雑な構造は擦れたりぶつかったりしてあっという間に風化し、単純な構造に壊れる。
それに抗って複雑さを維持する存在が、生命なのであろう。

急にホメオスタシスのことを思い出したのは、本屋でミリタリー雑誌を立ち読みしていて、そこに旧帝国海軍の航空母艦・信濃の最期の記事を見たのがきっかけである。
大和型戦艦の3番艦を途中から改設計して進水した信濃は、艤装工事を完成するために横須賀から呉に回航されていたが、その途中に米軍潜水艦の発射した魚雷4発を受けて沈没した。

信濃の同型艦だった大和と武蔵は、魚雷を15〜20本も受けてその上爆弾も10発以上命中してやっと沈んだのだ。
本来同じ防御力を持っていたはずの信濃が4本の魚雷であっけなく沈んだのは、ひとつには工事途中で水密区画が未完成だったこと、もうひとつは乗員訓練が不十分でダメージコントロールが未熟だったことが理由である。

信濃のような人間が作った複雑な機械がホメオスタシスを発揮するには、ホメオスタシスの機能についても人為的な努力によって与えることが必要なのは言うまでもない。

しかし往々にして人工物のホメオスタシス性能は脆弱であることが多いようだ。
信濃のケースはその象徴的な出来事のような感じが、なぜかしたのである。
信濃が魚雷4発で沈んだケースに限らず、人類の作ったあらゆるものは往々にしてすぐに壊れる。
それらの脆弱性からは、数億年の進化期間に鍛えられた生命のホメオスタシス性能に比べてせいぜい数千年か数万年の経験値しかない人類文明の分が悪いことが如実に感じられるような気がする。

ホメオスタシスはホメオシスタスでもなくホメオスシストでもなくホメオスタシスである。
念のため確認しておく。おしまい。
posted by ヤス at 14:57| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月28日

アジェンダセッティング

もうわりかし長いこと生きてきたのだが、最近になってやっとその存在に気付いた人生の重大事がある。
それは人と議論する時は前提条件をきちんと明確にしないといけない、ということである。

まあ日常生活では理屈をこねて議論ばかりふっかけているとウザいヤツと思われるから適当に思いつくまましゃべるのでもいい。
でも仕事における議論では、何らかの答えを出さない議論は非生産的で儲けにならない。
だからちゃんとした議論をしないといけない。
で、その時にちゃんと前提は整理されているか、二人で議論しているのであればその二人が共通の前提をイメージできているかどうかは、正しい議論にとって不可欠であろう。

営業のやり方の話をしていて、片方が市場は飽和しており既存路線では売上拡大は難しいと考え、もう片方がまだ掘り起こしの余地が十分にあると思っている時、既存市場飽和の真偽をすっ飛ばして新規市場に打って出ようとか既存市場に引き続き注力しようとか言い合っていても埒があかない。

あるいは最近ちょいちょい耳にするアジェンダセッティング、というのも重要なのだろう。
いわゆる争点設定。
これは正しく議論するかどうかのもうひとつ上位にある概念であると思うが、議論の方法がいくら正しくても、議論のテーマが無意味なものでは仕方がない。
したがって真に正しい議論のやり方は、正しいアジェンダセッティングによってもっとも議論が必要なテーマを選び出し、このテーマについての前提情報を整理共有して正しく議論されるべきだと考える。


ところでたびたび選挙の話になってしまうのだが、参院選にしても都知事選にしてもアジェンダセッティングや議論のやり方は果たして適切だったろうか。
都知事選では各候補とも特養の待機者や保育園の待機児童について言及している。
それはよいとして、それらは主要政策にはなり得ないはずだ。
特養や保育園の待機者問題は、大もとを辿れば財源問題であり、別の角度で見れば縦割り行政問題である。
つまり財源さえあれば解決可能、あるいは縦割り行政の壁を壊せば解決可能な問題なので、財源確保や役所システムの改革が本来議論すべきテーマのはずだ。
たった数千人規模の待機者問題は、テレビの話題としては良くても東京都政的にはサブテーマに過ぎまい。

国政におけるアジェンダセッティングは、現在さらに混迷を極めている。
第二次大戦後の数十年間は日本のアジェンダは比較的単純で、それは敗戦からの復興であり、欧米に追いつけ追い越せだった。
で、いざ追い付いてみたら次のアジェンダが見つからず、しょうがないので追いつけ追い越せ路線の延長戦をやって暇をつぶしているように見える。

ということで正しいアジェンダセッティングは必要であるが、何が正しいか適切に判断するのは、かなりむずかしそうだと思った。
posted by ヤス at 10:36| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月27日

相模原の事件

昨日未明相模原市の福祉施設で起きた大量殺人には衝撃を受けた。

一人の殺人者が、爆弾を使うこともなしに短時間に殺害した人数が記録的だったこともあってか、海外メディアも大きく報道したようだ。

犯人は今年2月に衆院議長あてに殺人予告めいた手紙を渡そうとしており、行動の異常さが目立ったことから職場の施設を解雇され、その後措置入院による「治療」も受けたらしい。
入院中に大麻摂取の反応があったことも明らかになっている。
いちおう本人は、それまでの異常な言動を反省する姿勢を見せるようになったので退院したが、結局、衆院議長に宛てた手紙をなぞるように事件を起こしたとのこと。

報道では手紙の内容も紹介されていたが、そこには日本国のために障害者を抹殺するとか、障害者は存在自体が不幸なので安楽死させるというような意味のことが書いてある。
また、手紙には犯行計画を述べたあとに、逮捕後の監禁は2年までにし、その後は心神喪失を理由に自由にしてほしいとも書いてある。
さらには戸籍の変更や整形手術と金銭的支援5億円の要請もあるが、この内容をどこまで正気で書いたのかはよく分からない。

この事件は、一種のヘイトクライムと捉える向きもあるようだ。
つまり極端な差別主義が行き着いた末に起きたという考え方。
確かに外形的には、犯人は障害者を社会に有害で抹殺すべき対象と手紙に書いている。
だから現象としては間違いなくヘイトクライムなのだろう。

だけれども、この事件はもう少し単純な、犯人の殺人衝動が弱い障害者に向かった事件のような気がしてならない。
これはまったくの推測だが、ある時突然に犯人の中に殺人の衝動が湧き上がったか、または長い間心の奥底に眠っていた衝動にある時点で火が付いたのかそれは分からないが、とにかく人を殺したくなって、目の前に弱い障害者が居て、その状況が事件の引き金になったのではないか。

昔の池田小学校事件でも、殺人者は弱い存在を攻撃した。

だから手紙は後付けの屁理屈で、精神錯乱を装うためのものである気がする。

この事件は中東やヨーロッパで次々起きているテロ事件とは種類が違うようであり、最近アメリカで激化している黒人差別が原因の事件とも微妙に異なる。

だけれども、これらの殺人事件を聞くに及び、人間の殺人衝動は実はかなり普遍的であって、何かの拍子にスイッチが入って事件が起こる、という側面があるのではないかと思う。

人間の暴力性はいつどこで暴発するか分からない。
おそらく今後、「予兆があった場合」の今まで以上の対策について法律的な対策を考えることになるのだろう。
posted by ヤス at 11:27| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月26日

スタートダッシュかラストスパートか

選挙は最後の3日で決まる、とどこかに書いてあった。
その件についてなんとなく検索したら、選挙は最後の1日で決まる、というのもあった。

3日で決まるのか1日で決まるのかはともかく、選挙は投票日直前の情勢がもっとも重要というのは納得できる話である。
ただし最近は期日前投票の割合が増加していいて、全投票者数の25%程度にまでなっているらしい。
そうなると、だんだん「最後に決まる」傾向が弱まってくるのかなとも思った。

期日前投票で投票する人は、おそらく投票先が予め決まっている人が多いだろう。
つまり浮動票ではない人が期日前に投票する傾向が強い、と考えられる。
選挙が最後の方で決まる、ということの意味には、誰に入れるか決まっていない浮動票の人たちがギリギリのタイミングで投票先を決断して選挙に行く、というニュアンスがあるように思える。
世に言う「風が吹く」というパターンだ。

そう考えるとたとえ期日前投票が増加してもやはり最後で決まる傾向は変わらないのかもしれない。


ところでスポーツの世界なんかでは、最終的に勝つ人またはチームは、ラストスパートが強いというイメージがある。
プロ野球でもペナントを制するのは8月以降、特に9月が強くないといけない気がする。
そこへいくとここ数年の阪神タイガースは、前半戦が良くても夏場に失速のパターンを繰り返している。
(今年は違うようだが)

落合監督で優勝していた頃の中日とか、9月が強かった印象がある。

マラソンとかでも往年の瀬古利彦はイカンガーも追いつけない圧倒的なラストスパートが有名だ。
「スタミナ」という有限のリソース配分が勝敗を決めるスポーツにおいては、スタートダッシュ優先で行くかラストまで体力を温存するかは悩ましい選択である。
無理なスタートダッシュは後半の長い時間帯を大きな負荷を背負って走ることになり、その分タイムが悪化するリスクが有る。
だから本来はイーブンペースまたは後半に力を重点配分するのが合理的と考えられる。

でも個人的な好みを言えば、マラソンでも水泳選手でもスタートダッシュタイプの方が好きだ。
後半のスタミナ切れは想定外のタイムロスを招くリスクが有るが、それでも革新的な記録を出すためにはスタートダッシュは欠かせない。
スタートダッシュ型のレース展開は、リスクはあるけれどそこを避けていては新しいステージに上がれないのである。
そういう意味で前半型のレース展開は可能性への挑戦だと思う。


ただ日頃のトレーニングでスタミナのリソースそのものを拡大しておかないと、スタートダッシュ型のレース展開に挑戦する資格はないというのは言える。

そうやって考えると、選挙における最後の風頼みはどうなのかなあと思う。
まあ風を吹かせるためにはそのための仕掛けを時間を掛けてしっかり準備しておくことや、日頃の活動とか言動とかも大事だと思うので、つまり奇跡の神風はめったに吹かない、ということはおそらく間違いないと思った。
posted by ヤス at 05:48| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月25日

ドーピングとプロ化の波

リオオリンピックを前に、ロシアのドーピングが大問題になっている。
ロシアが国ぐるみのドーピングに手を染めていたとかいう話で、もしそれが本当なら確かに大問題だ。

そもそもドーピングの動機ってなんなのか。
というと、やっぱり経済的なことが大きいのだろう。

それはつまり選手の「プロ化」が大きく影響しているのだと思う。
この数十年の間に先進国を中心に、スポーツ選手がプロとしてお金を稼げる環境がどんどん整備されている。

かつて1984年のロサンゼルス五輪・水泳の金メダリストで、アメリカにローディー・ゲインズという自由形の選手がいた。
ゲインズは、ロス五輪当時の水泳選手としてはやや高齢の20代半ば過ぎで(今では珍しくもないが)、それというのも4年前のモスクワ五輪を西側諸国がボイコットしたあおりで、競技生活の大目標だった五輪金メダルの夢をここまで持ち越していたのだ。

無事に個人種目とリレーで金メダルを獲ったゲインズは、誇らしげにこう語っていた。
水泳は陸上など他のスポーツと違ってアマチュアリズムが生きている。
だから水泳選手はお金のためでなくみんな名誉のために泳いでいる、みたいなことだったと憶えている。

しかし今ではマイケルフェルプスも、数ヶ月前に引退した北島康介も、マネジメント会社と契約し、企業スポンサーが付いて競技活動をしている。
他の選手でもそれが普通のスタイルだろう。

というか相対的な競技力の優位を実現するには、トレーニング環境も少なくともライバルたちと同等以上になるようにしないといけない。
ライバルがプロ化して競技に専念し、豊富な資金で海外遠征や合宿を行い高価な器具・道具を整備しているなら、こっちも同じようにしてないと置いていかれる。

だからかつてアマチュアだった選手はどんどんプロ化し、たぶんそのせいであろう、水泳選手もだんだん30代の高齢選手が増えている。
ゲインズは寂しがるかもしれないが、選手のプロ化は競技レベル向上の中での必然なのである。

そしてプロのスポーツ選手として稼ぐためには、高い競技力が基本のキである。
そこにドーピングの入り込む余地があり、プロ化の拡大がドーピングの拡大に比例している。

そう考えるとドーピングの闇が深そうなのは、オリンピック選手よりはプロ野球とか、あるいは大相撲とかだろう。
そういうあまり国際化していないドメスティックな組織が運営している競技の場合、国際組織がしっかりあるサッカーなんかと比べてチェック体制が甘いことは疑いない。
しかも、上位レベルの選手の稼ぎは他競技と比べてけっこう高い。

プロ野球に関しては最近ドーピングを告白する選手も現れているけれど、大相撲とかはどうなのだろう。

人気のあるエンターテイメントととしてお客さんからお金を取っている以上、これらの競技でも自発的にドーピングをチェックして身の潔白を証明すべきではないか、などと思った。
posted by ヤス at 12:34| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月24日

選挙戦に学ぶ

いよいよ東京都知事選が最後の1週間に突入した。
史上最大の21人が乱立し、与党が分裂して野党は統一候補を立てる、という予想外に面白い展開になったわけだが、「主要3候補」の政策内容の不出来は置いておくとして、今回の都知事選はまずまずの盛り上がりを見せているらしく、実際いろんな意味で面白い。

都知事選関連のテレビニュースや街頭演説のようすなどをYouTubeで見ていて、この暑い中の選挙活動はたいへんだなあと思う。
大昔、わたしがまだ広島市で広告屋で仕事をしていた時分、ある選挙があって、広告屋の業務ならびに、「自発的に参加した(ほんとは会社に強制動員された)ボランティア」としてその選挙の裏方仕事を手伝ったことがある。

当時はインターネットは影も形も無い時代で、その部分において今と昔は全然違うが、その他のところはあんまり変わっていないように感じる。

選挙っていうのは告示から投票までかなりの短期決戦だ。
特に今回の都知事選みたいに告示ギリギリに立候補表明して2週間あまりで投票、となると、各陣営とも活動をいかに効率化して票を集めるかに苦労することだろう。

そういう意味では選挙戦というのは超短期決戦のマーケティングの戦いでもある。
だいぶん前に聞いた話だが、世の中には選挙専用のパソコンソフトも売られているそうで、そのソフトを使うと街宣車の最適な走行ルートとか重点地区の絞り込みとかが効率的に出来るらしい。

ソフトの話はともかく、選挙戦を見ているとこれは逆に商売の方のマーケティングにもたいへん参考になるような気がする。

商売の場合、商品を開発したり店舗を綺麗にしたり従業員を雇って教育したり帳簿をつけたり、いろいろやらないといけないことを少人数でこなさないといけなくて、いきおいマーケティングにかけるチカラが手薄になりがちだ。
しかもマーケティングとか広告宣伝は専門的な知識が要求されることも多くてけっこう面倒くさい。

そんな時には選挙戦のマーケティングをイメージするといいのではないか。



選挙では、基本的に候補者の名前を連呼する。
政策を語らないことはあっても名前を連呼しないことはない。
選挙でもっとも重要なのは、おそらく「認知度」である。
選挙民に知られていない候補者は当選できない。

イメージ付けも大事だ。
選挙民には改革派もいれば守旧派もいる。
男女の違いや若者と年寄りとかいくつものセグメントに分かれる。
どういうイメージ付けをすればより多くのセグメントを惹きつけられるのかが勝負の分かれ目だ。
あと、細川護煕の日本新党以降だろうか、イメージカラーを使うのも一般的になった。
色の持つ非言語的な脳内認知機能は、非言語的であるがゆえに強力になると考えられる。
あの百合子グリーンは吉と出るか凶と出るか。

それからひとしきり街頭演説した後、わっと群衆に分け入って握手するパターン。
かの小沢一郎が、握手の量に比例して票が増える、みたいなことを言っていたと思うが、握手によらずともお客さんとの心理的距離を縮める努力は大切だ。

まあ、本当に政治家の先生方はよくやるなあ、と感心する今日この頃なのである。
posted by ヤス at 09:46| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月23日

今日はやっぱりポケモンGOかと

なんか「ポケモンGO」がすごいことになっているようだ。
昨日日本でダウンロード出来るようになって、家の中でアカウントをつくって、そしてポケストップの地位を得て最近株価も急上昇中の「M」まで歩いて行ったのだ。
ダウンロード&アカウント作成は夕方18時頃完了していたのだが、まだ日が高いうちに携帯をかざしながら天下の公道を歩く勇気の持ち合わせがない。

だから20時過ぎ、あたりが暗闇に浸される頃合いまでじっと待った。
すっかり日が沈んでから、携帯をかざしつつ「M」までの道のりを歩く。
「M」以外にも携帯画面上にいくつかのポケストップマークが見える。

だいたいポケストップってなんなのだろう。

よく分からない。

だがこれまで営々と積み上げられてきたゲームノウハウの成果がこのポケモンGOにも存分に活用されているはずだ。
いちいち細かいレクチャーがなくても触っているうちに自然とゲームルールに馴染むようになっているはずなのだ。

すでにウェブ上のあちこちにポケモンGOの初心者向けガイドだとか攻略方法とかの情報が出ているが、そういうサイトには目もくれないようにして、よく分からないまま画面を触りつつ「M」へ向かう。

「M」に到着してチキチーセット500円なりをオーダーする。

携帯の画面をいったんオフにしてそっとテーブルに置き、まずは腹ごしらえ。
食い終わったあとやや遠慮がちに携帯を取り上げ、画面を二度ほど左に指でなでて紅白の丸いアイコンをタッチ。

と、すぐに店内でドードーを発見したので携帯をなるだけ周囲から目立たぬように小さめに上下左右に振ってドードーに照準を合わせる。
しかし照準の先の画面奥に、女子大生の4人組が映っている。

やばい。

このままでは変態盗撮野郎の嫌疑を免れない。

画面の俯角を下方15度くらいに振って女子大生を画面内から追いやる。
するとドードーの姿も消えてしまった。
だが、だいたいの方角と位置は憶えているのだ。
記憶を頼りにあてずっぽでモンスターボールを投じたら、4投目か5投目くらいにやっとヒットしてドードーを仕留めた。

しかし疲れた。

ポケモンGOはこれを街なかでプレイしていたら、傍目に見てプレイしていることがモロバレであろう。
逆に街の中でみんながやっていて感じる一体感がいいのだともいう。


まあほんとうに、任天堂のみならず「M」の株価も押し上げたポケモンGOの威力はすごい。
そしてポケストップなどのスポットには少なからぬ「集客効果」が見込まれるだろう。

ロシアや中国政府がCIAの関与を疑うのも納得の、「現実世界=リアルワールド」への影響力。

バッテリー耐久性と通信容量の脆弱性に悩まされる昨今のわたしであるが、今後も静かにかつ遠慮がちに、徐々にポケモンGOの真髄に迫りたいと考えている。
posted by ヤス at 16:14| Comment(1) | 徒然なるままに

2016年07月22日

ヘリコプターマネー?

7月の11日に前FRB議長のバーナンキ氏が来日した。
バーナンキ氏は日銀総裁にあいさつした後、翌12日に安倍首相と会談したらしい。
で、会談の結果「ヘリコプターマネー」論がニュースを賑わすようになっている。

つい先日もアメリカから有名な経済学の大家を呼んで話を聞く、数カ月後その意見を汲んだ政策が実施に移される、という流れがあった。
すなわち、3月にスティグリッツとクルーグマンの両氏を招聘して国際金融経済分析会合なる会合が開催され、その中で消費増税の延期と財政支出が議題にのぼった。(他にも重要な話題があったらしいが)
その結果6月末の消費増税延期表明、そして現在検討中の秋の大型経済対策 − 最初は5〜10兆円だったのが一説には20兆円超という案も出ているらしい − が現実化している。

その流れからは、バーナンキが来てヘリコプターマネーの話が出たので次はいよいよヘリコプターマネー政策の実施が既定路線であるようにも見える。

ヘリコプターマネーはバーナンキの長年の研究テーマであるらしい。
ヘリコプターマネーの定義がよく分からないので調べてみたが、説明の仕方がいろいろあっていまひとつ判然としない。
判然としないけれどいちおう理解したのは、金融緩和(通貨量拡大)政策と財政出動政策を連動してやるということがひとつある。
そして財政出動の原資として国債を発行するが、これには返済期限を設けない、つまり返済しない借金をしてお金を調達するようだ。
しかし返済しない国債は国民も企業も買わないから日銀が直接買うか、あるいは事実上の政府紙幣の発行によってまかなう。
ちょっとよく分からないことが依然多いけれど、返済不要の資金を調達する金融政策と財政出動によるバラマキを連動して行うのがヘリコプターマネーらしい。

ヘリコプターマネーのそもそものネーミングは、ベーシックインカムのように国民に直接現金を給付する、というのを主要なイメージとしていると思う。
が、今のところ昔ながらの公共工事なども含めてのヘリコプターマネーらしい。

今秋に予定されている大型経済対策がどんどん大きくなっているのはヘリマネ的要素がだんだん付加されている、ということなのかもしれない。

消費増税や大規模財政出動の議論でも反対論があったけれど、今回のヘリコプターマネーについてはそれら以上に反対が多いように感じる。
そもそも、このような最終手段を検討するというのは日本の経済状態がかなり悪いと政権側が認識していることの証拠と言わざるをえないが、表現を変えるとそれは「道なかば」になるらしい。

個人的なヤマ勘では、たぶんヘリコプターマネー的な政策はなんらか導入するのはすでに決定しているのではないか。
どうせやるなら公共工事のような国民への間接給付でなく、ベーシックインカム的な直接給付にして欲しいなあ、と思った。
posted by ヤス at 11:22| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月21日

人類の地球に対する小ささ(大きさ?)

しかし朝から暑い。
天気予報では今日の日中も順調に暑くなるらしい。

ネットニュースでは2015年の気温が2014年に引き続き歴史上最高値だった、と流れていた。
温室効果ガスの影響によるものであるようだ。
うろ覚えだが、100年前と比べて気温が2度くらい上昇しているという。
北極海の氷も減り、おそらく海面水位もわずかに上昇しているものと思われる。

最近は岡山市内の各所に標高の看板が立っている。
わたしが住んでいる地点は1mか2mくらいだったと思うけれど、この先北極や南極の氷、シベリアの氷河なんかが溶けて海面が上昇したらうちの辺りは海面下に沈むかもしれない。
心配だ。

ネット情報によると最近の海面上昇は年間3〜4mmのペースらしいので、うちが沈むまでにあと300年くらいは猶予がある。
ということで海に沈む心配は当分しなくてよさそうだが、この暑さはなんとかならんものか。

地球温暖化の説によると、二酸化炭素やメタンガスなどの大気中濃度が近年急速に上がっていて、それが原因で気温が上がっているという。
考えてみると、直径1万2800kmの巨大な地球の上に住んでいる人類の営みによって、そこまで甚大な環境変化が生じるのは不思議な気がする。

遺伝子研究の福岡伸一博士の著作によると、重量で見て地球上に最も大量に存在する生物はトウモロコシであるという。
世界中のトウモロコシの年間生産量は8億トンくらいらしい。
トウモロコシの収穫対象で無い茎や根っこや葉っぱ、あるいは野生種なども付け加えると20億トンくらいになるのだろうか。

人間は世界中に70億人いるという。
一人60kgとしてざっと70億人分の総体重4億トンくらい。
トウモロコシの5分の1くらいしかいない。

ついでに地球上にいる人間以外も含めた動物の総重量は100億トンという。
植物はというと全種合わせて1兆トン〜2兆トン。
さらに細菌などの微生物が400億トンいるらしい。
要するに地球上の生き物は圧倒的に植物がほとんど、ということになる。

ところでこれらの生き物を擁する地球の重さは6×10の24乗kg=6000000000兆トンもあるというが、桁が大き過ぎて分からない。
人間の4億トンはたぶん4×10の11乗kgになると思うのだが、人間は重量比で地球の0.000000000007%しかない。

この0.000000000007%の人間が温室効果ガスを出して地球の温度を上げているという。
人間って、小さい割にけっこうな影響を地球に与えているのかもしれない。

またこのような、存在量で見たときの人間の圧倒的な小ささが、人類による地球温暖化説への懐疑の原因になっているのではないか、と思った。
posted by ヤス at 10:35| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月20日

政治の差別化

さて、東京方面ではこの暑さの中、都知事選がたけなわでテレビで政策討論を戦わせたりしているようだ。
今回の都知事選は、与党側の分裂と野党側の候補一本化がトピックである。

与党側は民進と共産の選挙協力を野合と攻撃しているが、一方の与党側も自民・公明は政策内容や改憲の方向性でぴったり一致しているわけでもない。
冷めた目で見るならどっちもどっちのようであるが、にもかかわらず与野党が「考え方の垣根を越えて」一致団結しているのは、ひとえに衆議院が小選挙区になったことの効用であることは間違いない。

選挙区が一人区になったので、少数野党では政治参加のチャンスがまったくない。
だから政治的発言力を得るためには思い切って与党に乗っかるのが第一の選択肢となり、どうしても与党がケッタクソ悪くて乗れない場合は、残った在野勢力を結集して与党に対する他はない。

ところでしばらく前まで、具体的にはまだソビエト連邦が存立していた30年前には、共産主義と自由主義の対立、という社会思想的対立がかろうじて残っていた。
その後ソ連が消えて東ヨーロッパ諸国も次々自由化し、共産主義革命の夢はほぼ絶滅したように思われる。
その代わり共産主義より幾分マイルドな社会民主主義思想がヨーロッパを中心に勢力を得て、福祉も手厚いが税金もべらぼうに高い高福祉国家の流れが出来つつあって、その流れがついにはアメリカ大統領選にも影響する、ということになっている。

「共産主義」と「社会主義」の違いがよく分からなかったのでネットで調べたら、共産主義は社会主義の最終進化形であって、大きな政府で所得再配分に積極的だがいくらか市場経済要素を残した社会主義に対し、すべての経済システムを国有化・国家統制するのが共産主義、ということのようである。

で、日本の各政党の政治思想的な方向性だが、今、与野党の主張を聞いていると社会主義的であるのか自由主義的であるのか、まことに分かりにくい。
日本は北欧等の高福祉高負担国家、アメリカなど低福祉低負担国家との比較で「高福祉低負担国家」などと言われることがある。
実際には必ずしも低負担ではないと思うが、少なくとも日本では、例えばアメリカでオバマ大統領が国民皆保険を訴えるとリバタリアンたちが一斉に反対を唱える、というような国民側の政治思想に裏付けられたような動きが見られない。

だから与党も野党も高福祉低負担の政策プランをアピールし、与野党間の政策の違いがなくなる。
ついでに国債発行も増える。

そして同じようなことを言っている政治家がたまたま与党だったり野党だったりしているので、選挙民としても選択に困る。

マーケティングの世界では、競争に勝って利益を上げるためのポイントは「差別化」にあるということを昔教わった。
差別化の無い同質化競争では、利益はどんどんゼロに向かう。

だから政策の差別化を実現するために政党の側も国民も、やれネトウヨのバカだの左翼の偏狭だのとわめいていないで、たまにはまじめに政治思想について考えることが必要だと思うのだがまあ無理かもしれない、と思った。
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2016年07月19日

ソフトバンクのARM買収

昨日7月18日に、孫正義率いるソフトバンクがイギリスの半導体設計会社「ARM」を買収するというニュースが駆け巡った。
このニュースを聞いてイギリスには海の日が無くて今日も世界は動いているのだ、と気付いた。

ところでニュースでもさんざん伝えられている通り、ARMは製造部門を持たず半導体メーカーに設計を売って収益を得ており、したがって仕入原価がほぼゼロ、粗利率は95.9%の高収益企業らしい。

買収金額は直近株価に4割のプレミアムをのっけて日本円で3.35兆円であるが、それに対してARMの年間売上高は直近期で1800億円程度と以外に小さい。
ただし前述のとおり売上のほとんどが粗利で営業利益率は5割以上。
今世界で製造されているスマホの97%にARMの技術が乗っかっているらしく、かつ今後予想される自動車や家電製品の「IoT化=Internet of Things(モノのインターネット)化」の組み込みチップとして爆発的な需要が見込まれている。

またあるサイトを見たところ、スマホ1台当りのARMの売上(ライセンス料等)はおよそ5〜30円程度らしい。
アップルなどが最終製品も作って巨大な売上を創造しているのに比べると、同じ高収益企業とはいえだいぶようすが違うようだ。

現在ソフトバンクが注力しているスマホ事業に大きく関わっているARM社であるが、孫正義としてはスマホよりは近未来のIoTの爆発的普及に大きく乗っかるための重大な布石、それが今回の買収劇のようなのである。

ところでここで心配になるのが今回の巨額買収によるソフトバンクグループの財務に与える影響である。
ソフトバンクグループの2016年3月期の決算は売上8.1兆円、総資産20.7兆円、そして現預金が2.5兆円、固定負債が12兆円である。
今回の買収資金としては、先頃売却したアリババ株などの代金2兆円を投じる他に、つなぎ資金としてみずほ銀行から1兆円借りるがこれも追加の株式売却代金が入り次第返済するのだという。
したがって固定負債12兆円は増えない、また新株発行などの資金調達もしないという説明。
しかし手元資金が流出すれば間接的に運転資金の借入が増えたりして少なからず財務に影響するに違いない。

まあソフトバンクは20年前から3年以内に潰れると言われ続けてここまで来た「実績」がある。
だから今回も大丈夫なのかもしれない。

しかしソフトバンクは不思議な会社だ。
アップルにはマッキントッシュやiPhoneなどの看板プロダクトがある。
マイクロソフトにはウィンドウズ、フェイスブックやグーグルだってサイト運営を通じた広告収入というビジネスモデルが有る。
だがソフトバンクグループには看板プロダクトも分かりやすいビジネスモデルも無い。

その代わり、ヤフーやアリババやその他の有望企業にいち早く投資して含み益を得る。
それでさらに新しい企業に投資する。
その間、PCソフト流通に始まりブロードバンドや携帯電話事業などの普通の事業を何本か走らせて日銭を稼ぐ。

そういうことを考えると、ソフトバンクの本質は未来予想をして有望分野に投資する投資業なのであろう。
そして、わたしとしては通信やIoTより「ペッパー君」のロボット事業の今後がどうなるか気になるよなあ、と思った。
posted by ヤス at 13:57| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月18日

カテゴライズ癖を正す

昨日、アメリカのバトンルージュで警官が射殺される事件があったらしい。
どうやらこの事件は一連の黒人と白人の対立構造とは無関係らしい。
ニュースによるとただのギャング同士の銃撃戦に警官が巻き込まれたらしく、それが分かってちょっとホッとした、というのも何だかなあという感じではあるが。

このところバングラディシュのテロや、フランスでトラックを使った事件が起こったり、またイラクなどでは毎日のように爆弾が爆発している。
一体この世界はどうなってしまったのか、と思う。
そういう心配を比較的平和な日本で考えていてもいまいち切実さに欠けるけれど、ISは世界各地の社会的不満分子に「自発的決起」を促しており、日本でもいつ何時事件が起こらないとも限らない。
というか、フランスのトラックテロは日本で起きた事件に触発されたのでは、という観測もあるようだ。

日本でも、もっとテロに対する心構えとか対処法についての啓蒙を行った方がいいと思う。
特に武装した犯人に人質に取られた場合の対応とか、事前に正しい知識を聞いておくことはそれなりに役に立つと思う。

ところでこのところのアメリカの人種対立が原因の殺人とか、ISのテロとかも、人間の「カテゴライズ癖」がその基本にあると思う。
ある人間集団を共通の特徴で括ってカテゴライズし、そのカテゴリーごとまとめてヘイトする、というのはかなり残念な人類の悪癖のひとつであろう。
「正しい憎しみの抱き方」というのは、憎しみの原因となった個人ただ一人に向けられるべきで、その相手の親類縁者とか帰属する社会集団すべてを憎んだり、憎むべき個人と同じ宗教、人種に属する人々を憎むのはまったく合理的ではない。

だいたい宗教にしても、イスラム教でもキリスト教でも宗派や考え方もいろいろなものがあるし、人種にしても今の人類はネアンデルタール人とか各地の人類がさまざまに混血していて、そもそも人種分類にどれほどの意味があるのか、と思える。

しかし今のところ何かの社会集団ごとにカテゴリーを括って、集団間の対立を創造する、という悪癖は止むことがない。
人類は、そろそろ誤ったカテゴライズ癖を真剣に反省すべきなのだろうけれど、たぶん簡単ではないのだろう。
同じような意味で血液型で性格を占うのとかも、やっている人たちは他愛もないつもりだろうが、わたし的にはまったく好きになれない。
そういう小さなところから考えた方がいいと思うが、これって神経質に過ぎるのだろうか。
posted by ヤス at 08:10| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月17日

絶対的水準より右肩上がり

この数日すこしだけ涼しい気がする。
といっても今日も気温30℃を超えて暑いことは暑い。
ただちょっと前までの35℃くらいの酷暑がほんの1〜2℃ゆるんで雲が出て日射が弱まっているだけで、かなり涼しく感じる。
気象庁のデータを見てみると、平年は7月も中旬頃までは比較的暑さは控えめで、梅雨が明けて20日頃から気温がぐんぐん上昇して「盛夏」に入るのがパターンらしい。
それが今年はいつもより早く暑さのヤマが来て、たぶんここ数日の「涼しさ」が本来の7月中旬の気温なのである。

で、気温の変化はビヤガーデンの売上やコンビニのアイスクリームとかユニクロの夏物衣料の動向を大きく左右し、そういう点で実体経済に影響を及ぼす。
しかしビールやアイスの売上カーブがクイッと上を向くタイミングは、絶対的な気温の高さよりも、気温の変化量の方が大きく影響するのだと思う。


私事ですが、2〜3ヶ月前に珍しく風邪をひいたことがあって、風邪というのは治るときはある朝目覚めたら昨晩の悪寒発熱が嘘のように治っていることが多い。
そういう風邪の治った朝は、まだ少し身体がウイルスと戦った疲労感とか節々の違和感とか残っていて万全の態勢ではないにも関わらず、妙に清々しい気分がする。
よく考えると健康な状態というのは、病気や怪我をしていないということではレベルゼロの位置にあるに過ぎないわけであり、風邪からの病み上がり直後はたぶん健康レベルがまだわずかにマイナスのはずである。
にも関わらず、それまでマイナス50とか100とかに低迷していたものが、マイナス20くらいまで
急回復すると、ものすごく回復した感じがあって気分が良い。
重要なのは絶対的水準より回復カーブが右肩上がりにプラスを向いているかどうかなのである。たぶん。

昔読んだ本で確か堺屋太一が書いた本だったと思うが、豊臣秀吉の朝鮮半島遠征は日本統一を成し遂げて既に国内に領土拡張の余地が無くなり、部下への恩賞が次第に困難になったことが原因の一つと書いてあった記憶がある。
秀吉は現代の資本主義社会と同じく、搾取対象となるフロンティアを求めて果てしなく拡張していないと組織秩序が維持できないという問題を抱えていたわけで、どうあがいてもいつか拡張が止まって自壊する定めだったのだろう。

しかし前述の気温変化やや病気明けの回復カーブの例を参考に考えるなら、たまにドーンと落ち込んでそこから時間をかけて上昇カーブを描くことで逆に社会秩序が保たれるのではないか。
実際1990年以降の日本は大きく落ち込んではゆっくり回復する、というパターンを2〜3回繰り返しつつ全体的には横ばいで進捗する、という感じで平和を保っている。
これはひょっとして新しい資本主義の在り方なのではないか。
そういう意味では消費税率を今度こそは思い切って上げて、それで一時的に景気が落ち込んでも、そこからゆっくり回復すればそれで10年くらいはみんな平和に暮らせるのではないか、と思ったりした。
posted by ヤス at 14:48| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月16日

在庫一掃セール

1週間ほど前に価格コムを見ていた時、異変に気付いた。
カメラのオリンパスの、マイクロフォーサーズの標準ズームの12-50mmのいつもは3万円で出ていたやつが、最安値1万2千数百円の値段になっている。
このレンズ、正式名称を「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZ(ブラック)」というが、もともとの希望小売価格は税別47,500円(税込み51,300円になる)。
発売日は4年以上前の2012年1月らしい。

定価51,300万円が、長らくネットショップ上では3万円程度、家電量販店では3万5千円くらいで売られていたと記憶している。

おそらくモデルチェンジをするのだろう、このモデルは既に生産を完了し7月に入って在庫一掃に入ったようで、オリンパスの公式オンラインショップでも今日現在15,012円で投げ売りされている。

うちの家には少し前に買ったオリンパスPEN E-P5というカメラが転がっているが、交換レンズは買った時に付いていた単焦点17mmf1.8の1本だけ。
せっかくレンズ交換式を謳っているのにレンズ1本ではカメラ本来の可能性を生かし切っていないと言わざるをえない。
だから2本目のレンズがずっと欲しかった。

しかしレンズを買うと当たり前だがお金が出て行く。
なおかつ、新しいレンズをどうしても買わねばならない切羽詰まった理由がどこにもない。
ただ時々価格コムやAmazonのレンズのページをチェックしては、次に買うならズームが便利だなあ、どうせなら10倍ズームとかが面倒くさくなくていいなあ、とかぼんやり考える日々が続いた。
そしてそうやってぼんやり眺めているレンズの中に、当然ながら今回の12-50mmズームもあった。

マイクロフォーサーズのレンズは一眼レフのフルサイズやAPS-Cのレンズに比べるとかなり小さく、かつ安い。
オリンパスには他にも12-42mmの薄型3倍ズームもあって、ネット上の評判ではどうもこちらのほうが12-50mmより人気だったようだ。
値段は12-42mmも12-50mmもかつては3万円ちょうどくらい。

薄型の12-42mmに比べると12-50mmはなんだか妙にひょろ長い。
そのかわり広角端・望遠端ともズームレンジが大きくなっているけれど、やはりネット上の評判では広角端の描写に難ありとかいろいろケチもついていて、この2種類のズームレンズをネットショップで眺めながらどっちがいいかなあ、といつもぼんやり考えていた。

そこへ今回の在庫一掃大セール。
当然のことながら、わたしはAmazonで「カートに入れる」をクリックし、「レジに進む」をクリックした。
値段は13,750円で「当初予定」の3万円よりはだいぶん安かったけれど、13,750円が財布から出て行った事実はかなり重い。

これくらいの思い切った在庫処分であれば、十分に人間の理性をフリーズさせる効果がある、と思った。

1250mm.jpg
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2016年07月15日

デファイアント戦闘機

昨日Sタンクのことを書いていて、もうひとつヘンテコ兵器のことを思い出して、それを書かねば、と思ったので書く。

また中学時時代の話だが、今はとっくに絶版になっているハヤカワ文庫のノンフィクションで「空軍大戦略」という本を読んだことがあった。
第二次大戦中のいわゆるバトル・オブ・ブリテン、ヒトラーのドイツがフランスを降した後にイギリス上陸の下準備として航空撃滅戦を展開したが、その英独の戦いを描いた小説。

バトル・オブ・ブリテンはおおよそ1940年の7月から始まった戦闘であるらしいが、この航空戦にはたくさんの英独の戦闘機、爆撃機が動員された。
ドイツ側の主力戦闘機はBf109。
そしてエンジンが2発付いた2人乗りのBf110。

かたやイギリスの主力戦闘機はホーカー・ハリケーン、そしてスーパーマリン・スピットファイア。
さらに戦闘の最初の頃だけ、ポールトンポール社のデファイアント戦闘機もいた。

そうデファイアント戦闘機について書かねばならない。

イギリスの軍用機は、そのカタチにイギリス独特の味わいがある。
ドイツの軍用機が直線基調でいかにも金属的質感を全面に押し出しているのに対し、イギリスの軍用機は籐の椅子のようなというか、木製家具のような雰囲気を醸し出したのが多い。
実際、総ジュラルミン製の機体があたりまえの第二次大戦期中においても、イギリスの軍用機にはスチールフレームの上に布を張る方式の機体構造が多用された。
あるいはデ・ハビランド社の多用途木製機モスキートは総木製で、機体のデザインも全体はスマートだが主翼の平面形や丸っこい尾翼などディテールはかなり「イギリス的」だ。

デファイアントに話を戻す。

普通の戦闘機は、主翼や操縦席の前方に機関銃を固定搭載しているが、デファイアント戦闘機には前方固定機銃は一切ない。
その代わりに操縦席背面に7.7mm機銃4丁を装備した「銃塔」を装備している。
銃塔は全面ガラス張りで中に銃手が座っている。
そして電動ポンプで駆動される油圧装置で軽快にくるくる回転し、360度あらゆる方向に銃弾をぶっ放せるのだ。
ただし弾が尾翼に当たりそうな角度では機関銃が自動停止するし、まっすぐ前を打ちたい時も、やや上向きにしか指向出来ない。

こんな大掛かりな銃塔を背負っている関係でデファイアントは必要以上に重く出来上がっており、くるくる回る4連装銃塔も、俊敏に飛び回るドイツのBf109にはほとんど当たらなかったらしい。

そんなことで実戦参加から3ヶ月ほどでBf109の居ない夜間専用機に格下げになった。

そういえばイギリスの第二次大戦中のヘルメットは、全周につばの付いた江戸時代の大名行列の頭にかぶるやつみたいな妙なカタチをしている。
デファイアントはカタチだけでなくその装備や戦闘方法も、少々イカれた町の発明家が作ったような趣があるけれど、ああいう妙なカタチのヘルメットを被ったりイカれたコンセプトの戦闘機に乗って戦うイギリス兵の心境はどんなだったのだろうと少し心配になる。

ただ他国では絶対に採用しないような妙なカタチの兵器も常に大切に扱い、ピカピカに磨いて出撃していく、というのが貴族の国、イギリスの流儀なのかもしれないと思った。

ということで、昨日は、あるはずの回転砲塔が無い戦車の話、今日は無いはずの回転銃塔がある戦闘機のお話でした。
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2016年07月14日

Sタンクと中立国家

中学生の頃、ゼロ戦とか戦艦大和とかのミリタリーが好きになって、軍事関係の本を読んでいた。
中学校の同級生に戦車好きがいて、そいつと話していて戦車方面の知識不足を痛感し、戦車のミニ図鑑みたいな本を買った。
それで戦車の歴史や現代の戦車(といっても1980年頃)について勉強したのである。

そうしたら、妙なカタチの戦車が印象に残った。

スゥエーデンの「Strv.103」という主力戦車。
通称「Sタンク」と呼ばれる。
このSタンクには回転砲塔が無くて、戦車砲が車体に「じかに」固定されている。
砲の照準はキャタピラを左右逆回しにする超信地旋回で方角を定め油気圧式サスペンションで車体ごと傾けて砲の俯角を付ける。
また自動装填装置を装備して装填手が不要、操縦手が砲手を兼ねる。
まるで戦闘機のように操縦手が戦車を操って照準と発射を担当するので一人で操縦して一人で砲を撃つことも出来るのだ。

この戦車は待ち伏せ攻撃専用にデザインされていて、山深いスゥエーデンで物陰に隠れて敵の戦車(おそらくソ連軍)を狙い撃ち、撃ったら反撃されないうちに逃げる。
そのためにSタンクは後進も前進と同じスピードが出るようになっていて、通信手が操作する後進用の操縦席まである。


今はもう退役してしまったが、一時期このSタンクがスゥエーデンの国土を守っていた。
そしてその頃スゥエーデンはスイスと同様に永世中立国だった。

永世中立国というのは、昔は戦争をしない平和な国だと誤解していたが本来の意味は他のどの国とも軍事同盟をしない、他国の軍事行動に与しないという意味であるらしい。
現在のスゥエーデンは中立政策を放棄したらしいが、スイスは今でも中立を維持、一家に1丁アサルトライフルを持った国民皆兵の重武装国家である。

中立国には同盟国がないので外敵が侵入したら全部自前で撃退しないといけない。
スゥエーデンのSタンクは、中立を前提とした軍事方針のもとにいかに低コストで効果的な防衛力を実現するか考えた挙句に出されたひとつの回答である。

そういえば、Sタンクとほぼ同時代の戦車で同じようなコンセプトの戦車がもう一台あった。
自衛隊の74式戦車だ。
74式も、回転砲塔こそ装備しているが車体を自由に上下出来る油気圧式サスペンションを持って物陰に隠れて待ち伏せ攻撃する考え方はSタンクとほぼ同じ。
敵主力戦車を撃破可能な高威力の主砲に対して装甲は薄い。
このコンセプトは最新の10式戦車も同様だと言われている。

したがって、側面・後面装甲の薄い10式でイラクやシリア辺りに出陣したとすると、武装勢力の放つRPGロケット弾の餌食になりかねない。

ということは、10式の後継の戦車のコンセプトを見れば、日本の国防方針が引き続き専守防衛であるのか、あるいは同盟軍と連動して海外派兵することを多少なりとも考慮しているのか分かるということになる。



戦車の話はともかく、中立を守るというのは、他国を頼らないという点で国家の真の自律を保てるが、一方で相応のコストと犠牲の上に実現されるものである。

ところで先週どっかの国で政権党が学校に対して政治的中立を強要する事件が起こったそうだ。
国家間における「中立」の問題を参照するなら、学校における真の政治的中立はいかなる政治運動体からも影響を受けない、ということと解釈できる。
そういう意味では真に政治的中立の学校が不適切事例を特定政党に情報提供するのは論理不整合になるので、そのような呼びかけを考えた人物は相当にアタマがわるいと言わざるをえない。
posted by ヤス at 10:41| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月13日

都知事選雑感

どうも政治の話ばかりになるが、東京都知事選の告示が明日に迫っている。
わたしは東京都民でないのであまり関係はないが、いろいろとニュースが聞こえてきてかなり気になる。

昨日まででだいたい候補者は全部出たようだ。
東京都議会は全127議席のうち自公が約3分の2近くの多数派しめているらしい。
その都議会与党側は2人の候補が出て分裂になることが決定的。
一方の野党側は鳥越俊太郎氏の統一で行くらしいけれど、今後、宇都宮健児氏との間でなんらかの調整があるのかもしれない。

そのような中で故鳩山邦夫衆議院議員の元秘書でジャーナリストの上杉隆氏も昨日出馬会見をした。
長年にわたって都政の取材をしたり、鳩山邦夫氏の都知事選に秘書として参加した経験などもある。
また前回の細川護熙擁立の陰の立役者でもある。
上杉隆氏の会見をYouTubeで見たが、長年の都政取材からあたためてきたのであろう具体的な政策が財源とともに語られて、その内容は非常に説得力があった。

一方で鳥越俊太郎氏は今のところ野党統一候補の本命であるそうだが、会見では、都政に関する記者からの質問に「それは知らない」「今から勉強します」を連発し、都の出生率も間違えるなど政策の中身はゼロといってよい。

その点、過去2回本気の出馬をしている宇都宮健児氏の方が具体的な政策提案があり、鳥越・宇都宮のどちらか選ぶなら絶対的に宇都宮氏だと感じた。
ただ鳥越氏はテレビに出ていた人で知名度が高く、それが選挙に有利に働くらしい。

与党側の増田寛也元総務大臣も、会見で待機児童解消などを訴えていたが岩手県知事時代に箱モノ行政で県の借金を倍増させた実績があり、総務大臣時代には東京の税金を地方に分配する制度をつくったことが問題視されている。
小池百合子氏は劇場型のメディア戦略に余念がないようで、語られる政策も具体的な課題解決よりも「都議会をぶっ潰す」的なスローガン的なものに終始しているようだ。

ということでわたしとしては、選挙権はないけれど密かに上杉隆氏を押したいと思っている。
上杉氏は長年記者クラブ問題を糾弾し続けたためであろうか、全国紙や地上波テレビではほとんど取り上げられず、最初の出馬情報も東スポがスクープして冗談なのか本当なのか判断がつかなかったわけであるが今回は本気らしい。
ひよっとしたら鳩山邦夫の遺言でもあったのだろうか。

ということで、今月31日の投票日を密かに見守ろうと思っている。
posted by ヤス at 13:32| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年07月12日

憲法改正スケジュール

さて参院選後が終わって、いよいよ現政権にとって最大のイベントである憲法改正が始まろうとしている。

ニュースでは今秋に予定している「大型経済対策」の取りまとめ指示が担当大臣に出されたらしい。
大型経済対策は参議院選挙の公約であるにとどまらず、いちおう、伊勢志摩サミットでの国際公約にもなっている。
経済対策の予算規模はまだ明かされていないが、最低でも5兆円、おそらく10兆円前後の規模になる気がする。
一部の経済専門家からは20兆円の声も出ているが、円高による税収目減りなど財源確保が厳しい中でそんなバカな予算規模があるか、とも思うがひょっとしたらその規模もありかも、という気がしなくもない。
それは、大型経済対策が憲法改正の重要手段と考えられるからである。

予想される現時点で最短の、憲法改正スケジュールをつくってみた。

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まず憲法審査会が再開されて憲法のどの条文のどこを改正するかの「改憲原案」がつくられるが、与党の枠を超えた改憲派議員の合意や「関係各所」の合意を盛り込んだ原案の作成にはそれなりに時間がかかるだろう。
おおさか維新や公明党は9条改正に反対している。
一方の自民党改憲草案はあまりに革新的過ぎて乗れる人は少なかろう。
報道等によると改憲原案が出てくるのは早くても来年2018年になるらしい。

この改憲原案は、2018年度予算審議終了後ただちに審議入りするはずだ。
予算審議が3月に終わって最短で4月に国会審議入り。
2015年夏の安保法制審議は5月〜9月までかかったらしい。
憲法改正は安保法制より多少時間がかかると思われるので改憲原案の国会可決は最短で2018年10月頃になる。

可決された原案でただちに改憲発議がされるが、国民投票は、「日本国憲法の改正手続に関する法律」では発議した日から60日以降180日以内において、国会の議決した期日に行う、らしい。
周知期間ということだろう。
現実には期間をめいっぱいとって180日=6ヶ月後投票が既定路線だという。
ということで、すべてが上手く行って最短で2018年5月が憲法改正国民投票のタイミングになる。

が、改憲原案の提出がスムーズに行くのか、2018年予算審議が早く片付くか、国会審議入りした改憲原案が大禍なく国会を通過するのか、不透明要素は尽きない。
この間に大規模な自然災害が起きるとか、テロ事件の発生、リーマンショック級の経済事件、あるいは閣僚のスキャンダルなど、何か事故が起きると、スケジュールは半年くらいあっという間にズレこむだろう。

そうなると安倍自民党総裁の任期、そして衆院任期にかかる。

また上記のスケジュールはあくまで最短なので、実際の国民投票が2019年になる可能性もかなりの確率である気がする。

だから今年後半に衆院選挙をして衆院任期を2年ほど後に伸ばす必要がある。
安倍総裁任期もかなりの確率で最低でも1年延期になると思われる。

そして2017年予算審議や2018年中盤以降の国民投票を円滑にするために「安定した経済状況」が欠かせない。
だから今秋の大型経済対策は間違いなく大型になる、と思った。
posted by ヤス at 08:51| Comment(0) | 徒然なるままに