2016年06月29日

多数決はむずかしい

先週の、イギリスのEU離脱国民投票のその後がかなり混乱しているようだ。
報道によると離脱と残留の意見対立は、高齢者と若者の対立、田舎と都市の対立の反映としてとらえられているようである。

しかし今回の国民投票では、多数決による意思決定という方式の限界があらわになった。
昨年の大阪都構想の住民投票でも思ったけれど、多数決というのは必ずしも厳密に合理的な意思決定方式ではない。
まず、選択肢が二択しかない。
白か黒かの二者択一以外の道筋も本来はあるかもしれない。
それをどちらか片方の選択肢に決めるというのは、投票する側にかなりの割り切りを要求する。

この多数決方式は、おそらく正解・不正解を決めるものではない。
多数決というのは、立場や社会階層ごとに意見がいろいろ割れている中でとりあえずの納得を形成するための、かなり乱暴なやり方である。
たぶん古代ギリシャの昔から、議論が割れて紛糾した時に事態を無理くり収めるために多数決が取られてきたものと思われる。

つまり多数決は議論が割れて理屈では結論に到達出来ない時に、理屈を超越してエイヤと決めるための意思決定方式である。
そして多数決で結論が出たら、たとえ投票結果が僅差であろうと決まった方にみんなで従う、というのがひとつのお約束だった。

しかし今回のイギリスはどうも様子が違う。
離脱の結論に納得出来ないという意見が溢れ出て、再度の投票を求める署名がたくさんあつまったりロンドンで残留派が大規模集会を開いたり事態が紛糾している。

イギリスは議会制民主主義のお手本の国だと思っていたのだが、その民主主義の本場でこのような混乱が起きるというのはかなり驚きだ。

これはおそらく、事前の予想が残留でほぼ決まりの空気になっていたことの反動ではないか。
事前の論評も多くは残留派で、理屈で考える限りは残留優位だったわけだが、しかし実際の票を数えてみたら離脱票が多かった。

そのあたりの、言論空間と実際の票数の間に存在する「ねじれ感」が紛糾の原因と思われる。
そしてそのねじれ感を生じさせている根本的な原因は、数千万人もの有権者の意見をエイヤの多数決で決することだったのではないか。
紛糾の行き着く先は、イギリスという国の、いろんな意味での「分裂」にならざるを得ないような気がする。

今回の投票では、数千万人規模の国民が一致団結することの難しさが明らかになった。
たぶん、同様の問題は日本も他人事ではないのだろうと思った。
posted by ヤス at 13:57| Comment(0) | 徒然なるままに