2016年06月27日

未来予測と精神安定について

今から、1000字くらいの文章を書こうとしているが、どういう結びにするかよく分からないまま書き始めている。
というのはいつもの話なのでどうという話ではないのだが、ゴールの見えない文章作成には少しばかりの心的ストレスが伴う。
これは文章作成に限らず、ゴールが見えない、将来が分からないっていうのは人間にとってかなり大きなストレスだろう。

よく年末に本屋さんに、経済や政治に関する来年の予測の本が並ぶけれど、だいたいそれらの予測は外れることが多い。
必ず的中する訳ではないにも関わらず飽くことなく来年の予測本が出版されるのは、当たる外れるはともかく、とりあえずよく分からない未来についてのイメージを心の中に用意しておきたい、そういう心理が人々の中にあるからではないか。

そう、おそらく当たるかどうかは二の次であって何か具体的な未来のイメージが持てていれば、人間はそれだけで安心なのである。

これは占いとかも同じで、説得力のある調子で今週は買い物は控えた方が良いとか来月運命の人に出会うでしょうなどと言われて脳内に未来に関する手掛かりが形成された時、おそらくある種の安心が生まれる。

あるいは夢は強く念ずれば必ず実現するとかいうのも同様の原理が働いているのかもしれない。
またスケジュール帳をびっしり埋めて何かにつけて計画的な行動をする種類の人たちも、これは行動の効率化が目的というより精神的安定を求めてのことであろう。

ことほどさように、その真偽はともかくとして未来予測のイメージを脳内に持っておきたいという欲求は抑えがたいものらしい。

少し前にニュースで小さく流れていたが、日本人は諸外国の人々に比べてストレス耐性がやや弱い傾向があるという。
日本人がどれほどストレスに弱いのか、そもそも弱いというのが本当かどうかも分からないが、もしストレスに弱かったとして、だからこそ日本人は細かく将来計画を策定し、なるべく予定調和的行動に走って未来の安定を図ろうとする、そういうことはあるかもしれない。

国会の討論も事前に質疑内容が提出されていたり、上場企業の株主総会もシャンシャンで終わることが恒例となっていたりする。
あと憲法改正で国会議員の改正勢力が3分の2を超えるとか超えないとかいう話があるが、これは党議拘束を前提とした話である。
党議拘束は議員個人の政治信条よりは政権中枢の人たちの精神的安定を優先したもので、それはもちろん国民の方を向いた話ではない。

ということで今の日本に必要なのは、計画を立ててその通りにことを進める、というのではなく、AKB総選挙みたいなガチで予測不能な未来の不安に耐えること、ではないかと思う。

今日もいちおう駄文が出来たが、予測不能な未来のストレスに耐えていると、まあ100回に1回くらいは望外に上出来の未来が実現することがあって、その場合望外に脳内報酬物質が出て気分が良くなることもあるかもしれない。
分からない未来は悪いことばかりではない気がするのである。
posted by ヤス at 11:37| Comment(0) | 徒然なるままに