2016年06月23日

人類の努力好きについて

元AKBの高橋みなみは、かつて言った。
「努力は必ず報われると、人生をもって証明する」と。

また海の向こうではメジャーリーグで活躍を続けるイチローが「日米通算」ながらピート・ローズを超えた。
イチローはよく天才と言われるが、バットやグラブなどの道具を異常に大切にし、クラブハウスに専用のトレーニングマシンを設置する努力の人である。

あるいはもうすぐリオでオリンピックがあるがそこでメダルを獲る人は、ほとんどの場合他の競技者より多く努力した人であることは間違いない。

芸能界やスポーツ以外でも、会社経営、ダイエット、美容や人付き合いなど、人間社会に努力が必要とされる場面は多い。
そしておそらく、人より余分に努力した人が、努力出来なかった人より沢山の果実を受け取る可能性が高い。

これはわたしの中の最近のテーマであるが、人間という生き物は、努力をする点で他の生き物と決定的に異なっているのでは、ということがある。

おそらくほとんどの野生動物は、なるべく努力しないように生きている。
ライオンは腹が減ったらシマウマを狩る。
シマウマを狩るには少しばかり疾走しないといけない。
また下手をするとシマウマの首根っこに噛み付く寸前に後ろ脚の強烈な一撃を喰らうかもしれない。
シマウマを狩ることはライオンにとって相応のリスクを伴う重労働であるが、しかし何かを狩らないことには腹が減って死ぬ。
だからこれはライオンにとって必要最低限の努力である。

ライオンは、あるいは弱ったシマウマを使って子供ライオンが狩りの練習をすることはあるのかもしれない。
しかし大人のライオンが純粋なトレーニングとして、「食事」目的以外にシマウマを狩ることは、たぶん無いんじゃなかろうか。

野生動物はたぶん無駄な努力をしない。
それは無駄な怪我をしたり体力を使って腹が減るのは野生動物業界では合理的でないからだろう。
ひるがえって人間は、いろいろと努力が好きだ。
人間は高度な社会性を確立し、技術を発展させて武器を作り天敵を退け、農業や狩猟も「野生時代」から大きく進化してエサの心配があんまり無くなった。
つまり野生時代から比べると生命維持にかけるエネルギーが大幅に節約されることになり、余った生活のエネルギーがいつしか「努力」に向かったのではないか、というのがわたしの説である。

その努力はたぶん「文化」と言い換えてもよいのだろう。
ホモサピエンスの成立以来今日まで数万年の間、人間はいったい役に立つのか分からないことまで一生懸命努力を重ねてきた。
カラオケの高得点が取れたりゴルフのスコアが少しばかり上がったところでその人の生命維持に大して影響はあるまい。
しかし人間は、カラオケやゴルフでベストスコアが出ると脳内で報酬ホルモンが分泌するように、いつのまにかプログラミングされているらしい。

いずれにしても人類の努力好きは輝かしい文明の発展をもたらしたが、同時に多くの人にとって好ましくない努力をする人も沢山いてややこしい事態に陥っているようにも見える。

ということで、世界平和のために過度の努力は慎まないとな、などと思う今日この頃であった。
posted by ヤス at 11:13| Comment(0) | 徒然なるままに