2016年06月15日

バカはどこまで許容されるか

夢っていうのは追った方がいいのか、それとも足元を見つめて現実的に生きた方がいいのか、ということをふと思った。
夢を追うことを奨励する雰囲気は、時代によって多少の濃淡があるのかもしれない。

まあ現在でもAKBグループのような夢を追いかけるアイドルグループが隆盛を維持していたり、最近では脳科学の側面から夢の実現に切り込んだものが新たに出版されるなど、この夢追い奨励のムーブメントはなかなか根強いものがあるようだ。

考えてみると、数十年前に「スター誕生」で山口百恵やピンクレディーが誕生したり、高校野球で甲子園に行って後にプロに進むとか、「夢を追う若者」の構図は昔から今に至るまで一定以上存在する。
あるいはアメリカン・ドリームという言葉があって、裸一貫でアメリカにわたり奮闘して夢を実現するという成功ドラマのイメージは、アメリカという国のアイデンティティとしてほぼ確立されているように思う。

だが一方、夢を追う若者への対立見解として、夢なんか追わず現実をしっかり見つめろ、という言説がいつの時代にもある。


ところで話は変わるが、最近学生などの若者がSNSにいろんな迷惑行為の投稿をして炎上したり激しい非難を浴びる、ということが時々起こる。
つい最近も青学の学生の、スーパーで踊っているSNS投稿が炎上する事件があった。

自分の過去を振り返るとあまり偉そうなことも言えないのだが、これらの迷惑行為は本当に迷惑であり、モノによっては法にも触れるのでいい加減にしろよ、と思う。
そして迷惑行為をする懲りない奴らは本当にバカだなあと感じる。


話は戻って夢を追う話であるが、夢を追う人間というのもある種のバカであろう。
人に迷惑をかけるバカと何かに向かって努力するバカではその種類が相当に違うのであるが、常識を少しまたは大きく逸脱しているという点ではわずかに共通しているのではないか、ということを思った。

人口拡大が続くアメリカと違って、日本は人口減少時代に突入し、今のままだと経済規模の縮小は免れない。
そういう縮小社会の中では夢の種類もナイーブになりがちであろうし、それやこれやを考えると少し心配になる。
そういう中では、少しくらいはバカを許容する雰囲気があった方がいいのではないか。
迷惑なバカの若者については、「迷惑」の部分はしかるべき対処をするにしても、「バカ」の部分はある程度許容してもよいのではないか。

それは話の種類が少し違うが最近流行りの不倫事件についても同じように感じることで、まあ惚れちゃったんだからそこはもうしょうがないのではないか、と思ったりする。

こういう炎上事件があるたびに、まっとうな批判の意見とともに少し常識に縛られすぎた感じの意見も散見され、わたしなどはそういう時ほんの少し窮屈な気分がする、ような気がするがさていったいどうなのだろう。
posted by ヤス at 15:23| Comment(0) | 徒然なるままに