2016年06月30日

無断立候補表明と政治の多様性

小池百合子氏が東京都知事選に立候補を表明した。
しかしどうも自民党に対して事前の了解も相談もなしに決意したことのようで、波紋を呼んでいる。
ニュースでは「崖から飛び降りる覚悟で」というフレーズが話題になっていた。
本来なら「清水の舞台から飛び降りる」ところだと思うのだがあえて崖から飛ぶのには何か深い意味があるようである。

最初これは、最近首相周辺から冷遇されていることに対しての反発、あるいは党の都知事選推薦候補が桜井パパに傾き過ぎていることへの怒りなのかと考えた。
つまり党の公認無しに立候補を決意し、政治生命的な自爆を覚悟した、それが崖から飛び降りる表現につながったのではないかと思った。

最近の自民党は、議員個人の活動の自由が失われて不活性状態に陥っているように見える。
その意味では先頃の野田聖子氏の党総裁選立候補未遂事件と並んで、個人の自由意思の発現として好ましいようにも感じた。

しかしそんなに軽々しく政治的な自爆を選択できるものだろうか、という感じもする。
あるいは党の頭越しに「どこかの政治運動組織」の支持を取り付け、これを後ろ盾に党に事後承諾的公認を迫っているようにも見えなくはない。

たぶんそっちの方が正解の気がする。
自民党のしかるべき人物は150%支援はしないと言っているようだが、ひょっとしたら知らない間に事実上の公認になっている、可能性もあるのではないか。
いずれにしても最近ではかなり面白そうな政治事件ではある。
今後の動向を楽しみにしたいと思う。


しかしどうも最近の政治の世界は、日本に限らず混迷の度を深めているようである。

イギリスのEU離脱国民投票で思うのは、政治意見の二者択一的選択の危うさである。
どちらかの意見を採ると反対側にいる国民の半分が反発する。
その逆もまた然り。
そういう点ではイギリスやアメリカの二大政党制も制度疲労が来ているのではないか。
二大政党制は自由主義陣営と社会主義陣営、資本家と労働者の対立など二項対立で世界が色分けできた時代の遺物になっているように見える。

日本は政権交代可能な政治体制確立を目指して1996年の総選挙から小選挙区を採用したらしいが、今さら思うがいっそ全部比例代表にしてミニ政党をたくさん作った方が今風なのではないかと想像したりする。
現在の野党第一党を見ていても、その求心力の源泉はただ野党第一党の位置を維持することだけになっているようであり、そのために返って原発政策などで自民党との明確な対立軸が打ち出せない。

それならワンイシューごとにミニ政党が出来て適宜連立政権を組んだ方が今の時代に合っている気がするのであるが、それでは政権基盤が不安定になるということでそうはならないのだろう。

でもひょっとしたらイギリスは今回を機にそっちの方向に動くのではないかという根拠のない想像が広がる。
なんにせよ、混乱は深まるがその分ドラマは面白くなっているようである。
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2016年06月29日

多数決はむずかしい

先週の、イギリスのEU離脱国民投票のその後がかなり混乱しているようだ。
報道によると離脱と残留の意見対立は、高齢者と若者の対立、田舎と都市の対立の反映としてとらえられているようである。

しかし今回の国民投票では、多数決による意思決定という方式の限界があらわになった。
昨年の大阪都構想の住民投票でも思ったけれど、多数決というのは必ずしも厳密に合理的な意思決定方式ではない。
まず、選択肢が二択しかない。
白か黒かの二者択一以外の道筋も本来はあるかもしれない。
それをどちらか片方の選択肢に決めるというのは、投票する側にかなりの割り切りを要求する。

この多数決方式は、おそらく正解・不正解を決めるものではない。
多数決というのは、立場や社会階層ごとに意見がいろいろ割れている中でとりあえずの納得を形成するための、かなり乱暴なやり方である。
たぶん古代ギリシャの昔から、議論が割れて紛糾した時に事態を無理くり収めるために多数決が取られてきたものと思われる。

つまり多数決は議論が割れて理屈では結論に到達出来ない時に、理屈を超越してエイヤと決めるための意思決定方式である。
そして多数決で結論が出たら、たとえ投票結果が僅差であろうと決まった方にみんなで従う、というのがひとつのお約束だった。

しかし今回のイギリスはどうも様子が違う。
離脱の結論に納得出来ないという意見が溢れ出て、再度の投票を求める署名がたくさんあつまったりロンドンで残留派が大規模集会を開いたり事態が紛糾している。

イギリスは議会制民主主義のお手本の国だと思っていたのだが、その民主主義の本場でこのような混乱が起きるというのはかなり驚きだ。

これはおそらく、事前の予想が残留でほぼ決まりの空気になっていたことの反動ではないか。
事前の論評も多くは残留派で、理屈で考える限りは残留優位だったわけだが、しかし実際の票を数えてみたら離脱票が多かった。

そのあたりの、言論空間と実際の票数の間に存在する「ねじれ感」が紛糾の原因と思われる。
そしてそのねじれ感を生じさせている根本的な原因は、数千万人もの有権者の意見をエイヤの多数決で決することだったのではないか。
紛糾の行き着く先は、イギリスという国の、いろんな意味での「分裂」にならざるを得ないような気がする。

今回の投票では、数千万人規模の国民が一致団結することの難しさが明らかになった。
たぶん、同様の問題は日本も他人事ではないのだろうと思った。
posted by ヤス at 13:57| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月28日

AKB総選挙

さて、もうずいぶん前の話のようにも思うが、今回は先月18日に行われた第8回目のAKB総選挙について見てみる。

総選挙の結果は、指原が史上最多得票数の24万票3011票を得て1位となったのは周知のとおりである。
今回の総選挙、ネット情報をちら見して今回も総投票数は大幅に伸びたと勘違いしていたが、どうも昨年の第7回よりわずかに総投票数を減らしたらしい。
以下これまでの票数推移。

<総投票数の推移>
第1回  未集計
第2回  377,786
第3回  1,166,145
第4回  1,384,122
第5回  2,646,847
第6回  2,689,427
第7回  3,287,736
第8回  3,255,400

akbsenkyo2016.jpg

総投票数は運営が発表する圏外も含めたすべての票数。
今までも奇数回で大幅増、偶数回で小幅の増のパターンで1年おきの階段上に総投票数を伸ばしてきていた。
今回はそのパターン通りながら、今回初めて328万票から325万票へと32,336票減らした。
近年立候補辞退者が続出したり古参メンバーの卒業もあり、盛り上がりについて若干心配する向きもあったようだが、ある意味心配が的中したようである。

一方でランクイン圏内の票数は前回273万票から今回274万票へ6,244票とわずかながら増えた。
今回の投票の特徴は、以下のように16位までの選抜陣の票数が減ってアンダーガールズ以下の票が厚くなったことである。

akbsenkyo20162.jpg

特に今回は1位と2位は前回の同順位に対し票数を伸ばしたが、3位から19位までの票数が平均して1万票以上、合計で20万票以上も軒並み減っている。
またSKEメンバーの圏内票数が前回の75万票から今回は55万票と顕著に減っているのが気になる。
またNMBも36万票が33万票に減少。
一方でAKBは105万票から107万票へと微増、HKTは55万票から71万票へ大幅に増えている。
また新発足のNGTはキャプテン北原も昨年より票数を減らしヘルプメンバーの柏木も大幅後退、またプロパーでのランクインがセンター加藤みなみ一人だけというやや厳しいスタートとなった。

いろいろ見てみたが、今回の票数伸び悩みはSKEメンバーの票数減少にその鍵が潜んでいるように思われる。
来年は奇数回で票数が大幅に伸びる順番だ。
世間的にメジャーになるには選抜以上の顔の売れているメンバーが、コアなファン以外の浮動票を獲得することが大事な気がするが、はたして来年はどうなるのだろう。
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2016年06月27日

未来予測と精神安定について

今から、1000字くらいの文章を書こうとしているが、どういう結びにするかよく分からないまま書き始めている。
というのはいつもの話なのでどうという話ではないのだが、ゴールの見えない文章作成には少しばかりの心的ストレスが伴う。
これは文章作成に限らず、ゴールが見えない、将来が分からないっていうのは人間にとってかなり大きなストレスだろう。

よく年末に本屋さんに、経済や政治に関する来年の予測の本が並ぶけれど、だいたいそれらの予測は外れることが多い。
必ず的中する訳ではないにも関わらず飽くことなく来年の予測本が出版されるのは、当たる外れるはともかく、とりあえずよく分からない未来についてのイメージを心の中に用意しておきたい、そういう心理が人々の中にあるからではないか。

そう、おそらく当たるかどうかは二の次であって何か具体的な未来のイメージが持てていれば、人間はそれだけで安心なのである。

これは占いとかも同じで、説得力のある調子で今週は買い物は控えた方が良いとか来月運命の人に出会うでしょうなどと言われて脳内に未来に関する手掛かりが形成された時、おそらくある種の安心が生まれる。

あるいは夢は強く念ずれば必ず実現するとかいうのも同様の原理が働いているのかもしれない。
またスケジュール帳をびっしり埋めて何かにつけて計画的な行動をする種類の人たちも、これは行動の効率化が目的というより精神的安定を求めてのことであろう。

ことほどさように、その真偽はともかくとして未来予測のイメージを脳内に持っておきたいという欲求は抑えがたいものらしい。

少し前にニュースで小さく流れていたが、日本人は諸外国の人々に比べてストレス耐性がやや弱い傾向があるという。
日本人がどれほどストレスに弱いのか、そもそも弱いというのが本当かどうかも分からないが、もしストレスに弱かったとして、だからこそ日本人は細かく将来計画を策定し、なるべく予定調和的行動に走って未来の安定を図ろうとする、そういうことはあるかもしれない。

国会の討論も事前に質疑内容が提出されていたり、上場企業の株主総会もシャンシャンで終わることが恒例となっていたりする。
あと憲法改正で国会議員の改正勢力が3分の2を超えるとか超えないとかいう話があるが、これは党議拘束を前提とした話である。
党議拘束は議員個人の政治信条よりは政権中枢の人たちの精神的安定を優先したもので、それはもちろん国民の方を向いた話ではない。

ということで今の日本に必要なのは、計画を立ててその通りにことを進める、というのではなく、AKB総選挙みたいなガチで予測不能な未来の不安に耐えること、ではないかと思う。

今日もいちおう駄文が出来たが、予測不能な未来のストレスに耐えていると、まあ100回に1回くらいは望外に上出来の未来が実現することがあって、その場合望外に脳内報酬物質が出て気分が良くなることもあるかもしれない。
分からない未来は悪いことばかりではない気がするのである。
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2016年06月26日

憶えると忘れる話

人間は忘れる生き物であると思う。
これは裏返して言うと、それだけいろいろなことを記憶する習性があって「忘れる対象となる項目」がたくさんあるということである。
おそらく人間は、犬や猫やチンパンジーよりもたくさんのことをより詳細に記憶するので、比例して忘れる量も多いのである。

昨日YouTubeで、競泳の過去のオリンピックや日本選手権等の動画をなんとなく見ていた。
そうしたら3つの五輪で18個の金メダルを獲った「マイケル・フェルプス」の名前をど忘れしていて思い出せない。
名前が出て来ないと、フェルプスのあのいかにも水の抵抗の少なそうな鋭角の顔つきまでイメージできなくなって少々慌てた。
しかしネット検索は便利なもので、「ライアン・ロクテ、ライバル、オリンピック、個人メドレー、金メダル」などと入力すると、ものの2秒ほどであの三角顔がPCの画面に出てきた。

その時に、ある人物の名前とその顔のイメージはわたしの脳内でたぶんセットで記憶されているのか、と思ったのだが、犬や猫なら当然「フェルプス」の名前を記憶することもなく、ただのいかつい人間のオッサンくらいにしか思わないだろうとも思った。

いずれにしても人間は、犬や猫と違い自分も含む周囲の人間に名前をつけて識別し、あの彼はせこい、こっちの人は力持ち、など多くの付帯情報とともに記憶する。
人間以外にもあらゆる物体、地名や現象、抽象的概念などもこの調子で命名し付帯情報とともに記憶する。
そのあたりの個体識別と付帯情報記憶にかける執拗さは、犬や猫、あるいはチンパンジーあたりとくらべても隔絶している。


話は変わるが先日ある販売業に従事する人と雑談していて、競争相手がひしめく中でお客さんに買ってもらうためには、いかに忘れられないようにするかが大切だという話になった。
例えば昼メシに中華料理を食べたいと思った時にパッと脳裏にいくつの店が浮かぶか、おそらくそれは10店も出てこない。
ひょっとしたら3つ4つくらいではないか。
次々と新しい飲食店がオープンする中で繁盛を維持するには、パッとお客さんの脳裏に浮かぶ3つ4つの店の中に、常に入っている必要がある。
その販売業の人は自分のお客さんに忘れられないようにどうするか、いつも考えていると言っていた。

人間は個別の人物、個別の飲食店の名前を記憶し、その個体識別名称の周辺に詳細情報をいろいろ付帯させて記憶している。
お客さんに忘れられないためにはその付帯情報をいかに美味しそうなものに保つか、あるいは新しい情報を適当な間隔で投入するか、そういうことが必要なのかな、などと思った。
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2016年06月25日

日課のストレス

三日坊主ということばがあるが、これはお坊さんの修行がつらくてヘタレな奴だと三日ともたないことの例えであると思われる。
お坊さんの修行というのは、これは宗派やお寺によって違うと思うけれど、基本的には早寝早起きして、食事は一汁一菜、長時間の読経や座禅、寒い冬の早朝から広いお堂を雑巾掛けする、などであろうか。
わたしはお寺の修行を実際には知らないが、まあその中身について今は議論するつもりはない。
今論じたいのは、三日坊主はなぜ生じるかについてである。

お寺の修行よりはむしろ、オリンピック選手の合宿であるとかの方が肉体的にも精神的にも負荷は高いだろうと想像する。
スポーツにおけるトレーニングの肉体的ストレスの指標としては「心拍数」がある。
スピードスケート五輪金メダリストの清水宏保は、最大心拍数毎分200回を超えるような壮絶なトレーニングをして練習のたびに失神していた、みたいな話を聞いたことがある。

それらに比べると、お寺の修行は心拍数が200を超える場面とかはおそらく無い。
そういう意味ではお寺の修行は楽々続けていけそうにも思えるが、しかし三日坊主ということばは厳然と存在する。

修行がつらいのは、ご飯が粗食であったり少々退屈なお経を長い時間唱えたりということのひとつひとつのストレスは小さいが、これらを毎日ずっと続けねばならないことを想像した時の心的ストレスがそれなりに大きいということなのであろう。

別にお寺に限らず今年こそは毎日30分英語の勉強をしようとか、ストレスの小さそうな日課を決意しても、これがなかなか続かない。
それこそ三日坊主事例による死屍累々。

これはやはり「毎日続ける」ことの心的ストレスが意外に大きいことが原因と思われる。
たぶんスポーツのトレーニングでは、時々自己記録を更新したりして脳内報酬系から気持ちがよくなる物質が出たりする。
だから厳しいトレーニングに取り組む動機付けが維持できる。

日課のストレスも、その負荷に勝るような脳内報酬系からのご褒美があればきっと三日坊主を回避できる。

で、思い出すと日課は何日か続けて、ある日面倒くせえなあもう今日は思い切って止めてやれ、と思い切ると、気持ちがスッと楽になって脳内で少し気持ちのいい物質が出ている感触が得られたりする。

ということで日課はそれを止めた瞬間に小さな幸せを感じるので、三日坊主は永遠にこの世から無くならないだろう、と思った。
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2016年06月24日

国民国家の行方

イギリスのEU離脱を問う国民投票の開票が進んでいる。
開票前の世論調査では僅差で残留派優勢とのことだったが、開票序盤はわずかながら離脱派が優勢になったりして、おかげで今朝の日経平均は値動きが挙動不審になっている。
投票前の勝手な推測では、イギリス人も土壇場では手堅い判断を下してEU残留で決着ではないかと思っていたのだが、現在の状況は個人的にはまったく予想外である。
日本時間の昼過ぎには結果が確定するというが、これは本当に目が離せなくなってきた。


21世紀を迎えて10数年経つが、現在の人類史的課題として国民国家の枠組みにかなりガタが来ていることがあると思う。

パナマ文書のリークでも話題になったが、一昔前と違って今の時代、お金は国境を越えて自由に動く。
世界を股にかける多国籍企業が節税のために租税回避地を求めてさまようのは極めて合理的な経済行為である。
国家成立以来、昔ながらの方法で営々と税金の取立てを続けてきた国家にとって、今のような状況は想定外だったろう。

また各国の「潜在成長率」なるものが問題になってきているが、今の時代特に先進諸国は軒並み人口増加が止まって高齢化が進み、その結果潜在成長率が必然として下がる。
中国も近いうちに人口減少に転じるというし、インドだっていつまでも人口増加は続かない。

アジアの拡大が停滞したら次はアフリカ大陸の時代なのだろうが、ヨーロッパ人によってまっすぐ引かれた直線の国境を見ると、アフリカ諸国が真の近代化を遂げるにはあの真っ直ぐの国境線を一回御破算にしないといけないんじゃないか、と思わなくもない。
真っ直ぐの国境線問題は中東も同様で、こちらはアフリカより一足早く国境線が溶けかかっており、それに伴って大量の難民も発生している。


ひるがえって日本であるが、今の日本人は日本という国のあり方について、今の状態が当たり前の定常状態と思っていないだろうか。
今の国家システムは天から降ってきて与えられた所与のもの、と思っていないか。

明治以降の150年間で日本は国家システムについてはつぎはぎだらけで近代化を遂げてきたわけだが、つぎはぎだらけについてはイギリスやアメリカなど欧米各国も同じようなものだろう。
しかしイギリス人やアメリカ人は国家システムがつぎはぎだらけで不完全なことをどこかで自覚しているのではないか、と思えてならない。

結局のところ国家というのは船底に小さい穴がいくつも空いたドロ舟であって、舟に乗っている人たちは漏れてくる水を掻き出しながら航海を続けているようなものではないか。
ただドロ舟日本丸は、船長以下一部のクルーたちが船底の穴の存在を秘匿し続け、すました顔で操船している。

乗客の一部は以前からうすうす穴の存在に気付いているが、今まで沈まなかったので穴は無いことにしている。

しかし穴は確実に空いており、浸水速度は排水速度を超えている。
穴を塞ぐか排水速度を上げるかしないと、このドロ舟は長く浮かんでいられないだろう、と思った。
posted by ヤス at 11:16| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月23日

人類の努力好きについて

元AKBの高橋みなみは、かつて言った。
「努力は必ず報われると、人生をもって証明する」と。

また海の向こうではメジャーリーグで活躍を続けるイチローが「日米通算」ながらピート・ローズを超えた。
イチローはよく天才と言われるが、バットやグラブなどの道具を異常に大切にし、クラブハウスに専用のトレーニングマシンを設置する努力の人である。

あるいはもうすぐリオでオリンピックがあるがそこでメダルを獲る人は、ほとんどの場合他の競技者より多く努力した人であることは間違いない。

芸能界やスポーツ以外でも、会社経営、ダイエット、美容や人付き合いなど、人間社会に努力が必要とされる場面は多い。
そしておそらく、人より余分に努力した人が、努力出来なかった人より沢山の果実を受け取る可能性が高い。

これはわたしの中の最近のテーマであるが、人間という生き物は、努力をする点で他の生き物と決定的に異なっているのでは、ということがある。

おそらくほとんどの野生動物は、なるべく努力しないように生きている。
ライオンは腹が減ったらシマウマを狩る。
シマウマを狩るには少しばかり疾走しないといけない。
また下手をするとシマウマの首根っこに噛み付く寸前に後ろ脚の強烈な一撃を喰らうかもしれない。
シマウマを狩ることはライオンにとって相応のリスクを伴う重労働であるが、しかし何かを狩らないことには腹が減って死ぬ。
だからこれはライオンにとって必要最低限の努力である。

ライオンは、あるいは弱ったシマウマを使って子供ライオンが狩りの練習をすることはあるのかもしれない。
しかし大人のライオンが純粋なトレーニングとして、「食事」目的以外にシマウマを狩ることは、たぶん無いんじゃなかろうか。

野生動物はたぶん無駄な努力をしない。
それは無駄な怪我をしたり体力を使って腹が減るのは野生動物業界では合理的でないからだろう。
ひるがえって人間は、いろいろと努力が好きだ。
人間は高度な社会性を確立し、技術を発展させて武器を作り天敵を退け、農業や狩猟も「野生時代」から大きく進化してエサの心配があんまり無くなった。
つまり野生時代から比べると生命維持にかけるエネルギーが大幅に節約されることになり、余った生活のエネルギーがいつしか「努力」に向かったのではないか、というのがわたしの説である。

その努力はたぶん「文化」と言い換えてもよいのだろう。
ホモサピエンスの成立以来今日まで数万年の間、人間はいったい役に立つのか分からないことまで一生懸命努力を重ねてきた。
カラオケの高得点が取れたりゴルフのスコアが少しばかり上がったところでその人の生命維持に大して影響はあるまい。
しかし人間は、カラオケやゴルフでベストスコアが出ると脳内で報酬ホルモンが分泌するように、いつのまにかプログラミングされているらしい。

いずれにしても人類の努力好きは輝かしい文明の発展をもたらしたが、同時に多くの人にとって好ましくない努力をする人も沢山いてややこしい事態に陥っているようにも見える。

ということで、世界平和のために過度の努力は慎まないとな、などと思う今日この頃であった。
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2016年06月22日

デジカメはD700で十分な件

うちにはカメラが数台ある。

そのうちの1台はニコンのフルサイズ・デジタル一眼レフD700である。
買ってからもう何年経つだろう。
2008年7月の発売というからもう8年も昔のカメラである。
記憶が定かでないが買った時期も6〜7年前だろう。

このD700は画素数が1200万画素しかない。
8年前の当時、すでに2千万画素級のカメラは普通に存在したので、これはかなり控えめな画素数である。
ただし、一般人が普通に撮影する分には、例えば撮った写真を年賀状に印刷するとかSNSに投稿するとかの場合はたぶん200万画素かせいぜい800万画素くらいあればほとんど困ることはないだろう。
というくらいだからD700の1200万画素で困ったことは一度もない。
先日も仕事の用事で料理の写真を撮りA2ポスターに印刷したが、撮影の腕はともかくとして、写真の解像度的には何の問題もなかったと思う。

ニコンD700は、電源スイッチをポチッとすると瞬時に起動するし、シャッターのタイムラグも大昔のコンパクトデジタルのようなワンテンポ遅れる感じも皆無。
今ニコンでは一眼レフ・フルサイズのクラスにD5、D810、D750、D610と4機種ラインナップしており、お値段も60万円台から10数万円まで選択の幅も広い。
が今のところD700があれば十分であり、かつ財布の状況も余裕がないのでなかなか買い替えの動機が生じない。


ネット情報等によると、ここ数年のデジタル一眼レフ市場は頭打ちになって伸び悩んでいるという。
この先のデジカメ市場はどこへ向かうのだろうか、ちょっと心配になってきた。

デジタルカメラが主流になる以前のフィルムカメラの時代、日本におけるカメラの出荷台数は1997年にピークを記録して3500万台だったらしい。
それが1990年代後半からじわじわとデジタルカメラが出始めて、たぶん2005年頃にひとつの爆発期を迎える。
それまでまだ1割弱残っていたフィルムカメラがこの辺でほぼ全滅し、デジカメ全盛期になって出荷台数も7000万台くらいになる。
フィルムがデジタルになって、カメラ台数が倍になった。

さらに2007年には出荷台数1億台を突破、D700がデビューした2008年には1億1976万台になったらしい。
ただしその辺がピークで以降カメラ出荷台数は横ばいまたは減少の傾向になっている。
原因の多くはスマホ付属のカメラ性能の向上。

それとカメラの性能、特に画素数が2000年代前半までは毎年向上していたのが、2000年代後半には天井に達して、ニコンD700のような昔の機種でも何の支障もなく使えるので買い替えの動機が働かない、ということが大きいと思う。

ということでデジカメ業界も今一度何かすごいブレイクスルーを打ち出さないといけない状況でたいへんなのだ。

ちなみにニコンD700は性能的にはまったく文句ないが、わたしはこれに、より立派に見せるためにバッテリーグリップというカメラボディを1.5倍に肥大化させるアクセサリーを付け、28-300mmの10倍便利ズームを付けぱなしにしているので、レンズ込みの総重量がたぶん2kg以上あって重くてたまらない。

だから普段はコンパクトカメラかオリンパスPEN(EP-5)を使っている。
急速に高齢化が進行する日本社会ではカメラの軽量化は喫緊の課題と言えるのだ。

もしニコンがフルサイズで昔のFM2くらいの軽いカメラを出したら、その時は購入に向けて前向きに検討したいと思った。
ニコンさんお願いします。
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2016年06月21日

マクドの居場所感

日本マクドナルドが今年に入ってから好調らしい。
今年1月の売上対前年比が135%、2月129.4%、3月118.3%、4月119.1%、5月121.3%と、前年比2割増で推移している。
もっとも昨年の売上が過去最悪の水準だったので、今年の好調は元に回復しただけと言うこともできるだろう。
実際お昼のピークに行っても、客席はけっこう空きがある。
数年前の全盛時の混雑ぶりが夢のようである。

ただ行列嫌いのわたしとしては、長時間並ぶ必要がなく満席の心配もせずに利用できるのはありがたい。
世の中に飲食チェーンはたくさんあるが、冷静になって考えてみるとマクドナルドのポジションにダブる競合店は今に至るまで現れていないのではないかと思う。
ここでマクドナルドがマーケットで占めているポジションとは、低価格と「サードプレイス感」のコンビネーションが織りなす居心地の良さである。
マクドナルドは、決して美味い食事を目的に行く店ではない。
財布の心配をすることなく必要にして十分以上の食べ物が食べられればよいのだ。

低価格とサードプレイス感はあくまでわたしの感想であるが、マクドナルドははたして本当に安いのか、あるいはサードプレイス感ってなんなのか。

ひと頃に比べるとマクドナルドは確かに高くなった。
1990年代の藤田田時代、まだデフレ進行の嵐が吹き荒れていた時代、確かハンバーガーは最安値で67円というのがあったと記憶している。
またダブルチーズバーガーのセット価格も終日450円だったか500円くらいで(現在は640円)セットでオーダーしても今よりはずっと安かった。
それが今では比較的安いフィレオフィッシュのセットでも610円で軒並み600円以上、ダブルクォーターパウンダーとか中には800円を超えるセットメニューもある。

しかし同じハンバーガーチェーンのロッテリアやモスバーガーはセットメニューは700円代が普通である。
フレッシュネスバーガーとかは、はずみで1000円くらいになることもある。
それらに比べるとマクドはまだまだ安い。
さらに、マクドではコーヒーSサイズやハンバーガーなど100円メニューがあるので、それらを駆使すると100〜300円で利用できるのはありがたい。
また最近加わったセットで500円のお手頃マックも、マクドのお手軽感の演出に大きく貢献していると思う。

それとマクドのサードプレイス感。
サードプレイスということばは、確かスターバックスが言い始めた概念だと思うが、自宅と職場に続く第3の居場所。
結局マクドの最大の吸引力は、サードプレイス感、言い換えると居場所感が強いということだと思う。
マクドの場合机にPCを広げて少々長居してもなんとなく許される感じがある。
(あくまでもなんとなくです)
ちょっとマナー違反をすると店の人に怒られて追い出される心配がない遠慮のなさがマクドの最大の強みだと思う。

このポジションが維持できている間はマクドナルドはなんとかなるのではないかと思う。

逆にお客の側も、マクドが従来通りのサードプレイス感を維持できるように、長居していても満席に近くなったら退去する、5回に1回くらいは高額メニューをオーダーする、などの配慮が必要であろう、と思った。
posted by ヤス at 11:44| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月20日

雨対策について

さて、暑い日が続いたと思ったら最近は雨がよく降る。
いよいよ梅雨入りかと思って気象庁のサイトを見ると、中国地方は6月3日にもう梅雨入りしていたらしい。
昨年より3日早く平年よりは2日遅い。
なるほど雨がよく降るわけだ。
しかしちょっと昔なら、もっと盛大に梅雨入りしたとかしないとかニュースでやっていたような気がする。
それが最近の世の中は梅雨入りに対して淡白であり過ぎるのではないか、と思ったが、これはただ単にわたしがテレビのニュースを見ていないだけなのかもしれない。

ところで雨というのは、降らないと飲み水が不足し田畑が乾いてたいそう困ったことになる。
しかし飲み水の生産や田畑での耕作に従事していない普通の市民にとって、雨に降られるのはけっこう面倒くさい。

あるサイトに、世界各国に比べて日本人はちょっとした雨でも傘をさす人の割合が多い、というのが出ていた。
ポツポツと「雨が降っているかな」という段階から日本人は傘をさす傾向が強いらしい。
女性の場合はファッションやお化粧の関係もあるのだろうか、日本、外国を問わず弱い雨でも傘をさすようだが、外国の男子は少々の雨では傘をささないらしい。

また日本国内の都道府県別では東京の人がいちばん雨に敏感で、逆に弱い雨でも傘をささない傾向がいちばん強いのは山形県の人だという。
ちなみに日本国内で1日の降水量1mm以上の「雨が降る日」は全国平均で120日、東京都は106日、山形県は146日と気象庁に出ていた。
山形の人は年間の約半分が雨の日で、雨に慣れっこになっていていちいち傘を開くのが面倒なのかもしれない。
一方東京の人は、比較的背広の人とかオシャレな格好をしている人の割合が多くて、なおかつ雨の日が少なく慣れてないので雨に対してやや神経質になっているのだろうか。


ところで、同じ日本でも地域によって雨の降り方はかなり違う。
わたしは若かりし頃オートバイに乗っていて、四国高知や九州宮崎などをふらふらツーリングしたことがあったが、高知と宮崎で出会った雨は文字通りバケツを逆さにしたような豪雨で、南国の雨は恐ろしいなあと感じたものである。
その時はカッパを着込んでいたが、バケツから落ちてくる豪雨の前にはまったく無力で、全身ずぶ濡れになり手足の指の皮は長風呂したみたいにふやけて白くなってたいへんだった。

人間は雨に濡れるのが嫌で傘やレインウェアやゴアテックスのシューズなど、数々の雨対策グッズを発明してきたけれど、どうも完璧な対策グッズはまだ現れていない。
傘の形も機能もたぶん100年前からほとんど変わっていないのではないか。
少し前に、吹き出した空気の力で雨粒を吹き飛ばすエアーアンブレラというのがネットに出ていたけれど、その後どうなったのだろう。

おそらく人類の雨対策は、従来型の傘やレインウェアなど少々濡れるが使い慣れたもので今のところ十分ということなのだろう。

今年もぼちぼち適当に雨が降っているので水不足の心配もなさそうで、そっちの方が何よりだなあと思った。
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2016年06月19日

イギリスEU離脱どうなる?

さて、昨晩はAKB総選挙が行われて指原莉乃が史上初の連覇、3回目の1位もこれまでで初めての結果だった。
わたしの予想はかなり大胆にハズレることになった。
ハズレの原因は投票総数の大幅な伸びにある。
わたしは今年の80位までの投票総数は昨年から微増かひょっとして微減もあるかも、と考えていたのだが、今年は昨年から2割近くの60万票が増え、それが選抜以上の上位陣に入ったようで、まったく予想外であった。
この件についてはまたデータを集計して傾向を調べる必要があると思っている。

選挙といえば、参院選もあるがなんといっても来週23日(現地時間)にあるイギリスのEU離脱を問う国民投票だろう。
しかしこの問題についてわたしはあまり知らない。
あまり知らないけれどそれでもまあ考えてみることにする。

まず浮かんで来るイギリスという国のイメージは、多様性の国、というものだ。
イギリスはよく島国である点で日本との共通性を指摘される。
また日露戦争当時は日英同盟を組んでともに戦った間柄でもある。
しかし日本は単一言語単一民族の国だとよく言われる。
対するイギリスはかつて七つの海を制覇した名残りからか、民族的に多様な印象がある。
特にロンドンの街角とかインド人の商売人が沢山いるようなイメージがある。
といってロンドンに行って見たわけではないが。

そういえば先月はロンドン市長にパキスタン移民のイスラム教徒の方が選ばれたとかで、これもロンドンの多民族性が土台にあるそうだ。

さらにそういえば、「イギリス」という呼称も本来は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と呼ぶべきで、少なくとも略称で「UK」くらいに言った方が失礼がないのかもしれない。
が面倒臭いのでひとまずここはイギリスで行く。

他にも金融におけるウィンブルドン現象とか国民的自動車ブランドのジャガーとランドローバーがインド資本傘下になったり、そのあたりのこだわりのなさは日本と好対照に見える。
本当は日本人のDNA系統も、南方系やら北方系やらが複雑に入り混じり、遺伝子レベルではかなりの多民族性を有するらしいが、すくなくとも今日における国内の文化的均質性はかなり高い。

話を戻してイギリスのEU離脱判断であるが、現役議員が惨殺されるなどニュースで報じられる離脱派の激しさからは、EUという経済的均質化の動きに多様性国家イギリスの人々は実はかなり疑問を抱いていたのでは、ということをうかがわせる感じがする。
現実には離脱が決定すると、イギリスはEUのブロック経済からはじき出されることでかなりの損失を被り、また北アイルランドの独立問題再燃が懸念されるなどマイナスの影響が予想されているようだ。

元々イギリスを含むヨーロッパ各国は、ローマ時代の歴史や各国王族の血脈など多くの文化的共通項を持っており、それがEU運動の基礎にあるのだろう。
が、文化的共通項はあっても経済的格差があまりに大きいのがEU問題の中核にある。

このEU問題を見ていると、イギリスという国の独立指向の強さを感じる気がして、イギリス人の独立心を満たすには文化的独立だけではダメで、経済的独立が保たれないと我慢できないのかなと思ったりしたが、どうなのだろう。

いずれにしても、本当にリーマンショック級の事件が再来することのないように、東の国から祈るしかない。
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2016年06月18日

イチローの、遠目の目標

今期メジャーリーグで好調を維持するイチローが、ピート・ローズのメジャー記録4,256安打を超える「日米通算」での4,257安打目を打った。
またメジャーのみの安打数も2,979本であと21本に迫った。
メジャーで3,000安打した選手は過去に29人いるらしい。
そして唯一現役なのがヤンキースのAロッドだそうだ。
イチローが今のペースを維持すれば7月中には3,000本が達成できる計算になる。

今からその日が楽しみだ。

しかし「日米通算」が日米において議論を呼んでいる。
まず当事者のピート・ローズが、日本の記録を足して自分の記録と比較されることに不快感を表明している。
また他の選手の中にも日米の野球の違いから単純な合算は意味がないのでは、という意見があるようだ。
ローズの主張では日本の野球はレベルが低いからダメということらしい。
一例として近鉄バファローズ等で活躍したタフィー・ローズがメジャーではさっぱりホームランを打てなかったと言っている。
しかしこれに反論する意見として、イチローは最近のキャリア後半こそアベレージを落としているが、メジャーの前半期は日本時代よりかなりアベレージを上げているというのがある。
また、日本の打者はメジャーでなかなか結果を残せない選手が多いが投手は成功する率が高く、日本野球はメジャーに対し投高打底の傾向があるように見える。
また単純に日本の試合数はメジャーより少ないので20歳からメジャーで打っていればもっと早くローズ超えしていたという想像も成り立つ。

いずれにしてもレベルの比較を厳密に行うのは難しい。
ただ個人的には王貞治のホームラン世界記録よりイチローの方が世界記録には確実に近いと思う。
二つの記録の違いは、ピート・ローズが批判的態度であるのに対し、王の記録にハンク・アーロンは敬意を込めて祝福したというところである。


ところでイチローがすごいと思うのは、記録の節目節目で、他の選手ならしばらくバットから快音が止まったりするだろうに、イチローはそういうプレッシャーをほとんど感じさせず淡々と節目を超えていくことだ。
ニュースではAロッドと食事中に50歳まで現役を続けると言って驚かせたらしいけれど、このエピソードから、イチローというのは目標の置き方が、ちょっと遠目に置く人なのかなと思った。

以前に競泳の北島康介が何かで語っていたが、イメージトレーニングでもゴールタッチまでではなく、プールから上がって優勝インタビュー受けてサブプールでクールダウンして表彰式で日の丸を上げる、その辺までイメージするということを言っていた。

野球でも9回勝利目前のピッチャーが、あと一人、あと一球の場面で突然崩れることがあるけれど、たぶん、やれやれもうすぐ終わり、と思うその気持ちが手元を狂わせるのだろう。
イチローはあと8年間現役生活が続くと覚悟している(らしい)ので、年間100本としてまだ800本くらいはヒットを打つつもりで、だからあんなにクールなのかもしれない。
イチローの心中は不明であるが、目標を常に遠目に置いているのはたぶんそうだろうと思った。
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2016年06月17日

やっぱりリーマン前夜に似ている

1ドルが一時103円を記録し、このままなし崩し的に円高に振れるのではないか、それが輸出企業収益に悪影響を与えるのではないかという心配が日本を覆い始めたようである。
チラッといろんなアナリストの今後の円ドルレート予想を見たところでは、90円台に突入の人はほとんどいないようだ。
だいたい110円前後に落ち着く予想になっている。
これは、世間にあまりにも円高の予想が増えると、ドルを売って円を買う流れを加速しかねないので、なかば意図的に円安の方向に判断が寄っているということが想像される。

しかし円ドルレートは今後円安に戻るのか、このまま円高が進むのか。
個人的にはたぶん円高はもう一段進み、90円台突入は確実なのではないかと思う。

為替の指標に実質実効レートというものがある。
円の実質実効レートは、ドルも含めた各国通貨に対する総合的な価値を計算し、なおかつ各国のインフレ率による修正をしたものである。
日銀のサイトに2010年を100とした指数のデータが載っている。

image.png

グラフでは青い線が実質実効レートで、上に行くほど円高、下が円安方向。
実数を見てみると2016年4月が77.78。
この値は昨年の6月には67で、近年の最安値を記録していた。
これがどの程度の安さかというと、円安が対アメリカで大問題になっていた1985年のプラザ合意以前が70台前半から80台後半の値で、時々90を越えるといった程度だった。
それがプラザ合意後急激に円高になり123くらいまで上昇する。
そして1989年のバブル崩壊の当時には円高の揺り戻しがあって再び90台の円安水準。

バブル崩壊以降円高が一貫して進み、1995年に実質実効レートが150の史上最高値を記録している。
そこからは下がったり上ったりしながら全体傾向としては円安方向に下がり続け、小泉政権末期の2006年から歴史的円安が始まる。
この歴史的円安は円で資金調達してアメリカで投資する円キャリー取引拡大を誘発し、アメリカに住宅バブルが発生する。
2008年にこのバブルが崩壊する、いわゆるリーマンショックが起こる。
ちなみにこの時の実質実効レートは2007年頃に79を記録したのが円安ピークである。

そして現在の円安水準。
今月の実質実効レートはたぶん80くらいにはなっていると推測するが、つい2〜3ヶ月前まで74とかであり、昨年の円安ピーク時は67だった。
つまり1980年以降の36年間でこの直近数ヶ月がもっとも円が安い時代である。

これは直訳で読み替えると、日本の輸出企業の競争力は過去36年間で最低、という意味になるが電機業界は全滅したが自動車業界はまだ頑張っており、かなり納得できない。

いずれにしても現在の円の実質実効為替レートはある意味リーマンショック前夜の状況に似ている、というか少し超えている、ということが言えるのではないか、と思った。
posted by ヤス at 11:09| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月16日

AKB総選挙最終予想

さて、今度の6月18日土曜日は、いよいよAKB総選挙がある。
2週間ほど前に投票初日の速報結果を受けて簡単な分析をしてみたのであるが、今回は本番の結果について大胆予想をしてみようと思う。

前回も触れたが6月1日発表の速報票数(80位まで)は714,944票であり、昨年の速報票数686,154票比104.2%だった。
昨年の本番票数と速報票数の比率は398.7%であり、一昨年は439.2%だったので今年も速報の4倍程度の本番票数が見込まれる。(前回掲載のデータに一部誤りがあったようです)

また個人別に見ていくと、指原莉乃が初1位を取った第5回選挙においては、篠田麻里子、高橋みなみ、小嶋陽菜の3人のベテラン勢が速報からの10倍アップを達成している。
その結果、篠田:速報15位→本番5位、高橋:18位→8位、小嶋:20位→9位とジャンプアップしている。
しかし前々回第6回では10倍超えは乃木坂から来た生駒里奈の1142.1%と暴力事件に巻き込まれた直後の入山杏奈の2名だけ。
前回第7回では伸び率の最高値は1期生峯岸みなみの752.4%だった。

データを見て想像されるのは、速報からの票数の伸びはおおむねベテランほど高く、新人ほど低い傾向があるということ。
この傾向には以前は例外も多かったが、最近は新人ほどファンががんばって速報順位をあげるという流れがあって、そのために直近の2回ではほぼベテランがスロースタートで新人がロケットスタートのパターンが定着しつつあるように思われる。

また速報順位のロケットスタートが定着するにしたがって本番票数の伸びは確実に低下しており、今年は前回の398.7%からさらに下がる可能性がある。
もしこれが380%を割るレベルだと80位圏内の総票数が前回を下回るというちょっとした事件になるだろう。

さて肝心の順位予想である。
速報からの票数の伸びは、前回上位の指原、柏木は約500%、渡辺は554%だった。
速報票数は渡辺・指原が4万票強を獲得しているので、おそらく本番は20万票付近の戦いになると予想する。
柏木は速報票数を大きく落としているので挽回は難しいだろう。
「選挙に強いSKE」を代表する松井珠理奈は速報で3万5千票超と健闘したが、松井は例年本番票数があまり伸びない。
「選挙に弱いNMB」の山本彩も本番票数10万票がやや厳しいところにいる。
したがって1位になるのは必然的に渡辺か指原の2人に絞らざるをえない。

ということで、独断と偏見で選抜メンバーを下記のように予想する。
さて、本番はいったいどうなるのであろうか。

1位 指原莉乃 201,522票
2位 渡辺麻友 193,356票
3位 松井珠理奈 124,142票
4位 須田亜香里 112,680票
5位 柏木由紀 104,940票
6位 山本 彩 93,380票
7位 宮脇咲良 68,255票
8位 小嶋陽菜 63,150票
9位 武藤十夢 55,814票
10位 横山由依 52,206票
11位 島崎遥香 42,440票
12位 兒玉 遥 40,797票
13位 高橋朱里 39,386票
14位 大島涼花 38,042票
15位 小嶋真子 37,350票
16位 岡田奈々 37,223票

posted by ヤス at 14:54| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月15日

バカはどこまで許容されるか

夢っていうのは追った方がいいのか、それとも足元を見つめて現実的に生きた方がいいのか、ということをふと思った。
夢を追うことを奨励する雰囲気は、時代によって多少の濃淡があるのかもしれない。

まあ現在でもAKBグループのような夢を追いかけるアイドルグループが隆盛を維持していたり、最近では脳科学の側面から夢の実現に切り込んだものが新たに出版されるなど、この夢追い奨励のムーブメントはなかなか根強いものがあるようだ。

考えてみると、数十年前に「スター誕生」で山口百恵やピンクレディーが誕生したり、高校野球で甲子園に行って後にプロに進むとか、「夢を追う若者」の構図は昔から今に至るまで一定以上存在する。
あるいはアメリカン・ドリームという言葉があって、裸一貫でアメリカにわたり奮闘して夢を実現するという成功ドラマのイメージは、アメリカという国のアイデンティティとしてほぼ確立されているように思う。

だが一方、夢を追う若者への対立見解として、夢なんか追わず現実をしっかり見つめろ、という言説がいつの時代にもある。


ところで話は変わるが、最近学生などの若者がSNSにいろんな迷惑行為の投稿をして炎上したり激しい非難を浴びる、ということが時々起こる。
つい最近も青学の学生の、スーパーで踊っているSNS投稿が炎上する事件があった。

自分の過去を振り返るとあまり偉そうなことも言えないのだが、これらの迷惑行為は本当に迷惑であり、モノによっては法にも触れるのでいい加減にしろよ、と思う。
そして迷惑行為をする懲りない奴らは本当にバカだなあと感じる。


話は戻って夢を追う話であるが、夢を追う人間というのもある種のバカであろう。
人に迷惑をかけるバカと何かに向かって努力するバカではその種類が相当に違うのであるが、常識を少しまたは大きく逸脱しているという点ではわずかに共通しているのではないか、ということを思った。

人口拡大が続くアメリカと違って、日本は人口減少時代に突入し、今のままだと経済規模の縮小は免れない。
そういう縮小社会の中では夢の種類もナイーブになりがちであろうし、それやこれやを考えると少し心配になる。
そういう中では、少しくらいはバカを許容する雰囲気があった方がいいのではないか。
迷惑なバカの若者については、「迷惑」の部分はしかるべき対処をするにしても、「バカ」の部分はある程度許容してもよいのではないか。

それは話の種類が少し違うが最近流行りの不倫事件についても同じように感じることで、まあ惚れちゃったんだからそこはもうしょうがないのではないか、と思ったりする。

こういう炎上事件があるたびに、まっとうな批判の意見とともに少し常識に縛られすぎた感じの意見も散見され、わたしなどはそういう時ほんの少し窮屈な気分がする、ような気がするがさていったいどうなのだろう。
posted by ヤス at 15:23| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月14日

都知事を応援してみる

もうボチボチ沈静化するのだろうと思っていた舛添東京都知事の問題が、あいかわらず批判の矛先が収まる気配がなく、どうも辞職の方向に向けてまっすぐ進行しているようである。

最近はもうニュースの細かいところまでは見る気がしないので細かい経過を追いきれてないのだが、それにしても問題発覚からひと月以上経ったのに連日にわたってのバッシング報道にはさすがに飽きてきた。

舛添氏のキャラクターがどうも人々の憐憫の情に訴えないらしく、ワイドショー的な報道においては出演者一同で一方的に批判して番組コーナーが終わる、というパターンが多いようである。
確かに舛添氏には同情の余地がほとんど無いようではあるけれど、叩きやすい個人を集中的に叩いて溜飲を下げる方式の番組のパターンは、見ていてあまり気持ちのいいものではない。

こういう場合、批判する側の反対側に立った反論意見を番組の中に何パーセントか入れ込むことが必要であるような気がする。
舛添氏を批判する意見は、たぶんほとんどがもっともらしく聞こえ、また実際に意見として正しいものが多いだろう。
そういう分かりきった意見を連呼するばかりでは、問題の本質は解決に向かって行かない。

そのような意味において、舛添氏個人への追求と責任の明確化はもちろん必要だが、税金を原資とする政治資金や行政経費の支出の適正化というシステム改善のところまで話が進むかどうかはあまり期待が持てそうにないと思える。

またこの問題の陰にすっかり隠れてしまったけれど、不起訴になった元経産大臣の斡旋利得疑惑についても、これは税金を原資としない政治資金の問題だが、このような疑惑が発生するシステムの改善について今回何か対策が打たれたかというとそういう話も聞かない。


今回は参院選直前ということで、いつも以上に世論動向に敏感になっている政府と都議会与党の自民党が、ついに舛添氏の辞職容認に傾いているようにも見え、そうなるとリオ・オリンピック前に都知事が辞任して問題が一応決着、人々はやがて問題の土台にあったシステム上の問題点について忘却して、また忘れた頃に似たような問題が繰り返される、という未来が展望できそうだ。

だから逆説として舛添都知事は任期満了を目指して辞職を拒絶し続けたほうがいい。
その方が問題に対する国民の深い理解につながり、政治状況の進化につながる。
ということで舛添氏にはあらゆる手練手管を駆使して都知事の席に居座ってほしい。
posted by ヤス at 10:18| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月13日

食べ物の好き嫌い

たいていの場合、子どもは食べ物の好き嫌いが多い。
それが大人になるにつれて、食わず嫌いな食べ物を順番に克服し、馴染めなかった味覚がだんだんじっくり味わえるようになるのだと思う。
わたしも思い出すだけでピーマン、しいたけ、魚の刺し身、ウニやいくら、レバーやホルモンなどなど、幼少期に食べられなかったものがたくさんあった。
刺し身が食べられなかったので、寿司屋でかっぱ巻きばかり食べていた記憶が残っている。
(それはそれで安上がりで良かったろう)


だが、だいたい中学生になるくらいまでの間にほとんどの嫌いな食べ物を克服したと思う。
わずかに納豆だけは今でもあまり食べたいと思わないが、たぶん外でおよばれして出てきたら平らげる自信はある。
あと、ナマコとかはたぶん今までに食べた記憶が無い。
これが目の前に出てきたらはたして完食できるだろうか。


ところで食べ物の好き嫌いはなぜ生じるのだろう。
食べ物を食べるという行為は動物にとってはほとんど「生きている」ことと同義である。
人間の身体は、部位によって差はあるがおよそ一年もすればすっかり細胞が入れ替わるらしい。
骨でさえ半年くらいで新しいのに置き換わるという。

だから人間は毎日せっせと食べ物を食べないといけない。
骨を作り変えるためにはカルシウムが要るし、筋肉その他にはタンパク質が要る。
あと、そういった身体の作り替え作業はもちろん、運動するのにカロリーが要るので炭水化物や脂質など熱量の大きい食事が要る。
人間の食べ物の嗜好は、このような基本的な身体の作り替え、運動のためのエネルギー補給の方を向いていると考えられる。
だからタンパク質が豊富な食べ物は旨味を感じ、熱量の高い糖質や脂質が甘く美味しく感じる。

そういう生命維持のこと以外には、宗教的な禁忌や食べ物にまつわる悪い思い出(食あたりをしたとか)、その他の悪い記憶が特定の食べ物と結びついて嫌いなモノが生じるという、後天的、文化的な原因がある。

カエルやサルを見て美味そうと思うか思わないかは、その人の所属する文化圏によって大きく変わる。
欧米人がタコを食べられないのは日本人には不思議な感覚だが、たぶんそれは大半の現代人がイナゴを食べられないのと相似形の感覚なのだと思う。

ところで、数千年前、数万年前の古代人の遺跡からは人骨などと同時に「糞石」といってウ○コの化石が出土するらしい。
その糞石を分析すると、古代人は虫や蛇やネズミなどに至るまで、およそ栄養素になりそうなものは何でも食べていた。
よくナマコやウニを最初に食べた人間は偉いというけれど、これは順番が逆で、元々ありとあらゆるモノを食べていた人間が、食生活に余裕が出来てきて、だんだん美味しいものに集中していった結果、現代人の食生活があると考えた方がよい。

そう考えると大人になるにつれて食べ物の幅が広がるのは、進化過程を逆戻りしているようにも思える。
また嫌いな食べ物が多い人は、より進化した文明人なのだ、ということが出来るのかもしれないと思った。
posted by ヤス at 13:54| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月12日

日本のロボットは反乱しない

最近は人工知能の技術がどんどん進化して、将棋や囲碁でも人間が人工知能にだんだん敵わなくなりつつある。
また、人工知能によって弁護士や会計、企業経営の仕事もやがて人間にとって代わられるとかいう話もある。
さらには、人工知能に小説を書かせたり絵画を制作させたりすることも研究が進んでいるという。
少し前までは、単純肉体労働はロボットに代わられることはあっても、知的に高度な作業は人間にしかできないのだろうと思っていたがそれもどうも怪しい。
ましてや芸術活動に関わる仕事なら人間の独壇場であろうとたかをくくっていた訳であるが、どうもその分野も危ないらしい。

ハリウッド映画なんかでもヒット作品にはかなりの法則性があることが分かっていて、今ではどの映画もその法則性に則って作られているという。
音楽でも絵画でも、人間の心情に訴えるような芸術作品にはある種の機械的な法則性があって、ひょっとしたら昔は人間の独壇場だと思っていた芸術分野が、実は人工知能のいちばんの得意分野であった、ということも十分あり得る。

いったいこの先人工知能によって人間社会はどのくらい影響を受けるのか、はたして人類の仕事は彼らに奪われてしまうのか、少し心配になる。

実際、人工知能研究で世界の先端を走るアメリカでは、研究推進と同時に人工知能の「反乱」を防止するさまざまな取り組みもあったりして面白い。


おそらく欧米では人工知能はロボットとほぼ同義に捉えられているのだと思う。
わりかし有名な話だが、「ロボット」という単語は1920年のチェコスロバキアのカレル・チャペックが創造したものである。
チャペックは「R.U.R」という戯曲を書いたそうで、その戯曲に人間そっくりの「ロボット」が登場して、物語の中でロボットは人間の代わりに働いてくれる。
やがてすっかり怠惰な生活を送るようになった人間は、ロボットたちに滅ぼされるという恐るべき物語である。
この戯曲ではロボットは人間そっくりという設定になっているが、これは劇場にロボットを登場させるのに、人間そっくりの方が何かと手間が省けたからだろう。

おかげで以来、ロボットは人の形をして人の労働を肩代わりしてくれる存在として認知された。
ついでに、ロボットは最終的に反乱を起こして人間を滅ぼす、というお約束もチャペックの戯曲によって確立されたと思われる。
そしてチャペックの世界観の記憶が反映されたのが「ブレードランナー」であり「ターミネーター」なのである。たぶん。

ということでロボットの要素は人間の形をしていることと、人間の代わりに働けるくらいの自律的知能を持っていることである。

現在、人工知能に対して欧米人が心配をしているのには、チャペックのロボットの影響が強いと思われる。

ところで、日本におけるロボットの代表は鉄腕アトムだろうが、鉄腕アトムは早逝した天馬博士の息子の心を持った絶対的な人類の味方、救世主として描かれ、反乱の心配はない。
あるいは、日本では鉄人28号やマジンガーゼット、ガンダムなど、ロボットは人が操縦するもので自ら考えないものが多い。
したがって日本におけるロボットには反乱の心配がない。
おそらく古くからカラクリ人形を製造してきた日本では、ロボットの2要素=人の形・自律的知能のうちの知能の方はあくまで人間が担う設定に書き換えられているようである。

それがなぜかを考えようと思ったが、長くなったのでまた今度にする。
posted by ヤス at 08:37| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年06月11日

お客様はたぶん神様ではない

かつて三波伸介(※三波春夫の間違いです)はお客様は神様だと言った。

いわゆる客商売というのは世の中にたくさんある。
最近は少し格好を付けて「B to C」なんて言ったりもする。
BtoCの商売を見て思うのは、法人営業の会社に比べて接待とかしなくていいからすごく楽そうだなあということである。
もちろんBtoCの商売、例えば1枚500円のお好み焼き屋なんかの場合、毎日たくさん来店するお客さんに対し、少なくとも500円、もしくはやや色を付けて600円相当分くらいのサービスを提供しないといけない。
ただ、一人一人のお客さんの取引金額は少ないので、よほどのことがない限り料亭を貸し切り、お客さんに対し酒池肉林の大接待を繰り広げたりはしない。
一回500円のお客さんにそんなことをするのは経済的に合理的でない。

一方でお好み焼き屋に豚肉を納めている仕入業者から見ると、これはBtoBの関係であるが、少し様相が異なるであろう。
月に豚肉を10万円でも買ってもらっていたら、まあ酒池肉林の接待は無理だろうけれど、肉を配達したついでに、お好み焼き屋のオヤジにおべんちゃらのひとつふたつも言って帰らねばならぬ。
これがさらに毎月和牛を100万円くらい買ってくれる焼肉屋が相手だと、これはいよいよ接待の経済合理性が生じるくらいのレベルになる。
(ただし現実の飲食店と仕入先の関係はかなりドライであることが多いようだが)

要するにBtoCの商売をしている人たちは、お客さんに対し1回500円分か10000円分かはともかく、その売値相当のサービスをしていればよく、一方で仕入れ業者に対してはかなり偉そうにすることができる。
これはBtoC、いわゆるコンシューマービジネスが、マーケットにおいて直接付加価値を創造しているのに対し、コンシューマービジネスに原材料などを供給する周辺ビジネスは、ほとんどそこにぶら下がっているだけに過ぎない、そのような力関係の反映であると言える。

もちろんBtoBの下請け業者でも、例えば自動車業界におけるアイシン精機やボッシュなどのように独自技術を確立して、上得意である自動車メーカーに対する価格決定権を握っていたりすることもある。
つまり日々脳みそをひねり、マーケットにおいて付加価値を創造する存在こそが、現代資本主義社会で最強の存在なのだと言える。

そうなると、マーケットの主たる構成要素であるところのコンシューマー=一般消費者とは一体なんなのだろう。
一般消費者である大衆は、気まぐれでわがままで、ほとんど思いつきで行動する、ビジネス側から見ると非常に厄介な存在である。
そういう点では接待や袖の下である程度コントロールできる(?)法人顧客の方がよほど付き合いやすい。

三波春夫がお客様は神様、と言ったのは、お客様は神様のように自由に振舞っていいよ、ということではなく、三波春夫がステージで歌を歌うときに神様に捧げるような気持ちで歌ったのだ、という意味であるらしい。
これはあくまでわたしの個人的意見だが、お客さんはまったくのところ神様ではない。
なかなか思い通りになってくれない、いたずら好きで気まぐれな「妖精」である、くらいに思っておくのがおそらくは無難で良いように思う。
posted by ヤス at 11:31| Comment(0) | 徒然なるままに