2016年05月31日

快適と毒について


受動喫煙が原因で国内年間1万5千人くらい死亡しているというニュースが流れていた。
タバコが体に悪いのは今となってはすっかり常識であるが、タバコの煙に巻き込まれて命を縮める人が多数いるのにはちょっと驚いた。
受動で1万5千人ということは、主体的に喫煙している本人の方はどうなのだろう。
気になる。

これだけ健康に害があるのなら、いっそタバコの販売や喫煙を法律で禁止にすれば、とも思うが、タバコの栽培農家やタバコ製造業者、販売店などなど、タバコをめぐる産業体系がすでに出来上がっていてそう簡単ではないのだろう。

さらに、タバコが禁止になると喫煙者がニコチン禁断症状を起こして暴動がおこるのかもしれぬ。

結局のところ喫煙場所の限定や分煙化を徹底して受動喫煙被害を最小化するくらいが関の山ということか。

タバコ以外でも、自動車事故が原因の死者も数千人の規模でいる。
ある便利な道具が原因で年間数千人もの死者が出るというのも、よくよく考えてみるとかなり重大な話だと思う。

例えば家にある電気冷蔵庫が原因で年間百人死んだとか、掃除機が原因で負傷者が多数出ているとかいう状況があったら、世の中の冷蔵庫や掃除機はいったん販売中止になるに違いない。

自動車が比較的大きなリスクがあるにも関わらず社会に受け入れられているのは、自動車が百年くらいの長い期間に渡って徐々に普及していでたこと、その中で自動車は危ない道具であるがその危険性を補って余りあるほど便利なもの、と認識されていったような過程があったと想像する。


タバコの場合は自動車よりさらに古くからあり、いったい何百年前からあったのかは知らないがすっかり人々の生活に溶け込んでいたと思われる。

おそらくタバコの健康被害については、昔の人も経験的に薄々は気づいていたに違いない。
ただ健康被害の恐れを補って余りあるほどタバコは旨かったのだろう。
喫煙習慣は広範に広まって今に至っている。


まあ考えてみると、さらに遡って人類がマンモスを追いかけ回していたような時代には、ライオンや狼に襲われて命を落とすことも多かったろう。
それが文明が発達してそっちのリスクは減る替わりに、また別のリスク付きで便利さや快適さを手に入れることになった。

で、最近は便利さ快適さに付きまとっていたリスクについてもなるべく最小化したい、それが現代文明的スタイルいうことになっている。
だからタバコの箱に脅し文句が書いてあったり事故を起こしにくい自動運転技術が急速に実用化に向けて進化したりすることになる。


でもたぶん、便利さや快適さというものには常にいくらかのリスクが付きまとう、そのことは本質的に避けられないような気がする。

なんでも今後、タバコの箱に健康被害が分かる画像表示を義務化するとかいう話になっているらしい。
売り物の箱に買うのをためらわせる画像を表示するのはなんだか矛盾を感じるけれど、これは快適さの裏側にはいつもいくらかの毒が潜んでいることの暗示であるような気がして、ちょっと面白いと思った。

posted by ヤス at 16:48| Comment(0) | 徒然なるままに