2016年05月29日

美男美女を考える

さて、昨日に続き人類の顔面で思ったこと。
美男美女の基準について考えてみる。

人間の顔面形状には、これは明らかなDNA的瑕疵なのではないか、と思うような部分があることがある。

学術的にどこまで本当か知らないが、美男美女の顔はいわゆる平均顔だという話がある。
美男美女ではない人の顔のある部分には、大きさや配置がややバランスを欠いている場合があると思われる。

ところで、美男美女の意味とは簡単に言うと性的魅力があるということだろう。
美男美女は性的魅力が相対的に強いので子孫を残す機会が増えるはずだ。
にもかかわらず世の中は美男美女だらけ、というわけでもない。

たぶんどちらかと言うと美男美女は少数派で、人類の顔面形状類型の分布を考えるなら、中央の美男美女群を頂点に多数の周辺部が囲んでいることだろう。
その外縁部の人たちの顔面形状は、平均顔からはかなりバランスが違うということになる。

しかし平均顔の美男美女が最も魅力的かと言うと、必ずしもそうではないような気がしてきた。
ハリウッドスターでも、ベニチオ・デル・トロとかアンジェリーナ・ジョリーとか、明らかに平均顔ではない個性的な顔立ちでかつ魅力のある人はたくさんいる。

あるいは、部分的な平均顔からの乖離、例えば厚ぼったい唇とか団子っ鼻など、少しバランスの乱れがあった方がかえってエロい雰囲気が出る、ということは多いように思う。

これも今ひとつ確証はないのだが、人類が洞窟で薪を囲んで寝食しマンモスを追っていた原始時代に美男美女の概念はあっただろうか、いや無かったような気がする。
美男美女はDNAに刷り込まれた生物としての本能ではなく、かなり最近になっての文化的嗜好ではないかという気がしてきた。

それが文化的なものだとして、なぜ平均顔なのか。
あるいはこれは、美術・アートという概念の発生と繋がっているのかもしれない。
黄金分割に代表されるような美しく感じるカタチのバランスに人類が目覚めたけれど、それが人類の平均顔から抽出されるバランス比だったのではないか。

まあ、いずれにしても真相はよくわからない。
そのうちその辺りの真相を学術的に解明する物好きな研究者が出てくることに期待する。
(あるいは既に研究されているのかもしれないが)


話は戻るが、少しバランスのわるい部分があった方がちょっとエロいということについて。
これは人類の容姿だけでなくて、プロダクトデザインやグラフィックデザインでもそうだけれど、デザインの中にちょっとバランスを欠いている要素が少し入っている方がかえって心理的フックになり、記憶に残るし個性的に感じられる。
自動車のデザインでも、完璧なラインとフォルムだけで作られたものはたぶん無個性でつまらない。
少し寸づまりな感じとかラインの角度に違和感のある部分があるとか、そういうデザイン上の瑕疵を入れ込むことが必要であると思う。

そう思うと、人類における美男美女と言われている人々の顔も、完璧な平均顔と言うよりは、顔面パーツのバランスの乱れが微妙に配合されて結果魅力的に見えているのではないか、そういう気がしてきた。
posted by ヤス at 09:49| Comment(0) | 徒然なるままに