2016年05月08日

天邪鬼の必要性

突然だが、さっき「天邪鬼」=アマノジャクについてネットで調べた。

ウィキペディア情報によると天邪鬼は日本の神話から出てきたキャラであるらしく、元は「天探女」という神様であったらしい。
「女」の文字が付いているので女神なのだろうか。
それはよく分からない。
天探女は天の動きや人の心を探るシャーマン的な存在だったという。
また天探女は本来は天照大御神に仕える神様だったのが、ある時天界の邪魔をして、それ以来天の邪魔をするということで天邪鬼になったそうだ。

神話から出てきた天邪鬼はその出自上、人の心を読んでいたずら心を起こして天の邪魔をする小物の魔物、というくらいの位置づけらしい。

ところでなぜ突然天邪鬼について調べたくなったかというと、天邪鬼的な存在が、個人の心のなかに、あるいは社会の中に一定量必要なのではないか、という仮説が脳裏をよぎったからである。

わたしはあまり海外旅行の経験も豊富ではないし外国の社会事情にも無知なので外国との比較は出来ないのだが、どうも最近の不謹慎狩りとかネット炎上のようすを見るにつけ、日本社会における同調圧力の程度がますます拡大しているのではないか、と考えるようになっている。

日本は島国であって、特に江戸時代250年の泰平期間は海外との人的交流も極端に細って、この間に社会の調和を重んじる風土が出来上がったのではないかと考えている。
そんな中で異分子を発生させない、空気を乱さない社会文化が出来たのではないか。
この風土は明治以降20世紀中盤に至るまで、中央集権的な仕組みで近代化と経済成長を実現する時にはかなり役立ったようであるが、思考や行動様式における多様性が弱体化した日本社会はその後のグローバル化、経済成熟後の進路選択への対応を誤ったように見える。

で、そのように21世紀的課題への対応を誤った日本社会に今必要なのは、天邪鬼精神なのではないか、そう思ったのである。

日本における政治の世界では、野党はなんでも反対で建設的でないとよく言われる。
それはその通りで、野党は与党に反対するとともに野党なりの政策パッケージを提示することが不可欠であると思う。
だが同時に、何かの法案が提出されたらとりあえず反射的に異を唱えるような天邪鬼の勢力が一定数いてもよい。
国会だけでなく、会社の会議とか、町内会の会合とか、家族会議とか、いろんなコミュニティーの議論の場に天邪鬼が必要な気がする。

あるいは個人の思考の中にも天邪鬼成分を一定量飼っておいて、何か考えるときに自分の中にいる天邪鬼との間で熱い議論をすることがあってよいのではないか。

場の空気を乱したり空気をまったく読まない天邪鬼的存在は、精神衛生上かなりウザいものであるが、しかしこのような存在をまったく根絶すると、返って出てくるアイデアの多様性・クォリティが失われるのではないか、というようなことを少し思ったのであった。
posted by ヤス at 13:36| Comment(0) | 徒然なるままに