2016年05月05日

人生の意味づけについて

どうも1週間ほど前から「脇の下」の下の方の、右側のあばら骨周りのスジを痛めたようで少し痛い。
まあ普通の生活している分には痛いことを忘れているが、何かの拍子に思い出すのである。
例えばクシャミ。
ヘックションとくしゃみした最後の「ション」の部分、息を吐き出す時に少し痛い。
あと鼻をかむとき。
ティッシュを鼻にあてがって、チューンと気張る時にやっぱり痛い。

わたしはだいぶん前から毎日ちょっとした肉体トレーニングをやっている。
と言っても、Kー1ファイターではないからそんなに激しくトレーニングするわけではない。
最近のトレーニングは毎日腕立て伏せを40回。
続けて40回はしんどいので20回ずつ時間を空けて2セットでやる。
(ここ2ヶ月くらいはスクワットも加えている)

これがKー1ファイターならば、毎日40回の腕立てトレーニングだけだとすぐに負けるだろう。
毎日腕立て40回は、やらないよりはマシというくらいのトレーニングに過ぎない。
そんな軽めのトレーニングだけれども、ほぼ毎日やることによって、これは確実にやらないよりはマシだなあと実感するのである。

昔は気張って一度に50回とかやったこともある。
50回だと最後の方は顔を真っ赤にして気張るくらいしんどい。
しんどいトレーニングは、これを毎日やろうとすると、やる前にしんどさを思い出してちょっと億劫になる。
その億劫を乗り越えてトレーニングを続けるのはけっこうなストレスである。
日々のストレスは軽微でも累積すると大きくなりそうなので、やる前にストレスを感じない程度のトレーニング強度に留める方が良い、と考えるようになった。
だから20回を2セット。
最後まで顔を真っ赤にせずに出来る回数。

しかも最近は、わざと今日の腕立ては休み、と自分自身に宣言して練習を休む高度な技を憶えた。
毎日何かをやらなきゃ、というのはそれはそれでストレスになる。
だからわざと毎日やらない。
結果その方が長続きするのである。



そう言えば、右側あばら周りのスジが痛かった話を書いていた。

腕立てをやる時もこの痛みがけっこう来るのだ。
そんなに激痛ではない。
しかも腕立てのしんどさはやらないよりマシという程度の強度なのだが、痛いことは痛い。
まあまあのストレスである。
せっかくストレスフリーで無理なくトレーニングを継続していたのに、予想外の障害が現れた。
しかし、なんだかんだ言いながら1週間以上脇腹の痛みを感じながら腕立てをしている。
そうすると、だんだん腕を鍛えているのか痛みを我慢する能力を鍛えているのか分からなくなってきた。

まあそもそもが、やらないよりマシのトレーニングを続ける、というのがテーマなので、痛みに対するトレーニングは、これはこれでありなのかもしれないと無理やり思った。

本来意味を見い出し難いものに意味づけしながら生きるという点で、少しだけ人生の深淵に近づけた気がした。
posted by ヤス at 10:53| Comment(0) | 徒然なるままに