2016年05月03日

痛みの記憶

もうかれこれ10年くらい昔の話かもしれない。
ある朝、歯が痛くて目が覚めた。
時間は5時か6時くらいだったのではないかと思う。
その時、歯が痛い、というのは本当に痛いっていうのが、痛いほど分かった。

どうでもいいことだが、わたしは病院に行ったり薬を飲んだりするのが好きではない。
だから家にバファリンとか正露丸とか、痛み止めに役立ちそうな薬はカケラも置いていない。
最近は体重コントロールのために漢方便秘薬を常備しているが、まあそんなことはどうでもいい。

朝早くに歯痛に襲われて、家にとりあえずの薬もない。
当時すでにインターネットはあった。
PCの電源を入れて周辺の薬屋をリストアップして開店時間を調べた。
調査して分かったのはどの薬屋もドラッグストアも10時開店だということ。
ただ一軒のチェーンのドラッグストアだけ9時開店になっていた。

歯の痛みというのは、今となってはどんな痛みかよく憶えていないが、とりあえず思考回路を狂わせ理性を失わせるほどに痛い。
開店の9時までにはまだ2〜3時間あるが、ひとまず自動車に乗って家を出た。

ひょっとしたら朝の7時から開いている名もない薬屋があったりするかもしれない。
儚い期待を抱きつつ自動車を走らせたが目標のドラッグストアはやはりまだ開いておらず、名もない薬屋にも出会わないまま、わたしは虚しく街をさまよった。

結局何をどうやって我慢したのか委細は忘れたけれど、目標のドラッグストアが開店する9時がやって来て、とりあえず強力な痛み止めを入手し飲んだ。(あるいは塗るタイプだったかもしれない)
やがて痛みは治まり、わたしは心の平静を取り戻した。
この時以来、わたしは電動超音波歯ブラシや歯間フロスなどを買い込んで入念に歯磨きに精を出すようになった。
おかげで今までのところ歯痛に襲われることなく平和に生きている。

しかしその「歯痛事件」で思うのは、身体のどこも痛くないのはこの上ない幸せである、ということである。
身体がどこも痛くない時は、そのことのありがたみがよく分からない。
あるいは痛みの前触れのようなことがあっても軽視しがちである。
しかし少なくとも痛かった時の記憶が鮮明な間は歯磨きに精が出る。

そして痛みの記憶が薄れた時、痛くない状況がすっかり「普通」になった時、ついついココロのゆるみが生じるのであろう。


今日は憲法記念日であるという。
70年前に日本国中が痛い目にあって、その時の紆余曲折から現憲法は出来た。
現憲法については、改正論議も無論重要である。
しかしこれが出来るに至った、「痛かった日の記憶」を思い返してみることがまず大切ではないかと考える。
幸い人間社会は、いろいろな知恵を語り継ぎ、継承する能力を持っている。

ということで憲法記念日で歯痛の記憶を思い出したので書いてみました。
おしまい。

posted by ヤス at 15:15| Comment(0) | 徒然なるままに