2016年04月07日

ドM仮説

人間は他の生き物とかなり違って見える。
頭のサイズが大きくて姿形が比較的人間に似ているチンパンジーあたりでも、やっぱり人間とは何か違う。
ただ動物園等にいる猿を眺めていて、時々まるで人間のようだなあと感じることはある。
それはたぶん、何かを考えているような仕草の時に特に感じる気がする。
猿の仲間は他の哺乳類と比べても大きな脳みそを持っているので、あの考えるような仕草は、実際に何かを考えているのだろうと思う。
結局のところ、人間が他の生き物と決定的に違うのは脳みその容量と機能にあることは間違いない。
要するに、人類は他の種より際立って頭が良い。
性格が良いかどうかは知らないが。

「自己家畜化」という概念がある。
地球上の生き物は、何万年何十万年のタイムスパンで生物的な「自然な」進化過程の中にある。
一方で人類は自ら創造した文化・文明によって、独自に「人類的な」進化を行っている。
ここで自己家畜化というのは、自ら創造した文化によって自身が爆速進化をすることだとしておく。
その進化は、肉体的な変化ではなくて、もっぱら技術や生活様式などのソフトウェア的変化である。

肉体的な変化、DNA的なハードウェアの変化には十万年スパンの時間がかかるのに対し、ソフトの変化はほとんど一瞬で起こる。

ここで少しまとめると、人間が人間である所以は、ソフト的な進化を行うようになったこと、文化レベルの変化を自らの意思で行えることなのであろうと考える。
で、そういうソフト的な進化の原因、原動力になったのは人類の大きな脳みそだろう。
でもなぜ人類の脳みそはここまで高機能に発達したのだろうか。

わたしの思いついた仮説は、「人類ドM仮説」である。
人間は元々みんな「ドM」なんじゃないか。
数百万年の昔、アフリカの大地溝帯の辺に群れていた一群の猿たちの中に、ドM気質の奴らがいて、彼らはドM気質なのでやたらと自分をいじめる。
あるいはものすごく無理をする。
肉体的にも無理をするが、精神的にもムダにがんばる。
無理をすると疲れるが、彼らは自分をいじめることが無上の喜びなのでそれでもがんばる。
それで、いろんな考えごとをムダに頑張っているうちに脳みそのめぐりが良くなってくる。

最初はわずかな脳機能の差が生じただけだったが、百万年か何百万年かドM気質を貫いたその猿たちは、いつの間にかソフト的な爆速進化の域に達して他の猿と文化的に隔絶した存在になった。
ということは考えられないか。

何か、人類以外の生き物一般の立場から見ると、人類の頑張り様はちょっと度を過ぎている気がしなくもないのである。

だから自分のMっ気がちょっと濃いかなと心配な人は、自分は他の人よりずっと人間的なのだと思って安心して良い。
たぶんそれで間違いない。


posted by ヤス at 11:15| Comment(0) | 徒然なるままに