2016年04月02日

憲法の改正についてなんとなく

さっきニュースを見ていたら、『政府は1日の閣議で、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。』というのが流れていた。

その上で、日本国は政策上の方針として核兵器を持たない、ということになっているらしい。
憲法解釈とか法律解釈というのは、その道の素人から見るとなんとも奇体に感じられる。

同様の論法で自衛隊も合憲とされている。
憲法9条1項は『日本国民は 〜略〜 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』とあり、2項には『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』とある。
小学生的な視点でこれを読むと果たして自衛隊は軍隊だからダメだろうと思えるし、核兵器の保有・使用についてもなんだかなあ、と思わざるを得ない。

が、戦後70年の日本政治史上においていろいろ議論の末に自衛隊の意義が認められ、法的にもそれなりに位置付けられてきたことは、まあ妥当なことだと思う。
核兵器についても、「将来の核保有の構えを匂わせる」ことが大きな外交カードになり得ることから、これを一概には否定しづらいというのがあるのだろう。
それも分からぬ話ではない。

こういう問題が出てくるというのは、日本国憲法が出来た当時とその後の状況変化の落差が想像以上だったのだろう。
憲法の内容を現実に追いつかせるためには、やはり改憲した方がいいと個人的にも思うのだけれど、一方であんまり変更が手軽に出来るようになると、いったい何のための憲法なのかということになりかねない。


憲法や法律の条文解釈は、日本だけでなくアメリカとか他の国でも、うまく解釈して辻褄を合わせるというのが政治の技術としてあると思われる。
あんまりガチガチで解釈のアソビが無い条文は、運用上使いづらい。

ただ9条解釈については、虚心に見れば明らかに無理があり、少なくない憲法学者が今でも自衛隊を違憲と考えているという。

法律の効能として、条文解釈にアソビがあっても、少なくともアソビの範囲内で律することが出来る。
ドロボウはいけませんという法律に対し、いったいどこまでがドロボウかという解釈のアソビは生じるだろうが、とりあえずドロボウ的なことはいけない、というメッセージは理解出来る。

9条と自衛隊の議論とか、今回のニュースの核兵器の話は、そういう一般感覚から見てかなりの超越的議論と感じられる。

敗戦直後に出来た現憲法は、歴史の激動を背景に成立したために、その内容もかなりラディカルになったのではないかと思われる。
過激な成立過程を経た憲法であるからこそ、穏便に時間をかけて修正を議論していくことが必要なのではないかと、花見日和のぽかぽか陽気の中、少し考えてみた。
posted by ヤス at 15:04| Comment(0) | 徒然なるままに