2016年04月01日

不倫文化考察

週刊文春の活躍によって、有名人の不倫問題が世間を賑わしている。
なかでも一番最近の、乙武氏の問題は衝撃度が大きかった。
乙武氏のスケベ癖は業界内ではつとに有名で、Twitterでのケッタイな書き込みや出演番組でのスケベなジョークなど、世間的にもうすうす感づかれていた節がある。

それでも、乙武氏のオフィシャルなイメージは、障害を持ちながら教育問題にも熱心に取り組むクリーンな人、ということに建前上なっていたと思う。
それが、選挙の話が出た途端に週刊誌のネタになって、選挙出馬は元より今後のタレント活動、社会活動にも大きく影響しかねない感じになっている。
(今回のスクープは週刊新潮だったらしいが)


ところで、統計データがあるのかどうか知らないが、おそらく日本国内においては、一定数の不倫事象が生じていると思われる。
このところ有名人の不倫報道が喧しいが、これは必ずしも国内の不倫事象発生件数が増加傾向にある、ということを示しているのではなかろう。

それよりも、不倫ネタが大スクープになるほど日本は平和になった、ということなのかもしれない。
その分、不倫のリスクが近年になく高まったということなのだと思う。
特に有名人にとっては。

歴史モノの小説とかを読むと、昔の日本は性風俗に関してかなりおおらかで、特に農村部などの庶民階層の「そっち」の行動は相当自由であったようである。
さらに昔の源氏物語なんかにあるとおり、貴族階層においてもかなりお盛んであったようだ。

性の規範意識が高まるのは、これは想像であるけれども、江戸時代の武士階級以降ではないかと思う。
江戸時代の武士階級は、戦闘集団というより行政官僚機構であり、そういう人種にとっては社会秩序や規範意識がより大切になったのだと考えられる。
徳川幕府の教化によってルールを守る人たちの層が一定程度出来て、明治以降は欧米プロテスタント的な規範意識が普及して、おそらくその辺で不倫は「不倫」になったのではないか、そのように想像する。

要するに人間が人間である以上、人間社会には常に不倫事象が一定数存在するのだ。
と思う。
政治家や有名人の間にも当然あるだろう。
むしろそのような特殊な立場の人々こそ、そちらの意欲も並々ならぬものがあるかもしれない。
よくは知らないけれど。

だから週刊誌等は彼ら有名人に張り付いていれば、一定割合でその「現場」を押さえることが出来る。
あとは裏を取って、タイミングを見て報道すれ世間の需要を掴むことが出来る。

この勝負、どう見ても有名人側の分が悪い。

そして、この状況はこの何十年変わっておらず、これからも同様のパターンが繰り返されるのだろう。
立場を失う有名人にはたまったものではないが、状況がほとんど改善されないところが人間らしくていいのではないか。

今日もあんまり結論的なことは出ないのだけれど、そんなことを思った。
posted by ヤス at 14:03| Comment(0) | 徒然なるままに