2016年03月29日

答の無い時代について

20世紀は「答の見えている時代」だったと思う。

その時代に必要だったのは、拡大し、効率化することであり、そうやって競争に勝つことが重要な時代だった。
国家同士の大きな戦争もあり、世紀の後半は米ソ冷戦の時代が続いた。

20世紀の先進国家の「答」は、前半は植民地経営の拡大であり、後半は植民地に代わる経済的勢力圏の獲得であったと思われる。
植民地にせよ経済的勢力圏にせよ、他所より早く多くフロンティアを獲得することが経済的繁栄の秘訣であり、経済の繁栄を軍事力に振り向けることで国家間での発言権が強化できた。

ところが今ではその「答」がどうも間違っていたかもしれない、という疑念が強くなっている。
日本の国もほんの30年くらい前までは、ただがむしゃらに効率化し、競争に勝って「答」の方角を目指していれば幸せだった時代があったと記憶している。
ところが1990年代も中盤を過ぎるあたりから、果たして「答」は目標として適切であったのか、どうもこのまま一本調子でがんばってもダメなんじゃないかという迷いが世の中に漂い始めたのではないか。

で、国家がこれまでの一本調子の競争に迷い始めて、この間に輸送と通信の技術が恐ろしく進化して、いつの間にか国境が溶け始めたのだと思う。
国境が溶けて、国の一部分がライバル国とちょっと混ざるところが出来て、下手にライバル国をやっつけたら自国の一部も怪我をする、そういう時代になった。
溶けた国境をスルー出来た企業はグローバル化し、100%アメリカのためのGoogleとか、日本のトヨタとか言うことが難しくなっている。
Googleなんかは、単純にアメリカの国力増強に資する企業とはもはや言えず、時に国家の枠を超え、利益に対して税金もちょっとしか払わない、ある意味頭の痛い存在にもなっている。

世の中の天上界がその調子なので、下々の世界にもいろいろ影響がある。
天上界の下請けをやっているような会社は、今までは何も考えずにより早く作る、より正確に作る、より安く作る、ということを追求していれば良かった。
でも最近は、世界のあっちで作る、こっちで作るというように天上界も大きく揺らいでいる。
下々はその揺らぎを検知して自己防衛する能力を持たないといくら効率がよくてもダメな世の中のになった。

おそらく、20世紀は一本調子にモノが流れる定常状態だったのが、今の世の中は流れがゆらゆら落ち着かない非定常状態なのである。
今の時代、今日の「答」は明日も正しいと限らず、というかそもそも絶対的な「答」が存在しないことを人類はやっと学習した、そういうことなのかもしれない。

そんなことを考えた。
posted by ヤス at 11:20| Comment(0) | 徒然なるままに