2016年03月21日

あえて不合理を選ぶ

このところ人間の合理性について考えている。

「理」が「合」っていると書いて「合理」という単語。
「理」というのは理屈、理論、コトワリのような意味であろうか。

理屈どおりに考えること、それも科学の世界における定理や公理のような確立した理屈に基づいてかんがえることが合理的に考えること、なのだろう。
ところが、科学的定理や公理も、とことん突き詰めるとその真実性は時として疑わしい。
現時点における定理や公理は、現時点におけるとりあえずの真理であって、したがってその限りにおいて、人間が完璧に合理的であろうと努めても、それは近似的な合理に止まらざるを得ない。

小難しいことはともかく、人間は努めて合理的であろうとしても、根っこのところでは感情的で、直感的で、多くの場合理屈をすっ飛ばして結論を出す。
そういう性でもって生きている。
それが人間というものだと思う。


話は変わる。
最近は価格.comとかアマゾンとか楽天などのショッピングサイトを見ると、商品レビューが必ず付いている。
あるいは食べログとかのレストラン検索サイトにおけるレビューは、その役割がさらに重要であるかもしれない。

ネット以前の時代には、カメラを買うのでも電子レンジを買うのでも、店頭で触ってみるとか周辺の知り合いのユーザーに尋ねるとか、購入前の情報収集手段はかなり限定的であった。
だが今日におけるネットのレビューは、商品情報の入手手段としてかなり便利である。
人気商品には膨大な書き込みがあり、使い込まないと分からないディープな情報が手元のスマホで簡単に確認出来る。
レストランでも、実際に数千円払って体験しないと分からないことが、文字や写真情報ではあるが店に入らずともそれなりに分かる。

だからカメラやレストランを選択する際に、大幅なハズレを防ぐことができる。
ネット時代というのは、何かを選択する際にハズレを防ぐ最短距離ルートがあちこちで提供されている便利な時代である。
就活などではコトはさらに深刻で、場合によっては過労死するまでこき使われるブラック企業に入ったらたまらんと情報収集にも熱が入る。

こういう時の人間は、商品やお店や就職先企業の選択判断において努めて合理的であろうとするに違いない。
そして世の中にはそのような「合理的判断」をアシストするネット情報がたくさんあるのである。

でもここで、あえて不合理に判断する、というのもアリではないか。
なんか今までの主張に矛盾するが。

あえてブラック企業で働いてみる、あえて不味いと評判のラーメン屋に入ってみる。
あるいは効果がギモンのダイエット方法に飛びついてみる。

世の中には、やってみないと分からないことが多い。
また、失敗して初めて身につくコト、というのもある。

人間は、元々が不合理な生き物であり、であるからこそ合理を追求してより多くの御利益を得ようとするが、時として不合理による御利益もあったりするのであえて意図的に不合理な選択をすることが結局合理的であったりするのではないか。


なんかいろいろ考え過ぎてよく分からなくなったので、今日はいい加減これでおしまいにする。




posted by ヤス at 14:58| Comment(0) | 徒然なるままに