2016年03月19日

約束について

「約束」という言葉の意味には、なかなか玄妙な、厳粛な中身が含まれているように感じる。
人間はいつ頃から約束するようになったのだろう。

有名な太宰治の小説に「走れメロス」がある。
わたしはたぶん読んでいないと思う。
小説の一節が教科書に出ていた憶えがあり、だから内容をうっすら知っているのだと思う。

でも、さっき内容を思い出そうとしたが細かい設定が出てこない。
だからウィキペディアで見た。



羊飼いのメロスは、人間不信の暴君ディオニス王の暗殺を決意して城に侵入するが捕らえられる。
捕まったメロスは人を信じないのは恥ずべきだと王に訴えるが当然処刑されることになる。
3日後に妹の結婚式を控えていたメロスは親友セリヌンティウスを人質に預けることを条件に結婚式に出席することを許される。
人質の処刑期限は3日後の日没。
往路は良かったが復路にいろいろ災難があって一度は諦めかけたものの思い直してなんとか処刑場にたどり着く。
メロスは一度諦めかけたことを友人セリヌンティウスに詫び、セリヌンティウスも一度だけ、メロスは帰ってこないと疑ったことを詫びる。
それを見て暴君ディオニス王は改心する。
めでたしめでたし。

そういう話だったらしい。

我々人間は、他人を思いやったり助けたり可愛がったりする心情を持っている。
そういう人の中に元からある心情の発露と、約束の履行は、よく似ているがだいぶ違う。

約束は、どちらかというと人を縛るものだ。
約束は契約と同じであり、法律とか、世の中的な倫理ルールなども約束の範疇だろう。
言ってみれば、人間社会には約束が溢れている。

自慢じゃないが、わたしは約束を破ったことが何度もある。
幼稚園の時にナントカちゃんと将来を誓い合ったのにすぐに忘れたこと。
それに類することが他にもいくつかあったかもしれない。

世間的にはもっと重大な、約束の日時をすっぽかしたり仕事の締め切り遅れとか、そういうことの記憶もいくつもある。

さらには、来年は英語がペラペラになるぞ、とかいう自分との約束。
この類の約束も、守らなかった事例に事欠かない。

世の中には約束が溢れていて、そのいくつかについては守れないこともある。
だからこそ、約束を守る人、少なくとも守ろうと真摯に努力する人は信用され尊敬される。

「走れメロス」は、内容を再確認してみたら死ぬほど単純な話であったが、「約束」は単純であるがゆえに厳しく重いのかもしれない。

ところで、心理学の実験では何か約束するのに誓約書を交わすと、単なる口約束に比べて圧倒的に有意な効力が認められたそうだ。
考えてみるとこの世の約束は大半が姿の見えない口約束であると思われる。
だからこそ、小さな取引でも、従業員との当たり前の約束事も、契約書や誓約書を交わしておくことが良いのかもしれない。
記憶と同じで古い約束は新しい約束によって上書きされないとも限らないから。

約束は、たくさんあり過ぎるとストレスの元になるが、一方で信頼関係の元にもなり得る大事な要素だ。

だからやっぱり大切にしないといけない、と自分に言い聞かせている今日この頃である。
posted by ヤス at 11:31| Comment(0) | 徒然なるままに