2016年03月15日

制約条件とクリエイティブ

大学時代のわたしの友人にファッション好きの男がいた。
そいつは広島のファッションビル、ウィズワンダーランドのバーゲンの日には、バイトで稼いだ10万円くらいを握りしめて買い物に行っていた。
彼の格好は時に奇抜で、しばしばぶっ飛んでおり、変わったやつだなあと思って見ていた。
1980年代後半の話だ。

わたしは昔からおじさんなので、ファッションの流行とかはよく分からない。
もとい、おじさんでも流行に敏感な人はいる。たぶん。

ファッションの世界には今年の流行色とか流行のカタチみたいなのがあって、特に若い女性のみなさんは熱心にそれを追いかけたりする。
まあ、熱心には追いかけない若い女性もいるだろう。
そこそこ適当に、ぼちぼち流行について行く人も多いのかもしれない。

さて、ファッションの世界における流行についてふと思いついたことがあったので書いてみる。

ファッションとは大喜利のようなものなのではないか。
「今年の流行」は、ファッションブランドの会社やファッション雑誌とかのメディアが主導して作られる、というような話をよく聞く。
そういう面もあるのだろうし、マーケットサイドで自然発生的に出現する流行もあるのだろう。
とりあえず、意図的にせよ自然発生的にせよ「今年の流行」が、色とかカタチとか「コーデ」とか随時マーケットに提出される。

ファッション好きの人たちは、そういう情報をキャッチして自分の中に取り入れる。
この場合、「流行」は一種の制約条件になる。
なんでもありのファッションではなくて、「流行」というお題が与えられて、そのお題を自分なりにアレンジして、流行を取り入れつつ自分なりのオリジナルを表現した洋服やヘアスタイルや化粧を工夫する。

これってそのまま大喜利だな、とおじさんは思った。
そして、なるほどそういうことならファッションで流行を追いかけるのもけっこう面白いかもしれない、と思ったりした。
冒頭の奇抜な彼も、そういうことでクリエイティブなファッションの楽しみを楽しんでいたのかもしれない。

あるいは、ファッションの深奥にはもっと違う何かがあるのだろうか。
大喜利と一緒なんてとんでもねえよ、と思う人もいるかもしれない。
まあたまたま個人的に思ったから書いてみたまでだ。

しかし、クリエイティブには制約条件があった方が良い、というのは何か真実に近い気がする。
「あった方が良い」というより、「無ければ成立しない」のではないか。

色もカタチもコンセプトも、すべての要素が全部自由で制約なしにファッションをデザインする場合を考えると、これではアイデアが発散してまとまらない。
クリエイティブにおいては、実は制約条件こそがアイデアの「材料」なのだろう。

お金がないとか、容姿がややバランスを失っているとか、脳みそのめぐりがイマイチとか、人間はいつか死ぬとか、人生における諸問題はいろいろあるが、それらの制約条件はすべてクリエイティブの材料なのではないか。

今日はなんだか深イイ話が書けたんじゃないか。
などと思う今日この頃であった。
posted by ヤス at 10:26| Comment(0) | 徒然なるままに