2016年03月10日

占いについて

もう随分昔になるが、わたしは広告業界にいたのだが、その時の仕事のひとつに某電話会社の無料公報誌製作があった。

雑用係の一兵卒として作業に参加していたわたしに対し、回ってきた仕事は占いコーナーの原稿書きだった。
一年間くらいの間、毎月、牡牛座がやばいとか蟹座がラッキーとか適当なことを書いていた。

だから、というわけでもないのだが、現在のわたしは世の中の占い師や占い業界をやや冷めた目で見ている。
あまり大きな声では言えないが、占いに一喜一憂する世の女性たちを、血液型がAB型でどうしたとか言っている人たちを見る目がどうしても冷淡にならざるを得ないのである。

しかしあらためて考えてみると、占いを信じることのすべてが悪いとは言えない、と思う。

「山羊座の人へ、今週は努力が報われる一週間でしょう」

などと占いに書いてあって、なら今週はちょっと頑張ってみようかな、と思うのは悪くない占い利用法だ。

会社をやっているおじさん連中の中にも時々占い好きの人がいて、わざわざお金を出して今後の運勢を占ってもらったりしている、そういう社長がいたりしてやや驚いたこともある。

どこまで本気かは知らないが、「今度店を出そうと思うが、占いによると次に出す店は必ず成功するらしい」とか言ったりする。

社長業をやっている人の場合、時々大きな決断を下さねばならず、そういう決断には少なからぬ勇気が要ってストレスが大きい。
自分の気持ちを後押しし鼓舞するために占いを利用しているのだとすれば、それは占いの良い利用法だと言えるのかもしれない。

一方で、占いに責任を転嫁し主体性を投げ出すような態度があるとすれば、それはよろしくない。
今週は外出を控えるべしとか、大事な要件は来月に回しましょうなど、行動にブレーキをかける類の占い結果には従わないのが吉である、と思うのである。
占いの原稿を書く人も、そういうマイナスのことはあまり書かない方がいいと思う。
今日本国内における占いの示唆する内容が、すべて前向きに人々の背中を押す方向に変われば、世間のようすにいくらか前向きな変化があるのではないか、と思ったりする。


占いというのは、この世界の論理的予測から導かれたものではない。
占い師は、世間の動向云々は考慮せず、主に目の前のクライアントの顔色を見ながら「こういうことを言った方がいいだろう」ということを言っている、と思う。
占いの結果は、占われるその人の中に元々あるのだ。

多くの占いを信じる人は、潜在心理においてこの先の運命が定まっていて欲しい、確たる未来のようなものがあって欲しいと思っているのではないかと想像する。
しかしこの世でこれから起きることは、偶然の出来事の連続であって、確かな未来というものはどこにも無い。
そんな、世の中における足元の覚束無さは精神衛生に良くない。
だから無理やりにでも未来を見通そうと人々は占うのだろう。

なんだか不合理だけれども、自分のような占いを信じないおじさんの心の中にも、きっとそういう要素はある。
それが人間というものなのだろう。
今日のところはそういうことにしておく。

posted by ヤス at 13:02| Comment(0) | 徒然なるままに