2016年03月04日

会社の正直3

会社というのは、商売というのは、正直にあるべきである、という仮説についてしばらく考えてみた。
ものの考え方というのはどんどん掘り下げれば、いくらでも難しく考えることが出来る。

嘘つき会社より正直な会社であった方がいいのは間違いない訳であるが、日常的に大小の嘘をつく人間によって構成され、また競争社会の中で営業的に自社の宣伝が誇大広告気味になる傾向の中では、完全に正直な会社というのはまず有り得ないだろう。


わたしはこれまで社内の構成員の一人として、あるいは外部の関係者として多くの会社がいろんな嘘をつく場面に出くわしてきた。
価格交渉の資料としてなるべく我が社の利益が小さくなるような表現方法の計算書を作ったこともあるし、クレーム処理に際してこちら側に非があったのにも関わらず具体的な釈明を「省いて」すみませんゴメンナサイの一辺倒で切り抜けたこともあった。

そういう場面を思い出すと、そこではなるべく今話していることは必ずしも嘘ではない、多少のごまかしはあるかもしれないがあからさまな嘘で相手をだましているのではない、そういう自分に対する言い訳が出来る余地について考えていたということ。

人間はとっさの嘘やごまかしをしてしまう生き物であるが、生まれながらのサイコパスでない限り、計画的な大きな嘘をついた時には相応の罪悪感を感じるものであろう。
だから嘘をつく会社の社長や社員は、この嘘は別の面からは必ずしも嘘ではないとか、あるいはこの嘘はより大きな正義のためのやむを得ぬ嘘であるとか、わりかしきちんとした言い訳を用意して精神性の崩壊を防ぐのではないだろうか。

ここまでのところを整理すると、会社というのはどうしても大小さまざまな嘘をつく性質を持っている。
だが同時に、重大な嘘については人間の良心がストッパーとなってそうそう簡単に間違いを犯さないようになっている。
そんなところであろうか。


しかし世の中には、法律の敷居をかなり大きく越えるような重大な嘘つく会社というのが時々発生する。
廃棄食品を横流ししたり、決算書をどうにも言い訳が効かないくらいに修正(これを粉飾というのだろう)して銀行から不正に融資を引き出したりする会社が後を絶たない。

考えてみると、そういう重大な嘘をつく会社はある意味追い詰められて弱った状態で、奇跡の起死回生を思い描いて嘘をついたようにも見える。
この間までトヨタと世界販売台数ナンバーワンを競っていたフォルクスワーゲンの排ガス不正の場合は、フォルクスワーゲンは業界的に最強クラスに位置していた訳であるが、その最強イメージが多分にねつ造されたものでその維持に汲々としていた、と見ることも出来るだろう。

要するに、技術を磨き業界内での競争力を維持してきちんと利益を出している限り、重大な嘘をつく必要がない。
会社がその誠実さにおいて真っ当さを維持するには、日々努力を重ねて強い会社であれば良いのである、という結論は、まったく面白味のない普通の話だがたぶんそれが真実である。
逆に今競争力の弱いフラフラ状態の会社でも、正直な状態をキープし続けていればいつか強い会社になることが出来るのではないか。

その辺をこの話の結論、ということにしておく。
posted by ヤス at 08:56| Comment(0) | 徒然なるままに