2016年03月01日

電波停止反対会見


昨日、国会での高市総務大臣の電波停止発言を受けて、田原総一朗氏らが呼びかけ人となってこれに反対意見を表明する記者会見が行われた。

世間では、この問題をどの程度深刻に受け止めているのだろうか。

昨日の会見は一時間程度の比較的短いもので、お世辞にも盛り上がっているようには見えなかった。


個人的に、高市発言は表現の自由を著しく損なうもので、本来なら大騒動になって大臣辞任になってもおかしくないレベルの問題であると思う。
だがいまのところそのような気配は微塵も無いようである。


表現の自由とは、人体に例えるなら神経系の痛覚の機能に相当すると思う。
人体は身体に不調を来したときに、痛みを感じることによってそれを知り、身体を休めるなり適切な治療をすることができる。

痛みを感じない身体では、適切な処置を行う動機が働かない。
痛覚のない人間は、ホラー映画みたいに手足がちぎれても不気味にうごめくゾンビみたいな感じになるだろう。

日本という国は、今まさに痛みを感じる機能を感じを失ってゾンビ状態になろうとしているのではないか。


日本の放送免許が多くの国と違って政府からの直接交付になっているのは、GHQからの独立時に吉田茂が将来を見越した深謀遠慮のすえ実現した策謀であったらしい。

また、日本のテレビ局が支払っている電波使用料は、営業収益の数千分の一レベルの微々たるものである。

そのような事情から、テレビ局はこの問題に正面切って批判がしにくいのはまあ分からないでもない。

ただ、メディアの社会的存在意義は権力監視にあることは、広く国民も、政府も行政機関も周知のことである。
だったら、ひとまず自分達の「不当利益」は棚に上げて、なにはともあれ高市発言に問題提起することが優先されるべきだと思うのだがどうなのだろう。


たいていの人間は毎日生きていると多少の嘘をつく。
また、東芝やフォルクスワーゲンなどの例を見るまでもなく、世の中の企業も時に大嘘をつく。
おそらく、何億という人間がいて何百万も企業があれば、少数ながらも一定割合が犯罪的な嘘をつくのだろう。

市場経済とか、国家システムとかの社会的な仕組みは、そういう犯罪的な嘘を検出して罰を与えることがひとつの役割であるように思われる。

嘘をついていると結果的には経済的損失を被る状況を実現し、世のみんなが正直を保つ動機が継続するための最低限の秩序を維持することによって、この世界が「北斗の拳」のような暴力支配に陥るのを防ぐことで、普通の人間はまず安心して生きていける。

そして今、最低限の秩序を維持していた社会の「タガ」が、カダガタ音を立てて外されようとしている。

日本の国民が、正直ものがバカを見る状態を看過するほどには愚かでないことを信じたい。
posted by ヤス at 14:41| Comment(0) | 徒然なるままに