2016年02月18日

共感能力について

女の人に比較的多いように感じるのだが、映画や小説やテレビドラマ、時にはマンガを読んだときなんかでも感動して泣いた、という話を聞くことがある。
おおよそ泣くタイプの人は、悲しい場面や歓喜のシーンの別に関わらずしょっちゅう泣いている印象がある。
そういえば俳優の西田敏行も探偵ナイトスクープでいつも泣いている。
男でもある程度年をとると涙腺が緩むらしい。

もう何年も前に知り合い数人で地味に宴会をしていたとき、突然約一名の妙齢の女子が何の脈絡もなく号泣を始めて驚いたという記憶がある。
まだ酔ってみだれるというほどに飲んでもいないのに。
その女性はデザインを生業にしているクリエイターで、横にいた彼女の旧友が言うには「こいつは昔からなんか思い出して直ぐに泣く」とかなんとか言っていた。

また最近見る女性アイドルのテレビ番組なんかでも、ひとりの女の子が泣き出したのを受けて泣かなくていいやつまで泣き始めるシーンが、これもよくある。


もう何年もの間泣いたことがないおじさんには、このあたりのメカニズムがよく理解できない。

人間は社会を構成して生きる生き物であり、社会を維持するために相手の気持ちを汲み取る「共感能力」が必要なのだろう。
たぶん。


ただ小学生の頃だったか、友達が右腕(左だったかもしれないが今回は左右の別は関係ない)を擦りむいて血を流しているのを見て自分の右腕がむずがゆくなって、なんか嫌な気分を味わった、というような記憶がある。

痛かったり悲しかったり、そういう負の体験をしている他人がいると、見ているこちらも妙に共感して痛かったり悲しかったり同じ方向の感情が湧き起こる。
子供の頃にはわたしにもそういう時代があった。

そんな負の感情が嫌で、無意識のうちになるべく共感しない方向で自分を抑制していたのだろうか、と、ふと思ったのである。


よく泣く人に対しては、少しうらやましいようでもありまた泣いてばかりは面倒くさいよなあ、とかいろいろ感じる。
映画とかの監督、俳優や、画家、音楽家などなどの表現者においては、過剰なまでの共感能力が才能に直結していることもありうるとは思う。
一方で、他人の情動をクールに俯瞰するタイプのクリエイター、というのもありな気がする。


この文章を書くに当たっての第一の興味は、もう何十年も泣いていないここにいるおじさんの共感能力は、例えば日本人の共感能力分布においてどの辺に位置しているのか。
高いのか、低いのか。

だったのだけれども書いているうちにまあどうでもよくなった。

しかし、共感能力というものはなかなか興味深い。

人間の「感情」と「理性」のバランスは、どちらを欠いても上手くいかないのだろう。
広告企画とかマーケティングとか、それらのバランスが微妙そうな職業ではどうなのか。
それらについて考えたいが長くなったのでまた今度にする。(たぶん)
posted by ヤス at 14:24| Comment(0) | 徒然なるままに