2016年02月06日

生き物的であること

基本的に生き物はナマケモノに出来ていると思う。

その辺にいる犬や猫でも、動物園の象やキリンもパンダもそのライフスタイルは、餌を食う、寝る、暇つぶしに遊ぶの3パターンしかないように見える。

本来の生き物の生き方とは、生命を維持するための餌を獲得するための最低限の「労働」の他には特に働かず、余った時間は眠たければ眠り退屈なら遊ぶ。
それだけである。

そこへいくと人間という生き物は労働に充てる時間が異常に長いようだ。
餌の確保以外にも、建物を建てたり自動車や家電製品やその他いろんなモノを製造したり、挙げ句の果てには歌を歌ったり野球やゴルフをしたりのエンターテイメントの労働も行ったりする。
あるいは貨幣というモノを創造し、それの勘定をしたりという労働もある。

人間を他の生き物と分けている大きな違いとして、生き物としての最低限の労働の上にさらに新しい労働を重ねていってどんどん自らを忙しくしている、という部分があるように思う。


これらはすべて異常発達した人類の脳ミソの機能による。
人類の脳ミソの発達は、元はといえば強靱で鋭い牙や爪を持つ肉食動物に対し人類のか細い肉体でなんとか対抗しなければならない、ということのためにあったような気もする。

が、安全の確保にだいたい目処がついた時点で、人類は脳ミソの機能を便利や快適の追求にも発揮するようになり現代のように便利な世の中が出来上がったのだと思われる。


しかし人類はやはり生き物のひとつであって、生来のナマケモノ気質は脈々と受け継いでいる。
だから何かの拍子に生来のナマケモノが露呈して、その症状が軽い場合は仕事中に茶店で時間をつぶし、重い場合は鬱病などの精神疾患を発病したりする。

これは人類が思いがけず速いペースで猛烈に進化していることが原因であると思われる。
人類の生き物的でない部分、それは文化や文明と言われる部分であるが、それが生き物としてのタイムスケールを遙かに上回る速度で変化している。
そこのところで人類は生き物的でない成分を多量に持つに至った。

だがしかし、人類はやっぱり肉体的には生き物の一種であり、生き物的な部分と生き物的でない部分がどうにも今のところバランスがとれていない、まだまだ進化段階が中途半端である、というのがいろいろな問題の底にあるような、そういう気がしたけれど、あるいはただの気のせいかもしれない。
posted by ヤス at 11:20| Comment(0) | 徒然なるままに