2016年01月12日

経営計画について考えてみる

今日はまじめに「経営計画」なるものについて考えてみたい。
以前にも何度か書いていて、どうせ似たような話になるだろうが、まあ気にせず書く。

経営計画というのはおおむねハズレるようになっているようである。
それはこの宇宙が依って立つところの未来予測の原理的不可能性からも推測出来る。

経営計画の作成をしたり審査をやったことがある人であれば実感としてよく分かるはずだ。

営業マンの受注目標でも同じようなことだと思うけれど、毎月毎月きっちり計画通りの数字を上げている「出来る営業マン」は、目標数字をにらみながら現実をそこにアジャストしているんだろう。
彼(または彼女)がほんとうはちょっと余力を残していることを皆知っている。
逆に言うと計画値に対する余力さえあれば、数字をクリアすることが出来る。

これは会社の場合でも同じで、銀行や投資家に提示した経営計画に対して会社の実力が上回っていれば計画をクリア出来る可能性が高い。
しかし単純右肩上がりでない昨今の経営環境においては、その辺の目測はたいへん難しい。

わたしも生業として会社の経営計画を作っている。
建前としては、「会社が主体となって作成する経営計画」を横で手伝っている。

で、銀行に対して必ず言うセリフ(夢遊病患者のように半ば無意識に言っている)は、

「売上も費用もかなり堅めに作ってあります」だ。

しかし結果、往々にしてゆるゆるのことが多いらしく残念ながら計画下振れに終わることもしばしばである。
ひとつ言い訳をするならば、あまりに馬鹿正直にほんとうに堅めに作ると、銀行様の想定する与条件に届かないのである。
だから様々なテクニックを駆使し、リスク回避的な売上計画と余裕を見越した費用計画にもかかわらず与条件を満たす利益とキャッシュを捻出するような、四次元空間的経営計画を作成するハメに陥る。

しかしそこは銀行(の担当者)も大したもので、そういう事情は先刻承知であって、四次元空間にひそむ時空のゆがみに対し無粋なチェックが入ったことはないのである。

あんまりそんなことを書いていると仕事の信用に差し支えるかもしれない。


とりあえず、昨今における経営計画作成作業というのは、四次元空間を駆使して光の速さを超越するようなアクロバティックなものになることが多い気がする。
というか、経営計画というのは昔からそういう本質的一面があったのではないか。
そしてそのアクロバット計画は大人の包容力によってかろうじて存在を許されている。

かと言って計画を無しにすればいいかというと、大人の事情的にそれは絶対困るのである。

結局この経営計画というのは一体何なのだろうか。
今日はいい加減字数が多くなったので、気が向いたらまた明日考えてみよう。
posted by ヤス at 14:22| 徒然なるままに