2016年01月08日

表情が語ること

誰が言ったかしらないが、男の顔は履歴書だという。
人の顔の表情とか雰囲気には、おそらくその人のそれまでの人生が刻まれているだろう。
そんなことをうすぼんやりと考えながら今朝道を歩いていて、すれ違う人の顔をながめてみた。

それらの人々はたぶん100%見ず知らずである。

すれちがう人の顔をながめてみて思ったのは、履歴書というほどにはその人となりは全然わからないなあということ。
まあ知らないんだから当然だ。

それよりかは、朝のおそらく出勤途中だったであろう人々の顔には、出勤にともなう緊張感というのか、たぶんそんなに楽しそうでもなく、しかしほどほどに前向きな、そういう朝の時間帯共通の表情があるような気もした。


人間の顔の表情というのを考えると、これはおそらく言語が登場する以前はコミュニケーション手段としてものすごくウエイトが大きかったのではないかと想像する。
人間は数ある動物の中で表情筋が特に発達しているそうであるが、それもこれも、ある程度大脳が大きくなっていろんなことを考えるようになり、それを仲間に伝えないといけない、伝えたい、というケースが増えてきた、そんなことがあったのではないかと思う。

腹が減ったとか、近くにライオンが居るぞとか、おねえちゃんかわいいねえとか、原始人の集団の中にもいろいろなコミュニケーションのニーズがあったはずである。
で、伝えたいことを身振り手振りとか叫び声とか駆使して伝えるわけであるが、言語が無い状況下では、顔の表情をいろいろ変えるのがいちばん細かいニュアンスが伝わるような気がする。

そして伝えたいことランキングのかなり上位にセックスアピール的なことがあったはずで、言葉がない時は顔の表情ひとつで男を誘ったりおねえちゃんを口説かないといけない。

このようにしていわゆる美男美女の概念の元祖がつくられたのではないか。


言語というのは考えてみると、おそろしく精巧にできている。
言語誕生以降の人類は、その思考の大半を言語の組み立てによりデジタル的に行う。
そうでもしないと伝わりきらないほどに、細かいニュアンス、たくさんの情報を伝えたいというニーズがあって、ものすごくCPUパワーを消費するにもかかわらず言語使用が定着したのだろう。

考えてみると言語以前の原始時代には、外国語の壁や言葉による誤解とかいう問題も無かったわけで、言葉がない原始のコミュニケーションは、どんな風だったのかと想像すると興味深い。

ただ、すれ違う人の顔をあまりガン見しているとちょっと変な人みたいなので気を付けないといけないな、と思った。
posted by ヤス at 13:26| 徒然なるままに