2016年01月05日

ウルトラマンは変身する

わたしが子供の頃、ウルトラマンや仮面ライダーのテレビ放映は日常の娯楽におけるかなり上位にいた。
一人で観るより楽しいということで、近所の友だちの家に押しかけて一緒に観たりもした。
どちらかというと仮面ライダーよりウルトラマンの方の記憶が強い。

時間軸的に、わたしが毎週興奮して観ていたのは「帰ってきたウルトラマン」であろう。
いわゆる「初代ウルトラマン」は再放送で観たけれど、「帰ってきた」に比べてウルトラマン本体のデザインも空を飛んで怪獣に攻撃を加える飛行機もなんとなく古くてダサい感じがした。

今になって考えると、円谷プロの製作陣は「初代」の経験を下敷きに予算もスタッフもパワーアップして「帰ってきた」を作ったのではないかと想像する。


ところで、30分番組のウルトラマンのクライマックスは、主人公が変身して怪獣と3分間だけ戦い、スペシウム光線で留めを差すくだりである。
毎回毎回、飽くことなくこのパターンが繰り返され、我々少年たちは興奮してそれを観た。

主人公はウルトラマンに変身出来る。
そのことがウルトラマンの番組としての大きな「惹き」であったことはたぶん間違いない。

ウルトラマンを観た後の少年たちは、まるでウルトラマンの霊が憑依したかのように「シュワッ」みたいな奇声を発していろんなもんを蹴ったり殴ったり暴れまわったもんである。

ウルトラマンの後仮面ライダーが出て来てこちらもやはり変身可能なヒーローとして登場した。
さらに続くゴレンジャーなどの戦隊ものでも変身のパターンは踏襲される。

しかし一方でアニメを中心とするロボットものでは、当然ながら変身はない。
鉄腕アトムも鉄人28号もマジンガーZでも人間はあくまで人間。
人間はロボットを操縦するだけの無力な立場として、その意味ではウルトラマンよりは随分リアルな気分で作られているのである。

当然、変身しないロボットアニメを観た後の少年たちは、ロボットによって憑依されようがない。
少年たちもときどきはマジンガーZになって敵のロボットと戦うこともあったかもしれない。
だがそれはマジンガーZが憑依したのではなく、少年がマジンガーZを演じているのに過ぎない。

そういう意味で、ロボットものはリアルでヒューマニズムの色が濃い。
一方の変身ものは超越的で、あるいは宗教的と言ってもいいかもしれない。
だから変身ものはより没入出来た、興奮出来たように思う。

本当は人間の変身願望について書こうと思ったが話が逸れた。
とりあえず大昔に観たウルトラマンはなんであんなに興奮したのかについて、少し思い出してみたのだった。

posted by ヤス at 10:59| 徒然なるままに