2016年01月04日

植え込みのケモノ道より

スーパーマーケットの駐車場には、だいたい植え込みがあって、エリアを区切る仕切りみたいになっている。

横着をして隣の区画に行くのに植え込みをまたいで行こうと思うのだが、最近のスーパーは植え込みの手入れもきちんとしていて人間が横切れそうな隙間が出来ている箇所がなかなか見つからない。
(良い子は植え込みを横切らないようにしましょう)

それでも中には、人がたびたび通ったらしく、そこだけ2、30cmくらい枝葉が途切れて隙間になり、踏みならされて土の面が露出したけもの道状態の箇所があったりする。

そういうけもの道を見つけると、ついそこを通ってショートカットしたくなるのが人情であろう。

そんなスーパーの植え込みに出来たけもの道を見ていて、「道」というものの起源に関する疑問が頭をよぎる。

人類史において「道」というのはいつ頃出来たものなのだろう。

それはたぶん最初は森の中に出来た一筋のけもの道みたいなのだっただろう。
昔、中学の頃に山に入って道のないヤブよ中、木の枝やらクマザサやらをナタで切りながら歩いたことがあった。

それはちゃんと切り開かれた遊歩道を進むのの何倍もしんどくて時間もかかって大変だったという記憶がある。

やっぱり、出来ている道を歩くのは道なき道を歩くより随分と楽なのだとあらためて思ったのである。

もう少しちゃんとした道、例えばローマの街道とか東海道五十三次の道とかだと、進みやすくて楽チンという以外にも、この道を進むとどこそこの街に到着出来るというナビゲーションの機能も果たしただろう。

現代の日本では、こんなとこにも道はあるかというくらい山奥でも海岸線の崖っぷちにも縦横に道が走っている。
Google マップの航空写真で見ると、日本の国土はシロアリに喰われた家の柱のように見えなくもない。

おそらく道というのは、人類が生存圏と定めたエリアを示す文明の痕跡としてもっとも分かりやすいものだろう。

しかし最近の人類は空を飛ぶことを覚えて、ひょっとしたら有史以来の道の意味が変わってきているのではないかとも思う。

街に住む人類の大多数が自家用ヘリコプターかなんかで飛んで移動するようになるにはまだしばらくかかると思うのだけれど、そうなったら道の持つ意味ががらりとパラダイムシフトするのかなあ、と、ぼんやり考えたりした。
posted by ヤス at 11:59| 徒然なるままに