2015年12月24日

アナログとデジタル

いつの頃からか、うちにある時計は概ねデジタルになっている。

かろうじて、今使っている8千円のカシオの腕時計はアナログである。
それ以外は、卓上型のデジタルの目覚まし時計が屋内のあちこちに分散配置されている。

時計の表示方式が、アナログとデジタルのどちらが優れているのかは、デジタル時計黎明期にはよく聞かれた議論であった。
アナログ時計は12時間の時間表示の中で現在時を把握出来るという点が良いらしいし、デジタルでは何分何秒の数値が正確に認識出来る。

しかし現在では、高級時計はほぼもれなくアナログであるのに対し、デジタルはスポーツ用途などの機能性に特化したものか100円ショップに出るような低価格品のどちらか、という具合に収斂したようである。

また世の中では、旧世代はアナログでデジタルは新しい、という類型化が行われるけれど、あれは本当なのだろうか。



ここでアナログ時計とデジタル時計の性格を分ける要素として、両方式の時間表示の認識プロセスについて考えねばならない。

わたしの幼少期の記憶のひとつに、時計の時間が読めるようになったのをおばあちゃん(いわゆる祖母)に褒められた、というものがあった。
無論当時デジタル時計はほぼ無い。

時計が読めない、というのは今日においてもおバカアイドルのトークネタになるほど、相当程度の認知能力を必要とするらしい。
デジタル時計が表示板の数字を読み取ればいいだけなのに対し、アナログ時計では、脳みそのやや高度な空間認識機能を動員して時計が示す値を推定しなければならない。

「文字盤の針の位置を見る」から「時間の値を認識する」までのプロセスが、アナログの方はひと手間余分であり、かつそのひと手間は脳みその情報処理パワーを若干消費するものである。
なおかつ、アナログ時計で読みとった値は、はたして10時12分なのか13分なのか、12分47秒なのか48秒なのか今ひとつ判然としない。

アナログ時計の時間読み取りが今ひとつ判然としないことは、遅刻の言い訳にはよいかもしれぬ。

デジタル・アナログ問題における主要論点は、物事を白黒はっきりさせるのかそれとも曖昧なままぼんやりさせておくのかという世代間抗争もあるけれど、もうひとつ表示を読み取る際の脳機能プロセスの問題もあるようである。

ところでこの宇宙の本質は基本的にデジタルである。
宇宙の森羅万象は、素粒子という最小単位の集合で出来上がっているからである。
宇宙に存在するモノが素粒子の「粒」によって出来上がっている時点で、無から有へのなめらかな連続性は否定される。

この宇宙は、細かく見るとギザギザの階段状になっている。

しかし宇宙は果てしなく曖昧でぼんやりしていてよく分からないようにしか見えない。
その点できわめてアナログっぽい。

話がだんたん果てしなくなってきそうなので、特に結論は無いが今日は終わる。

posted by ヤス at 11:30| 徒然なるままに