2015年12月15日

プリウスと五輪のデザイン

新しい「新・国立競技場」のプランが2案出てきた。
報道によると今後ウエブサイトを通じて国民や選手の意見を集めて決めるらしい。
前回のザハ案にさんざん文句を付けていたので今回の案に文句は言いづらい。
出てきた2案については、1500億円の予算と納期が決まっている中で日本的建築を構想するとこうなる、という物凄くまとまった案であるように見える。
逆に、見た感じの爆発力はやはりザハ案が抜けている。
ただし爆発のために莫大な予算を要する点で今回のような案が着地点としての現実ラインなのだろう。
出来れば「建設しない」という方向のラディカルさを目指して欲しかった、と個人的に思うところであるが、行政官僚機構の性質上今回の案が最良の着地点なのである、と思うことにする。

それから広く国民の意見を聞く、というのも盲点となりそうな意外な論点を拾い出すために有効と思うが、このような場合の「意見を集める」は「責任を分散する」と同義であることが多いから注意が必要だ。

思うのは、今度の東京五輪にあたって誰か一人総合プロデューサーがいたほうがよい、ということだ。

前回の東京五輪の時は高度成長期で日本中インフラ整備で土煙が上がっているような時代であり、五輪のコンセプトは、ある共有イメージとして知らず知らずのうちに国民の間に存在していたように思う。

ベクトルが定まらない現代においては、明示的なコンセプトを打ち出さないと国民的一体感が出来ないだろう。

そして、広くみんなに刺さるコンセプトは、民主主義的多数決からは生まれない。
それは少し狂っているくらい強烈な、一人の人間の個性から出てくるものであろう。


話は変わるが新型プリウス。
今納車4ヵ月待ちらしいが、あのデザインが巷で議論を呼んでいる。

雑誌で初めて見た時はわたしも何じゃこれ、と思った。

トヨタの自動車開発は主査制になっていて、デザインとかエンジンとか足まわりとか各部門の責任者がおり、全体を統括する主査が最終的にすべての決定権を握っている。

そしてあのデザインも主査が決定を下したもので、その最終決定は役員の合議によるものでもなく、開発メンバーの多数決でもない。
主査個人の判断によって下されているからあんな突飛なものが世に出てくることが出来る。

あのデザインは、デビュー時点のインパクトやモデル末期までのデザイン鮮度の維持なども考慮した上で、「売れる」デザインになっているものと思われる。

仮に他の誰もが反対しても主査一人がこのデザインがベストと言えばそれが通るようになっている。

主査は会社からその眼力を見いだされ、全権を与えられ、失敗すれば責任を負う。
そういう修羅場からプリウスのデザインは出て来たのだ。

新型プリウスはとりあえず売れているようなので、主査の首はまず安泰のようであるが。

少し長くなった。

意思決定方式としての民主主義的多数決は必ずしも最良の結論を出さない。
このことについては他にもいろいろ思うことがあるのでまた次回以降で。
posted by ヤス at 10:29| 徒然なるままに