2015年12月09日

お笑い業界の高度化について

昨日ネットの動画でお笑いのテレビ番組を見ていて、最近のお笑いは昔よりもかなり技術レベルが上がっているんじゃないかと、ふと思った。

今のお笑い界には、NSCとかの大手のお笑い養成所がいくつかあってその存在が広く知られている。
学校時代に面白さで自信のあった人たちの何パーセントかがお笑い養成所に行けばそれで何万人とかのボリュームになり、その中のほんの一握りが生き残るサイクルが、今は出来ている。

昔は師匠が弟子をとって雑巾がけから始めてだんだん芸を仕込んでいくシステムが主体であっただろう。

徒弟制度が一概に悪いとは言えないのかもしれない。
だが、徒弟制度では師匠に仕込まれる内容によって芸の幅が狭められたり、師匠の引き立てをテコに仕事を取ることによる基本的生存能力の弱体化が生じることなどが想像される。

一方の養成所方式は、教えてもらうのはごく基本的事項だけであって、芸人として食っていくためには芸風の方向やネタの内容などは自力で考えないといけない。

間の取り方やボケ・ツッコミの約束事、劇場ライブにおける瞬発力などの現場能力を身に付け、キャラ設定や仕事の主戦場選びなどのセルフプロデュースも重要だ。

情報化社会の今日では、過去の芸人たちの膨大な蓄積にも簡単にアクセス出来る。
過去のネタ動画をたくさん見て学習することも、現代の芸人なら皆普通にやっているだろう。

最近のお笑い番組で芸人たちのネタを見ていると、養成所システムを経て地道な学習を続け、その結果何万人の中から生き残ったという感じの完成度を何となく感じるのである。

養成所システムの欠点のひとつは、結果として生き残らなかった元芸人志望者を何万人も出してしまうことだろう。
そういう意味では徒弟制度はエコなシステムと言えなくもない。

それと、多くの芸人が正統派漫才やらリズムネタやら裸ネタやらあらゆる方向性を試していることによって、たいていの面白いアイデアが「使用済み」になってしまって、全く新しいアイデアの創造がだんだんハードルが上がって行く。

今の日本のお笑い業界は、そういう高度な成熟化の時代を迎えているように感じる。

それでもなお、今日も新しいネタの方向性が創造され、そのうちの大半がつまらなくて、でも10のうちひとつふたつくらいウケるものがある。

養成所を基盤とする競争システムはたぶん、お笑いを面白くするのに有効に機能している。
しかし競争社会は過酷である。

でもまあとりあえず、芸人でないわたしとしては、お笑い番組がゲラゲラ笑えて面白ければいいか、と思ったりした。
posted by ヤス at 11:02| 徒然なるままに