2015年12月11日

相談についての相談

誰かに何かを相談されて何かアドバイスを返さないといけない、というときにもっとも大事なことは、やや過剰なほどに自信をもって答えることであろう。

この場合、アドバイスの内容そのものはそれほど重要ではない。
まあまれに、まずいアドバイスを与えて相手がそれを受け入れた結果大惨事が起きることもあるかもしれない。
いや、たくさんの相談を受けて多くのアドバイスを返していれば、ある一定の確率で惨事は起きるだろう。

このようなリスクに対してはどう考えればよいのか。

アドバイスを与える人は、そういうリスクを気にしてはいけない。
惨事は確率的に発生する不可避の事象だ。
不可避であるなら気にしてもしようがない。

そもそも相談者が欲しているのは、意思決定の踏ん切りがつかないときにその踏ん切りをつけるための一言であろう。

アドバイザーの役割は、よい内容のアドバイスを与えることではなく、踏ん切りをつけるに際し、そっと、しかし自信満々に相談者の背中を押して差し上げることだ。

そもそも、未来がどうなるか分からないことに関しては、相談者もアドバイザーも立場はさして変わらない。

アドバイザーがしかるべき肩書きを持っているとか、専門知識があるとか説得力のある上手い喋りが出来るとかは、自信に満ちたアドバイスのための周辺装置に過ぎない。


しかし、間違ったアドバイスによって惨事が発生したとき、相談者はアドバイザーに文句を言うかもしれない。
あるいは突然掴みかかってきたり、または裁判所に損害賠償の訴えをされるかもしれない。

でも、心配は不要だ。
決めたのは相談者の方である。
アドバイザーは助言を与えただけだ。
すべての責任は相談者にある。
「よい相談者」はそのことをよく理解している。

アドバイザーは「悪い相談者」に当たらないように気をつけよう。

アドバイザーというのはたとえ万一惨事が起きても、いつだってその危険が及ばない所にいることができる。
常に安全だからだからこそ「よいアドバイス」が可能である。


人に自信に満ちたアドバイスをするために上記のように思い巡らしてみた。
上記の心構えで人にアドバイスを与えるということでオッケーかどうか、誰かに相談してみたい。
posted by ヤス at 11:01| 徒然なるままに

2015年12月10日

法人減税

法人税率が下がるようだ。

法人実効税率が下がる代わりに外形課税の割合を増やすようでもある。
外形課税は企業がたとえ赤字でもかかる。

全企業の7割が赤字と言われているから当然反発も予想されるが、これに対しては赤字企業の多くを占める中堅企業に配慮する、つまりなんらかの支援策の実施によって乗り切る方針のようである。

これは企業の立場に立つならば、当然歓迎すべき方向性のように思われる。
特にずっと黒字を続けている企業にとってはメリットは大きい。
一方で赤字体質の企業にとっては厳しい話になる。

中堅企業への支援策がどのような内容になるか知らないが、上記の方向性は悪いことではないと思う。
赤字体質企業の退場が促進されることで、産業全体の新陳代謝の活性化が期待出来るからだ。


しかしもうひとつ、減税の目的とされる賃金アップ、設備投資拡大については、たぶん効果はない。

どちらかというと、法人減税によって賃金圧縮、設備投資縮小の力が働くのではないかとさえ思える。

税率が高い状態で多額の利益を出すと、多額の税金を持って行かれる。
だから黒字が予想される企業では、利益を圧縮するためにクルマを買ったりパソコンを買い換えたり従業員のボーナスをはずんだりして費用を増やそうとする。
少なくともわたしの周辺の企業ではそうするところが多い。

でも税率が下がると前より利益が出しやすくなる。
費用を上積みして利益を圧縮しようとする動機が減税分だけ減るのではないだろうか。

というのが、法人減税によって賃金アップ、設備投資拡大が実現するという説明に対する素朴な疑問だ。

法人減税は、儲かっている企業の経営者や株主の立場ではデメリットはまったく無いだろう。
利益を出しやすくなれば、内部留保をさらに積み増ししやすくなる。
そうなれば株価もさらに上がるだろう。
また、損金計上されない土地の購入や銀行借入の返済を促進する効果もあるかもしれない。
そうなると土地が上がり、銀行の企業貸付残高が減少することになる。

しかし世の中の多くの儲かっていない赤字体質の中小企業や従業員の立場にある一般市民にとっては必ずしも良い話ばかりではないと思う。

わたしは法人減税には必ずしも反対ではないが、今聞こえてくる話はかなり脳天気なものばかりであるのが物凄く気になる。
posted by ヤス at 11:34| 徒然なるままに

2015年12月09日

お笑い業界の高度化について

昨日ネットの動画でお笑いのテレビ番組を見ていて、最近のお笑いは昔よりもかなり技術レベルが上がっているんじゃないかと、ふと思った。

今のお笑い界には、NSCとかの大手のお笑い養成所がいくつかあってその存在が広く知られている。
学校時代に面白さで自信のあった人たちの何パーセントかがお笑い養成所に行けばそれで何万人とかのボリュームになり、その中のほんの一握りが生き残るサイクルが、今は出来ている。

昔は師匠が弟子をとって雑巾がけから始めてだんだん芸を仕込んでいくシステムが主体であっただろう。

徒弟制度が一概に悪いとは言えないのかもしれない。
だが、徒弟制度では師匠に仕込まれる内容によって芸の幅が狭められたり、師匠の引き立てをテコに仕事を取ることによる基本的生存能力の弱体化が生じることなどが想像される。

一方の養成所方式は、教えてもらうのはごく基本的事項だけであって、芸人として食っていくためには芸風の方向やネタの内容などは自力で考えないといけない。

間の取り方やボケ・ツッコミの約束事、劇場ライブにおける瞬発力などの現場能力を身に付け、キャラ設定や仕事の主戦場選びなどのセルフプロデュースも重要だ。

情報化社会の今日では、過去の芸人たちの膨大な蓄積にも簡単にアクセス出来る。
過去のネタ動画をたくさん見て学習することも、現代の芸人なら皆普通にやっているだろう。

最近のお笑い番組で芸人たちのネタを見ていると、養成所システムを経て地道な学習を続け、その結果何万人の中から生き残ったという感じの完成度を何となく感じるのである。

養成所システムの欠点のひとつは、結果として生き残らなかった元芸人志望者を何万人も出してしまうことだろう。
そういう意味では徒弟制度はエコなシステムと言えなくもない。

それと、多くの芸人が正統派漫才やらリズムネタやら裸ネタやらあらゆる方向性を試していることによって、たいていの面白いアイデアが「使用済み」になってしまって、全く新しいアイデアの創造がだんだんハードルが上がって行く。

今の日本のお笑い業界は、そういう高度な成熟化の時代を迎えているように感じる。

それでもなお、今日も新しいネタの方向性が創造され、そのうちの大半がつまらなくて、でも10のうちひとつふたつくらいウケるものがある。

養成所を基盤とする競争システムはたぶん、お笑いを面白くするのに有効に機能している。
しかし競争社会は過酷である。

でもまあとりあえず、芸人でないわたしとしては、お笑い番組がゲラゲラ笑えて面白ければいいか、と思ったりした。
posted by ヤス at 11:02| 徒然なるままに

2015年12月08日

12月8日にぼんやり考えた

12月8日は、言わずと知れた真珠湾攻撃が70年前に行われた日である。
真珠湾に先立つこと1時間半前には帝国陸軍主体のマレー作戦が開始されており、この日太平洋戦争の火ぶたが切られた。

過去の出来事というのは、終わった後にいろいろ評論するのは簡単だ。

真珠湾攻撃では、当初の日本軍の構想通り米艦隊の動きが半年間封じ込められ、その間にアジア南方地域を占領する事に成功した。


しかし結局のところ、アメリカは戦争終結までに3万トンの大型空母エセックス級だけでも20隻以上、小型の軽空母・護衛空母に至っては約百隻ほど量産して戦場に送り込んできた。
同じ間に日本では正規空母が5〜6隻、商船改造空母などを合わせても10隻程度を建造するのがやっとだった。

空母建造隻数だけ見ても、日米の物量差は隔絶していて勝敗の帰趨は明らかであり、たぶん当時の日本軍首脳もそのことは分かっていた。

分かっていたけれど日本は戦争を開始した。


細かい政治的過程はともかく、大きな歴史の流れとして70年前の戦争を俯瞰するなら、日米の衝突は不可避であったように思われる。

ペリー来航の頃からその歴史の流れはうねっていて、日本がアメリカの覇権の傘に入ることは歴史の必然であったように思う。
まあ後知恵であるけれど。


話は変わる。
10年前の12月8日はAKB48が最初の公演を行った日でもある。

AKBというのも、いつも思うのだが、よくこんな突拍子もない多人数アイドルの企画を始められたなあ、と感心する。

それが曲がりなりにも10年続き、日本の音楽産業をはじめとするエンターテイメント業界に大きく影響を与える規模になっている。


考えてみると、戦争というのは始めることは出来ても上手に終わらせることが非常に難しい。
一方、AKBとかその他の多くの経済活動は、始めるのは簡単だが無事に続けるのがけっこう難しい。

両者を比較するのも無理な話であるが、「続けるのが難しいこと」をがんばって何とか続けることの方が、より創造的で価値があるような気が、何となくした。

posted by ヤス at 16:06| 徒然なるままに

2015年12月07日

セブンの温度管理


さっきセブンイレブンで買ったサバの生姜醤油煮を食った。
美味かった。
セブンには他にも、鯖の塩焼きとか銀鮭の塩焼など袋モノの魚商品が売られている。
また、魚以外にも筑前煮や豚汁などもあり、このどれもが美味い。
(少なくともわたしにとっては美味い)

ローソンやファミマ、サークルKなど他コンビニの同様商品も試すのだが、やはりセブンがラインナップの豊富さ、美味しさにおいてかなりリードしていると思うのである。



現在コンビニエンスストアは日本国内に5万4千軒以上あるらしい。
ひと昔前には3万軒くらいと言っていた記憶がある。
この10〜20年くらいでかなり増えているようだ。

調べてみると、3万軒を超えたのが1995年、4万軒を超えたのが2006年、そして2014年に5万軒を超えているようだ。
直近5年くらいの伸びが凄まじい。
で、店舗数増加に貢献しているのはセブンとファミマの2社である。
両社とも最近は対前年1割弱増しの勢いで店舗を増やしている。
この2社以外は横ばいまたは微減であるようだ。


それにしても、セブンは凄いなあと思う。
冒頭書いたように、その凄さは商品力が凄い、ということだと思うのだが、それは商品開発力が凄いというだけではなくて、商品をものすごく大事にしているということなのだと思う。


以前にも書いたことがあるけれど、わたしはしばらくまえからアイスクリームにはまっている。
以前はぜんぜん食べなかったのが、最近はほとんど毎日のように喰らっている。
というのは恥ずかしくてあまり大きな声では言えないが、そんなことはまあどうでもいい。

で、よく買うのは明治のエッセルスーパーカップ超バニラ200mlというやつである。
アイスクリームは、最近評判の悪いトランス脂肪酸が多量に含まれていて、食べるたびに多少引け目を感じるのだが、そんなこともまあどうでもいい。

ここで注目したいのは、セブンのエッセルスーパーカップは温度管理がもの凄くちゃんとしていることである。
セブンのエッセルスーパーカップには、霜が全く付着していない。
温度管理の杜撰な冷蔵庫内の食品には霜が付く。
近所のマツモトキヨシのスーパーカップは霜まみれで、ほぼいつ買っても霜を取らないとバーコードが読めない。
あるいはサークルKのスーパーカップは、蓋の内側に一回溶けたアイスクリームが再度固まったのが黄色くなって付いている。
天満屋ハピーズやマックスバリューなどのスーパーマーケットはわりかし頑張っているけれど、やはり霜が多少付いたりしていることがある。

温度管理は食品管理の基本であろう。
セブンのアイスクリームは他店舗と比べてその厳密さが段違いに優れているように思う。

ということで、わたしは今日も各小売店の温度管理の状態を調査するために、明治のエッセルスーパーカップ超バニラを買う。
そういうことにしておく。

posted by ヤス at 12:34| 徒然なるままに

2015年12月06日

危機的状況

今、世の中には危機的状況がいたるところにある。
まず、テロや戦争や紛争の類が後を絶たない。
戦争や紛争ならある程度発生しそうな地域が分かるから、そこに近づかなければいいけれど、テロの場合はどこで発生するか、その範囲が広くなるのでその分恐ろしい。



自然界を描いたドキュメンタリー番組で、水牛が水辺に近づいて水を飲もうとするシーンがあったりする。
次の瞬間、水からでっかいワニが飛び出して水牛の首根っこにガブリと噛みつく。

わざわざワニの出そうな水辺に近づくなんて、水牛も馬鹿だよなあと思ったりする。

でも水辺に行かないと水が飲めない。
また水を飲みに行った100頭の水牛のうちワニに食べられるのが2〜3頭とすれば、水牛の群れ全体としてはなんとか生き延びている。

自然界に生きる水牛的には、水辺にはワニがいて草原にはライオンがおり、水を飲んでいても草を食べていてもそこには危機的状況が隣り合わせにある。


考えてみると、生きるというのは危機的状況と隣り合わせにある、ということのように思われる。
生きているということは、死ぬ可能性があるということだ。
逆から言うと、死ぬ可能性があるからこそ生きていられる、ような気がする。

話がまたややこしくなってきた。

世の中の危機的状況についてである。
世の中にはテロ以外にも、政府の財政がパンクしそうだとか、勤めている会社が倒産しそうとか、夫婦仲が決裂したとかあらゆる危機的状況が溢れている。

でも、自然界の法則の立場から見ると危機的状況こそがデフォルトなのではないかという気がする。
危ない状況は、生きていることの証ではないか。
ただ、人間のテクノロジーは自然界のレベルを遙かに越えていて、ワニが水牛を自分の食べる分だけ殺すのに比べて、人間は大量破壊兵器で人間の群れごと一網打尽にしたりする。

そういう人間のテクノロジーの激しい進化は、天上の神様も予想外だったかもしれないが、たぶん人間はこの何万年もの間、危機と向き合い必死に生き延びてきたのではなかったか。

いい会社ほど危機に向き合い、いろんなことにチャレンジして自ら危機的状況を作り出しているのではないか。
危機的状況がほとんど無い安定した会社は、たぶんもうすぐ終わる会社なのではないか。

生きることは、エントロピーの法則的にたぶんとっても不安定なのである。
だから人生は常に危機とともにあるんだよなあ、と思った。

posted by ヤス at 12:15| 徒然なるままに

2015年12月05日

マラソンの気持ち

1週間前に、久しぶりにフルマラソンを走った。
走った、というほど疾走したわけでもなかったのだが、まあとりあえず走った。

今回も25kmあたりでがっくり来て、そこからどんどんラップが落ちて、35kmくらいからは歩いた方が速いんじゃないか、というペースになった。

でもまあ、なんとかがんばって歩かないように、給水も止まらずに走りながら取って、一応格好つけて紙コップの口をグシャッと潰して走りながら飲んだ。

今回の大会は参加者200人くらいで、コースは河川敷で一般道を通らない。
だから応援もほとんどいない。
参加者が少ないのでレース後半はランナーの間隔が開いて一人旅状態。


残り10kmくらいからは、脚は痛いし、全身のグリコーゲンが枯渇した虚脱状態に陥った。
それでもなんとか最後まで歩かずに、最終的にはキロ8分くらいのペースまで落ちながらもなんとかゴールした。

今回は久しぶりに肉体の限界を超えた感じがした。
そしてマラソンというのは本当に健康に良くない、と思った。
まったく、健康のためには途中で歩いた方がたぶん良かった。


あらためて思ったのは、42kmはなかなかの距離だなということ。
これは、一人の練習では気軽に走れる距離じゃない。

それと最後の8kmくらいの悶えるような苦しさは、練習では再現出来ない。

そう、マラソンでいちばん苦しいのはラスト10km地点だと思う。
30km以上走ってすでに身体がガタガタになっていて、その状態であと10km走らないといけない。

これであと1時間以上走るのかよ。

このときの精神と肉体の状態が、いちばん辛い。
ラスト8kmから7km、6kmと進んでいくのだが、マラソンの前半と後半では1kmを進む感覚が10倍ほど違う。
でも、これがラスト3kmくらいにさしかかると俄然楽になるから不思議なのだ。

いや、身体は相変わらず辛い。
でも、気持ちの方で元気が少しだけだが出てくる。
脳の中でおそらく、ノルアドレナリンかエンドルフィンか分からないが、何か苦痛をやわらげる分泌物が出ているのだろう。

今回は走った後も、脳内で苦痛緩和分泌物が出ている感じが残っていて、1週間経った今でも、ほわんと、何だか気持ちいいような気がする。
気のせいかもしれないが。

気持ちが良くなったついでに、年明け2月のきびじマラソンにもエントリーしておいた。
きびじマラソンでは、最後まで格好よく疾走出来るように今からちゃんと練習しよう。

ということでマラソンはかなり苦しい。
金払って自ら苦しい目に会いに行くという矛盾。
しかも確実に健康に良くない。

しかし時々、ほわんと気持ち良くなる。
だから続けられるのに違いない、と思った。
posted by ヤス at 15:08| 徒然なるままに

2015年12月04日

GMS不振で考えたこと


イトーヨーカドーが不採算店を大量に閉めるらしい。

セブン&アイグループのGMS事業部門であるイトーヨーカドーは営業利益ベースで赤字体質になっており、事業としてはすでに終わっていると言える。

海外の株主からGMS事業を切り離せという提案も出ていた。

そしてライバルのイオンもGMS部門は赤字である。

大規模小売業の世界ではもう随分前から専門店化の流れが進んでおり、その流れの中でヤマダ電機なんかも急成長することが出来た。

ところが、そのヤマダ電機すら「専門化」の程度が甘いということらしい。
この5〜6年は売上が漸減、利益の方は急激減している。

でっかい店舗に売れ筋商品をたくさん並べて大量に売る、というモデル自体がもう古いのだろう。

このモデルは、そもそも経済的中間層をターゲットにしたものであった。

顧客層のピラミッドの真ん中あたり、そこそこのボリュームとまずますの客単価の層が、昔はひとつの業態でカバーできていたのが、嗜好の細分化によってだんだんカバーできなくなってきた。

で、これからどうすればいいのか。


最近、アイドルのAKBのテレビ番組で、メンバー自身が自分の好きなユニットをプロデュースしてみる、という企画をやっていて、それ自体はまあ他愛もない内容だった。

でもいかにもAKB的な番組企画だとも思ったのである。
そもそもAKBの成り立ち、っていうのは、アイドルタレントのプロデュース過程そのものをコンテンツ化する、というものだった。

世の中のどのタレントでも、それなりにプロデュースされて出てきているのだろうが、AKBみたいに舞台裏を見せることで、メンバーはもとより関係スタッフの「マジ」がファンの共感を呼ぶことが証明されたのではないかと思う。


で、GMSの不振である。
GMSで売られている商品は、たぶんそれなりにプロデュースされ、企画されたものであるはずだ。
でもそれが伝わって来ない、っていうのがあると思う。

あるいはプロデュースの本気度が足らないのかもしれない。

ともかくも、今の世の中商品に込められたプロデュースの過程をどんどん見せていくことが必要なのではないか。

それは、十把ひとからげのGMS業態では難しいのかもしれない。

昔、子どもの頃、倉敷駅前のダイエーに土日のたびに通ったことを思い出しながら、そんなことを考えた。
posted by ヤス at 12:43| 徒然なるままに

2015年12月03日

顧客体験は大切だ

U X について
U X :ユーザーエクスペリエンス=顧客体験、という概念はそんなに新しいものでもない。
それは商売の世界では大昔から、お客さんにどうやって喜んでもらうかというかたちで多くの商売人が意識していたはずだ。
UXがもう少し明確に概念化されるのは、商売の競争が激化して誰しもがいろんな差別化の方向性を考えるようになったからだろう。
さらに、ウェブビジネスの隆盛がUXの明確な概念化の決定打になったと考えられる。
人々がウェブを眺めているとき、こっちのボタンを押すとか、さらに次のページに進んでみようとかは、ウェブ画面の微妙な設計の良否に大きく左右される。
物販サイトであればインターフェースの出来具合で会社の信頼性が無意識的に認識され、結果売上に影響することだってあるだろう。
ウェブの世界には、昔からあったUXやマーケティングに関わる現象を極度に尖鋭化する作用があるようである。
UXで優れた企業の代表と言えばアップルが真っ先に頭に浮かぶ。
20年ほど前にジョブズが復帰してからのアップルは特に、他社の何倍もUXに集中した。
それは、ハードウェアの見た目のデザインはもとより、直感的操作やフェイルセーフ、ボタンの押し心地、ソフトの操作性の統合などなど、費用対効果的に他社なら絶対やらない部分まで徹底していた。
アップルは、ジョブズ復帰以前に自社OSを他メーカーにライセンスするクローン戦略を進めていた。
だがジョブズはこれを何の迷いもなく反故にした。
これはたぶん、高度なUXレベルの維持が主たる理由であったのは間違いない。
日本のメーカーであっても、自動車やカメラなど趣味性の高い製品分野においてはUXは昔からかなり重視されてきた。
しかし時として、馬力やトルクなどのスペック競争とか使わない機能満載の多機能化競争が発生することが絶えない。
これは開発方針の中心にUXがしっかり据えられていないことの証拠だろう。
今、日本のマーケットは成熟化が進んでいて競争状態が非常に厳しい。
競合他社と差別化して利益を確保したいけれど、少し頭をひねって出すようなアイデアはだいたいみんな世の中に出回っている。
こういうときはUX:顧客体験の視点を思い出してみることが有効だと思う。
考えてみると、経営不振のマクドナルドも、商品提供のスピードとか、不慣れな高校生バイトでも戦力化する教育力とか、かつては明確なUXの目標像に合わせて適切に体制が設計されていたように思う。
ロッテリアなんかはマクドと比べてレジから提供までの流れがなんとなくしっくりこないなあ、と思うときがたびたびあったのである。
今となってはマクド自身がUXのバランスが、価格ラインのバランスの悪さとか原材料への不信感とかで崩れてしまっている。
マクドについていえば、その辺をUX視点で再構築していくことが必要なんだと思う。
posted by ヤス at 11:32| 徒然なるままに

2015年12月02日

便利とリスク

少し前にスマホのとあるアプリをいじくっていたら、

「新型iPhoneが当たりました」

という「アップルからのお知らせ」のメッセージが表示されて、出てきたボタンをクリックしたらちょっとしたアンケート画面が出現。
そのアンケートが、なんだかもっともらしくて自然な感じで、回答したら続いて氏名やら生年月日やらの個人情報の入力画面が出てきた。

そこでふと、アップルIDに一揃い個人情報が入っているのを思い出してそこでやっと我に返った。

こんな基本的な詐欺メッセージでも、何百万通も送っていれば確率的に何通かは確実に「ヒット」するのだろうなあと少しヒヤリとした。

それにしてもこんなメッセージに乗っかるなんて我ながら情けないなあと思ったのだが、後から考えてみると乗せられた理由については思い当たるフシがあったと思う。

それは新型のiPhone6sに機種変しようかどうかかなり迷っていたちょうどその時にメッセージが飛び込んできたこと。
そういう点でもこのメッセージはよく考えられている。
iPhoneがモデルチェンジして、新しいもの好きの人々がひとしきり機種変して、そのあとに控える、迷っているマジョリティ層をねらった偽メッセージだったのだろう。
たぶん普段送っている偽メッセージより、かなり良くヒットしたんじゃないかと想像する。

そのマーケティングセンスに、少しだけ感心させられた。


ところで、世の中ではマイナンバーが話題である。
あと1月後の年明けから運用が始まるそうだが、その割にナンバー通知の配布が遅れているようだ。

ワタシ的にはあんまり勉強していないので、マイナンバーがいったい何の役に立つのか詳しくはよく分かっていないのだが、これの導入によって税金や社会保障などの行政手続がより便利になってくれるのであればそれほど文句はない。

ただし、巷間言われているように情報漏えいのリスクに関しては絶望的だと思わざるをえない。
給料や報酬を支払う会社が収集したマイナンバーの管理については、いろいろルールが定められているようであるが、給料計算する事務員さんとか、どのみち人の目に触れるのであるから自分のマイナンバーはいつの日か必ず漏洩するものと覚悟しておかないといけないと思う。



そして詐欺行為を行う側は、時に感心するほどの創意工夫でいろんなやり口を試してくる。
今の時代、普通に生活していてもある一定の割合で騙されることを覚悟の上で生きていないといけないのかもしれない。

まったく、便利とリスクは隣り合わせになっているのであるなあ、と思った。
posted by ヤス at 12:38| 徒然なるままに

2015年12月01日

地球温暖化問題について

フランスのパリでCOP21が開催されている。

2014年の世界の気温は記録開始以来もっとも暑かったらしい。
そして実際につい1周間ほど前まで、11月だというのにぽかぽかの温かい日が続いていた。

地球温暖化問題を協議するCOP21は、先月のテロ事件に大きく揺れるパリにおいて厳戒態勢の中予定通り開催された。
このことからも、世界各国が温暖化問題をテロ問題と同等か、ひょっとしてそれ以上と認識していることがうかがえる。

しかし温暖化問題はものすごくむずかしい問題だと思う。

まず、なかなか差し迫った問題として体感できない。
テロ事件の場合、遠くで起きると他人事であるが、もし間近で発生したり知り合いが巻き込まれたりあるいは自身が遭遇したりすれば、目の前の問題として否応なく対峙を迫られる。
テロでは直接的に命を奪われたりする人が発生するわけで、その一方温暖化では農業が不作になったり低海抜の土地が水没することなどによる間接的被害として問題化する。

しかも数十年で気温が1度とか2度とか変化して、そのゆっくりした変化によって間接的被害がやはりゆっくりと進行する。

なおかつ、地球温暖化と二酸化炭素排出は無関係だと言う学者もいて、温暖化のメカニズムが必ずしも明確になっているわけでない。
しかし観測データにより気温上昇が現実に記録されており、また空気中の二酸化炭素濃度の上昇も同様に記録されている。

温室効果ガスは減らさないよりは減らした方がよさそうだ。
という、ものすごく問題認識の土台がゆるい状況の中、それでもこの問題に各国が取り組もとうしているところに大きな価値があるのだと思う。

世の中には、温暖化のような根拠曖昧で被害が発生するとしてもかなり先になるような問題よりも、テロや戦争、難民問題や貧困問題など、目の前に立ちふさがる直接的問題が溢れている。
しかし、であるからこそ、世界の国々は協力して温暖化のような長期的問題に取り組むべきであろう。
テロや貧困も、根本的解決には腰を据えた長期的な取り組みが必要である。
しかも各国が自国の利害を乗り越えて協力していかないといけない。
国際的な温暖化対策の枠組みは、そのような諸問題を解決するための土台作りにもつながるのではないか。

そして幸いな事に、日本は温暖化問題で国際社会をリードできる位置にいる。


わたしが住んでいる土地は海抜2mくらいしか無いらしい。
観測データによると現在年間3mmのペースで海面が上昇しているそうだ。
700年後に我が家が水上ハウスにならないためにも、国際社会はがんばらないといけない。
(海面上昇は海抜0m地帯を多くかかえる島嶼国家などには目の前の深刻な問題である)
posted by ヤス at 14:29| 徒然なるままに