2015年11月17日

所有と紛争

所有の意味
世の中争いが絶えない。
ISやアルカイダの問題は、あたかもイスラム教世界とキリスト教世界の対立のように捉えてしまいがちだが、その単純化はもちろん間違っている。

複雑な問題をあんまり軽々しく論じるのもなんだけれど、当事者の一部は問題の単純化をしてイスラム世界全体を巻き込みたい、と思っているだろう。

そもそも中東地域が紛争の火種になったのは、このあたりから大量の石油が出たことが影響しているのはたぶん間違いない。
もし中東地域がただの不毛な砂漠地帯であれば、こんな問題は起きなかったのではないか。

しかし石油は出て、利権をめぐって陰に日向に争いが起きた。

しかも第二次大戦後の第三世界の独立時期と重なって話がややこしくなったように思う。



突然だが、ここで所有ということについて考えてみる。
所有という概念は、考えてみるとかなり文明的で人工的なものであると思う。

原始時代であれば、力の強い者が欲しいモノを所有しただろう。

原始時代にはケンカが強いことが、欲しいモノを所有するための有力な条件になる。
ただ所有をめぐっていちいちケンカをするのは、怪我のリスクもあるし必ずしも合理的とは言えない。
しかも人間は、群れをつくって生きる社会的動物である。
ケンカの頻発はその群れを弱体化し、結果として所属員の生存を脅かす。
そこである程度固定的な「所有権」を認めて、ケンカによって勝手に奪わないように約束をした。

所有権の誕生をおおよそそのように想像する。

所有という概念はそういう人工的なものであって、まったくの自然状態には所有もへったくれもない。
日本国が日本列島を領有していたり、先祖代々ここの土地はオレのものだなどと主張するのも、それは何かの成り行きでたまたまそうなったのであって天賦の権利ではない。

ただあんまりそういうことを言うと、新しいケンカの火種になるから厄介だ。

もしこの先一万年くらい人類が生き続け、進化していけば、いちいち所有権の概念がなくても平和が保たれるようになっているのかもしれない。
そういう時代はくるのだろうか。
posted by ヤス at 10:43| 徒然なるままに