2015年11月05日

自分録音の記憶

大昔、もう40年くらい昔、あるいはもっと前だったかもしれない。
我が家にカセットデッキがあって自分の声を録音してみた、という記憶がある。

たぶんソニーのデッキだったような気がする。
オープンリールの、でっかい輪っかのリールが2つくるくる回って、むき出しの茶色のテープを巻き取っていくやつ。
持ち運び用に大げさな取っ手が付いていて、重量は何キロあったのか知らないがとにかく大きくて重かった。

で、そのカセットデッキに録音した自分の声が、どうも自分の声に聞こえないっていう感じ。
この感じは自分の声の録音を聞いたことのある人なら誰しも経験する。

自分の肉体の外で聞こえる自分の声と、自分自身が直接聞いている自分の声では、音声信号の伝わり方が違うのだろう。
録音して聞く自分の声はいくぶん高い感じのトーンで聞こえるようだ。

実際にiPhoneのボイスメモに数秒の独り言を録音して聞いてみる。

次に同じセリフをしゃべっているのを「自分の内側」から注意深く聞いてみると、自分の声が頭蓋骨とか喉の奥の方で反響しているようで、声の振動がいくらか増幅しているようである。

人によって多少の違いはあるのかもしれないが、上記の実験の結果、自分の声は自分の外側で聞くより、自分の「内側」に居て聞く方がよい声に聞こえる。

この傾向は、歌の場合にさらに極端なものとなる。
自分の歌を録音したのを聞くのはちょっとした拷問になり得る。


自分のしゃべっているのを自分の「内側」で聞いているとよく聞こえる、というのは、声質もそうだがしゃべっている内容についてもその傾向があるような気がする。
話の内容は頭蓋骨に反響して変質するものではないがそういう気がする。
特に話をしていて少し調子づいて、やや得意気になり始めるとかなりやばい。
そういう時は自分の中に住み着いているグレムリンみたいな小人が勝手にしゃべっているような状態、のようである。


考えてみると、録音機器とかビデオ機器とか自分を記録して後で第三者的に鑑賞する装置が一般化したこの数十年はそれ以前の時代に比べると、人類の精神進化の歴史上かなり特異な時代であるように思う。

特に現代のスマホはそのような装置がぎゅっと小さくひとつに凝縮されており、おそろしく気軽にそれらの機能を使用出来る。

自分の歌声を録音して、自分自身を拷問にかけることも気軽に可能だ。

というようなわけで、自分の声や動作を気軽に第三者的に見聞き出来る現代ってかなりすごいなあ、となんとなく思っていたら、冒頭のオープンリールのカセットデッキの記憶が蘇って来たのでした。
おしまい。
posted by ヤス at 14:27| 徒然なるままに