2015年11月30日

シャープ再建についてちょっと考える

シャープ
経営再建中のシャープが、本社を奈良にある工場に移転検討のニュースが流れていた。

すでに大阪市内の本社をニトリに売却するのが決まっているのでどこかに移らないといけない。
工場の空き部屋に本社を移転しないといけないのはシャープ的にはかなりの屈辱だろうが、まあそうも言っていられない。

なりふり構わずいろんな手を打たないと危機から脱することはおぼつかない。
だから奈良に移転はいいんじゃなかろうか。

とはいうものの、これまでの報道を聞く限り道のりは険しそうだ。

で、シャープの部門別の損益状況を見てみた。

まず、2014年度の通期売上(単位10億円)

★ブロダクトビジネス
デジタル情報家電 670.3
健康環境 315.0
エネルギーソリューション 270.8
ビジネスソリューション 340.3

★デバイスビジネス
液晶 907.1
電子デバイス 441.4

合計売上 2兆8760億円

かつて業界を牽引した液晶テレビ事業はデジタル情報家電に入っている。
またiPhoneなどアップル向けを主力とする液晶デバイスはデバイスビジネスの液晶であろう。
こうして見ると液晶部門のウエイトの大きさが目立つ。

続いて営業利益(単位10億円)
★ブロダクトビジネス
デジタル情報家電 3.0
健康環境 15.9
エネルギーソリューション ▲62.6
ビジネスソリューション 31.4

★デバイスビジネス
液晶 0.5
電子デバイス 0.6

合計営業利益 ▲480億円
(上記以外に営業損失があって計算が合わない)

デジタル情報家電も一応黒字だが液晶テレビ事業だけでは少なくとも数十億円規模の営業赤字になっているようだ。

しかしやはり深刻なのは液晶デバイスだ。
なまじ売上規模が大きいために損失の影響も甚大だ。

シャープの再建は、ひとことで言えばこの液晶デバイス事業をどうするか、ということになる。


そう言えば今日、別のニュースでフィンランドのノキアが主力の携帯電話事業をマイクロソフトに売却後、無線通信インフラ事業に特化して世界シェアのトップガンになって復活しているというのがあった。

個人的にシャープは、よそとはちょっと変わった家電を開発するのが本来の強みだと思う。
デバイス部品事業は当たるとデカいが巨大な資金が要るし競争も厳しい。

だからデバイス事業はさっさと売却して家電部門に特化すべきと思うのだがどうなのだろう。
posted by ヤス at 16:10| 徒然なるままに

2015年11月29日

バブルに巻き込まれないこと

未来を読む
ヤフーニュースによると、不動産向け融資の量がバブル期並みになっているらしい。

銀行の立場に立つならば、企業向けの貸し出しは金利も低いし融資需要も細い。
何より企業向け融資には多大の営業努力がいる。
そして実際、数少ない優良な融資先企業をめぐって激しい金利競争を繰り広げているような噂話もたまに聞く。

銀行もまた企業だから利潤を求めてさまざまに活動し、不動産が行けそうなら当然行くだろう。

だが当然ながら、5年先、10年先の未来は霧の中でよく見えない。
ひょっとしたら投資物件が値下がりして投資家が損害を被るやもしれず、あるいは銀行自身が損をする可能性もあるだろう。
でも、より重要なのは現在の利潤なのであって、分からない未来の心配はするだけ無駄だ。

そう意味では銀行も自動機械のように動かざるを得ない。
20数年前の苦い思い出を記憶する社員も多いであろうが、そこに利益創造のネタがあるなら迷わず突っ込んで行かないと競争に生き残れない。


ところで、たまに聞く話として「我が社はバブル期に過熱する資産投資に巻き込まれなかった」というのがある。
これは後からは大したことがないように聞こえるが、バブルの最中に決然とそう判断出来るのは簡単なことではない。

目の前に、多くの成功事例を産んでいる儲け話があってそれに参加しないというのは、より有利な融資先を探すべき金融機関にとってはある種の背信行為ともいえる。

しかも5年先くらいの比較的近い未来のことであっても常人にはまったく見通せない。

バブルで損をしないためには、目の前にある取り組むべき利潤獲得行為に対し、それに乗らない積極的な理由が必要だ。

それは口で言うほど簡単ではないが、ひとつ思うのは、横並びの競争状態の中にいると巻き込まれやすいということだ。
要するに、バブル的投資と同等以上に儲ける本業を確立していれば、バブル崩壊を見通せなくてもより巻き込まれにくいということは言えるだろう。

これは一般民衆にも言えることで、なけなしの退職金の運用方法が預貯金くらいしか思いつかない高齢者は、危ない儲け話に弱いのはよくある話だ。

バブルというのはそれでいくら痛い目に会う人がいても、一定期間で繰り返し発生するものらしい。
そしてバブルの調整局面で少なからずの人々が大きな損を出す。

そうならないためには、日頃からまっとうに稼ぐ方法を確立していればいいだけなのだろうが、それが簡単に出来れば、苦労はないのである。
posted by ヤス at 07:15| 徒然なるままに

2015年11月28日

景気と国際情勢について少し考える

この数日急に寒くなって冬らしい感じだ。

11月の中旬を過ぎて何度か山間の道を走ることもあったがなんだか紅葉も色づきが悪い。
そういえばニュースでスキー場に雪がなくてたいへんだとやっていた。
やはり冬は寒く、夏は暑い方が景気にも良いだろう。


折しもこの間のGDP速報で4−6月期のマイナス0.4%に続いて7−9月期がマイナス0.2%になった。
年率換算で0.8%の下げ率だ。
ちなみに2014年の4−6月期と7−9月期は消費税を5から8%に上げた影響でGDPが激しく落ち込んだ期にあたる。
その悪かった前年の数字に比べてさらに落ち込んでいるので事はけっこう深刻なんだと思うのである。

思い返すとこのGDPマイナスは中国の上海証券市場が8月に暴落したあたりがきっかけだったように記憶している。
その後中国政府が対策を打ち、日米の株価も持ち直してもうすっかり忘れてしまっていたけれど、そういうことも確かにあった。

そんなことで中国バブルの調整が一段落し、一方でアメリカの景気はかなりいいらしい。
アメリカではあのサブプライムローンもすっかり復活して、このローンを使った自動車や住宅の購入もふたたび活発になっているそうだ。

今回の日本の四半期GDPマイナス成長の主要因は大きく落ち込んだ企業の設備投資である。
7−9月期は「暑い夏」を追い風に個人消費が堅調で輸出もまあまあだったのに、企業の設備投資が落ち込んで全体でマイナスになった。

しかしアメリカの景気が好調なのでそこもなんとかなるかもしれない。
近年の傾向として、アメリカが好況だと「世界の工場」である中国のアメリカ向け輸出が増える。
日本はその中国に生産設備や機械部品などを輸出しているから、そうなると日本の中国向け輸出が増える。
(もちろん日本からアメリカに直接輸出の自動車も好調である)


と思っていたら今回の大規模テロの連続。
またもともと複雑怪奇なシリア周辺をめぐる政治的連関の爆弾が発火して、ロシアとトルコは経済戦争に向かいつつあるようだ。
まったくジェットコースターみたいに情勢が変化して何がどうなっているのかよく分からない。


ということで、これからしばらくは、アメリカの好況は続くのか、あと利上げのタイミングはどうか。
経済問題と難民問題に揺れるヨーロッパはどうなるのか。
シリア地域の軍事的情勢はどっちに向かうのか。
そのあたりの国際情勢に注視すべきなんだろうと思っている。


で、それらの状況を受けて日本がどうなるのかが問題だが、日本の問題は構造的なものなので長い目で取り組まないといけない。
だからすぐにはほとんど何も変わらないだろうと思う。

せめてこの冬がもう少し冬らしく寒くなって、クリスマスセールが盛り上がってほしいと思うのである。
posted by ヤス at 16:10| 徒然なるままに

2015年11月27日

ムーアの法則

ムーアの法則
デジカメ業界では今年もたくさんの新機種が発売された。
特に秋冬にかけてキャノンとソニーから超高画素機が出て驚かされた。
キャノンの新型5Dsは一気に5千万画素オーバーだ。
またソニーのαRUは4千2百万画素。
同じセンサーを載せたコンデジRX1Uも出た。
値段はキャノンもソニーも40万円超でとても手軽に買えそうにない。

高画素デジカメは3年間ほどはニコンのD800シリーズの独壇場だったがここにきてやっとライバルに追い抜かれた。

キヤノンなんかはその気になればすぐに対抗機種を出せるんじゃないかと思っていたけど、けっこう時間がかかった。
たぶんボディ内のデータ処理能力アップやセンサーの感度性能などのチューニングをコツコツやっていたのだろう。

また最近はPCの性能も上がって安いPCでも大きな画像を余裕で扱えるようになったのも高画素化を後押しする。

ということでデジカメの画素数の主流はこの5年くらい、1千万〜2千万画素で止まったままだったけれど、これからは普及機種も5千万画素超に向かって再び拡大路線に向かうのだろうか。


でも、どうもそうではない気がする。

ムーアの法則というのがあって、18ヵ月でCPUの集積度が倍になるという、あの法則であるが、これが2020年頃に理屈上の限界に達するらしいのである。
あるいは製造コストも考慮するとさらに限界到達が早まるともいう。

集積度が限界に達すると、CPUは現状とは異なる作動原理などの革新的変化がない限り今まで違って進化スピードが大幅に鈍化してしまう。

要するにPCの速度向上はもうすぐ踊り場であり、半導体技術に依存するデジカメ画素数競争も天井に頭をぶつけるのではないか。



そういえばこの数年は、PCのクロック数とかメモリ容量とかの拡大ペースが幾分鈍化している気がする。

ところでムーアの法則が限界に達するとPC業界の方はどうなるのだろうか。

ひとつ思うのは、今までPCのハイエンドは30万円とか40万円とかだったが、これがぐんと下がるかもしれないということ。
そして今ローエンドの3万円くらいのタブレットが、2千円とかになってワゴンに山積みで投げ売りされるようになるかもしれない、とか思う。

いずれにせよ、ムーアの法則の限界がこんなにすぐそこに来ているのを知って少し驚いた。

たぶん後10年もすれば光か量子か知らないが、まったく新しいアーキテクチャーのコンピューターが主流になり、今の半導体コンピューターは前時代の遺物扱いになっているのだろう、と思ったりした。
posted by ヤス at 16:08| 徒然なるままに

2015年11月26日

ロシア機撃墜

ロシアとトルコ
トルコのF16戦闘機がロシアのSU24戦闘爆撃機を撃墜した。

NATO加盟国の軍用機がソ連時代も含めてロシア軍機を撃墜するのは1950年以来だというから、朝鮮戦争以降初めての大事件である。

報道によると、ロシア軍機はトルコ領空に17秒間侵入したらしいが、それで撃墜はいくらなんでもやり過ぎだと思う。

いろんな情報を見ると、ロシアのSU24はシリア領内で親トルコの軍事ゲリラに対する攻撃作戦を実施中だったようで、それにイラついたトルコがガツンと反撃したものらしい。

このあたりの情勢はたいへん複雑で分かりにくい。

ISへの対抗を軸にしてロシアと西側諸国との仲直りが進むのかと思った矢先の出来事であり、あらためて事の難しさを感じる。

そもそもロシアがシリアに軍事介入したのは、シリアのアサド政権と軍事同盟関係にあることが大義名分になっているようだ。
シリアにロシアの軍事拠点があり、これを失うとこの地域での影響力が著しく落ちるのでアサド政権を助ける必要があった。
それと中東地域で戦闘を激化させることで原油価格を上昇させるのが狙いだと言う専門家もいる。
もしそうなら、原油価格の動向については皮肉にもISと思いが同じということになる。

ひょっとしたらロシアとしても、ISが完全消滅するとシリアに軍事介入する大義を失って困ったことになるのかもしれない。


トルコの状況もまたややこしそうだ。
強権で悪名高いエルドアン大統領は、最近の議会選挙で負けたりして国内の支持が揺らいでいるのかもしれない。
その辺の打開策として、中東地域で影響力を強めようとするロシア軍に、西側を代表して実力行使に出たということもあり得る気がする。
ロシアによると今回の撃墜は計画的作戦だというけれど、それはたぶんその通りで、17秒の領空侵犯で現場の独断で攻撃が実施されることはまずないであろう。
中央からの指令で現場のF16がミサイルを発射したものと考えられる。


ここまでネット上の報道を拾い読みして状況をあれこれ勝手に考えてみたが、まあ真相がどうかはよく分からない。

だが各国の主要な思惑のひとつに原油価格があるようなので、日本にも大きな影響があるだろう。

この先事態がどう進行するのかものすごく気になるのである。
posted by ヤス at 10:46| 徒然なるままに

2015年11月25日

おおさか維新と政局についての雑感

すでに3日前の話であるが、大阪府知事・大阪市長選があっておおさか維新の2候補が勝った。

投票率は前回より若干下がったようだが、報道によると選挙棄権者は5月の住民投票で都構想に反対票を投じた層が多くを占めるのではないかということだ。
そうだとするといまだにおおさか維新に対する大阪の人々の関心はそれほど薄れていないと考えることができる。


おそらく、都構想をふたたび問う住民投票がまた行われることになる。
5月の住民投票が否決されて、その後大阪の自民党などが主導する大阪会議にいったん府市問題の議論を預けて、同会議の不調を受けて再度の都構想提案と、かなり回り道になった。
回り道にはなったけれど、一連の手順が、上手な人の詰将棋を見ているみたいで、政策の中身はともかくとして個人的にはかなり興味深いと思った。

橋下徹氏の言辞には内容によって賛意も反意もあるのだが、少なくともその政治的な手の打ち方はかなり考え抜かれていてスキが無いと感じる。
そのあたりのスキの無さは、現政権の政治的手続きの荒っぽさと好対照だなあ、と言ったら言い過ぎかな。

そう言えば橋本氏は、その現政権に対しても間接直接に支持表明するような発言をしている。
世間的な評価では現政権の別働隊という位置づけで、憲法改正時の賛成票の一部とみなす見方がなされているようだ。

だが、前国会で維新の党が提出した安保法制対案の内容や過去の橋下氏の沖縄基地問題に関する発言などを思い出しても、その基本思想は実は現政権とかなり方向性が違っているような気がする。

これはまったくの邪推であるが、橋下維新としては大阪都構想を実現化するため当面は現政権と歩を合わせて国政側の支援体制を固めたいのだと思う。
政権側も憲法改正を見据えればおおさか維新の秋波に応えざるを得ない。

なおかつ野党第一党の民主党も東京の維新の党も事実上の分裂状態で無力化してしまっており、国政では現政権への対抗勢力が不在である。
だから今のところ政権が肯定的であるかぎり国政における都構想への障害は無い。


そういう流れを今になってひとつひとう思い返してみると、まるでこうなることを予測していたかのように、流れるように、都構想実現に向けて事を運んでいるように見える。
そうまで言うと少し橋下徹を褒め過ぎかもしれない。
しかし策士としての才能は与野党の主要な顔ぶれより数段上であるように思う。

ということで、政局を勝手に外から見ているのは面白い
けれど、本当に大切なのは政策の中身であることは言うまでもない。
だからこれからは政策の中身もがんばって見ていこうと思う。
posted by ヤス at 11:46| 徒然なるままに

2015年11月24日

H2Aロケット打ち上げ

日本の宇宙ロケット
今日の午後、国産ロケットによる初めての商業衛星打ち上げがあるらしい。
ここ最近イーロン・マスクやリチャード・ブランソンなどを中心に、宇宙開発の商業化が進行中だ。
後10年もすれば商業ベースの宇宙貨物や民間人の宇宙旅行の市場が出来ているのかもしれない。

コスト高が課題だった日本のロケットは、円安による追い風もあって今回のカナダからの受注に至ったらしい。
日本のロケット産業としては、世界の宇宙開発が急速に商業ベースに移行する中では、頑張ってコストと付加価値のバランスを国際水準に持って行かないといけない。
報道によると、今回のカナダの衛星打ち上げは第2段エンジンの能力強化によるペイロード増加という高付加価値化が肝であったらしい。

高コスト体質の日本の宇宙ロケットととして高付加価値を指向するのはもっともなのであるが、商業ベースに乗せるためにはボリュームの確保も重要だ。
廉価版の注文もたくさん取って売上をあげることも必要な気がする。
それで思うのは、日本の宇宙開発チームは東南アジアの国々と連携してはどうかということだ。
もうすでにそういう話は出ているのかもしれないが。

東南アジアに国際協同の拠点会社と打ち上げ基地を作って、そこでロケット開発と商業衛星の注文を受ける。
東南アジアの方が種子島より赤道に近い(というか赤道直下)から、打ち上げ基地はそっちの方がいい。
そこでの開発は主に打ち上げコストの削減になるだろう。

日本のメイン企業である三菱重工は先端的な開発に集中して開発成果を国際会社に供与すればよい。
(先端的な開発が採算に合うかどうかは分からないが)

このようにすれば、将来予想される東南アジアの衛星打ち上げ重要も取り込めるし、ひょっとしたら現地の優秀な頭脳も取り込めるかも知れない、などと思う。


ジャクサのウェブサイトによると、これまでに宇宙に行った人の人数は、545人であるらしい。
日本人も男8人女2人の計10人が行っている。
※この場合の「宇宙に行った」は、上空100Km以上に行ったことを言うらしい。

545人っていうと人類70億人の内のほんのわずかであるが、これが5千人になり、50万人になり、いつの日か数億人が宇宙に行って眼下に青い地球を眺めるようになれば、地上の状況にも大きな影響を与えるのではないか、と思う。

posted by ヤス at 09:33| 徒然なるままに

2015年11月23日

待つ時のこと

仕事で打ち合わせなんかに行って、少し早く着きすぎて待つことがたまにある。
あるいは時間通りに着いたけれど、先方がトラブってしばらく待つような場合。

かつて、このようなケースでは、鞄の中の打ち合わせの資料に目を通すとか、応接間の調度品やら天井のシミやらのようすをつぶさに観察するとか、その待ち時間の過ごし方はなかなか難しかった。

特に、3分待つのか30分待つのか分からないような状況では、時間の埋め方に苦労する。
待っている時間のあの独特の緊張感って、何だろう。

あんまりリラックスするわけにもいかず、客先の応接テーブルの上に仕事の資料を広げるわけにもいかず、同行者が居る場合でもあんまり大声で会話も出来ない。
なんともいえない不自由な時間である。

まれに、明らかに意図的に待たせているのでは、と思うようなケースも有る。
ものすごくだたっぴろい、無人で静まり返ったロビーのような場所に通されて10分20分待たされることがあって、そういう時これは何か試されているんじゃないか、どっかに監視カメラが付いてて観察されているんじゃないかと、疑心暗鬼になってしまう。

巌流島で宮本武蔵が佐々木小次郎を待たせてじらせた作戦は、どうも吉川英治の創作であるらしいが、仕事上の交渉などにおいて、相手を待たせて多少の精神的圧迫を加えることは、実はかなり効果があるのかもしれないと思ったりする。

しかしスマホの時代になってからは、とりあえず待たされる時間はポケットからiPhoneを取り出して、メールチェックしたりニュースサイトを開いたりして、待ち時間の穴埋めがわりかし簡単に出来るようになった。


でもよく考えてみると、何もすることが無いのなら、静かに目を閉じてじっと待っていればいいだけの話だよなあとも思う。
ただ人間っていうのは「何もしていない時間」に耐えられないように出来ている。
とりあえず、10分か20分じっと待っていないといけないとなったら、スマホをいじくったりカバンから書類を出して眺めたり応接室の中をぐるりと観察したり、何かをしていないと心が落ち着かないらしい。

何かをしていないと落ち着かない人間って、いったい何なのだろう。


まあ自分が日本国の首相だったりアメリカ大統領ならそうそう待たされることも無いのだろう。
いっぺんでいいから、誰かをわざと待たせてそれをこっそり物陰から観察してみたいなあ、などと悪いことを考えたりしてみた、今日この頃である。
posted by ヤス at 14:51| 徒然なるままに

2015年11月22日

パソコンとキーボード

パソコンとキーボード
パソコンの出荷台数が年々減っているらしい。
今年8月に出た予測では2015年の世界出荷台数は2億8160万台となっている。
これは前年比8.7%減の数字らしい。
さらに、対前年の減少は5年連続らしい。
ということでパソコンはかなり急激に需要が減少している。
この間中国はじめ、東南アジアやインドやブラジルとかが経済成長しているにも関わらずである。
パソコンが減っている理由は、たぶん間違いなくスマホの普及だろう。

2015年の世界のスマホ出荷台数は、14億3650万台らしい。
対前年10.4%の伸びに「留まった」とニュースには出ていた。

ついでに、タブレットは2014年が2億2611万台だったらしく、それまで伸びていたのが2014年第4Q頃から減少に転じたらしい。

これらの数字を見ると、いかにスマホの勢いが隆盛であるかを思い知らされる。
確かに、メールをやりとりしたりするくらいなら、スマホの方が断然手軽で便利なのであるし、最近はエクセルやワードの編集も出来る。
だからパソコンの比較的ライトなユーザー層はスマホがあればパソコンは要らない。
そこへ行くとタブレットは、電源オンオフなどの手軽さではスマホ並だがサイズ感においてはずっとパソコンに近い。
タブレット減速の原因はその辺だろう。


逆に言えば、スマホではカバー出来ないヘビーな作業ではパソコンの需要は続くだろう。
大画面やCPUパワーを要する用途はパソコンにまだ強みがある。
むしろタブレットの方が危ういのではないかと思われる。


結論から言うと、パソコンとタブレットを分かつものはキーボードであると思う。
スマホで外付けキーボードを使う人は少数派だろうが、タブレットでは多いのではないか。
しかしタブレットで外付けキーボードを使うのでは、ノートパソコンとさして変わらないのである。

本来、スマホ作業でより大きい画面が欲しいなあと思う需要をタブレットがカバーする、というのがタブレットの領域ではないか。
なので、タブレットがノートパソコンに対する優位を確立するにはキーボード無しであくまでもライトに使えることが必須であるように思う。

かつて、パソコンにおいてキーボードの操作はある種の鬼門であった。
特に日本人はタイプライター文化もなくキーボードの存在がパソコンの一般庶民への普及を大きく阻害すると考えられた。
このため、一時期は手書き入力などのキーボードを代替する入力方法が激しく研究された。
しかし今やキーボード操作はパソコンの存在意義そのものと言ってもよい時代になったと考える。
普通の人々のための簡単コンピューターとしてのポジションは今やスマホのものであり、パソコンはやや高度な業務用事務機用途に収斂しつつあると思われる。

そういうことで、キーボードこそがパソコンのアイデンティティであるなあ、と思った。
posted by ヤス at 10:55| 徒然なるままに

2015年11月21日

意思の力について

前にスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式のスピーチについて書いたけれど、3つのテーマについて語ったこのスピーチの3番目のテーマは「死」についてであった。

このスピーチでジョブズは、「死」はたぶん生命の最高の発明だ、と言った。
死は「Life’s change agent」だと言っている。

生き物はある個体が死んで次の世代にバトンリレーすることによって自分たちのDNAを後世に残す。
DNAをなるだけ末永く残すのであれば、個体の寿命が1万年とか10万年とかになっても良さそうだがそうはなっていない。

進化論的に言うならば、世代交代の時に微妙な形質の変化があって、その形質変化が環境変化にたまたま合致しているとその種の生き残りにつながる。
もし世代交代の時に微妙な形質変化が無いと、いつか環境変化に対応できなくなってその種は滅びる。


わりと重要なのは、環境は必ず変化する、ということだと思う。

太陽の年齢は46億歳で、46億年前のしばらく後に地球が出来た。
それ以来地球は全体的傾向としては冷えていきながら大気と海のある現在のような姿になり、その後は微妙に冷えたり温まったり隕石がぶつかってきたりしながら今日に至っている。
この間の地球の変化は、地球上に発生していた生き物たちに多大の影響を与えてきたであろう。
氷河期と間氷期のサイクルの中で多くの種が絶滅し、超でっかい隕石が降ってきた時には多くの恐竜が死に絶えた。
そのような環境変化に対し、生き物は個体が次々に死んで次の世代にバトンタッチして命を引き継いできた。

そしてそのうち哺乳類のようなより複雑な生き物は学習行動することによって、個体レベルでの環境適応能力を身に付けた。

さらに人間という生き物は各種のテクノロジーを産み出して変化対応力が他の生き物と隔絶するレベルに達した。

多くの生き物は、個体が死ぬことによって変化に適応することが出来る。
そして生き物の次世代への変化はまったくでたらめで偶然でたまたま運が良い場合に環境に適応出来る。

でも人間は本来、意思の力で変化に適応出来るはずなのだ。
何億年もかけてやっとそこまで来たのが人間という生き物だと思う。
でも人間のその能力はまだまだ不完全で、新米の魔法使いが上手く魔法を使いこなせないように、人間もなかなか上手に変化することが出来ていないように見える。

ひとりの人間の意思の力が、「Life’s change agent」になり得る日がいつか来るのであろうか。

などと思った。
posted by ヤス at 14:11| 徒然なるままに

2015年11月20日

来年の干支は「ひのえさる」です

来年は申年=さるどし、らしい。

たぶんコンビニの年賀状販売コーナーにそんなことを知らせるコピーがあったのを見た気がする。
その瞬間、今年は「さる」の前の「ひつじ」の年だったことに気が付いた。

どうも最近、干支の存在感が希薄になっているような気がするのだが、実際はどうなのだろう。


それで、ちょちょいとウィキペディアで干支を見てみた。

わたしは、ネ、ウシ、トラ、ウ・・・と12個続くあの「干支」のことを干支だと思っていたがどうも少し誤解があったらしい。

干支は十二支と十干(ジッカン)の組み合わせによる60年周期の数の並びを言うそうだ。
ネ、ウシ、トラ、ウ・・・のことはより正確には「干支」ではなく十二支と言わねばならない。
そして「十干」とは、コウ、オツ、ヘイ、テイ・・・と続く十個の数詞の並びである。

旧日本海軍の零式艦上戦闘機において、その改良形式である零式艦上戦闘機52型には甲、乙、丙と枝番が付く形式が存在する。
零式艦上戦闘機52型は甲・乙・丙の3つで終わりだけれど、この次に「丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」とさらに7つ残っていたので、ゼロ戦52型の枝番はあと7つ製作可能だったのだなあと思った。

まあゼロ戦はどうでもいい。
干支による年の数え方は60年周期であり、それで行くと今年は「きのとひつじ」である。
去年は「きのえうま」であったのであり、来年は「ひのえさる」だ。
このように「ナントカ+ヒツジ」とか「ナントカ+サル」とかいうのが本来の干支なのである。
せっかくこのような事実を知ったので、以降わたしも単に「さる」年と言わずに、「来年はひのえさるだね」のように言おうと思う。
その方が歴史通のように見えて格好いいじゃん。

ちなみにわたしは「丙午=ひのえうま」の年の生まれである。
丙午年生まれの女性は気性が激しい、とか男を食い殺す、などといった物騒な迷信が古くから伝わるために、この年は出生率が例年の25%ダウンだったそうだ。
さしたる根拠の無い迷信が原因で現実世界の出生率が影響を受けるというのも恐ろしい話だ。

ちなみに次の丙午は2026年、東京オリンピックの6年後だ。
この年になってもやはり出生率は下がるのだろうか。


干支の発祥は古代中国のようであるが、詳しい起源は不明のようである。
しかし60年周期というのは、ちょうど(古代の)人間個人の寿命周期と重なるかやや越える時間感覚のように思われ、そういう意味で少し興味深い。

地震や津波などの自然災害の教訓を、世代を越えて伝承するには少し長めの歴史の目盛りが役に立つこともそれなりにあったのではないか、などとも思った。

2016年は「ひのえさる」だ。
来年になっても憶えているだろうか、やや自信がない。
posted by ヤス at 12:54| 徒然なるままに

2015年11月19日

モノの紛失と情報化社会

昨日、ふたつのものを紛失した。

まず820円が入った小銭入れ。
五百円玉1枚と百円玉3枚と10円玉2枚が入った小銭入れ。
過去3〜4時間遡って頭のなかで紛失経路をトレースした。
どうも家の中にありそうな感じがする。

考えてみると、持ち物の中でも財布というのはかなり紛失しやすい物のひとつであろう。
外出時に必ず携帯し、しょっちゅう出し入れする。
また財布はお金が入っているので、その存在をかなり意識して取り扱うものだ。
だからこそ「まさか紛失するはずがない」と思いがちである。

わたしは一向に出て来ない820円に多少の未練を感じつつも、少し不覚であったなとやや反省し、まあそのうち出て来るだろうと探すのを止めた。

その1時間後。
今度は「しゃもじ」が見当たらないのに気が付いた。
炊飯器からご飯をよそう、あの「しゃもじ」である。

しゃもじは、洗った後必ず定位置に収まるように自然と習慣化されている。
あるいは、財布と違って存在感が薄いから無意識的に取り扱う。

だから、ふっと定位置に手を伸ばして「しゃもじ」を「空振り」した時の衝撃と言ったらなかった。
小銭入れ紛失の5倍くらいの衝撃だった。
あり得べからざることが起きた。
これはひょっとして、しゃもじ専門の泥棒が侵入して、そっとしゃもじだけを盗って行ったのだろうか。

少し冷静になって考えてみると、もっともありそうなのはたぶん何かの拍子にしゃもじがゴミ箱の中に落下し、それをそのまま捨ててしまったケース。
しかし真相は分からない。


ところで、現代は「情報化」社会であるという。
この時の「情報化」の意味をあらためて少し噛みしめてみる。
ここで感じるのは、「情報化」というのはいろんな物体が電子データという無形の「情報」にどんどん化けていっていることではないか、という意味。

現金はクレジットカードになり、電子マネーが出てき、本は電子書籍になり、CDはiTunesのダウンロードに取って代わられた。
ここで注目したいのは、「情報化」したモノは、なかなか紛失しないということだ。
所有している現金は、お札や硬貨が情報化して電子化されるとこれはもうほとんど紛失ということはない。
ただしサイバー空間での盗難はあるが。

あるいは紙の本なんていうのは、けっこうかさばるし整理するのが大変だし、要る時に出てこないし、不便が多い。
そういう点では断然電子書籍が有利だ。

重要なのは、電子書籍でも電子マネーでも電子書籍も、スマホやカードなど媒体となるハードウエアを紛失することがあっても、情報空間の中においてその所有権が確実に保持されるということ。
iTunesでも一回ダウンロードした曲は、同一アカウントで後にダウンロードするときは無料になる。
その所有権がハンパないくらい確実に保持されているのだ。

電子化され情報化されてカゲロウのように姿を変えると紛失しなくなり、手で持つとしっかりとした感触が有る「物体」だと紛失リスクに無力なのだ。

以上昨日の紛失事件で思ったことである。
ついでにいうと、小銭入れの電子化は可能だが「しゃもじ」の機能を電子データ化することは、いくら文明が進んでも無理だろうな、とも思った。
そして、そこに人類の苦悩の根本が有るのではないかと思った。
posted by ヤス at 14:16| 徒然なるままに

2015年11月18日

急がば回れは難しい

急がば回れ
「自社製品購入、社員に「ノルマ」設定…シャープ」というニュースが流れている。

シャープがひどい状況なのはさんざん報道されていたが、これはとどめの一撃になるかもしれない、ひどい施策だ。

役員20万円、管理職10万円、社員5万円が事実上のノルマ額らしい。
シャープの社員は1万7千人ほどらしいから、トータルで10億円以上の売上になるのだろう。
この数字自体シャープの規模からすれば微々たるものだ。
販売は自社サイトからの直販だそうだ。
販売価格がどの程度か分からないが、流通業者に配慮するならメーカー卸値水準とはいくまい。
一般店頭価格の水準になるのではないか。

そこのところは分からない。
少なくとも十分な利益が含まれる売価になっているはずだ。
そうでないとやる意味がない。

売価は置いておくとして、ノルマを課して自社製品を買わせてそれで会社が利益を得れば、これは事実上のマイナスの賃金である。
労働法規上の重大な問題があるように思われる。


シャープに限らず組織が危機に際して採る対策は、多くの場合短期的な利益に縛られるようである。
例えば国家政策としての金融緩和は、資産効果や輸出企業の利益増をもたらして短期的な景気押し上げに寄与する。
が、その後に長期的な視点に立った産業構造改革が伴わないとむしろ病状を悪化させるだけに終わる。

しかし長期的対策に取り組むのは難しい。

個人の立場で考えても、ひと月後にダイエット目標を達成しようとする意志の力より、目の前の美味い食い物の誘惑が常に優勢である。
逆に言えば、組織体の存在意義は、個人では難しい長期の課題に取り組むことにあるとも考えられる。

シャープがまともな会社であるなら、何を買おうが社員の自由意思に委ね、むしろ積極的に優れた他社製品の購入を促して自社製品の開発に活かすようでないといけない。

そう言えば自動車メーカーでも取引先に自分のところの車に乗るよう強制している話をよく聞く。
が、そういうのは長期的な競争力の維持に間違いなくマイナスに作用する。

ただしシャープの場合、もはやそんなまともなことは言っていられない、ということなのだろうけれど。

シャープの事例は、そこまで追い込まれる前に長期的な施策を打っておかないとこんな困ったことになりますよ、という反面教師ととらえることができる。

残念だがシャープの近未来はほぼ見えた、と言わざるを得ない。
posted by ヤス at 15:22| 徒然なるままに

2015年11月17日

所有と紛争

所有の意味
世の中争いが絶えない。
ISやアルカイダの問題は、あたかもイスラム教世界とキリスト教世界の対立のように捉えてしまいがちだが、その単純化はもちろん間違っている。

複雑な問題をあんまり軽々しく論じるのもなんだけれど、当事者の一部は問題の単純化をしてイスラム世界全体を巻き込みたい、と思っているだろう。

そもそも中東地域が紛争の火種になったのは、このあたりから大量の石油が出たことが影響しているのはたぶん間違いない。
もし中東地域がただの不毛な砂漠地帯であれば、こんな問題は起きなかったのではないか。

しかし石油は出て、利権をめぐって陰に日向に争いが起きた。

しかも第二次大戦後の第三世界の独立時期と重なって話がややこしくなったように思う。



突然だが、ここで所有ということについて考えてみる。
所有という概念は、考えてみるとかなり文明的で人工的なものであると思う。

原始時代であれば、力の強い者が欲しいモノを所有しただろう。

原始時代にはケンカが強いことが、欲しいモノを所有するための有力な条件になる。
ただ所有をめぐっていちいちケンカをするのは、怪我のリスクもあるし必ずしも合理的とは言えない。
しかも人間は、群れをつくって生きる社会的動物である。
ケンカの頻発はその群れを弱体化し、結果として所属員の生存を脅かす。
そこである程度固定的な「所有権」を認めて、ケンカによって勝手に奪わないように約束をした。

所有権の誕生をおおよそそのように想像する。

所有という概念はそういう人工的なものであって、まったくの自然状態には所有もへったくれもない。
日本国が日本列島を領有していたり、先祖代々ここの土地はオレのものだなどと主張するのも、それは何かの成り行きでたまたまそうなったのであって天賦の権利ではない。

ただあんまりそういうことを言うと、新しいケンカの火種になるから厄介だ。

もしこの先一万年くらい人類が生き続け、進化していけば、いちいち所有権の概念がなくても平和が保たれるようになっているのかもしれない。
そういう時代はくるのだろうか。
posted by ヤス at 10:43| 徒然なるままに

2015年11月16日

ネット疲れについて

SNS疲れ、みたいなことが言われるようになって久しい。

今、久しい、と書いたがSNSが本格的に誕生してたぶんまだ10年経っていない。
広く普及したのはこの5年くらいじゃなかったか。

でも、この世界では5年はじゅうぶんに「久しい」と思う。

SNS疲れは、これはSNSそのものに原因があるというよりは、その普及浸透のスピードに原因があるのではないかという気がする。
要は、身体が慣れないままに使うようになって、適度な距離の取り方が分かっていない面があるように思うのである。

それは利用者もそうだし、社会全体としても、SNSの便利さや落とし穴を経験しきれていない感じがする。
社会全体としてのSNS体験として、アラブの春があったり、震災時の安否確認への活用など、があったりしたのではないか。

で、そういう体験の中で人の命が助かったり、あるいはデマが飛んで多くの人が右往左往したりして人々は学習していっている。
おそらくこれからも数年かけて、さらにいろいろなケースを重ねていって、だんだんSNSとの付き合い方が皆の身体に馴染んでくるのだと思う。


ところで、SNS疲れのひとつに、やれ海外旅行をエンジョイしたとか、高級レストランで美味しいものを食べたとか、他の人のキラキラ体験の投稿を目撃する、いわゆる「SNSうつ」というのがある。
その手の見栄っ張りな投稿は、わたしもたびたびやる。
またここだけの話、他人の投稿に少々イラッとすることも時々ある。

だが同じような経験は、リアル世界においてすでにたくさんある。
おそらくほとんどすべての人間には見栄があり、また他人の見栄っ張りアピールを目撃してイラッとする。
インターネットの世界では、その手の発言が大量に飛び交っており、PCやスマホの画面に明確に表示される。
そういうことで、リアル世界とは違う疲れ方がある。

そしてこの問題への抜本的対策はたぶん存在しない。
人間が自由に発言するということは、見栄っ張りな発言と、それに対するイラッとする受け止めがあちこちでバチバチするということであろう。

ということで、SNSで美女の写真を見かけたら、それは実物より2〜3割増し、場合によっては7〜8割増しであると見抜けるようにならないといけない。
多くの場合、SNSにおける「ウソ」はシンプルで分かりやすいように思われる。
また多くの場合その「ウソ」に悪気は無いのである。
それはたぶん自分の胸に手を当てて、その上で見れば分かることが多いのではないか。

そんなことを思った。
posted by ヤス at 13:43| 徒然なるままに

2015年11月15日

事件から1日

テロ事件で考える
パリの事件から1日過ぎていろいろ情報も明らかになっているようだ。
ISの犯行声明も出た。
残念ながら日本の田舎にいる一般人に出来ることはほとんど無い。
第一、物理的な距離も文化的な距離も離れたところの事件であまり差し迫った実感も無い。

今回のテロは空爆連合に対する報復が直接的理由らしい。
実行犯の詳細は分からないが、フランス国内における移民二世三世に対する差別問題も背景にあるという。

報復が報復を産む負の連鎖があるのは明らかだが、これで空爆を止める訳にもいかないのが難しいところだ。
一旦始まった連鎖反応は、どちらかが根絶やしになるまで行かないと止められない。

そしてISは複雑な国際バランスの中で微妙な生存領域を得つつある、ようでもある。
IS対策を通じてアメリカ、イラン、ロシアなど日頃は反目する大国同士が戦略目標を共有可能な状況が生まれているようだ。

事件の動機には国際秩序の「こちら側」にいるある種の人たちの思惑も相応に紛れ込んでいると考えられる。
その構図の中で、ISは存続可能になるための着地点を探っているのだろう。

このところの原油安もあって、ISの存立基盤はかなり弱体化しているともいう。
そんな中でなんとか存在感を示すために、ロシア機撃墜とか含めて域外での無差別テロに重点を切り替えたのだろう。


イスラエルとかイラクとかでは、しょっちゅう爆破テロがあるらしいが、繁華街で爆発があっても後片付けしたらすぐに元の賑わいに戻るらしい。
もうテロに慣れっこになっている。
それは一般人なりの、ある意味凄まじい「テロとの戦い」であるが、そんなおっかないことは無いのがいいに決まっている。

結局一般人は、何があっても普通にしているしか他にないのだろうか。
その辺はよくわからない。
posted by ヤス at 16:23| 徒然なるままに

2015年11月14日

パリのテロ

パリのテロ
日本時間の今朝未明、現地パリ時間の金曜日夜にかなり大規模のテロ事件が起きたらしい。
犠牲者数についてはかなりばらつきのある複数の情報が錯綜しており、最大160人が死亡したともいう。
テロは劇場やスタジアム、食料品店など7ヶ所で起きたらしい。

2001年9月11日のニューヨークを思い出した。
ニューヨークでは飛行機がビルに激突するという衝撃的な映像と数千人の犠牲者で唖然とした。
だが今回のパリは、ある意味もっと深刻だ。
ヨーロッパの人たちは今後テロの脅威を強く意識せざるを得ない。
日本も人事でない。
これから大人数の集まるイベントは難しくなるだろう。
そういう意味で影響が極めて大きい。
被害に会った方、犠牲者の方にお見舞い申し上げます。
posted by ヤス at 12:03| 徒然なるままに

2015年11月13日

芸術品の値段について

なんとなく、「美術品の値段」というものをネットで調べてみた。

今から30年くらい昔のバブル期には、カネの余った日本の会社、特に機関投資家でもある保険会社などが名画を買い漁りするような時代があった。
1987年に安田生命がゴッホの「ひまわり」を3992万1750ドル=58億円で買ったのは当時大きなニュースになったのでよく憶えている。

しかし上には上があるようで、オークションなど以外に、表に出てこない個人売買では2〜3億ドルという取引もあるようで、この世には日本円で300億円くらいの絵画の売買もあるらしい。
ネットではゴーギャンの作品をオイルマネーが推定3億ドルで購入したとかの情報が出ていた。

安田生命が買った「ひまわり」は、その後同社の美術館に収まり、安田生命は同業他社と合併して損害保険ジャパン日本興亜に変わったらしいが、絵の方は今でも無事に美術館に展示されているらしい。


しかし、絵画の値段に数十億円とか100億円とかの値段が付くのは考えてみると不思議である。
その絵画を美術館に展示することによって得られる入場料収入の現在価値、みたいな収益還元的な計算では何十億円の値段は出てこないだろう。
この値付けは投資物件としてのメカニズムによって算出されたものと思われる。

絵画の場合、土地や建物などの不動産と違って持ち運びが出来る。
また、経年劣化による価格低下というのも無い。
どちらかというと製作から時間が経つほど歴史的価値が増す。

たとえばゴッホが「ひまわり」を製作するにあたって使用した原材料費は、キャンバス代や絵の具代などに5〜6万円かせいぜい10万円くらいであろう。
バブル期に安田生命が投じた58億円は、もちろんゴッホが使用したキャンバス代や絵の具代を価格評価の対象としていないであろう。
58億円は100%「ひまわり」の芸術的価値という、なんだかよく分からない形而上的なモノに対して投じられているのである。
それはほぼ空気に値段が付いたのと同じに思われる。
いや、空気には酸素や窒素などの物質的要素があるから、58億円の価値は空気以上に透明な要素の値段である、と考えることが出来る。

しかし考えてみると、「モノの値段」というのはそもそもまるで空気のように掴みどころのないものであると思われる。

そもそも「貨幣」というのは人類の創造した幻想なのであり、そもそも「貨幣」には実体的な「存在性」はまるで無いのだ。
貨幣経済の歴史の蓄積が、「貨幣」にまるで実体があるかのような幻想を我々に与えたのではなかったか。

どのように煮ても焼いても食えない一枚の油絵に「値段が付く」という現象は、二匹のオバケによるお遊戯のようでもあり、また一方ではそれこそがおカネというものの本性であるような気がする。

なんだかうまく説明できないがそのように思った。
posted by ヤス at 11:49| 徒然なるままに

2015年11月12日

マクドの値段迷走

アートの値段
タリーズの創業者で現参議院議員の松田公太氏も書いていた
http://lite.blogos.com/article/143940/
が、マクドナルドの値付けがどうも迷走している。

これは今に始まったことではない。
マクドの値段の歪みの根本は、ハンバーガー100円やチーズバーガー130円をはじめとする一部低価格品の存在にあると思う。

マクドが考える値段のスタンダードは、ダブチ340円とかフィレオフィッシュ310円とかなのだろうと思う。
この辺の商品の原価率設定が、あるべき原価率な気がする。

ところが上記のような300円台の商品価格はお得感が薄い。

そこでお得感を出すためのセット価格や100円バーガーなどのバーゲンプライスが出てくる。
ポテトが推定される原価に対して高過ぎると話題になっているらしいが、これはポテトの定価を高めに設定することで、セットの見かけ上の割引率を拡大してみせるためなのは間違いない。

また、ハンバーガーなどのバーゲンプライスがいまだに継続しているのは、客単価が100円、200円の子供や貧乏人のお客さんの割合が無視できないほどたくさんいるので、そういう低客単価層を逃さないためだろう。

まあ、あくまで推測ではあるけれど、そういうどっちつかずの戦略方針になっていて価格付けが混迷しているのではないかと思うのである。

で、身動きが取れない状況のなかで、事態をいくらかでも打開すべく商品単価200円のお手頃マックも登場したのだろう。

ちなみにわたしは、トマトとレタスでわりかしさっぱり味のハムレタスバーガーが好きだ。
エッグチーズは味はまあまあだがややくどい気がする。
バーベキューポークは、マクドのバーベキューソースは味がプラスティッキーで人工的な感じがするのが残念、あんまり食べたくない。

ということでお手頃マックのわたしの採点は、一勝一敗一分け。

ところでマクドのこの混迷状況を打開するにはどうしたらいいのだろう。

プライス戦略の矛盾を解消しつつ利益率を改善するには、商品を美味しくしていくしかないのだと思う。

価格決定の基準の中で、原価率の割合を下げて味の割合をぐっと増やす王道を行くほかないんじゃないか。

味のレベルを上げるのはかなり難しそうだけれど、もうどんどん新商品を投入していくしかないと思う。
お手頃マックのクラスかちょい上の新商品をどんどん投入して良さそうなのを残す。
そうやってレギュラー商品のレベルをぼちぼち上げて行くしかない。

そういう意味では今回のお手頃マック3商品の投入はいいテストケースの気がする。
いずれにしても、今のプライスラインは迷走し過ぎなので大幅修正が必要なのは間違いないと、わたしも思うのである。
posted by ヤス at 14:09| 徒然なるままに

2015年11月11日

今度こそMRJ初飛行

今日こそはほんとうにMRJが飛ぶ。
50年ぶりの日本における国産旅客機の初飛行の成功を祈りたい。

ところで、最近の飛行機はどれも似たようなデザインに見える。
低翼配置のエンジン双発という基本形に沿った機種が増え、また設計もコンピューターシミュレーションでやるので機首周りや翼のカタチなども似た形状に収斂するのだろう。

昔の飛行機、特にプロペラ時代の飛行機は、機体形状にもっとたくさんのバリエーションがあった。
これは難しい空気力学の計算に使える高性能のコンピューターが無く、いろんな人が試行錯誤で設計していたからだと思われる。
ただし、棒状の胴体の重心位置に細長い翼を配置し、機体後端に水平・垂直の尾翼がくっつく基本形は共通である。
これはこのカタチがいちばん操縦しやすかっただろう。

未来の飛行機では、この基本形状について革命的な提案が出て来ることが期待される。
アメリカのNASAで研究を進めているのに「全翼機」というのがある。
世界で一番高価な軍用機として有名なB2スピリット爆撃機(1機2000億円らしい)が現時点で唯一の実用全翼機だと思う。
全翼機は操縦性に難があるのが欠点だったが、最近の電子制御技術により実用化が可能になったようだ。
全翼機は機体全面で揚力を発生するため空力的な効率が良く、大きな主翼内は十分な容積があるのでスペース効率も良い。

三菱重工はどうせやるなら2〜30年先を見越して旅客機形状の革新にもチャレンジして欲しいところではあるが、そのためには莫大な開発資金がいる。
これにまた多額の税金を投入する、というのもやや微妙な話である。
まずはMRJの商業的成功が不可欠ということになる。


機体形状の革新といえばホンダジェットが、主翼の上側にエンジンを配置し、胴体の形もイルカがはねたような変わった形状になっている。
躍動的でいかにもホンダらしく見えるのは気のせいだろうか。
機体の形の印象だけだけれど、なんだかホンダジェットの方がうまく行きそうな感じがしてきた。

ちなみにMRJのお値段は座席数78〜92席で47億円、ホンダジェットは7〜8人乗りで5億4千万円らしい。



MRJの初飛行はユーストリームで生中継するらしいが、見る時間あるだろうか。
posted by ヤス at 08:04| 徒然なるままに