2019年07月22日

参院選の投票率など

参議院選挙が終わった。
投票率が48.8%で史上二番目の低さだったらしい。(いちばん低かったのは1995年自社さ政権時代の44%台らしい)
与党の自公で過半数は維持したが自公に維新を足した「改憲勢力」で3分の2に達せずとか、いろいろ論評の向きもある。
その辺はわたしにはよく分からない。

この投票率の低さをどう考えたらいいのかと思う。
国政選挙で半分以下の人間しか選挙に行かないというのは、まずまずの問題だと思う。
ニュースで選挙に行かなかった人へのインタビューをやっていたが、ほとんどの人が「投票しても何も変わらない」というもののようだった。

それで、自分の一票を投じることで何かが変わるかといえば、確かにその影響力は限りなく小さい。
ほぼほぼ何も変わらないと言って、必ずしも間違いではない。
世の中ではタレントとかの有名人や公共広告とかで「投票に行きましょう」としきりに呼びかけているが、生まれてこのかた政治や選挙に興味を持ったことのない人が今回もやっぱり選挙に行かなかったからといって別段不思議でもない。
目の前に選挙に行かなかった人がいても、何か説教でもしようか、ということにもならない。

たぶん多くの人は、自分の生活は今の状態でまあまあいいんじゃないかと思っている。
いろいろ不満もあるけれど、政治でどうにかなりそうなことでもないと思っているのに違いない。
そして現実問題として、投票率が現状よりぐんとあがったとして、生活が劇的に変わるかというとたぶんそうでもない。

それで多くの人が投票に行かないけれど、なんとなく日本の国は現状でうまいこと回っているように見える。
民主主義の本質とは案外そういうものかもしれないと思う。
投票とか多数決の原則とかいうものは「最悪の選択」を回避するためのもので、必ずしも「最善策の選択」ができるようになっていない。
最悪の独裁者が出て来そうになったり、民衆の生活を破壊しそうな政策が生まれそうな時、最後の歯止めとしての投票行動が生きる、そういうことなんだろう。


日本のGDPが全世界GDPに占める割合は、ピークが1995年前後で17%くらいだったらしい。
それが2016年には6.5%にまで低下している。
日本の経済規模は世界の中で相対的に3分の1ほどに縮小した。
かつて主要国中でトップだった国民所得は、アメリカよりかなり多かったのに今は対アメリカで7割弱の水準。

日本はかなり明確な経済的問題を抱えているにも関わらず、この問題に対して政治はほとんど仕事をしていないように見える。

日本の経済的地盤沈下のかなり大きな要因は政治の円安指向だと思う。
もし円ドルレートが今の100円強の水準でなくて、70円とかせめて80円くらいの水準が続いていたら、日本経済は確かに一時的には大変な苦境に陥っただろうが、そこから自立的な構造改革が進んでかなり違ったものになっていたと想像する。

「ゆでガエル現象」ではないけれど、ゆっくり進む危機はなかなか危機と認識できない。
危機感がないと国民は投票に行かず、政治は変わらず、日本の地盤沈下は進む。
そしてそれが民主主義というものだから、まあ仕方ないのだろうと思ったりしている。
posted by ヤス at 08:52| Comment(0) | 徒然なるままに

2019年07月21日

事前期待を裏切られること

顧客満足度の要点は何かということがいろいろな経営の教科書に書いてあって、それらの要点でいちばん重要なのはたぶん「事前期待」なのだと個人的には思っている。
顧客満足度を上げるためには、顧客の持つ事前期待を知ることが本当は必要である。
満足度というのは、期待値を超えた分だけポイントが上がる。
顧客が購入した商品やサービスが事前期待を超えていると、そこに満足が生まれる。

だからどうにかして事前期待のレベルとか内容を知りたい。
あるいは、事前期待を適切にコントロールすることも必要になる。

ハリウッド映画の宣伝とかでも、プロモーション映像はこれでもかというくらいの煽りが入っていて、否が応でも事前期待が高まるようになっている。
実際多くのハリウッド映画は今や製作予算100億円200億円は当たり前。
人気の俳優を使い、CGも特撮も爆薬もふんだんに使ってどう転んでもヒットするように全スポンサーの夢を乗せて作られる。
しかしやっぱりつまらないものはつまらない。
それでも映画の場合、多くの人は劇場で1回観るだけだし、初動の動員が興行成績に大きく影響するので公開前の煽りPRは過激にならざるを得ない。
それで煽り過ぎて実際に映画を観たらしょぼくて事前期待を裏切られたとしても、初動でそれなりに動員できればそれなりにリクープ(投資回収)できるから煽らないわけにいかない。

しかし多くのリピートビジネスの場合、例えば小売店でも飲食店でも、事前期待を裏切り続けるとリピートが続かなくなって売上が減る。
だから宣伝であまり煽り過ぎないことはまあまあ重要なのだと思う。
ぱっと見の感じ、多くの小規模店舗ではあまり大きな広告予算を投入していないように見える。
これはそもそも広告にかけるほど潤沢にお金がないということもあるし、派手に宣伝し過ぎると顧客側の事前期待を高め過ぎるきらいがあって満足度が下がるということもあるのではないだろうか。

それともうひとつ満足度と事前期待で思うのは、昔と今では人々の感覚がかなり変わっているのではないかということである。
今は安くて良い品が街中にあふれていて、人々の事前期待の平均値が昔よりかなり上がっている。
その分みんななかなか簡単に満足しない不感症に陥っている面が大きい気がする。

だから昔だったらそこそこ通じた宣伝における大きな「煽り」が、今は「そんなの本当かなあ」という疑問に受け止められやすくて、効果が薄れているのではないか。
お金をかけて煽ったはいいが、実際の商品はそれほどでもなくて満足度が下がることが多いのではないか。

さらに余計なことを思うとすれば、消費者は事前期待を裏切られることに対するメンタル的な耐性が著しく落ちている。
しかし期待を裏切られることの喪失の恐怖を乗り越えて、どんどん新しいものにチャレンジしないと革新的な商品が出てこない心配がある。

だからわたしも、これからはまた気を入れ直して、面白そうだがひょっとしたらつまらないかもしれない映画や小説にどんどんチャレンジしていこうと思ったりしているのである。
(思ったりしているだけだったりするのだが)
posted by ヤス at 14:09| Comment(0) | 徒然なるままに

2019年07月20日

MADについて心配する

マッドマックスばかり観ていたせいか、狂うということについてちょっと考えるようになった。
狂う、英語で言うところの「MAD(というか動詞の「狂う」はgo madというらしい)」であるが、狂うとはいったいどういうことなのか。

今から400年ほど前にガリレオ・ガリレイは、地球は太陽の周りを回っていると主張して宗教裁判にかけられた。
ガリレオは裁判の末に地球が回る自説を撤回して「それでも地球は回る」と言ったとか言わないとかいう話であるが、ガリレオの地動説は精密な天体観測の末、その観測データを忍耐強く分析した結果導き出されたものだったのは言うまでもない。

一方で教会側の天動説、つまり「この世界の中心は不動の地球」の考え方はうすぼんやりとした空想の産物だったわけであり、現代的な視点で両者を見ると明らかに教会が狂っていてガリレオが正気なのは明らかだ。
それでも当時の教会の常識でガリレオは異端者とされ、世間も教会の権威を追認して地動説をとなえるガリレオは晴れて狂者認定された。

世の中には、あの人ちょっとイカれているよねとか、なんだかおかしなやつだよねとか、世間の人々からプチMAD認定される人が時々出てくる。
でもそれもガリレオの例を参照するなら、ひょっとしたら未来の視点からいうとおかしいのは世間の人々でありMAD認定された被疑者の方が本当はいたってマトモ、というケースは少なくないものと想像される。

もちろん未来視点からみても依然としておかしな奴が大半なのかもしれない。
ただその場合でも、他人の中に垣間見られる「狂」の成分をただの他人事と思わないことが大切な気がする。

本当に狂っている「狂者」の特徴は、自分はマトモだと思い込んでいることだと思う。
本格的に酒に酔っ払っている人は、もはや自分が酔っ払っていることを忘れている。
自分が一分の隙もなくマトモだと思う人は、少し自分の中の「狂」の成分について心配した方がいいのだと思う。
人が本当に狂ってしまなわないための唯一の手がかりは、ひょっとして自分は少し狂っていないか常に心配していることだと思うのである。

吉本芸人が反社問題でまた契約解除されたけれど、反社の人たちも、反社の人から仕事をもらう芸人もいくらか狂っていることは間違いないと思うが、じゃあ吉本は少しも狂っていないのか、あるいは契約解除のニュースを見て「ほれ見ろ自業自得」とか感じている世間の一部の人々は狂っていないのか、そういうことをいちいち考えてイライラしている自分がいちばん狂っているのか。

ということでやっぱり今日、もう一回マッドマックス観ようかなとか思ったりしている。
posted by ヤス at 14:39| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年07月19日

ふたたびマッドマックス(2015年版)について

ちょっと前にも書いたが映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード(現代:Mad Max: Fury Road)」のことである。
最近、ずっとこの映画を繰り返し再生している。
パソコンのストリーミングでもう10回以上は再生しただろうか。
本当に「マッドマックス 怒りのデス・ロード(以下「マッドマ・デス」)」は自分の映画史上最高に面白い。
それが、何回見ても面白いのである。
昨日の深夜にも観たのだが、やっぱり面白い。

それで考えたのだが、何がそんなに面白いのか。
「マッドマ・デス」は、以前にも書いたが、物語としては2000馬力のウォータンクが砦から出ていってまた戻ってくるだけのお話である。(途中ウォータンクは谷底で大破して「ギガホース」に乗り換えになるが)

「マッドマ・デス」は、いちおう世間的な主人公はマックスということになるのだろう。
しかし一段突っ込んで考えると本当の主人公はシャーリーズ・セロン演じる大隊長フュリオサだと思う。
そしてさらにもう一段掘り下げると、実のところの主人公は白塗りのウォーボーイの一人であるニュークスなのに違いない。
そうとしか思えない。

「マッドマ・デス」は、メンタルがイカれて癌か何かの病気で死にかけのニュークスが、砦から出て戻ってくるまでの間に(もっともニュークスは谷底で死んでしまうが)まともな人間に変化していくことが主題となっているように思われる。

本当に、「マッドマ・デス」に出てくる人間たちはどれもこれもイカれている。
その象徴がトラックの上にでっかい太鼓を6つ並べて、それをみんなでどんどこ叩いて、さらに太鼓の前に設置された車上タワーの上で「火を噴くエレキギター」を奏でる赤い服の若者だ。(この赤服にも設定上名前が付いていたと思うが失念した)
赤服は周りでウォーボーイがバンバン殺し合いをしている中で景気づけにひたすらギターを弾き続ける。

メタメタな殺し合いの最中の描写のひとコマに、ニュークスの友達で槍手のスリットが疾走する車のボンネットの上で、ニヤケ顔でだらんと車にぶら下がってふざけるシーンが一瞬だけあって、あの一瞬は、ウォーボーイたちが「晴れ舞台」としての殺し合いをみんなしてエンジョイしていることを強く感じさせる。
ニュークスも前半はそうなのだが、何度もヘマをして死に損なっているうちに美人妻5人衆のうちの一人、赤毛のケイパブルとのふれあいを通じてだんだんと正気を取り戻していく。

とちゅう湿地で立ち往生したウォータンク、不毛の大地に立つ「でっぱり」の枯れ木にマックスがウィンチを掛けに行って、それを手伝いにだいぶまともになったニュークスが駆けていく。
その駆け出す直前に、ワイヤーカッターで鎖を切ってくれた美人妻のケイパブルのほっぺにチュッとするのがある。
あの瞬間、わたしはいつも泣きそうになる。(実際に泣いたことはない)

ニュークスがだんだん正気でまともになっていく変化の感じが、何かとても心に響くなあと昨日の深夜観ていてあらためて思った。

「マッドマ・デス」はイカれた殺し合いを描いたアクションエンターテイメントなわけであるが、しかし絶妙なバランスで心に染みる「人間の物語」が配合されていて、その物語が説教臭くもなく、舞台はおそろしく現実離れしているのに死ぬほどの説得力を持って迫ってくるという点で、上等なスルメのように味わい深い映画だと感じる。

「マッドマ・デス」の登場人物はみな相当にイカれているが、しかしニュークスが最後まともになったように、狂気の人間にもいくらか正気な部分があるような気もする。
何度も観ていると、悪の権化イモータン・ジョーにも長男のリクタスにも、圧倒的な狂気の底に少しだけ正気が覗いて見える気がする。

その逆に、圧倒的に自分は正気だと思っている人の中にも、ある種の狂気が潜んでいることもあるのではないか。
そしてそういう風に、狂気と正気が一人の中に同居しているのが人間というものの難しさなのだ、というのを「マッドマ・デス」はアホみたいに力強く描いているのではないかと思う。
posted by ヤス at 14:24| Comment(0) | 徒然なるままに

2019年07月18日

とりあえず始めろ

仕事を早く終わらせるための唯一最良の方法は、早く始めること、しかない。
これは「超整理法」で有名な野口悠紀雄氏が繰り返し述べている金言である。

ただし、注意が必要だ。
早く始めることが必ずしも早く終えることにつながるとは限らないからである。

早く始める事は、ただ「終わる可能性が生まれる」ことの第一歩に過ぎないのである。
始めない事は終わる可能性がゼロの状態が依然として続くということを意味するのに過ぎないのである。

それは、100点満点で始めないうちはゼロ点だったのが、始めたことによって10点か20点くらいになる、という程度かもしれない。
場合によっては、始めたことによってその作業の複雑さ、難解さにやっと気がつき、かえって始める前よりやる気が削がれる、ということだってある。

ニュートン力学における慣性の法則により、動いている物体はそのままの速度と方向を維持しようとし、止まっているものはただそのまま止まっていようとする。

そこに新しい動きと方向を加えるには、新しい力を注ぐことが必要である。
しかしその最初の入力を加える作業は、いつだって面倒くさい。
メンタル的にも面倒くさいし、肉体的にも疲れるからできれば始めたくない。

動物園のライオンが日がな昼寝をしているように、我々人類も条件が許すなら寝て暮らしたい。

しかし人類の場合、動物園のライオンと違って昼寝だけしているとそのうち腹が減って困ったことになるから、何かを始めないわけにはいかないのである。

だからわたしも、いくばくかの食い扶持のために何かしないわけにはいかない。

先程始めることは、100点満点の10、20点と書いたが、場合によってはそれは1点2点くらいにしかならないのかもしれない。

ただたとえ1点でも、始めないうちのゼロ点に比べると、1をゼロで割る割り算という数学的に厳密な意味で、そこには無限大の隔たりがある。

だからやっぱり「始めること」はかなり偉大な事なのだと思う。

例えばダイエットを始めようと思って、バナナを買うなりリンゴをすりおろすなり始めたとしよう。
バナナやリンゴが実際的に体重減少にどれほどの効果があるのか知らないが、しかし「始めた」のは事実だろう。
彼女(彼)は「始めていない」人に比べると、ダイエットに関し無限大のアドバンテージを構築しているように思われる。

始めるべき事がいろいろ渋滞していて、何を優先すべきか混乱することもあるだろう。
そういう時は、アミダクジか何かで適当に始めるに限る。

人生は何かを終えるにあまりに短い。

だから俺よ、頑張って何かを始めろ、そしてそれを終わらせて土日はキャンプに出かけろ、とか思ったりする今日この頃だったりする。

posted by ヤス at 13:25| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年07月17日

今年の夏の気温について

今年はなんだか涼しい。
昨日もオートバイで走っていて、午前中の風がときどきひんやりとしていて、去年のこの時期のクソ暑さと比べると明らかに涼しい。
それで気象庁のデータを調べて今年がどれくらい涼しいのか見てみた。

2019.jpg

グラフは日々の最高気温をプロットしたものである。
青いなだらか線が1981〜2010年の30年間の最高気温の平年値。
7月から8月に向けて、毎年気温がぐんぐん上昇していくことが見て取れる。
赤い中途半端な線が今年の最高気温グラフで、これを見ると明らかに平年値よりグラフが下にあって、青い線を飛び出たのは7月1日から16日までのうちにたった4日だけである。

緑のギザギザの線が2018年、昨年の最高気温のグラフ。
ときどき温度が下がってグラフに深い谷ができているが、これは雨降りの日である。
昨年の7月6〜7日の豪雨災害時の気温も大きく下がっているのが確認できる。

このグラフを見ると、昨年の夏がいかに暑かったかあらためて思い出す。

さて、それでこれから夏の暑さがどうなるのかが気になる。
平年値のグラフを見ると、夏の暑さは7月下旬から8月初旬にかけてピークになるようである。
その部分がなだらかな山の頂上になっている。
昨年のグラフを見ると雨の日に時々涼しい日もあったが、それ以外は8月の終わりまで最高気温36℃をちょいちょい超えて猛暑日が続いたのが確認できる。
平年値はあくまで平年値、お盆を過ぎたからといって必ず気温が下がるというものでもないらしい。

また梅雨明けの時期も気になる。
中国地方の平年の梅雨明け日は7月21日だそうである。
ちなみに今年の梅雨入りは平年より19日遅い6月26日だった。
一足早く梅雨明けした沖縄・奄美も平年よりかなり遅かったみたいで、そういうことでは岡山の梅雨明けはひょっとしたら8月にかかるくらいまで遅れるのではないか、その分しばらく涼しい日が続き、結果として今年の夏は比較的「冷夏」になるのではないか、ということを想像したりしている。

まあ夏は暑いほうがビールも売れて景気も良くなると思うので微妙なところではあるが、しかし昨年より涼しくなってくれると正直うれしい。(冷夏になれの話ですが)
posted by ヤス at 12:24| Comment(0) | 徒然なるままに

2019年07月16日

マクドの増税対応が心配だ

昨日、いつものとおりマクドに行って、しかしいつもとは違ってモバイルクーポンは使わずに「グランガーリックペッパー」のセットの「ナゲットとコーヒー(ホット)」のセット690円をカウンターで注文した。

最近、わたしが行きつけのマクドでは、気を利かせたつもりなのか店員さんが「いつもありがとうございます」とお礼の冒頭に「いつも」を付けるようになっている。
人見知りのわたしとしては、接客用語の冒頭に「いつも」が付くのは精神的に重荷なのでほんとうはやめてほしい。
でもいちいちそんなことで文句も言っていられないので無言でスルーしている。

昨日の場合はカウンターの係は新人っぽい高校生バイトだっだせいだろうか、普通に「ありがとうございます」と冒頭の「いつも」なしで注文が終わって少しほっとした。

それでしばらくしてカウンターの上に設置してあるモニターに「335」と番号が出て、「335番のおきゃくさまー」と呼ばれた。
わたしはマクドではいつでも店内飲食で、テイクアウトを利用することはめったにない。
というか今までマクドを利用し始めてからの30数年間にテイクアウトで注文したことはたぶんいちどもない。

しかしあろうことか、昨日は「355番の、おもちかえりのおきゃくさま」と呼ばれたので耳を疑った。
その時は午後16時ころの空いた時間帯で、順番待ちはわたしひとりしかいない。
そのわたしが「おもちかえりのおきゃくさま」と呼ばれた。

わたしはなるべく控えめな感じで高校生のバイトの女の子に「店内です」と告げると、女の子は「失礼しました」と言って、ものの10秒ほどで、お持ち帰りの紙袋から店内用のトレーに商品を移し替えて出してくれた。

それで思ったのであるが、これがもし10月1日の消費増税後の風景だったとしたら、この処理はどうなっていたのだろうか。
マクドが10月以降、増税対応としてどのような施策を行うのか今のところよく分からない。
690円の商品だと、増税分の2%が13.8円になる。
店内飲食とお持ち帰りで13円の価格差が生まれる理屈なわけで、もし普通に行けば上記の場面では「失礼しました、店内飲食にレジ打ち直します」とかいう話になりかねない。

たった10円少々の価格差を修正するためのレジの打ち直しが、全国各地の店舗で発生するとしたらこれはかなりたいへんなことだ。

ひとつの方法として、店内と持ち帰りの本体価格を変えて税込価格をまったく同一にする、という方法もあるらしい。
この場合、持ち帰りだと本体価格639円に税8%足して690円、店内なら本体628円プラス税10%62円で690円にする方法。(本当は増税で690円から値上げになっているのだろう)
ただこの場合もお客さんの支払額は変わらないが、店側としては税率変更のためにレジの打ち直しが必要だ。

ほんとうに、10月以降マクドナルドの増税対応が心配だなあと思うのだった。

posted by ヤス at 09:08| Comment(1) | 徒然なるままに

2019年07月15日

価格戦略におけるデッド・ウエイト・ロス

わたしは最近「スタバ」に行っていない。
マクドにはしょっちゅう行っている。
マクドに行ってスタバに行かない理由は簡単で、スタバの方がだいたい払いが高くなるからだ。
スタバでは一番安いドリップコーヒーでも290円である。(たぶん)
わたしはだいたい「スターバックスラテ・トール」を注文するが、これだと380円。
一方でマクドでは、ドリンクはブレンドコーヒー(必ずホットだ)のMサイズと決めていて、これだと定価150円、モバイルクーポンを使うとだいたい120円になる。(たまに100円のクーポンが出ていたりもする)

それと、スタバはいつ行っても客が多い。
わたしがスタバに行く理由は、ほぼ99%パソコンを開いてゴチョゴチョとした作業をすることにあるが、しかしこうも混んでいるとPCを開くのを遠慮したくなる。
しかし、あんなに強気な価格設定にも関わらずスタバがいつも客で一杯なのは、どうしてなのかとちょっと気になる。

あんなにいい値段で、しかもいつも客でごった返しているのでスタバはさぞかし儲かっているのだろうと想像する。
それでネットでスタバの財務情報を調べてみた。
「スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社」は2014年に米国本社の完全子会社になり上場廃止されている。
したがって現在財務情報は非開示になっているが、上場当時の情報は引き続き公開されているのでこれを見る。

スターバックスジャパンは現在国内に1300店以上を展開していて、約1000店舗だった2014年当時で売上1256億円。
それで経常利益110億円、経常利益率では8.8%となっている。
参考までにマクドナルドは2019年の国内全店売上が5510億円になる見込み。
経常利益は2019年見通し額で271億円、率にすると4.9%。
マクドナルドも予想以上にいいけれど、やっぱりスタバの利益効率の良さはかなりのものだと思う。

経済学用語で「デッド・ウエイト・ロス」というのがある。
これは「余剰」の概念の関連で出てくる言葉だが、経営学における「価格戦略」にも「デット・ウエイト・ロス」がある。
経済学の「デット・ウエイト・ロス」は課税などによって本来消費者や生産者の得られる余剰が失われることを言う。(らしい)

価格戦略における「デッド・ウエイト・ロス」は、価格設定にまつわるロスのことである。
日替わりランチを800円で売る店があって、でも一部のお客はその店では1000円出しても食べたいと思っているとする。
それでもランチは800円で、1000円出してもいいお客も800円でランチを食べていて、そういうお客が10人いると10人×(1000円-800円)=2000円の見えない損失が出ていると考えることができる。

価格戦略の考え方として、この時の2000円のような「デッド・ウエイト・ロス」を最小化することによって利益を最大化するというのがある。

それで、スタバの価格設定にはそういう考え方もいくらかあるに違いない、などと思ったりしている今日のこの頃なのである。
posted by ヤス at 12:41| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年07月14日

ホットサンドメーカー

昨日モノを比べる話を書いたのだが、そのことを書くきっかけは数日前の買い物だった。

例によってAmazonでキャンプ道具を買った。
正式な製品カテゴリー名称はたぶん「ホットサンドメーカー」ということでいいと思うのだが、小ぶりなフライパンが蝶番で上下くっついて二枚貝みたいにパタリとしまるやつ。

それも、ほぼ同じ機能を持った製品の種類違いを買った。
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今、目の前にふたつの「ホットサンドメーカー」が並んでいる。
これを使う人間はわたし一人であるので、いちどにどちらかひとつだけあれば本来は十分だ。
だったらどっちかひとつだけ買えばいいようなものだが、どっちにするか決断がつかなかった。
片方1951円、他方3294円。
合わせて5千円あまりだったので思い切ってふたつ同時に買うことにした。

ひとつはキャプテンスタッグという比較的有名なメーカーの製品(1951円の方)で、もうひとつはイタリア商事という会社の「バウルー」(3294円)という商品名のものだ。
「バウルー」はキャンプ芸人のヒロシが愛用しているのがYouTube界隈では知られている。(と思う)

まあ別に、わたしはホットサンドとかいうオシャレな食い物を食らう予定はない。
ホットサンドは間に挟む具を用意するのがいかにも面倒臭そうだ。
わたしの目標はただ一つ、食パンを買ってきてこいつに挟んでトーストにすること。
それとホットサンドメーカーだと取っ手を持ってくるくるひっくり返すだけでモノの両面が焼けるから、肉も焼きたい。
またカルビを焼くと、普通のフライパンだと脂がやたらと飛び散って周りがベタベタになる。
それがホットサンドメーカーだと具合が良さそうだ。
あとヒロシがよくやっているように、餃子を焼くのにも都合がいいに違いない。
それらのことを想像して買った。
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キャプテンスタッグとバウルーの違いは、キャプテンスタッグは蝶番がワンタッチで外れて片面だけでフライパンになる。
バウルーは、蝶番は外れないが開いたときに片面が一定の角度で止まって便利。
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これは実際に使ってみないとどっちが優位か容易に想像できない。
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それから仔細に観察すると、キャプテンスタッグは合わせ面に隙間ができる。
バウルーは、縁のところにきちんと「反し」がしてあって、合わせたときにきちっとハマる感がハンパない。
全体の重厚感、道具感も値段が高いだけあってバウルーに軍配が上がる。
ただ、想像では蝶番が外れることによる便利さは意外とあるのではないか。
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今週末はいろいろと宿題がたまっていてキャンプに行けない。
だからこの数日、家で食パンを買って、この2種類を使ってひたすらトーストを焼く日々が続いている。

今日の晩は冷凍餃子とタレ付き肉でも買ってきて、宅内キャンプでさらに実験を重ねようか、とか思ったりしている。
posted by ヤス at 12:34| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年07月13日

並べて比べて初めて分かること

少し前に、仕事の関係で「うどん袋麺」の食べ比べというのをやったのを思い出した。
うどん麺というのは、たぶん小麦粉と水と塩がその主成分である。
その他に歯ごたえや隠し味で何か他の材料が入っているのかもしれないが、しかしそれでも、その99%くらいは小麦粉と水と塩の混合物で占められていることは想像に難くない。
わたしはグルメでもない普通のおじさんなので、うどんを食べてもいちいち味がどうとか喉越しがどうとか論評しない。

あるメーカーのうどんを何も考えずに食べたところで、それはただの「うどん」なのである。

しかし、目の前に異なる数社が製造するうどん麺を湯がいたやつを並べて、これを慎重に食べ比べるとそこに微妙な違いがあることを発見する。
麺の練り具合とか塩の分量や投入時期、水の中の微量ミネラル成分など、いくつかのわずかな要因がさまざまに影響して違いを生み出しているのだろう。

似たようなことは他にもあって、例えば吊るしのスーツを買いに行って何種類か羽織り比べると、こっちはスッと袖が通るとかあっちはちょっと肩幅が窮屈とか、それぞれの比較を通して単体だけだと隠れていたスーツの特徴が急速に浮かび上がる。
(最近はトンとスーツは買ってないが)

「うどん」とか「スーツ」とか、ありふれた身近な存在物は、普段ならその特徴に気を留めることもないわけだが、いざ一同に並べてちょっと注意して微妙な違いに気をつけると、驚くほどそれぞれの特徴がよく分かったりする。

これはたぶん、製造業者の方でも日常忙しげに我が社の製品を作って販売している最中には、我が社の製品の特徴が何であるのか、なかなか説明できないことが多いのではないかと想像する。
まあ気の利いた会社ならとっくの昔からやっていると思うけれど、やはり一定の間隔で同業他社の製品と我が社の製品を並べて味わってみる、触ったり匂ったりしてどこが違うのか注意してみる、ということは大事ではないか。

並べて比べることによって初めて分かる、我が社の製品の特徴なり強みなり弱みなりが見えて来るのではないか。

世の中にはラーメン好きがたくさんいて、中にはほとんど毎日ラーメンを食べるというマニアもいるだろう。
そういうマニアはいろんな店のラーメンを食べて、ラーメンごとの微妙な違いを体で覚えている。
いろんなラーメンの味の違いを覚えているからこその、目の前のラーメンを味わう楽しみなんていうのもあるのかもしれない。

そういうことで、わたしも某Mdナルドだけでなく、「Mス」とか「Lテリア」とか他のところでもハンバーガーを味わうと、Mdナルドの偉大さが改めて分かるのかもしれない、とか思ったりした。
posted by ヤス at 12:57| Comment(2) | 徒然なるままに