2018年02月23日

北へ出るのに東を撃つ

今から458年の昔、織田信長は桶狭間で今川義元を討ち取り、それが自身の行く末の大きなターニングポイントになった。
この事件についていろんな歴史小説に、細かい内容は千差万別ながら、しかし大きなストーリーとしてはほぼ同じように書かれている。
とにかくも、尾張の中堅大名の信長が、天下を伺おうかと言う今川氏を討ち取ったのはその通りである。

もしこの時今川が勝っていたら当然歴史は大きく変わっている。
というか、桶狭間は状況的に99%今川が勝っているべき戦いだったのが、信長は細かく斥候を出して情報を集め、悪天候による視界の悪さや大軍を頼みにする今川側の気の緩みなどがあり、いくつかの細かい僥倖も重なって信長は勝利した。

この戦いをきっかけにして、織田領の東側を圧迫していた今川家は急速に弱体化してそのうち滅亡し、また今川方にいた松平元康(後の家康)は今川のくびきを抜けて信長に同盟することになる。
この事件を契機にして、信長の天下取りが一気に3手も4手も進行した感がある。

問題は、この事件がたまたま起きたものだったのか、それとも信長が意図してわざとそちらの方向に義元を追い込んだ末に起きたのか、ということである。
これはすべての「桶狭間小説」が書いているわけではないけれど、わたしは、信長はわざと義元を誘ったのではないかという気がしてならない。
というのはもちろんあまり物的証拠のない想像であるが。

戦力が絶対的に劣る信長としては、今川領に攻め込んで真正面から今川家を討滅するのは不可能である。
地道に周辺に領土を拡大していって、戦力十分になった後に東征に出る、というのがもっともまっとうな方法であろう。
しかしそれでは時間がかかり過ぎるし、周辺に拡大余地がなくなるとたちまち行き詰まってしまう。

だからこの当時の状況でいうと、北方の美濃・斎藤領か東方の遠江・今川領のどっちかを攻略する必要があって、東の方を選んだのだと思う。
信長は東の今川が弱体化した直後、美濃攻めに出てそちらの攻略も成功させている。

信長が当初から行きたかったのは本来は美濃の方で、そこから琵琶湖に出てそこを自領に組み入れて京都に出る構想だったのはまず明らかである。
そのために陽動作戦で今川氏を自領に向けて突出させ、突出してきたところで今川の本陣が手薄になった瞬間を捉えて一気に屠る。

そういう一連の流れを想像しながら桶狭間の戦いについて考えるのは非常に楽しい。
この時の信長は、一か八かの賭けに出て、賭けに負けても滅亡だが賭けに出なくても滅亡の瀬戸際で、失うものがなかった。

歴史上の偉業を成し遂げる人物には、こういう命を削った末の飛躍があるものだなあ、などと突然思った。
posted by ヤス at 10:09| Comment(1) | 徒然なるままに

2018年02月22日

話し癖、書き癖

いつも文章をタイピングしていて思うのだが、自分の分には「という」という、文字列がたくさん出てくる気がする。
人には口癖があるけれど、書き物の文章にも「書き癖」<という>のがあるらしい。

最近将棋の対局をYouTubeでよく見るが、将棋の対局前や対局後に棋士インタビューが行われることがある。
で、今をときめく藤井六段が、対局でやたらと勝っているもんだから、やたらと彼のインタビュー場面を観る。
これは少しだけ有名な話だが、藤井六段はインタビューの時に「そーですねー」を多用する。
インタビュアーがひとつ質問すると、まず「そーですねー」といって冒頭に数秒考える。
それでひとしきりしゃべって、さらに「そーですねー」といって途中また続きの内容を考えたりする。

「そーですねー」を言っている時間は頭の中で、答えとしてどういうワードを繰り出すか、あれこれ考えているのだろうが、あの質問に対してあれこれいちいち考えている感じ<という>のは、なんというか、彼らしい。
インタビューに答える時、質問の意図を正確にとらえることとか、観客に受ける面白いことはどんなかなとか、あるいは負かした対局者に失礼にならないように配慮するとか、上手に受け答えするのはそれなりに難しいと思う。
しかも返答に使える時間は数秒単位の限られた間なので、「そーですねー」とか言って、プラス何秒間か考える時間を確保して、それで的確な答えをする。

あの「そーですねー」が、わたし的には一時期ものすごく気になっていたことがあって、「そーですねー」をまた言った、あ、また言った、と言うたびに思ったりしていた。
それが最近あんまり気にならなくなったような気がするのだが、これはもはや聞き慣れたということなのか、本人的に場慣れしてきて「そーですねー」の頻度が適切レベルになっているのか。

口癖でも書き癖でも、同じワードがあまり繰り返し出てくると、気になる。
でも、多少繰り返しても、ある程度の間隔を空けて出てくるくらいだと、気にならない。

で、文章をタイピングしている時は、書いている本人としては、やっぱりその文字列が画面にダイレクトに見えるので、気になり方が話し言葉より強い気がする。

ただ、どういうワードを多用するか<という>のは、その人のしゃべりの個性、文章の個性<という>ことに繋がるもので、そんなに目くじら立てるほどでもないかもしれない。

<という>ことを思いながら文章をタイプしていたが、あんまり気にしているとものすごく不自由な感じがするので、今後はもう気にしない、<という>ことを思った。
posted by ヤス at 14:58| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月21日

下町の失敗

冬季オリンピックもけっこう盛り上がっているようである。
ところでこの間から下町ボブスレーの問題がニュースになっていて、ジャマイカ女子チームは20日に競技があって、下町ではない外国製のソリで出たらしい。
下町サイドは、もし今回ジャマイカ女子チームが外国製のソリを使ったら法的手段に訴えると言っていたので、これで正式に裁判沙汰になるのだろうか。

今回の問題は、どう贔屓目に見ても下町が分が悪い。
ジャマイカが下町ボブスレーを使わなかったのは要するに性能が低かった(もしくは競技力が低かった)からというのは明らかで、契約も何も、当初の想定を下回るソリしか作れなかったところに最大の問題があると思われる。

下町の主張を見ると、「うちのソリは性能十分」と主張しているようだが、それならなぜジャマイカは下町を使わなかったのか。
よほどうがった見方をすれば、外国のソリメーカー(当初はラトビア製との報道だったが結局どこになったのか)が賄賂をジャマイカのコーチあたりに渡して、公正な性能評価がなされなかった、という推理もできなくはない。
しかしもしそれならそれで大問題で、まあたぶん99%そういう不正はなかった気がする。
そしてもしその手の不正が無かったとしたら、やっぱりジャマイカが下町を使わなかったのはひとえに下町ソリの競技力の問題ということになる。


下町ソリといい、三菱のMRJといい、どうも最近「日本のものづくり」のがふらついているように見える。

いや、たぶん「日本のものづくり」というふわっとしたカテゴリーはきっとマボロシなのである。
問題は個別組織、三菱重工(というか直接的には子会社の三菱航空機)にあり、「下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会」(なげえ名前だな)にある。

両方とも国の補助金が入っていたり経産省の肝いりだったり、背後に親方日の丸がちらちら見える。

親方日の丸でなければ必ず盤石、日の丸なら必ずダメ、というわけでもないのだろうが、しかし日の丸を背負った製品開発というのは、失敗が許されないプレッシャーの感じが多少歪んで見える。
たぶん「日の丸」的には、失敗するのは格好良くないので、万が一失敗しても「失敗してない感じ」に見えるように工作がなされるのではないか。

まあその点9割方民間プロジェクトのMRJは、売れ行きが悪いとすぐにバレて失敗を隠しようがないのがかわいそうなところだ。

失敗したら失敗したで、きちんと正面から見据えたほうが明るい未来がやって来るに違いない。
下町ボブスレーを見てそう思った。
posted by ヤス at 13:17| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月20日

負けて成長

さて、もう3日も前の話だがまた将棋のことについて書く。
15歳6ヶ月の藤井五段(当時・現六段)が、羽生竜王とA級所属の広瀬八段を破って朝日杯オープン戦で優勝したことはすでに書いた。

それでYouTubeで対羽生戦、対広瀬戦の対局の模様をあらためて確認してみたのだが、あくまで将棋素人の感想ではあるが、今回の藤井さん(五段とか六段とかややこしいので藤井さんと呼ぶ)の戦いぶりは以前にも増して強くなっていると感じた。
プロの解説の補助付きで見た限りでは、序盤から終始優勢に戦いを進め、中盤以降はどんどんリードを広げる展開になっているように見えた。

おそらく、羽生竜王も広瀬八段も、中盤の途中あたりで自分の不利を自覚していたものと思われる。
しかしまた、この程度の不利なら今後の展開次第でなんとかひっくり返せる、そう思っていたのではないだろうか。
どちらの対局も、非常に難解複雑な戦いに入り込んで、棋譜だけを追いかける限りわたしの目には何がどうなっているのかまったく理解できなかったのだが、プロの解説や対局者の表情などからなんとなく戦いの行方を追いかけて、それはそれで十分に楽しむことができた気がする。

これはあくまで想像だが、羽生竜王も広瀬八段も、途中で「こんなはずじゃなかった」というようなことを表情で訴えているように見えた。
対局後の感想戦などからは、藤井さんも含めてそれぞれいくつかの指し間違いがあったそうだが、しかし藤井さんの表情は終始冷静で、自らの指し間違いもきわめて冷静にカバーしていた。

昨年の年末、当時はまだ四段だった藤井さんはA級の深浦九段に優勢をひっくり返されて手ひどい負けを食らった。
またその前には菅井、豊島といった若手の有力者と戦って負け、それで調子を崩したか、その後負けが続く時期も一瞬あった。
しかしもつれにもつれた対深浦戦後、さらに言えば年明け最初の対大橋四段戦の敗戦の後あたりから、人が変わったように強くなったのではないかと感じた。

データを見てみると、2017年度の各プロ棋士の対戦成績で、一番負けているのは実は羽生竜王(つい先日までで22敗)で、次は渡辺元竜王(21敗)である。
この二人は最近の賞金ランキング上位の常連で先日発表のランキングでも渡辺1位、羽生2位だった。

ここから思うのであるが、将棋というのはひょっとしたら負けて強くなる、敗戦から何かを吸収するゲームのような気がする。
というか敗戦を単なる負けにしない、負けてこそ吸収できるものをちゃんと吸収できるかどうか。
そういうメンタルの強さが、将棋で成長する鍵なのだろうかとちょっと思った。

次回以降の対局が楽しみであるし、藤井さんと当たる棋士は大変だが頑張りがいがある、と思った。
posted by ヤス at 13:26| Comment(0) | 徒然なるままに

2018年02月19日

チェーン化について

昨年末に閉園した北九州のスペースワールド跡地がイオンモールになるらしいが、それが2021年開業を目指すという報道が出ていた。
それで、近くにでっかいイオンができて便利になっていいという意見と、また全国にあるのと同じイオンが来るのかよ、という批判意見もある。

たまに遠出してよその県に行ったりしても、規模は大小さまざまだがイオンはほぼ必ずある。
(唯一福井県にはないらしい)
そして各地のイオンモールに入ってみると、だいたい中の雰囲気は同じである。

このようないわゆるチェーンストアが全国どこに行っても同じような雰囲気になるのは、これは当然ながら意図的に行われている。
「イオンモール」の看板が掲げてあるところなら、全国どこでも同一レベルの買い物体験ができますよ、だから安心ですよ、というのがこういうチェーンの方向性なのである。
これは吉野家でもマクドナルドでもコンビニ各社でもそうだろう。
同じ看板の店は中に入る前からどんな店か99%予測できる、だからバリアなくすっと入れる、そういう構造がある。

しかし一方で、何県のイオンに入ってもあんまし変わりばえしねえなあ、というのは正直残念な気分もある。
入る前からなんとなく中身の予想がついているので、いったいどんなところかなあ、というワクワクドキドキがない。
いや、たぶん地域ごとに入っている店舗の種類が微妙に違っていたり、空間の作り方とかも個性を持たせているのには違いない。
特に飲食コーナーは地元の店が入っていることも多く、唯一個性を感じられる部分かもしれない。

しかし大看板が同じイオンモールだと、少々の違いだと違っているように感じられない。
飲食コーナーに地元企業がいくつか入っていると言って、それ以外の大部分は全国チェーンのよく見る看板が占めているのでやっぱりどこも同じ感じになる。
たぶんイオンモールみたいなところは、基本的には地元民の買い物場所なので、だから地方にいながらにして全国規模の有名ブランドに触りにいけますよ、という感じになるのだろう。
逆に言うと、ちょっと遠くに旅行に行った時に、さあここのイオンはどんな感じかなあと思って行く、という気がまるで起こらなくなる。

最近はローソンとかセブンなんかでも地元の土の付いた野菜を売ったり、餃子の王将で店舗独自メニューがあったり、大規模チェーンでも地域性や店舗ごとの個性を出すことがなくはない。
でもやはり、チェーンの基本線は全国どこでも同じだから安心、ということであり、そして世の中のお店は確実にチェーン化の波に飲まれており、今も刻々と均一化が進んでいる。

チェーン化の流れは世の人々が便利や効率を追求する結果進行しているのだろうが、今後はチェーン化しつつも、地域ごと、個店ごとの違いが明確にあって多少ドキドキさせてくれる、そういうチェーン化ができればいいのになあと思ったりするのであった。
posted by ヤス at 09:56| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月18日

勝負ということ

昨日は朝日杯オープン戦で、藤井五段が羽生竜王に勝利して決勝に進み、そこで広瀬八段相手にも勝って優勝、史上最年少での全棋士参加棋戦優勝と同六段昇段を決めて心底驚いた。
また、他方では冬季オリンピックもやっていてそっちの方もなんか盛り上がっているようである。

将棋もスポーツも「勝負ごと」である。
勝負ごとでは勝者と敗者が生じる。
というか、どちらが勝者か敗者かを決めるのが勝負というものである。

人はなぜ勝負するのだろう。
やや大げさに考えると、「勝負すること」の根底には、どちらが生き残るかを決める生き物としての戦いがあると思う。
限られた環境リソースの中では限られた個体数しか存続できないので、余った個体は死ぬしかない。
そのような地球上における生命の押し合いへし合いが勝負ごとの土台部分にはあるような気がする。

勝負ごとに勝つというのは生命力の証であって、だから勝者は生命力の象徴になる。
人が勝者を見て心が震えるというのは、そういうことがあると思う。

まあ実際には、人類が楽しんでいるゲームとしての勝負ごとでは、負けた方がいちいち死んだりはしない。
それどころか、日々勝負しているその道のプロのプレーヤーたちは、日常的に勝ったり負けたりしている。
そしてどちらかというと、強い人というのは誰よりもたくさん勝負を挑み、誰よりもたくさん負けていたりする。

だからその道のプロとして最終的な勝者になる人というのは、少々負けてもなかなか死なない人、ということになるのかもしれない。

いや実際に、「負ける」というのはそれが遊びのスポーツであっても気持ちがかなりへこむものである。
それはやっぱり生命の本能として負けが死に直結する気分があるからで、逆に勝った時の快感というのは格別になる。
だが通常の場合、世の中は大多数の敗者と一握りの勝者という分布構造になりがちである。
オリンピックでも金メダルは一人だけ、見方によってはそれ以外の選手はみんな敗者である。

金メダルを獲った選手も、おそらくきわどいギリギリの線で勝ったのであり、状況次第で敗者になる可能性も大いにあったはずだ。
したがって世間の人々が常に肝に命じておくべきは、負けた時にどのように対処するかということになる。

ゲームとしての勝負ごとは、せっかく負けても死なないように出来ているのであるからそれを生かさない手はない。
ということで、勝って驕らず負けて腐らずというのはとても大切だと思うのだが、まあそれがすんなり出来れば人生そんなに苦労することもないのである。

やっぱり世の中のチャンピオンというのは、すごいなあと思うのであった。
posted by ヤス at 10:48| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月17日

一手の重みについて

いよいよ将棋の朝日杯オープン準決勝の、久保王将VS広瀬八段、羽生竜王VS藤井五段が始まった。
羽生藤井戦は、戦型は今流行の「雁木」になっているようであるが、わたしはもちろん将棋素人なので進行を見ても何が何だかよく分からない。

朝日杯は持ち時間40分の早指し棋戦なので、他の長時間の棋戦にくらべて指し手がものすごく早く進んで、ある意味観戦しやすいとも言えるし、観る方も考える時間が少ないので何が何だか分からないということもある。

当たり前であるが、プロの将棋ではいわゆる「待った」というのがない。
だからプロは一手一手渾身の読みを入れて、間違えないように指す。
何気に王さまを横にすっと動かすのでも、棋士の脳内ではものすごいスピードで戦いの未来予想が渦巻いているに違いない。
が、それでもやっぱり間違えることはある。

というか一戦のうちに何度か間違いをしながらも、そこを乗り越えて勝ちに持っていくのが強い将棋なのだろう。
ここで勝負の一手を仕掛けて一気に形勢を有利に持って行こうとして予想外の手を指した時に、相手にそれ以上の返しの手を指されて、結果的に勝負手が間違いであったことが判明した時の精神的ダメージはたいへんなものだと思う。
先日の古森四段VS藤井五段戦をたまたま見ている時にそういう局面があって、そこまで互角のように見えたのがそこの数手で一気に藤井五段に傾いた、ということがあったと思う。

素人のヘボ将棋だとここで「待った」をしたくなるし、最近のパソコン将棋だとボタン一つで「待った」ができるのでまあ便利である。
しかし真剣勝負では「待った」ができない。
ミスはミスとしてそこを受け入れつつ、そのミスを乗り越えないといけない。

このあたりのメンタルの戦いこそが、将棋の戦いの本質部分なのではないかと最近思ったりする。

以下やや飛躍する。
「生命」というのは各個体がかなりランダムでデタラメな行動をして、そのうちの数%(またはそれ以下)の行動が環境に適合して生き残る。
その生き残ったDNAの傾向が後世に引き継がれて、生命として徐々に洗練されていくということがある。

人間はそのような生命のDNA洗練法を論理の力で劇的に効率化し、100万年掛かっていたような形質進化を1年2年で実現できるようになった。
生命一般と比べると相当に論理的な人間ではあるが、「考える」ことで間違いを劇的に減らした人間がやっぱり時々間違えて、その間違いにどう対処するかが人間特有の悩みとなっている。

間違いに対して、それは生命一般では当たり前だから気にしないと思うか、あくまでも「人間的」に脳みそを振り絞ってなんとか修正しようとするのか。

プロ棋戦を観ていると、そういう意味で一手の重みというのを感じるのである。
posted by ヤス at 11:17| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月16日

30年続いた平成時代

もう年が明けて2ヶ月半が過ぎたが、しかしいまだに今年が「何年」だったか迷う。
今年は西暦で言うと2018年、和暦では平成30年である、というのをさっきエクセルに「=now()」の関数を打ち込んで確認した。
そうか今年は2018年の平成30年なのか、というのがなんだかものすごく実感が薄い。

ところで平成31年4月30日には天皇陛下の退位が行われ、5月1日から新天皇が即位する。
当然元号も「平成」が変わって新しいものになる。
あらためて考えてみると平成時代は30年も続いたわけである。

平成元年は西暦1989年だったが、今さっきエクセルに1989/1/7を入力して和暦表示にすると、ちゃんと「昭和64年1月7日」となる。
それで1989/1/8で入力すると「平成1年1月8日」と表示されるのでちょっと感動した。
はるか昔に記憶を遡ると、1週間だけの短い昭和64年というのが思い出される。

思えばこの年は、世界的にもたいへんな波乱の一年だった。
ちょうど米ソ東西冷戦時代の終わりの年であり、東欧諸国で次々と共産体制が崩壊し、11月には冷戦時代の象徴だったベルリンの壁がなくなった。
ニュース映像で人々が壁を打ち壊すようすを見て、時代が変わっているのを感じたものである。
さらにこの年には「ユーノスロードスター」とか「トヨタセルシオ」が発売された。
この2台は日本経済が輝いて見えた時代を象徴するクルマのように思われる。
そして1989年大納会の日経平均は38,915円の史上最高値を記録。

1989年、すなわち平成元年は、そういう年だった。
その後、「9.11」が起きたり世の中がインターネットで激変したりものすごくいろいろあった。
平成時代の後半にはリーマンショックや東日本大震災とかもあって、また中国がGDP世界2位になったりして世界の状況は1989年以前に比べるとおそろしく変わったのである。

ニュースでは、「平成」に変わる新しい元号は今年の年末以降の発表になるそうである。
噂では2月に発表という説も有力らしいが、つまり新元号切り替えまで3、4ヶ月のタイミングで発表されるようである。
巷ではプログラム書き換えのためにSEが臨戦態勢に入っていたり、ハンコ屋さんが手ぐすね引いて待っているということであるが、この改元を起点にそれ以上の世の中の変化が起きるのかどうか、やや楽しみではある。
posted by ヤス at 09:11| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月15日

日本経済の新陳代謝

日本には創業から百年を超えるような古い企業がたくさんあるらしい。
日本最古の企業は西暦578年創業の建設会社である金剛組だというのはわりかし有名な話である。
金剛組は業歴1440年ということになるが、ここ以外にも社歴千年以上の企業体がいくつかあるというから驚く。

そういう古い会社が諸外国に比べてたくさんあるというのが我が国のひとつの自慢であったりするわけだが、確かに個別の古い企業を見ていくならば、時代変化をのり超えて今日まで命脈を繋いできたその努力には敬服せざるを得ない。
(金剛組は2006年頃に破産状態に陥り創業家の手を離れたらしいが)

しかしである。
企業の集合体としての日本経済を考えた時、古い会社がたくさん残っていることは必ずしもいいことばかりではないと思う。
会社などの事業体というのは、適当に新しい企業が生まれ出て古い企業を更新していく新陳代謝が働いていることが重要だと思うからである。
今ちょっとくわしい統計データを参照していないのであまり断定的なことは言えないのであるが、もし日本の企業の社歴の平均値が諸外国より顕著に長いとすれば、それはそれで問題だと思うのである。

そんなことを思うのは、わたしが「社会人として」物心ついたバブルの頃、つまり1980年代終盤のあたりから日本の経済界の主要プレーヤーがあまり代わり映えしないからである。
いや、ほんとうはこの10年くらいで少し代わり映えがし始めているとも言える。

1980年代の日本の躍進の先頭に立っていたのはトヨタをはじめとする自動車メーカーであったことは間違いないだろう。
それにプラス、ソニー、松下や日立、東芝などの電機メーカー、都銀や証券、保険などの金融各社などががんばっていた。
あと、就職ランキングでは航空会社やテレビ局や電通・博報堂とかも人気だった。(今も人気だろう)

あれから20年30年経過してどれくらい新顔の企業が登場したのかというと、確かに情報通信系などでソフトバンクやauなんかが出てきたけれど、日本経済を牽引しているのは依然として自動車メーカー群である。
そして自動車とともに我が国経済を支えてきた電機メーカーや、重工関係は軒並み不振に喘ぎ始めている。

本来なら、主要プレーヤーの入れ替えがもっと進んでしかるべきだったと思うのだが、特に直近の30年くらいの間、日本を代表する企業群のメンツがぜんぜん代わり映えしないというのが、最近の経済的閉塞感の重要因子であるように思われる。

最近円高が少しずつ進んでいて、ちょっと前には円ドル相場と日経平均はもうあまりリンクしていないというニュース解説記事なども出ていたようなのだが、この1〜2ヶ月の値動きを見ているとやっぱり円が高くなると日経平均が下落するという関係性が健在のようだ。

個人的にはもっと円相場が高くなってiPhoneが安く入手できるようになるとうれしい、と思ったりするのだが、まあしかしそれも期待薄なのでやっぱり各個人がせっせと頑張るほかはないのだろうと思った。
posted by ヤス at 10:59| Comment(2) | 徒然なるままに

2018年02月14日

マクドいよいよモバイルオーダー導入か

12月が決算月である日本マクドナルドホールディングスの2017年決算が発表されて、売上が対前年9%増、純利益は同2.7倍の145億円になるらしい。
マクドナルドは2014年に発生した「鶏肉問題」などで一時期売上が大きく落ち込んだ。
ちょっと調べてみると2015年1月には既存店売上が対前年で61%になるなど、壊滅的な状況だった。
そもそも、マクドナルドは2014年の大問題が発生する前から、2012年頃からずっと既存店売上の不振が続いていた。

鶏肉問題はガタがきていたマクドにとってトドメの一撃だったということで、この頃のマクドにはいろいろと根元的問題があったのだろう。
それが、2015年12月から既存店売上が対前年を上回るようになり、以降月次売上の対前年が最大3割超、ならしても1割以上のペースで増加しつづけて2年と2〜3ヶ月経過したことになる。

売上不振で席が空いていた頃のマクドは広々と使えて、わたし的にそれはそれで快適だったのであるが、マクド的には店は客で押すな押すなしていた方が良いのは当然である。

注目すべきは、対前年売上が伸び続ける中で客単価も並行して伸び続けている点である。
今回のマクドは増収決算であったというが、マクドはここまで不振店の閉店を続けており、店舗数はずっと純減になっていたらしい。
その状態で全体売上が伸びたというのは、これは1店あたりの売上が相当に拡大したということだ。
だからまあ店が混雑するのは仕方がないのである。

それでなぜ、数年前まで不振に喘いでいて一時はどん底状態だったマクドがこの2年で急回復したかということだ。
メニュー戦略や価格戦略というのも当然あるだろう。
個人的には、「グランマック」のシリーズをレギュラー化して、いちおう美味しいハンバーガーも売ってますよ的にした効果がバカにならないのでは、と思う。

あと、これはまったく想像の域を出ないのだが、最近のマクドは店員が全体に若返っているような気がしなくもない。
あるいは高校生バイトとかを積極的に増員して、古株のバイトと入れ替えたりもしているのではないか、と感じたりもするのだが、まああくまで想像。

それとニュースにちらっと出ていたが、いよいよ「席に座ったままスマホから注文」のシステム導入が始まるのかもしれない。
昨年春にマクド本社が発表した「モバイル&オーダーペイ」というやつらしいが、最近はマクドも液晶番号表示付きの商品受け渡し専用カウンターを設けている店が増えているので、あとアプリさえ完成すればすぐにでも導入出来そうだ。

そうなると、世間の電子決済普及にもますます拍車がかかるだろうし、何より「オーダー順番待ちの行列のカオス」に、いちいちイライラしなくてもよくなりそうなので、非常に楽しみである。
posted by ヤス at 12:20| Comment(2) | 徒然なるままに