2019年01月24日

コンビニの成人誌中止の動き

最近のニュースで、コンビニがエロ雑誌の販売を中止する動きが報じられている。
2017年にイオン系のミニストップが全国店舗での成人誌取扱い中止を発表し、セブンイレブンでも2019年8月末までの中止が決まっていた。
続いて2日くらい前に、ローソンも2019年8月末での成人誌取扱い中止を発表。
最後までねばっていた(?)ファミリーマートも、ついに中止を決めたことが昨日のニュースで報じられた。

それで思うのだけれど、あのコンビニの書籍コーナーの一角を占めるエロ雑誌はどれくらい売れているのか。
コンビニに限らず小売業の場合、売れる商品、粗利貢献度の高い商品はそれに比例して売場面積が与えられるものだろう。
しかしその観点から見て、コンビニのエロ雑誌はその売場のフェイスの大きさの割にほぼ買っている人を見たことがない。
ひょっとしたらわたしの行かない深夜帯にバンバン売れているのかもしれないが。

ネットで軽く調べてみると、コンビニ店長の証言とかバイト経験者の見解が出てきた。
彼らコンビニ関係者(ネット情報が本物かどうかは知らないが)の証言によると、あのエロ雑誌はそれほど売上もないし売れても粗利もほとんどない。
ただ、特に田舎のコンビニではエロ雑誌と一緒に粗利の高い弁当類やコーヒーなどを歳とったジジイやトラック運転手などが買っていくのだそうで、つまりエロ雑誌は高粗利商品を売るための「撒き餌」である、ということらしい。

そのネット情報の真偽はいざ知らず、なるほどもっともらしい証言であると感じた。

ネット上にはさらに別の種類の情報も流れていて、本当はコンビニはずっと前からエロ雑誌は売れないし儲からないからやめたかったという。
でも版元との関係とか加盟店の要望などでなかなか中止にできなかった、というものだ。
それが今回オリンピックもあるし訪日外国人も増えているので止めるのにいいチャンスが来たのだという。

しかし儲けることに死ぬほどシビアなコンビニ各社がそんなぬるいことを考えるか、この種類のネット情報は少し疑問だと思った。

そういうことでコンビニのエロ雑誌が儲けを生んでいたのかどうか結局よく分からなかったが、とりあえずあのエロコーナーが近いうちに消えて無くなるのは、街の景観が多少なりともクリーンになるという点でいいことだと思う。

ただエロ指定を受けていない週刊誌とか写真誌とかもページをめくるとけっこうあられもなく乳を放り出している若い女性のグラビアが散見されるので、あれもなんとかして欲しいと思う。
そういう週刊誌のエロページを見るたびに思うのだが、こんな直接的で下品なエロは全然エロくないんだよ、もっと切なくて、見えそうで見えなくて、もどかしい感じのエロこそ本当のエロなんだよと熱く訴えたい、というのはまったくどうでもいい話ではある。
posted by ヤス at 09:40| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月23日

無視の思い出

昔、小学6年生になった時、岡山の学校から兵庫県西宮市の学校に転校することがあって、やっぱり田舎の学校と関西の都会の学校とではかなり空気が違った。
思い出してみると、西宮の小学校の同級生たちは田舎の生徒と比べると精神年齢が2、3歳くらい上のような感じだった気がする。
西宮の子どもは田舎に比べると、とにかくよくベロが回る。
ただ田舎者とはいえ、わたしもテレビで吉本新喜劇はそれなりに観ていたので彼らの関西弁にそれほど激烈なカルチャーショックを受けたわけではない。

かなりとまどったのは、彼らのずけずけとした物言いの態度だったと思う。
わたしが、「わしゃぁ、じゃけぇのう」みたいな感じでしゃべっていると、彼らは「おまえそれどこのことばやねん」みたいなことを言って、あからさまに笑った。
それは彼らなりのツッコミであり、ある種のイジリなのであって、こちら側にコミュニケーションのとっかかりを与えるための「フリ」を振ってくれていたのかもしれなかった。

でもその当時はそのツッコミに対する上手な返しがなかなかできなくて苦労した憶えがある。

またその当時、その都会の(といっても、あくまでも当時のわたしにとっての都会であるが)小学校では「無視」というのが流行っていた。
クラスの中で、適当な標的を決めてその一人の標的をクラスの中でしばらく無視する。
恐ろしいのはその標的決定プロセスが「なんとなく」な感じで進んでいくことで、なんとなく「次はコイツをムシしよーや」みたいな空気が知らない間にできている。
誰か一人をしばらく無視して、その困惑ぶりや悲嘆にくれるさまを楽しむというなんとも残酷なレクリエーションだった。

それである時わたしも「無視」の標的にされることがあった。

クラスの中の人気者とか学級委員的な人とかはその対象になることはない。
ヒエラルキーの下の方の人間がローテーションで選ばれるのである。
ただクラスの中でもカーストの最下層にいると、標的にさえ選ばれない。
無視されるということは、それなりに仲間として認めているということでもある。
その辺の社会学はかなり複雑高度なのだ。

わたしも晴れて無視されることになって、その時は少し血の気が引く感じで焦ったけれど、どう対処していいか分からず、とりあえず「無視されていることを無視」することにした。
無視する相手に無理やり話しかけるとかもせず、こっちも無表情に無視した。
そしたら「こいつはムシしても面白んないわ」ということになったらしく、そのうち「解除」になっていつもの日常が帰ってきた。

それで思うのであるが、学校におけるイジメとかの問題は、ある程度高度なコミュニケーションが成立している場合にこそ発生しやすい、そういうことがあるのではないか。
子どもたちのコミュニケーション能力が高くなるとイジメが少なくなる、ということはなく、むしろイジメの構造が複雑高度化し、ややこしくなるのではないか。

はるか昔の記憶がなぜかよみがえることがあって、そんなことを思ったりした。
posted by ヤス at 09:44| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月22日

150円のカフェラテで逮捕の件

昨日の夜のニュースで、福岡のセブンイレブンでコーヒーレギュラーサイズの料金100円を支払って、受け取った「100円コーヒーを注ぐべき」カップに150円のカフェラテを注いだ62歳のおじさんが現行犯逮捕された、というのがあった。
逮捕容疑は窃盗とのことでおじさんは容疑を認めているらしい。
ニュースによるとそのおじさんは以前にもたびたび同様の「窃盗」を行なっていたようで、お店の人がそれに気がついていて「今度来たら捕まえてやろう」と待ち構えていたのかもしれない。

さらにニュースによると、セブンイレブンの店舗ではコーヒーメーカーの前にいるお客さんが「コーヒーのボタンを押したかカフェラテのボタンを押したか」がバックヤードから見えるそうだ。
だから100円払って150円のカフェラテボタンをこっそり押しても、バレる確率がかなり高い。

逮捕された62歳のおじさんは、直接の容疑は100円と150円の差額の50円分をだまし取ったことになるのだろう。
ひょっとしたら以前に10回でも同じことを繰り返していて「被害総額」は500円くらいにのぼるのかもしれない。

しかしこのニュースを見て「この程度の微罪で逮捕されちゃうのか」と驚いた人は多いのではないか。
少なくともわたしはかなりびっくりした。
ただ少し想像を巡らしてみると、逮捕されるのも仕方ないかもしれないと思わなくもない。

セブンのコーヒーはもうすぐ累計販売数が50億杯に到達するらしい。
全店合計でたぶん1日に500万杯とか600万杯くらいの単位で売れている。
おそらくお客さんの中には今回のように50円をちょろまかすような人が何人かいるだろう。

今回の逮捕は、62歳のおじさんそのものを逮捕したというよりは、全国にいる同じことをしている人、もしくはしようとしている人に対するアピールという側面がおそらく強いのではないか。
(それは同時に加盟店に対するアピールでもあるだろう)

これも想像だが、今回の逮捕は加盟店の経営者なりセブンのスーパーバイザーなり、セブンの本部筋の人なりから警察に対する強い要請があってなされたのではないだろうか。

今回のように被害者サイドからの明確な訴えがあって、犯行を待ち構えての現行犯逮捕だと、被害額50円とか500円とかくらいの微罪でも逮捕はされるのである。

ネットニュースのコメント欄には、「他にもっと逮捕すべき悪い奴がいるだろう」とかいうのもあったが、そっちのもっと悪いけれどなかなか逮捕できない奴は、上記のような単純構図ではないからなかなか容疑が確定できないのだろう。

たとえ50円でも泥棒することはもちろん良くない。
しかし何か、自分の中にいろいろとモヤモヤが広がるニュースだった。
そのモヤモヤが何なのかは、もうちょっと考えないと自分でもよく分からない。
posted by ヤス at 10:37| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月21日

プロ棋士藤井聡太の恐ろしさについて

昨日将棋の「朝日杯オープン」のベスト4決定戦があった。
昨年の朝日杯オープンでは最年少棋士の藤井聡太が優勝して話題になった。

昨日の対戦は、藤井聡太七段が2戦2勝してベスト4進出を決めた。
1戦目はA級棋士の稲葉陽(イナバアキラと読むらしい)八段、それに勝って2戦目は同じくA級の糸谷哲郎八段だった。

わたしは2戦目の糸谷戦をAbemaTVで途中から見た。
将棋のことは駒の動かし方しか分からないが、そんなわたしも昨日の糸谷戦の藤井聡太の「角切り」にはかなりびっくりした。
AbemaTVでは解説の八代弥(ヤシロワタルと読むらしい)六段がいろいろな手の可能性を示していて、それを聞きながら十分にハラハラすることができたのである。

将棋には大駒が二つあって、その大駒の飛車と角が攻めの中心を担う。
昨日の藤井・糸谷戦では序中盤の終わり頃というのか、終盤の始まり頃というのか、比較的落ち着いていた場面で藤井七段は九筋の端攻めから相手に自分の角をただで取らせる手を指した。
ただし大駒の角を相手に渡す代わりに、歩が成り込んで「と金」を作ることが出来たり、飛車を敵陣に突入させて「龍」が出来たり、さらにと金と龍の周辺の敵の銀や桂馬を取ることが出来たり、とにかく角を一枚捨てることで一気にパワーバランスを変えることが出来るすごい手だったらしい。

この必殺の「角切り」は、その何手前かに糸谷八段が指した4九の金を3八に上がったのがきっかけになったらしい。
糸谷八段が金を上げたのを見た藤井七段は、その辺から持ち時間をたくさん使ってものすごく考えていた。
対する糸谷八段は40分の持ち時間をほとんど使わず軽快に指していく。

それで問題の角切りの場面になって、ことの重大さに気づいたのだろうか、以降の糸谷八段はかなり慎重になったように見えた。

しかし糸谷八段も、少し前に棋界最高峰の竜王も獲ったことのある強豪である。
その強豪に大駒の角をただで渡して、その後間違えずに指し続けることができるかどうか、というのはかなりのリスクだったことは間違いない。

しかし藤井七段はあえて大きなリスクのある手を指して、その後もきわめて正確に手を重ねた。
そしてあっという間に糸谷八段を仕留めてしまった。

将棋のことが詳しくは分からないわたしにも、藤井聡太の強さの一端がちょっと見えた気がした。
藤井聡太は、見た感じ物静かで大人しそうなただの高校生であるが、その中身は相当にエグい勝負師だと思った。
プロ棋士の世界では、たくさんの棋士たちの間に段位や経験年数の差はあってもその実力差は紙一重である。
その中で勝ちを取りに行くには、大きなリスクのある「踏み込み」が必要である。

しかしリスクを取るにはたいへんな勇気がいると思う。
リスクのある手を選択していると、時々間違えて負けることもあるだろう。
そうするとトラウマになって次にリスクを取るのが怖くなるのではないか。
藤井聡太には、そういう恐怖を平気な顔をして乗り越えるエグさがあると思った。
本当に恐ろしい高校生だと思った。
posted by ヤス at 09:56| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月20日

センター試験が来年から変わるらしい

昨日今日と「大学入試センター試験」が行われているらしい。
わたしの高校時代は共通一次試験と呼ぶ同じようなテストがあった。

共通一次試験は文字通り、国公立大学の「一次試験」として使われていた。
共通一次の点数による各国公立大学の「足切り」というのがあった。
各国公立大学はそれぞれの足切り点数を決めていて、受験生は共通一次の点数によって「輪切り」にされる。
共通一次の結果が出ると、受験生は自分の点数に見合った大学に受けることで「無駄なく」志望校を決めることが出来た。
ネット情報を見て、そのような共通一次試験のことを少し思い出した。

一方でセンター試験は私立大学も利用できる、また以前のように揃って足切りに使うということではなくて、足切りに使ってもよいし使わなくてもよい、センター試験だけで合否判断を行うとか二次試験と合算で判断とか、その利用方法がより広くなったということらしい。

共通一次は1979年から1989年までの11年間実施され、現在のセンター試験は1990年から今年まで。
2020年からは「大学入学共通テスト」に移行するということだ。

それで来年からの「大学入学共通テスト」であるが、これは今までのマークシート方式から一転し、記述式問題が導入されることが特徴らしい。
また英語の「読む」「書く」「聞く」「話す」4技能の評価を行うこともこれまでとの違いだそうだ。

それでこの新テストであるが、記述式問題の採点はマークシート方式に比べるとおそろしく手間がかかるのは間違いない。
少子化で一時期より受験生はだいぶ減ったとはいえ、1学年50万人くらいの受験生の記述回答を誰がどうやって採点するのか、この方法や採点の安定性・公平性などを巡って「必ず問題になる」という懸念の声が教育関係者の間でも出ているらしい。

マークシート方式による試験は、回答が機械的過ぎて受験生の思考力や表現力を十分に判断できない、という問題意識から新テストの記述式回答は企画されたのだろう。
このような問題意識は日本の大学のレベル低下に危機感を持つ経済界の意向も大きく働いているという。

しかし共通一次にせよセンター試験にせよその目的は、受験生が大学入学に耐えうる学力を持っているかどうかチェックするということだったはずで、思考力や表現力は各大学の二次試験に委ねるというのが本来の形だったと思う。

しかし来年から新テストに変わって試験の目的も大幅に改定される。
そして全国一律の「共通テスト的なもの」の意義はとうの昔に失われている。

この問題に対する唯一の正解は「共通テスト的なもの」を一切やめて大学独自の入試のみにすることだ。

各大学を偏差値別に「輪切り」にして受験生が志望校を選びやすくするとか、非常に日本的な「親切」だったのだろうが、もうそういうことを言えるほどのどかな時代ではない。

もしそれでも「共通テスト的なもの」が今後も続くとすれば、そこにはよほど美味しい「利権的なもの」があるに違いない、とか勘ぐりたくなる。
posted by ヤス at 13:09| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月19日

138億年分の偶然について

宇宙の始まりは138億年ほど昔にあった「ビッグバン」であった、という学説は今ではすっかり定着している。
そのビッグバン説によると、宇宙の最初は針のとがった先ほどの小さい空間に全宇宙の質量が詰まっている状態で、それがある時爆発的に膨張を始めたとされる。
何しろ超狭い空間に全宇宙の質量が詰まっているので、温度も圧力も超絶高い。
それで少し時間が経って、といっても10のマイナス34乗とか36乗とかいうからごくごくほんの一瞬だが、その一瞬の後にカオス状態だったまだ小さい宇宙は、ちょっとだけ落ち着いて「エネルギー」だったモノが「素粒子」に転換していったらしい。
素粒子というのはクォークとかレプトンとかいうやつのことだ。

さらに宇宙が冷えて落ち着いてくると、その素粒子が陽子や中性子や電子になった。
ただし、通常原子を構成している原子核と電子はまだ結合することができないほどエネルギー密度が高くて、この段階ではいわゆるプラズマ状態だった。
プラズマ状態というのは、本来原子核を構成する陽子と中性子、原子核の周りを回っているはずの電子が、てんでバラバラに飛び回っている状態のことである。

それでさらに宇宙が冷えて行って、1個の陽子と1個の中性子がくっついた周りを1個の電子が回る水素原子ができて、さらに陽子2個中性子2個電子2個のヘリウム原子もできて、今宇宙にある水素とヘリウムはおおよそこの頃(つまり宇宙の一番最初の頃)にできたらしい。

さらに重い原子はこの後何億年かして太陽のような恒星が誕生した後、その中心部の高温高圧状態の中で、核融合反応により生成されたらしい。
そしてやがてそういう星は寿命が尽きて爆発して、せっせと生成した重い元素を宇宙にばらまいた。

間をはしょると、そうやって宇宙にばらまかれた酸素や炭素やその他の元素で、わたしの身体も作られている。
そしてそうやって宇宙のゴミ屑で出来上がったわたしの脳みそを使って、わたしは138億年前の宇宙の始まりに想いを馳せている。

だがここで疑問に思うのだが、ゴミ屑で出来たわたしの脳みそが宇宙の始まりについて想像することは、138億年前の「宇宙開始時」に予定されていたことなのだろうか。

カオス状態のエネルギーが素粒子になって、少し落ち着いて原子ができて、それが巡り巡ってわたしの脳みそになる。

なんかまるで、最初からわたしの脳みそを作るために宇宙は始まったのではないか、そういう錯覚をイメージせざるを得ないのである。

現実には、アホみたいな偶然が138億年分積み重なって、当てずっぽうのたまたま、わたしの脳みそはこの地球上に転がり出たのに過ぎない。
まあ138億年もかければ、どんな怠け者でもこれくらいの工作はできるのかもしれない。
 
posted by ヤス at 11:04| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月18日

真面目について

真面目ということについて考えてみる。
例えばこの間から騒動になっているNGT48の件。
被害にあったメンバーは真面目にがんばっていてなんでこんな酷い目にあわないといけないのかと声をあげた。
こういう声が48グループでは以前からちょいちょい聞こえてきていた。
「恋愛禁止」の不文律が基本的人権を侵害しているかどうかはここでは置いておくとして、日常のいろんなことを我慢しながらアイドル活動に青春を傾ける人がいるかたわらで「恋愛事件」を起こして炎上するメンバーが結果的に知名度を上げることがあって、そのたびに「真面目メンバー」たちには不満が溜まっていただろう。

ただこういう構造は女性アイドルだけの問題ではなくて、現代人類社会にある程度共通のものだ。

資本主義社会では、人々は各々経済活動を行って貨幣をたくさん獲得しようとする。
あまり熱心でない人もいれば、人生のすべてを貨幣獲得に捧げるタイプの人もいる。
資本主義経済には一定のルールがある。
金のためなら盗みもする、嘘もつく、というようなことは基本許されない。
近代資本主義は近代的倫理観とセットになっているのである。

経済行為に限らず現代社会では人々の間でたくさんのルールが約束されていて、それを守らないと「公」によって罰せられることになっている。

それは何のルールもなかった原始時代から始まって、人類がより進化した社会を作ってきた中で、ある程度約束事を決めてみんながそれを守った方が人類はより繁栄できる、そういう流れがあったからだろう。

それを真面目と言うのが正しいか知らないが、上記のような意味での社会的なルールを守ること、つまり「真面目であること」が、社会の繁栄のために常に求められているものと考えられる。

しかし一方で不真面目な人、はなからルールを守るつもりのない人はこの社会にはいつでも一定数いる。
あるいはだいたいの時は真面目なのに国道2号線で時速100km超で運転したり、確定申告で税金をちょろまかしたりすることがある人というのは意外にたくさんいるものだ。

また世の中のすべての人が100%ルールを守るタイプの真面目な人になると、面白みがなくなる、社会がつまらなくなるような気もするのである。
往往にしてイノベーター的な人はルールに縛られない人、不真面目な人であることが多い気がする。
そういう「社会的な毒気」が刺激になって、大小の破壊的な変化が起こされ結果として人類社会が繁栄する、そういうのも真実のような気がする。

ただし毒気も過ぎるとかえって社会を破滅に追いやる。
そういう不純物はごく微量存在するからこそプラスの効果を発揮しうるとも考えられる。

それで今日の結論であるけれど、人類はいまだに「己の欲する所に従えども則を超えず」の境地には達していないのではないかと思う。
それぞれがかなりがんばって真面目であろうと意識的に努力するくらいがちょうどいいのではないか。
それくらいでちょうどいい毒気の塩梅になるような気がする。

ただあまり真面目の方に振れ過ぎるのは良くない、不要な細かいルールまで作る、それでがんじがらめにしてすべての毒気を封じてしまうことには注意が必要ではないか。

その辺の真面目と不真面目のさじ加減はかなり難しいなあと思ったりした。
posted by ヤス at 12:56| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月17日

イギリス議会がうらやましい

イギリス政府がEUと交渉してまとめた離脱協定の下院での採決が行われ、432対202の大差で否決されたらしい。
イギリスのEU離脱期限は今年の3月29日なので、今から再協議して協定をまとめ直すのはスケジュール的にほぼ不可能ということだ。
それで今後の展開としてはたぶん3通りの道がある。
ひとつは「合意なき離脱」でなし崩し的にことが進むパターン。
もうひとつは3月29日の期限を延期して協定の再協議を行うパターン。
3つ目に、もう一回国民投票をしてまさかのEU離脱を中止するパターン。

報道を見ていると、たぶん現実的には2つ目の期限延長ということになるように思われる。
もしくは、政府もヤケクソになってサジを投げ合意なき離脱に突っ走るのか。
離脱中止は、はるか東方の島国から眺めている分にはいちばん平和的に思うが、ただそれだともともとEU離脱の原因になった移民に対する国内の不満がくすぶり続けることになる。

イギリスがEUと協議していた離脱協定の中身は詳しくはよく知らないのだが、ざっくりいうと離脱に際していくらかの「手切れ金」を払ってその代わりEU離脱で消失するはずの特典をいくつか残す、そういうことのようである。

だから逆に言うと「合意なき離脱」をすると日本円換算で5兆円以上とも言われる「手切れ金」を払わなくて済む。
その代わり輸出入に掛かる関税とか人や資本の行き来の自由がいっきに「外国」扱いになる。
イギリスがEUに対して外国扱いになると、例えば今イギリスに工場を構えてヨーロッパに製品を流しているトヨタやホンダや日産などは戦略の見直しを余儀なくされる。
関税メリットがなくなるので各自動車メーカーはイギリスから大陸側に工場の引越しをする必要が出てくる。

あと北アイルランド国境問題というのが大きくて、EU加盟国のアイルランドとイギリス領北アイルランドの陸上国境の往来自由が閉ざされるといろいろ面倒くさいことになるらしい。

ところで今回の離脱協定はイギリス議会下院の圧倒的多数の反対で否決されたわけであるが、これは日本的感覚から見ると少し不思議だ。
下院定数650議席に対し、メイ首相の与党保守党議席数は330議席。
ぎりぎりながら単独過半数を取っている。
メイ首相が苦労してまとめたEU離脱協定案は、これが日本なら「党議拘束」により与党の賛成多数で無事可決されるのではと思う。

しかしイギリス議会では議員はただ席に座っているだけのデクノボウではなくて、ひとりひとりの個人の政治的意思が党から独立している。
そんなことはたぶん当たり前の話なのだろうけれど、東洋の島国にいるわたしから見ると非常にうらやましく見える。
今回のイギリスのドタバタでいちばん感じたのはその部分である。
 
posted by ヤス at 11:42| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月16日

統計不正

「光の速さ」は秒速299,792,458メートルであるらしい。
もう少し分かりやすく書くと秒速30万キロメートルとなる。
昔学校で1秒間に地球を7周半と習った。
べらぼうに速い。

ところで、速いといえば日本の新幹線も速い。
新幹線の最大速度は東北新幹線E5系の時速320kmだとネットに書いてあった。
今、その320km/hで走る新幹線と並走して飛ぶヘリコプターがいるものと仮定する。
ヘリコプターから観察した眼下の新幹線の相対速度は0kmになる。
ヘリコプターも320km/hで飛んでいるので、周りの風景を無視して新幹線だけを観察していると、ヘリからは新幹線は止まって見える。当たり前だ。
ところで、ここで反対側の線路から別の新幹線が逆向きに320km/hで走ってきたとする。
この時、反対側の新幹線とヘリの相対速度は320km/h+320km/hの640km/hになる。当たり前だ。

アインシュタインは光の速度について思いを巡らして、光の速度については上記の新幹線とヘリコプターの関係が成り立たないと仮定して理論を作り上げた。
つまり今秒速30万キロで飛んでいる宇宙船がいて、その宇宙船と同じ方向に走っている光があるとする。
光の速度で飛んでいる宇宙船からその光を観察すると、上記の新幹線とヘリの関係からすると光は止まって見えるはずだが、光に関しては宇宙船からはやっぱり秒速30万キロに見える。
その光は宇宙船の外にいる止まっている人からも秒速30万キロに見える。
上の宇宙船と逆向きに飛ぶ宇宙船からも、秒速30万キロ。
「その光」はどこにいる誰が観察しても秒速30万キロ。

というような話が相対性理論の入門書にはよく書いてある。
アインシュタインは相対性理論を実験とか天体観測とかの実データを元に作り上げたわけではない。
ほぼ頭の中だけで光の速度の相対性について思考をめぐらし、それ以前の物理学の常識からは想像もつかない理屈をこねあげた。

相対性理論が成立直後、理論に基づいていくつかの天文現象について予言している。
例えば太陽の大重力で光が曲げられるとかいう現象などである。
そしてその後の天体観測技術の発達により、それらの予言は続々と実証されて相対性理論はどうやら正しいということになった。



今、毎月勤労統計調査の東京都のデータに不正があったというのがけっこうな大問題になっている。
厚労省の指示で2004年かそのもっと前から、東京都について全数調査すべき大企業の3分の1しか調査してなかったという。
その時の調査対象企業は厚労省がリストを作っていたという。
そこに厚労省なりにデータ操作する意図があったのかどうか。
個人的にはデータ操作するのが目的だったに決まっていると思う。

こういう実データを操作する事件は、記憶に新しい「STAP細胞事件」など科学界にもたくさんある。
科学の場合、都合のいいデータに裏付けされて無理やりひねり出された論文は、その後の「より正しい」論文によって淘汰される運命にある。
キリスト教会が長らく信じてきた天動説も、ニュートンが確立した相対論以前の物理学も当時は誰もが絶対正しいと思っていた。
でもそれはあっけなく覆され上書きされてきた。

たぶん今回の統計不正は、不正の意図とか、不正の結果導入された行政施策とか、うやむやにされるのに違いない。
その辺が政治行政と科学の世界の大きな違いだ。
たぶんうやむやに丸く収めて適当に妥協しないと、戦争が起きたり、流血の惨事になったりするので、それを避けるために「ポリティクス」の世界では問題をある程度うやむやに終わらせるということなのかなと勝手に想像する。

残念だけれど仕方ないのかもしれない。
それが人間の今のところの限界なのかもしれないと思ったりした。
posted by ヤス at 10:41| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月15日

成人式って人が集まらないの?

おとといの日曜日は成人式だったらしい。
岡山市主催のイベントも開催されたらしい。
岡山市HPで「新成人の集い」の案内を見ると岡山市に今現在、在住、在勤、在学していたり、過去にしていたことのある人なら参加できると書いてある。
イベント会場では受付や名前の確認はなく、「会場にお越しいただければそのままご参加いただけます」だそうだ。

ということは、たぶん毎年何人も「新成人でない人」が参加しているのではないか。
自分も来年あたりに晴れ着姿で参加してみようか。
それで岡山市の成人式のようすはどんなだろうと気になってYouTubeで検索してみた。
「成人式 岡山市」と入れるといくつかの短い素人動画が出てくる。
北長瀬駅近くの岡山ドーム内に、パイプ椅子がたぶん千席分以上くらい並んだ会場の様子を見ることができた。

前の方につくられたステージに、おそらく市長とかその他のゲストが登壇してしゃべったりしているが、何せ素人動画なので音がクリアに録音できてなくてその声は聞き取れず、誰が何をしゃべっているのかよく分からない。

ただそれよりもわたしが衝撃を受けたのは、広い広い会場に並べられたたくさんのパイプ椅子に、ほとんど人が座っていないことだった。
ステージ上で偉いおじさんがマイクスピーチしているので、この時イベントの方は間違いなく始まっていると思う。
何人くらい座っているのだろう。
ひょっとしたら100人もいないのではないか。
画面に映っている範囲だけで20人あまり。
千席以上並んでいるだろうパイプ椅子の列に、パラパラとまばらにゴマを振ったみたいに新成人が点在している。
そのほぼ無人のパイプ椅子の群れに向かって偉いおじさんが粛々とスピーチをしている。

なかなかシュールな映像だった。
これはたまたま偉いおじさんの挨拶は退屈なので、この時だけ人がいなかったということなのかもしれないが、その実情はわたしには分からない。

70万人都市の岡山市は平成30年11月末現在の住民基本台帳データを見ると、19歳人口が7491人、20歳人口が7618人いる。
ネット情報によると4割くらいの人は成人式に参加しない、という噂もある。
だとしても2千人や3千人くらいパイプ椅子に座っていてもよいはずだ。
ましてや成人式イベントは、名前も年齢確認も不要の入場フリーである。
17歳とか24歳とか50歳とか新成人と関係ない人が紛れ込んでいれば会場が溢れてもいいくらいだと思う。

岡山市の住民基本台帳データを見てもうひとつ心配になったのだが、昨年11月時点で18歳以下の年齢別人口はますます減っていることだ。
17歳が6967人でこれ以下は軒並み6千人台の数字が続いて、なおかつ若くなるほど減っており、0歳は5967人とついに5千人台になっている。

これは来年以降、岡山市の成人式の開催が危ぶまれるのではないかとかなり心配だ。
冗談抜きで賑やかしに来年の成人式ではパイプ椅子に座りに行く必要があるのではないか。
などと、自分が20歳の時には成人式イベントがあることも知らなかったおじさんは思った。
posted by ヤス at 11:23| Comment(2) | 徒然なるままに