2019年05月24日

ZOZOの時給1300円

昨日最低賃金について書いたあと、何かと話題のZOZOがアルバイトの時給を1300円に引き上げるニュースを見た。
当初の時給1000円を300円引き上げて賞与支給もあるらしい。
その発表に対して2000人の枠を大幅に超える応募者が殺到したという。

募集時給を上げたらたくさん人が集まった、というだけの単純な話であるがいろいろ示唆に富んでいると思った。
現在の「人手不足の状況」の現在にあっても、時給をそれなりに上げると応募はたくさん集まる。
同様のことは岡山の田舎でもたぶんある。
わたしの知る限りでは、バイト時給1000円以上出しているところではあまり「人手不足」の話を聞かない。

わたしもバイトするなら850円よりは1200円くらいは欲しいと思う。
現在の人手不足の状況は絶対数として働き手が足らないという話ではなく「安い賃金で働いてくれる人」が不足しているのだ、という話をよく聞くがまさにそういうことだと思う。

現状だと安い賃金では人が集まらないので外国から新たに「安い人」を入れる。
それによって時給水準を安いままに維持するというのが外国人労働者受け入れの基本構造のように思われる。
ただし今後はアジア圏域でも労働力の取り合いが起こってきて、日本の賃金が安いままだと日本よりは韓国に行きますシンガポールに行きますという人が増えて日本に来る人が集まらない(または人材水準が落ちる)ことも考えられる。

だからアジア的な成長率に合わせて常に時給を上げていかないといけないとう話なのかもしれない。

ZOZOの募集時給1300円は月額に換算するとだいたい20万円くらいになるのだろう。
いくらか賞与も付くとしてこれだと年収300万円に届くかどうかの水準。
ZOZOは正社員の代わりにバイトを増やして雇用を不安定化させている、という批判も一部にあるようだ。
まあ会社にあまり縛られないバイトでこれくらいもらえればけっこういいような感じもする。

芸人やミュージシャンの卵が夢を追いかけつつ、バイトで生計を立てるのには時給が高ければ働く時間も短くて済む。
「バイトの時給を上げる」話にはそういう意味もあるそうである。

それで思ったのだが、正社員とか正規社員というのはいったい何なのか。
解雇規制が厳しく各種保険も完備したより安定した待遇のことを正社員と呼ぶのかもしれない。
ただ実際にはバイトの解雇規制も正社員とたいして違わない。
現状では正社員は「ちょっと会社を辞めにくいアルバイト」のような気もする。

何にせよZOZOの1300円のニュースは、時給水準としては実はたいしたことはないのだけれど、傾向としては非常にいいことのように思った。

儲かっている会社から順番に賃金水準が上がっていけば、そっちの方が大規模金融緩和よりはインフレ目標2%への近道のような気がする。
posted by ヤス at 06:57| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月23日

最低賃金を上げる件について

相変わらず世の中は人手不足の状況が続いている。
そんな話はもう聞き飽きた感じであるが。
しかし人手不足にもかかわらず、実質賃金がなかなか上昇基調にならないところに今の日本経済の病みっぷりが現れている気がする。

いや、実はバイト時給もけっこう上がっているようではある。
求人広告企業のリクルートによる情報によると、日本の三大都市圏における募集時の平均時給は10年くらい前には930円くらいだったのが、2014年頃から上昇基調に入って今は1050円くらいになっているらしい。
実に1割以上のアップである。(直近1年くらいは停滞ぎみだが)

ただし上記の情報にはやや注意が必要である。
というのも、2014年は消費税が5%から8%に上がった年である。
また円安が進行して輸入インフレが生じた時期でもある。
だから最近ニュースでよく聞く「実質賃金」に関してはこの10年間、実はそれほど上がっていないとも思われる。

人手不足の一方でワーキングプアとかの問題もあって、最低賃金を上げようという議論が続いている。
わたしはこれまでは、最低賃金を上げ過ぎると企業がアルバイトの求人を絞って学生とかのバイト先がかえって無くなるのではないか、と考えていた。
時給が上がると「単純で楽な」仕事がどんどん減って気軽なバイト先がなくなる感じがしていた。

しかし最近実質的な外国人労働者受け入れ(建前としては研修生受け入れ)が大幅拡大されたこともあり状況が変わった。
外国人労働者受け入れによって「人手不足からの時給上昇圧力」はいくらか緩和された。

しかしバイトする側の立場からすると、徐々にとはいえ物価も確実に上がっているしもうすぐ消費税も上がる(かもしれない)し、このまま時給(実質でなく名目の時給)が上がらないとますます生活が苦しくなる。

世の中に生活苦の人が増えると日本全体の景気も底上げしない。
そうなるとやっぱり最低賃金は上げた方がいいのかもしれない。
企業サイドとしては、最低賃金は上げてほしくないのは当たり前だ。
特に中小零細企業は、今の最低賃金でぎりぎりなんとか採算を合わせている(もしくはもはや合っていない)ところも多いと思う。

昨年の日本の最低時給は全国平均で874円だったらしいが、これを1000円、1200円と上げると小さい企業では赤字になって倒産や廃業とかも増えるのだろう。
しかしその一方で、今まで人がやっていたことを機械化するとか、社内でやっていたことをアウトソーシングするとか、日本の企業の「人海戦術指向」が変わるきっかけになるかもしれない。

あるいは、世の中の飲食店では普通に注文取りとか料理提供とかを生身の人間がやっているが、ああいう人手をかけたサービスは、本当は客単価が2千円3千円以上とかの、ある程度の店でこそ可能なものだと思う。
客単価が1000円以下の店というのは価格帯でいえば「ファーストフード」なのであり、本当はセルフサービスでないと成立しない業態なのを今までは安いバイト時給と正社員のブラック労働で無理やり採算を合わせていたのに違いないのである。

最低時給が上がるとそんな問題ももはやごまかしが効かなくなっていくらか正常化するのではないか。

今朝のニュースで政府が最低時給を1000円にするというのが流れていたが、これは多分に参院選対策ということもあるだろうが、財界の反対も想像されるこのような方針を出したことは、まあ評価に値するのではないか、などと思ったりした。


posted by ヤス at 10:36| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月22日

Huaweiと米大統領令

5月15日、トランプ大統領が「情報通信技術とサービスのサプライチェーンの保護に係る大統領令」に署名したらしい。

これは米国籍企業に特定の外国企業との取引を禁ずる命令らしい。
で、その取引を禁ずる企業リストにHuaweiが入ったらしい。
というか、ニュースによるとこの大統領令はそもそもHuaweiを標的にしたものだったようである。

それで米ロイターで、この禁止令によってGoogleがHuawei向けのソフトウェア出荷を停止し今後GmailやAndroidOSなどが利用できなくなる見込みであると報道された。

この4月にHuaweiのタブレットをゲットしたばかりのわたしは、日頃このHuaweiでGmailをチェックしたりWordの文書を打ったりしまくっている。
そんなわけでAndroidのアップデートが止まるとちょっと困るのかなあと心配になった。

ただAndroidはオープンソースなのでGoogleがサポートしなくても使い続けることはできるのだという。
そりゃあそうだろうなあ、と少し安心した。
Huaweiの方で勝手にAndroidのアップデートに対応する限り、たぶん使い続けることができる。

恐ろしい世の中になったもんだなあと思う。
米ソ冷戦時代なら、こんな話はありえなかった。
現代における新たな超大国同士の対立では、米中はただ政治的に対立しているだけではなくて、一方では経済的に不可分の濃密な関係ができあがっている。
経済における濃密な関係があればこそ、今回のように「関係を切る」方向の懲罰的行動を取ることも出来るわけであるが、しかし「関係を切る」ことによる影響はさまざまに及ぶ。
米中間の島国の田舎に住む、わたしのところにも及ぶ。

現代における「冷戦」は米ソ冷戦と比べるとより複雑なのである。

しかしただのアメリカ企業の枠をとっくの昔に超えていたと思っていたグローバル企業のGoogleも、大統領令には従わざるを得ないのだなあとあらためて分かった。
ただ一方でGoogleはAndroidをオープンソースにしていたおかげで、表向きは大統領令に素直に従いつつも、その実HuaweiはAndroidやGmailを今までどおり使い続けることができるわけで、これだとGoogleは本当に大統領令に従っているのかどうか分からないことになるのが面白いと思った。

トランプ大統領はそのあたりのことが分かってやっているのかどうか。
まあどっちにせよ、中国との対決姿勢を見せつけることが今必要だ、という判断なのだろう。

あとAppleなんかは、現在は自社製品のほぼすべてを中国で製造している。
トランプ大統領は中国製IT製品への輸入関税をそのうちかけるかもしれない。
ただこれも報道によると、少々の関税では(一説によると25%くらいまでは)Appleは中国製造から撤退しない見込みであるらしい。
それぐらい「中国での製造」には今のところメリットがあるのだ。

ということでアメリカと中国の経済的関係は、そんな簡単に切れるようなものではなさそうだ。
だからわたしも、いったん心を落ち着けてHuaweiでWordを打つことにしようと思った。
posted by ヤス at 12:25| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月21日

高度プロフェッショナル制度適用1人

「高度プロフェッショナル制度」がこの4月から施行されて、適用されたのが全国で1人しかいないという衝撃のニュースが流れている。

「高度プロフェッショナル制度」についてちょっとおさらいしてみる。
年収1075万円以上で「金融商品開発」「ディーリング」「アナリスト」「コンサルタント」「研究開発」の5業種が対象。
適用には本人と労使委員会の同意が必要。
年間104日以上、4週に4日以上の休日を確保すること、あと健康管理のためのいくつかの措置が必要などの内容が制度の中身である。

適用された人には時間外手当や深夜休日の割増賃金が適用されない。
その代り、適用された人は好きな時間に出社し好きな時間に退社できる。
理屈上は、成果さえ上げれば出社しなくても良いのだろう。
逆に、年間休日104日(および有給休暇)を除いては一日24時間ぶっ通しで働いても差し支えない、制度の内容を見るとそのように解釈できる。

今回唯一適用された1人は、研究職の人らしいけれどどういう気持でこの制度を引き受けたのかかなり気になる。

これで総務の人から「残業時間が制限を超えているので早く帰って」とか注意されなくてすっきりした、ということなのだろうか。
あるいは逆に、これで一日10分ほど会社に顔を覗けるだけでいい、8時間労働の義務を気にせず自由に研究できて良いと思ったのだろうか。

「高度プロフェッショナル制度」はその内容をあらためて見てみると、それは時間無関係にしっかり成果を出すためのものというよりは、やはり「労働時間の上限をはずす」方向に向いた制度であるように思われる。
しかし日本には現実問題、労基署の目をかいくぐって「労働時間の上限なく」働いている人々がたくさんいるのは間違いない。
それらの人々は会社からなかば強制されて働かされている人もいるだろうが、中には自らの意思で自由に長く働きたいと思っている労働者もまあまあたくさんいると想像される。

今回そういう労働者たちが「高度プロフェッショナル」として出てこなかったのはなぜなのか。
それらの多くが対象5業種に入っていなかったということもあるのだろう。
しかしコンサルタントや研究員で、もっと思う存分長時間働きたいという変態もいくらかはいるだろうに、それらの変態たちはどうしたのか。

たぶんそういう変態たちは、既存の労働法制の中でもそれなりに自由に長時間働いていたのではないか。
時間制限なく働くということでは、スタバでパソコンを開いたり自宅の書斎で仕事をしたりすればよく、わざわざ妙ちくりんな制度を導入するまでもない。

「高度プロフェッショナル制度」は労働者のニーズによる制度ではなく、あくまで企業側の熱望により実現した制度であるように思える。

おそらく経団連とかの思惑としては、今後対象5業種を広げていったり、労使委員会や本人同意の条件を緩和していったりして「企業都合による適用」が出来るように、徐々にしていきたいのだろうと推測する。

そういうことでは今後の制度の「拡充」の動きに要注目だと思った。
posted by ヤス at 11:54| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月20日

座り過ぎは良くない

座り過ぎは健康に良くない。
ということを座ってパソコンをタイプしながら考えている。
ネット情報だが、オーストラリアの研究機関が発表しているところによると、1時間座るごとに余命が22分短くなり、1日に11時間以上座っている人は死亡リスクが40%高くなるのだそうである。

死亡リスクが40%高まることがどの程度危ないのかが今ひとつ具体的に理解出来ないが、とにかくも座り続ける生活をしていると体にあまりよくないのは確からしい。
座り続けていると足腰の血管が圧迫されて血流速度が急速に下がるらしい。
それで本来なら血液に乗って体の隅々に運ばれる酸素や栄養素の補給がおかしなことになるという。
そして体の老廃物である脂肪や糖の回収も滞ってよろしくない。

そういえばプロ棋士で関西の天才・藤井聡太に対する関東の天才とも呼ばれる増田康宏六段は将棋研究を立ってやる。
ネット番組で立ったままパソコンを操作する増田六段の写真が紹介されていた。
プロの棋士なんていうのは、それこそ対局時には一日中座りっぱなしで将棋を指しているわけで、しかも公式対局以外にも練習将棋とかパソコンでの研究とかも基本座ってやっているのだろう。
そうするともう仕事の日も休みの日もずっと座りっぱなしということになりかねない。

そう思ってプロ棋士を見ていると、そういえばこの人達は対局中もしょっちゅう中座して対局室から出ていく。
トイレに行く場合も多いのだろうが、単なる気分転換で「ちょっと歩いて来る」ために席を立つ人もいるようである。
あれはプロ棋士の本能として座りっぱなしだと血流が悪くなって頭の回転が鈍るとか、そういうことを感じているのに違いない。

それで自分のことを振り返ってみると、わたしも平均するとけっこう長い時間座りっぱなしであることが多い。
パソコンの前でじっとすわっていてなんだか四六時中ぼーっとしているのは、あるいは座り続ける時間が長過ぎることに問題があったのかもしれない。

座り過ぎの弊害は、長時間座り続けたあとに歩いたり走ったりすれば解消されるというものでもないらしい。
キモはあくまで「座り続けない」ことらしい。
30分に一度立ち上がってスクワットをするとか、こまめに立ったり歩いたりして血流を回復させる必要があるのである。

本や資料を読むとかいう作業は別に座っていなくてもできるので、そういうケースは立ってやるとか、あるいは文章のタイピングもiPhoneで室内を歩きながらやるとかするといかもしれないと思う。

いつも長時間パソコンの前に座っている割にあまりナイスアイデアが出てこないのは、座りすぎて血流が滞って頭が働いていないせいかもしれない。

ということで、今日からなるべく立っていても出来ることは立ち上がってやることにする。
そうすると血の巡りが良くなって見違えるほど良い仕事が出来るに違いない。(と思った)

posted by ヤス at 09:03| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月19日

旅のいい人作用

オートバイにのって野宿旅行していると、知らない人に声をかけられる。
それもたまにかけられるというのではなくて、ほぼ一日に一回以上の感じでコンスタントに声をかけられるのである。
声をかけてくるのはたいていおじさんが多い。
あとはおばさん。
それからどこかの駐輪場にバイクを停めたときに他のライダーと「こんにちは」とあいさつして、そこからふたことみこと、適当に会話を交わすようなこともある。
一方で妙齢の若い女性とかはまったく声をかけてくる気配がない。

おじさんはたいていオートバイに対して興味を示し、排気量はいくらなんとか、値段はなんぼだったのとか、燃費はどんくらいだとか、そういうことを尋ねてくる。
それに適当に返事をしていると、俺はこれから友達のところに酒飲みに行って明日はゴルフだ、とか聞いてもないのに自分のことをペラペラしゃべる。

おばさんは相手が地元の人の場合、この辺に来たらこの店でアレを食べて帰ってよ、とかマイナーなグルメ情報を教えてくれたりする。

そういうことが、オートバイに乗って遠隔地をふらついていると日に2、3度発生する。

これは旅ならではの体験だと思う。
まず普通に生活している限りにおいては、知らない人としゃべることが滅多にない。
わたしの場合、人と話すの極端におっくうなので知っている人と会ってももあまりしゃべらない。

だが旅先でしらないおじさんやおばさんとしゃべる分には、あまり面倒くさいということももない。
今思い返してみると、旅先で言葉を交わした知らないおじさんやおばさんは、だいたいいい人だったように思える。
それは声をかけてくるおじさんおばさんが実際にすごくいい人だったのかもしれないし、本当は極悪非道の意地悪なおじさんだったのが、旅先で短い会話をする限りにおいてはすごくいい人に見えるということだったのかもしれない。

まあとりあえず、会話の瞬間においては、それらの人はいい人に感じられたということである。
相手にとって、汚い格好で野宿旅行しているおじさんはどう映ったのか。
希望的観測も交えて想像するに、たぶんそんなに悪い人物とは映っていないのではないか。

たぶん旅先で知らない人と話をしている時は、お互いの「いい人成分」だけを交換するような作用が働くことがあるのかもしれない。

そういうことで旅先で知らない人と話をするのは、なかなか気分の良い体験であるとあらためて思った。

それともうひとつ、旅先で話をする人はいい人であると同時にちょっと変わったところのある人のような気もする。
ちょっと変な人と話をするのは、けっこう楽しい。

そういう時、相手もやっぱりわたしのことを変な人と思っているのだろうか。
そこが少し気になった。







posted by ヤス at 07:14| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月18日

終身雇用が維持できない

最近日本企業の終身雇用をめぐるニュースをよく見る。
日本のそれなりに大きな会社は、これまで新卒一括で採用して原則定年まで雇用し続ける「終身雇用」方式を採ってきた。
ソニーとか、だいぶ前に新卒採用をやめて中途の随時採用に変えた会社もいくらかあるらしいが、それでも以前として終身雇用が日本の大企業の標準形ということのようである。

この場合「終身雇用」という表現があまり適当でないという意見もあったりする。
確かに雇用期間の終了はあくまで「定年」までであり、死ぬまで雇用するわけではない。
だから本当は「新卒採用・定年まで雇用」制度と呼ぶのが正しいと思われる。

そんなことはともかく、現在の日本ではすでに終身雇用が維持できなくなっているという話なのである。
終身雇用では、それなりにコンスタントに毎年一定数の新卒新人を採用する。
採用する一方で、定年に達する社員も一定数発生し、出ていく人と入っていく人がだいたい釣り合うようになるのが終身雇用の仕組み上のミソである。

しかしこれだと、業績不振でちょっと人を減らそうかという場合、クビキリなしだと採用を絞って人数を調整することになる。
そうなると組織の平均年齢が上がって会社がジジ臭くなる。
だからある程度の「若さ」を保つために、早期退職制度などで中堅・ベテランに辞めてもらうことになる。
ただ、これもよく言われる話だが、退職募集をかかけるとたいてい優秀なやつが応募してくる。
そうなると行き場のないポンコツの古株と右も左もわからない新人が増えて会社の体力は明らかに落ちるだろう。

つまり終身雇用だと人員の機動的な増減がちょっと難しいということがある。
終身雇用を採用している大企業でも、新分野進出などにあたってすでに専門知識を持ったベテランを中途で引き抜いてくることもあるだろう。
本来会社の採用はすべてその方式で行くのが合理的のはずで、営業が足りないなと思ったら営業スキルを持った人間を、管理業務が増えたらそっち方面の人材を採るとタイムリーなはずである。

だがこれまでの日本では(少なくとも大企業では)、新卒を採ってゼロから教育する方式が主流だった。
これは日本の経済がかつては一本調子で成長を続けてきたからであり、あるいは最近に至っても一本調子で成長の幻影がまだ残っているからだろう。

しかし実態的には、終身雇用はもうとっくの昔に終わっていたような気もする。
某銀行なんかでは、40歳代前半から次々と「出向」という名の島流しで人員が外に出ていっているっていうし、週刊誌には終身雇用を唱う大企業の「追い出し部屋」の惨状が記事に出ていたりする。

先にも書いた通り「終身」雇用という表現事態が元々マボロシだったのであり、だから今ニュースでやっている「終身雇用が維持できない」ニュースは「これでやっと終身雇用のタテマエを止められる」というのが企業の本音なのではないか、と思ったりした。










posted by ヤス at 07:28| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月17日

令和の時代についてなんとなく

5月も今日で17日目になった。
令和に元号が切り替わる前から平成を総括するネット記事や書籍をまあまあたくさん目にした。
おおよその印象でいうと、世の中の平成という時代に対する印象は、日本が下り坂を下った30年というものだと思う。

平成が下り坂の時代だったとして、それはもちろん天皇陛下の責任ではなく、それは誰の責任というよりは、日本という国のたどるべき運命だったようにも思われる。
いや、わたしは個人的には運命論でものごとを語らない、というのを基本スタンスにしていたのだった。
もういちど100年前あたりから歴史をやり直したら、ひょっとしたら日本はまた全然別の道を歩んだのかもしれない。

しかしまた思うのであるが、何回やり直しても、日本国民がいくらあがいても、日本のたどる道はおおよそ同じようなものになっていたような気もしないでもないのである。

今海を隔てた隣国の中国は、世界一の経済大国へ向かって成長を続けている。
もう10年くらい前から、中国の経済が崩壊する日は近いというのを盛んに言う向きもあったけれど、今のところその気配はない。
いくらかバブルの調整みたいなことはあるかもしれないが、おそらく中国経済は大崩壊はすることなく今後10年以内にアメリカを抜いて、一人あたりの富の量はともかくも、少なくともGDPでは世界一になる。
さらに10年くらいでアメリカの倍くらいの経済規模になる。

インドもそれに続き、中国が世界一になる頃に日本のGDPを超えると予想されている。
あと10年すると、少なくとも経済の観点からは地球の中心はアジアになる。
その時に日本はどうなっているか気になる。

そんな中で欧米諸国のこれからの価値観は、経済の総量から一人あたりの豊かさにますますシフトしていくのだろう。
現在のところヨーロッパは移民問題や経済格差問題で混迷しているが、この問題を解決することがヨーロッパの至上命題になる。
個人的なぼんやりとした感じに過ぎないが、ヨーロッパは時間をかけてこの問題をなんとか解決するのではないだろうか。

アメリカは「唯一の超大国」の座から降りて、欧中露印などと釣り合いを保ちながら世界秩序を維持する体制に切り替えざるを得ない。

それで日本である。
今まではアメリカの庇護の下でやってきたけれど、たぶんこれから中国の影響が強くなる。
というか、もうすでに貿易量では中国の影響がアメリカより大きい。
文化や政治面でどこまで中国の影響が強くなるのかよく分からないが、今よりはずっと強くなるのは間違いない。
というかもうすでに日本の観光地は中国人で溢れている。
観光みたいな「ライトな人的交流」が何年も続いたら、やっぱり影響は強くならざるを得ない。

ということで、令和時代の日本は経済的存在感は平成よりさらに小さくなり、文化政治的にもアメリカから中国寄りに寄っていくのだと想像する。

20年以上前にシンガポールに旅行した時、ガイドの若いシンガポール人が「俺達も日本のように豊かになる」と言っていて、それはもう10年くらい前に現実化して今では逆に1.5倍くらい差をつけられている。

あの時のシンガポール人のガイドを思い出すと、まあその分、令和の時代に生まれた若い人たちは「やりがい」があることになっていいのかもしれない、などと思った。
posted by ヤス at 08:47| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月16日

テンションの上がる買い物

朝からなんか胃の調子がわるい。
コーヒーの飲み過ぎかもしれないなあとか、ちょっともやもやしていたらクロネコヤマトの宅急便から荷物が届いた。
荷物とはいっても、A4サイズくらいの緩衝材入りの封筒に入ったやや小さめのサイズ。
Amazonで注文したオートバイ用のグローブ、手袋である。

数日前にバイク用品屋の「バイクワールド」に寄ったのだが、そこでは何も買わず、いつものウィンドウショッピングをした。
でもひとつだけ気になるものがあって、それは夏用のバイクグローブだった。

オートバイに乗るときはグローブをはめる。
わたし的には、革のグローブが装着感やら操作感が感触よくてお好みなのだが、これからの季節、灼熱の太陽にあぶられると、革のグローブだと手がものすごく熱くなる。
だから夏の間は夏用のメッシュ布を使ったやつをはめる。

グローブというのは消耗品なのである。
革グローブだと比較的長持ちするのかもしれないが、布と合皮とナイロン繊維の複合技で作られたグローブは摩耗や加水分解でみるみる消耗していく。
だから2シーズンくらいで買い換えないといけない。

今使っている夏用グローブは3000円くらいの安物で、まあ消耗品だからそんなものだろうと思っていたのだが、3シーズン目に突入するに及んで、指先の合皮がほとんど剥がれて下地の布が露出しており、実用には差し支えないのだがちょっと貧乏くさくなってきた。
だから新しい夏用グローグが欲しいと思って「バイクワールド」に寄った。

そうしたら、黒地に青いメッシュ布がアクセントで入って、指先は本皮のグレーのパンチングレザーになっているグローブが視界に飛び込んで、なんだか妙にかっちょいい。
さらにゲンコツで人を殴る時に相手のほっぺたにめり込む関節の尖っている部分、あそこにプラスティック製のエアインテークが装備されている。
また指の付け根にも小さめのインテークが付いていて、それらのインテークの穴から今にもミサイルが飛び出しそうな「ロボット感」がたまらないと思った。

「こりゃあ、ほしいな」

と思った。
しかし少々お高い。

結局そこでは買わぬまま、しかしその日の晩の草木も眠る丑三つ時になってAmazonのサイトを夢遊病患者のようにクリックしたらしい。

人が、ある商品を見てたまらなく「欲しい」と思うことがあるのはなぜなんだろう、と思った。
オートバイの夏用グローブの機能のことだけで言えば、安物でも何でも価格差ほどの違いはない。
その商品の見た目、雰囲気、ブランドストーリー、ミサイルが飛び出てくる感じなどにぐっとやられて欲しくなるのは考えてみると不思議だ。

それで宅急便が届いて実物を手にはめた感じだが、なるほどこれは3000円のグローブをはめるよりはかなりテンションが上った。
室内で用もないのにグローブをはめたまま、しくしくと痛む胃のあたりをさすったりした。
それで胃の痛みに変化はなかったが、テンションが上ったのでまあよい。

何か商品をつくるのであれば、こんな感じで多くの人のテンションが上がるものを作らないといけないなと思った。
もうあとひとつふたつテンションの上がるものを買ったら、胃の痛みもあるいは治まるかもしれない、などと思ったりもした。

posted by ヤス at 13:30| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年05月15日

オートバイはやっぱり危ない

オートバイに乗っていることを人に言うと、危ないから気をつけてね、と返されることが多い。
実際オートバイの事故の発生率、事故が発生した場合の重篤度は四輪に比べるとかなり高いようである。

あるデータによると、四輪の国内登録台数は約770万台だそうである。
対して四輪のある年の事故による死傷者数は44万人。
登録台数あたり約0.6%程度。
これが二輪(125cc以上)だと登録台数360万台に対し3万人。
率にして0.9%ほど。
四輪と二輪では平均の年間走行距離が、四輪の方がだいぶ長いと思うので単純な比較はあまり意味がないかもしれない。
それを念頭においても、二輪の事故による死傷者数はいうほどでもないように一見見える。

しかしこの死傷者数のうち、「死亡者数」は四輪が約1300人、二輪が700人弱。
登録台数あたり比率で言うと、四輪0.002%弱、二輪0.01%強。
登録台数あたりの事故死亡者の発生数は、二輪の方が四輪より一桁高いのである。

事故の発生確率そのものは四輪と二輪ではそれほど大差はないが、二輪における死亡者数発生はかなり高い。
これは重傷者数の発生についてもほぼ同傾向。
四輪では死傷者のうちの97%が軽傷者で死亡重傷は3%程度だが、二輪では同じく83%、17%くらいになっている。

二輪は事故に合う確率そのものは四輪と大差ないが、いったん事故するとただでは済まないということだ。
これは四輪がエアバッグとかABSとか安全ボディとか自動ブレーキとか、安全装備がどんどん進化して市販車への義務化も進んでいるのに対し、二輪の場合はせいぜいABSの義務化が進んだくらいで、それ以外の安全装備は二輪の構造上なかなか難しいというのがあるのだろう。

だから確かに二輪に乗る人、それも原付きよりは速度の出しやすい大型バイクの場合は特に安全に注意する必要があるのは当然だ。

しかし逆に言うと、オートバイのいかにも危ない感じがその魅力であるというのもひとつ言えるのである。

オートバイに乗っていると、強風に横から煽られてフラフラし、ロクに横を見ずに運転しているおばさんの自動車に横から割り込まれてぶつかりそうになり、いろいろ「危ないなあ」と思うことが多い。
この間も、特攻隊的な運転をするおっさんの軽トラが右車線にはみ出しながら強引な幅寄せからの追い越しをかけられて、死にそうになった。
こういう目に合うのも二輪ならではだと思う。

ただいつも考えるのであるが、人間が生きているというのは「死ぬ可能性がある」ということだと思う。
「死ぬ可能性のない」人間はすでに死んでいる人である。
だから死ぬ目にあうと、生きていることを実感せざるを得ない。
オートバイに乗ることの「原因」のひとつには、そういうこともあるような気がする。

ということで、これからもキレたおっさんが運転する四輪の危険運転にもなるべく腹を立てないように、必要以上に安全運転でオートバイに乗っていこうと思う。
posted by ヤス at 10:24| Comment(2) | 徒然なるままに